第14話「遊牧民との邂逅:後編」

 統一暦一二〇八年九月二日。

 ゾルダート帝国南西部、シュヴァーン河北岸草原地帯。ヘルマン・フォン・クローゼル男爵


 草原の民、ドンナー族の族長の息子ウーリ・ドンナーと出会い、勝負を挑まれた。

 その勝負に勝つと、我々を認めたのか、一気に対応がよくなった。


 午後三時過ぎ、一時間ほど走ったところで、遠くに半球形のテントが見えてきた。


「あそこが我らの夏の宿営地だ」


 近づくにつれ、テントが数え切れないほどの数であることに気づく。

 兄マティアスから聞いた情報では、リヒトプレリエ大平原南部に縄張りを持つドンナー族は五大部族の一つであり、人口は一万人に達しているらしい。


 周囲には無数の家畜の群れが草を食んでいた。

 家畜は馬と羊が主だが、牛もいる。その間をドンナー族の人々が馬に乗りながら、のんびりと見張っている。


「ここで待っていてくれ。俺が親父に話を付けてくる」


 それだけ言うと、ウーリは馬を駆って宿営地に入っていく。

 十分ほど待っていると、ウーリがやってきた。


「親父の許可が出た。俺に付いてこい」


 そう言うと、ゆっくりと馬を進める。

 遊牧民たちが物珍しそうに私たちを見ていた。草原には獣人族セリアンスロープはほとんどいないため、物珍しいためだろう。


 ひと際大きなテントの前でウーリは止まった。


「ヘルマンは付いてきてくれ。護衛は二人までだ」


「ヴェラとクルトが来てくれ。ジャコモはトラブルにならないよう見ておいてくれ」


「「「ハッ!」」」


 私の命令に敬礼で応える。

 ヴェラとクルトはジャコモたちから、一抱えほどある袋をそれぞれ受け取ると、私の後ろを歩く。


 テントの中に入るが、思ったより明るく、そして広かった。

 中央には三十代半ばくらいの痩身の男が、布を敷いた地面に座っている。

 私は一歩前に出て、片膝を突く。後ろではヴェラとクルトも同じ仕草で頭を下げていた。


「お初にお目にかかる。私はグライフトゥルム王国のラウシェンバッハ騎士団の団長、ヘルマン・フォン・クローゼル。ラウシェンバッハ子爵家当主、マティアス・フォン・ラウシェンバッハの代理として、誉れ高きドンナー族の族長、スヴェン・ドンナー殿に主マティアスの言葉を伝えに参った」


 王国の貴族と草原の民の族長では身分を比べようがないが、王国の常識ではこのようにへりくだることはあり得ない。しかし、兄の指示でできるかぎり下手に出ている。


「スヴェン・ドンナーだ」


 それだけ言うと、興味深そうに私を見た。


「“千里眼のマティアス”殿の言葉を俺に伝えにきたと。それは興味深いな」


 兄のことを知っていることに一瞬驚くが、モーリス商会から聞いているのだろうと表情には出さなかった。


「はい。既にご存知だと思いますが、我が国はゾルダート帝国と戦っております。ここより南、シュヴァーン河周辺で帝国の第二軍団と戦端を開く可能性があり、そのことについて事前に伝えに参りました」


「本気で帝国領に入って戦うつもりなのか……思い切ったものだな」


 半分驚き、半分呆れているという感じだ。


「まずは我が主からの贈り物を受け取っていただきたい」


 そう言ってヴェラたちに視線を送る。

 二人は恭しく持ってきた袋を開け、三十センチメートル四方ほどの箱を数個並べていく。


「最古の魔導師の塔、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘが作った病に効く薬です。腹痛や頭痛、解熱剤など、この辺りでは手に入りにくい効果の高いものと聞いております。毒見が必要でしたら、私がいくつか飲んでみますが?」


「それには及ばん。千里眼のマティアス殿がそのような愚かな策を弄するとは思わんからな。それに病の薬は助かる。我が部族にも薬師はいるが、怪我の治療薬はともかく、内服薬は効き目が弱いのでな」


 兄が言っていた情報通りだ。


「それにしても我が兄マティアスを含め、草原の外のことをよくご存じなのですね」


「そなたは千里眼殿の弟であったのか! なるほど、だからその若さでラウシェンバッハ騎士団の団長というわけか……」


 一人で納得した後、私の問いに答えた。


「外のことはヒンメル族が情報を仕入れ、我らにも流してくれるからな。まあ、最近ではヴィントムントの商人もここに来るようになったから、直接話は聞いているが」


 ヒンメル族はゴットフリート皇子が草原の民の討伐の際、最初に臣従した部族と聞いている。そのため、ゴットフリート皇子から草原の民のまとめ役を任じられていた。


 ヴィントムントの商人はモーリス商会だろう。エーデルシュタインから彼らが欲する調味料やスパイス、酒などを運び、羊毛や皮などと交換していると聞いている。


「それで帝国軍と戦うということだが、我らに手伝えとでも言いに来たのか?」


 それまでの緩い雰囲気から一気に緊張感が漂う。


「そのようなことは考えておりません。我々だけでも充分に戦えますので」


「ならば何のためだ? 既に商人たちから草原の南で戦いが起きると聞いているが、我らを攻撃しなければ、干渉する気は全くないのだが」


 縄張りといっても曖昧なもので家畜を盗むなどの実害がなければ、問題にはならないらしい。


「あなたがたの縄張りに入り込む可能性が高いので、我々が領土的な野心を持っておらず、単に軍事作戦として通過させてほしいとお願いに来たというのが一番の理由です」


「なるほど。我らの縄張りに入るから、仁義を切りにきたということだな」


 こういったことは部族間でもあるらしく、スヴェンはすぐに納得した。


「それが一番の理由ですが、他にもあります。それは我がラウシェンバッハ騎士団が帝国の兵士を倒しますので、その装備である剣や槍、鎧などに興味があれば、お譲りしたいと考えていることを伝えに来ました」


「帝国軍の装備を我らに譲る? 対価は何だ?」


「我らに食料として、装備に見合った家畜の肉を譲っていただきたい。肉は仮に百人分の装備とするなら、羊十頭分でいかがですか。もちろんそちらの言い値でも構いません」


「ものにもよるが、百人分の装備と羊十頭では全く釣り合わんぞ。我らドンナー族が有している家畜の数は十万頭以上だ。羊など安いものなのだからな」


 スヴェンの言いたいことはよく分かる。

 しかし、今回の目的はドンナー族に帝国軍の装備を譲り渡すことだ。


「我々が帝国軍の装備を持っていても役に立ちませんし、運ぶのも面倒です。帝国軍に取り返されるくらいなら、新鮮な肉と交換した方が兵たちも喜ぶので有効活用になるのですよ」


「うむ。そう言われれば、そうかもしれんが……」


 こちらに何か別の意図があるのではないかと考えているようだ。


「本来なら名馬をいただきたいのですが、船で運ぶには馬が慣れている必要がありますから断念したのです」


「分からんでもないが……」


 まだ疑いは払拭できない。


「別に帝国軍の装備を使う必要はないのです。商人たちに売れば、ある程度の金にはなるでしょうし、鋳つぶして素材にすることもできるのです。我々としては川に捨ててもいいのですが、新鮮な肉に変えられるならと考えた次第です」


「帝国軍が文句を言ってくる可能性がある。それほど欲しいというものでもないのに、わざわざトラブルを招く必要はないな」


 やはり気づいたかと思ったが、それは顔に出さず、兄に言われた通りに説得していく。


「帝国軍が文句を言ってきても、正当な対価で購入したと言えばよいでしょう。あなた方は帝国の支配下にあるわけではないのですから、問題にならないはずです」


「確かに帝国に文句を言われる筋合いはない。ならば問題はないか……そちらが戦利品を正当な対価で売りたいということなら、我らが拒む理由はないな」


 ここで渋れば帝国の支配下にあると認めることになる。草原の民は皇帝マクシミリアンに対してよい感情は持っていないから、それは避けたいと考えたようだ。


 彼らが信奉しているのは勇者であるゴットフリート皇子であり、その勇者を謀略によって放逐したマクシミリアンに従う気は全くない。


 兄が予想していた通りの結果になった。

 これで帝国軍の装備をドンナー族に譲り渡すことが確定した。


「では話すことはもうないな」


「はい」


 これで終わりだと思ったら、驚くべき提案をしてきた。


「ウーリが完敗したと聞いた。お前たちと腕試しをしたい。よもや断ることはあるまいな」


 族長は理性的な人物だと思っていたが、息子同様脳筋だったようだ。


 その後、私を含め、ラウシェンバッハ騎士団の者全員が模擬戦を行った。

 日が沈むまでの二時間ほど戦い続けたところで、ようやく終わった。


「千里眼殿は知恵者と聞くが、これほどの剛の者を従えているとは驚きだ。勇者である諸君らは我らの友だ! 皆の者! 宴だ!」


 それから宴会が始まった。

 護衛小隊の面々は任務があるということで酒を断ろうとしたが、関係が悪くなることを考え、私が命令して宴会に参加させた。


 そのため、全員が大量に馬乳酒と呼ばれる酸っぱい酒を飲まされることになった。

 酒精はそれほど強くないため、ボロボロになるほど酔いはしなかったが、慣れない酒を飲むのはなかなか辛かった。


 酒は好みではなかったが、料理はハーブが大量に使われ、独特の癖と辛みがあるものの、思ったより美味かった。酒を飲むより料理を食べる方に切り替えたほどだ。


「ヘルマンも気に入ってくれたようだな!」


「ええ。スヴェン殿のところの料理はなかなか美味い。ラウシェンバッハ領の料理人に学ばせたいくらいだ」


 模擬戦と宴会で、タメ口で話せるくらいに打ち解けることができている。


「それはいい。俺もお前たちの料理を食い、酒を飲んでみたいものだ」


 こんな感じで意気投合し、その夜は飲み続けた。

 翌日、二日酔い気味だったが、ドンナー族の戦士たちと懇意になれた。

 これで兄が求めていたことを成し遂げられたと、密かに安堵の域を吐き出した。

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