第12話「帝国の謀略」

 統一暦一二〇八年九月一日。

 グライフトゥルム王国南東部、リッタートゥルム城。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 ラザファム率いる王国第二騎士団第三連隊の訓練は順調で、明後日の九月三日に出撃を予定しているが、問題はなさそうだ。


 訓練を終え、リッタートゥルム城に戻ると、王都シュヴェーレンブルクから無視できない情報が入った。

 それはグランツフート共和国が軍の派遣を見合わせるというものだった。


 ラザファムとハルトムートを密かに呼び出し、協議を行った。

 共和国の首都ゲドゥルトに長距離通信の魔導具が設置されていることは極秘であり、既に知っている二人に相談相手を絞ったのだ。


「共和国が軍の派遣を取りやめたのは、レヒト法国が原因か?」


 ハルトムートが聞いてきた。


「そうみたいだね」


 そう言って頷き、詳細を説明する。


「東方教会の上層部ではケンプフェルト閣下が軍と共に出撃したタイミングで、共和国に侵攻すべきだという話が出たらしい。今のところ、聖都レヒトシュテットでは内政に専念すべきという法王アンドレアスの考えが支持されているみたいだけど、油断はできないと共和国の首脳たちは考えているらしいね」


 レヒト法国の東方教会領はグランツフート共和国と接しており、侵攻を繰り返していた。ここ二十年ほどは軍神ケンプフェルト元帥が的確に対応して事なきを得ているが、元帥と二万の精鋭がいない状態で守り切れるのかと、共和国政府の首脳たちは不安に思ったらしい。


「分からないでもないが、法国が共和国の状況を的確に把握しているのには違和感があるな。帝国の差し金か?」


 ラザファムの言葉に私は頷いた。


「恐らく皇帝とペテルセン総参謀長の考えた策だろうね」


 そう言った後に理由を説明する。


「元々東方教会は侵略に積極的だ。そこにケンプフェルト閣下が長期にわたって不在になると教え、今なら勝算が高いと思わせる。東方教会を含めて法国では情報管理がいい加減だから、その情報はすぐに広まるだろう。当然、情報収集に余念がない共和国政府の耳に入る。法王が反対しているという話も入ってくるけど、東方教会の聖竜騎士団は以前、法王の命令を無視して戦端を開いているから、共和国の首脳たちが危機感を持ってもおかしくはない」


「共和国の国境には天然の要害がないからな。城に篭って時間稼ぎということも難しいし、ケンプフェルト閣下がいらっしゃらないと、どこまで攻め込まれるか見当もつかない。政府の首脳が不安に思ってもおかしくはないということか」


 ラザファムがそう言うと、ハルトムートも大きく頷き、自らの考えを付け加える。


「確かに閣下がいるといないとじゃ、安心感が違うからな。それに我が国への侵攻作戦では南方教会と北方教会が失敗しているから、ここで共和国の領土を掠め取れば、法国内での発言力が増すと東方教会の連中が考えるのは自然だ。この千載一遇のチャンスを逃すなと煽ったら、すぐにでも暴発すると共和国が考えても全然おかしくない」


 二人の言葉に頷きながら補足する。


「恐らくだけど、共和国側で噂を流しているのも帝国の諜報局だと思う。帝国にとっては法国が共和国に攻め込まなくても、共和国の首脳たちが侵攻の可能性があると認識してくれれば目的は果たせるからね」


 私の言葉に二人は同時に頷いた。


「それでこの影響はどのくらいあると、マティは考えているんだ?」


 ハルトムートの質問に、私より先にラザファムが答える。


「帝国が主導したなら、ヴェヒターミュンデでの渡河作戦の偽装は全く意味がなくなるのではないか? それにエーデルシュタイン方面の撹乱作戦も実際に被害が出なければ、無視されると思うのだが?」


「ラズの考えは正しいと思う。王国軍だけでは二万にしかならないから、我々の撹乱作戦に対応するにしても、無理な攻勢さえかけなければ、第二軍団だけでも十分だ。皇帝は指揮する五万の兵と共に、皇都攻略作戦に集中するだろうね」


 今回の我々の戦略は、王国軍二万と共和国軍二万の計四万がヴェヒターミュンデから帝国西部に侵攻し、皇帝が指揮する兵力を引き付け、皇都陥落を防ぐというものだ。


 しかし、共和国軍が参加しないとなると、皇帝が危機感を持つことはない。

 彼が危険視しているのは、王国軍のホイジンガー伯爵ではなく、共和国の名将ケンプフェルト元帥だからだ。


 そのケンプフェルト元帥が出陣しないとなれば、知将エルレバッハ元帥だけで王国への対応は可能と皇帝が考えることは自然だろう。


「そうなると、こっちで派手に動かないと皇都攻略作戦の妨害にならないということか?」


 ハルトムートが険しい表情で呟いている。


「そうなるね。といっても無理なことをするつもりはないけど」


 私の意見にラザファムが反論する。


「だが、それでは皇都が陥落してしまうぞ。それでいいのか?」


「ハルトには言っているけど、私の中では皇都が陥落することは確定している未来なんだ。その上で、帝国にどれだけ嫌がらせができるか、王国への侵攻をどれだけ遅らせることができるかを考えている」


 元々皇都を守り切ることは難しいと考えていたが、皇帝が第二軍団をシュヴァーン河方面に送り込んできたことで、その可能性はゼロになったと思っている。


 帝国が皇都を占領しても、すぐに皇国全体を支配できるわけではないし、皇国を支配下に置いたとしても、十年程度は国内の安定に力を注ぐ必要がある。

 その時間を少しでも長くするために、いろいろな手を打つ方が合理的だと判断したのだ。


「もう一つ付け加えると、ここでの戦いはラズの名声を高めるためだと割り切っているところもある」


 私の意見にラザファムが目を丸くする。


「そんな個人的なことで戦うのか? 部下たちに戦えと言えなくなるのだが……」


「個人的なことじゃないよ。君ができるだけ早く騎士団長に就任してくれれば、今後の戦略を立てる上で助かるんだ。優秀な指揮官が出世することは兵士たちにとってもいいことだし、第一ここで無理をするつもりはないから、大きな損害は受けないはずだ」


「それでも納得しづらいな……」


「要は帝国の名将エルレバッハ元帥を翻弄したという実績を残せばいい。本当はハルトにも出世してもらいたいんだが、こっちはなかなか難しいからね」


 現在の王国騎士団の体制は悪くはないが、最善とは言い難い。

 王国騎士団長のホイジンガー伯爵は保守的というだけでなく、マルクトホーフェン侯爵派との対決に消極的であり、国内から足を引っ張られる可能性が否定できないからだ。


 その点、ラザファムが高い地位に上り詰めれば、騎士団という武力を手に入れるだけでなく、伯爵家の当主として政治的な発言力も強くなる。彼の場合、ホイジンガー伯爵と違い、政治的なセンスもあるから、国内の対応が格段にやりやすくなるだろう。


 ハルトムートだが、彼はカリスマ性が高く、平民の兵士の心を掴んでいる。そのため、西の守護神と言われたハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍のように、兵士たちの圧倒的な支持を集めることができる可能性が高い。


 この二人に加え、弟のヘルマン・フォン・クローゼル男爵とラザファムの弟ディートリヒがラウシェンバッハ騎士団とエッフェンベルク騎士団を掌握してバックアップしてくれれば、武力的にも国内で優位に立てる。


「ラズはともかく、俺はだいぶ先だろうな」


 ハルトムートの言葉に、私は首を横に振る。


「そうとも限らないと思っているよ。君の実力ならヴェヒターミュンデ騎士団の副騎士団長にはすぐになれるだろうし、そこで実績を積めば、守備兵団長になることは難しくない」


 今の政治体制では、平民出身のハルトムートでは王国騎士団の団長にはなれないだろう。しかし、将軍と呼ばれる守備兵団長になら、ジーゲル将軍の例もある通り、爵位がなくともなれる。


 今後、王国軍を再編する際に守備兵団を増やす提案をするつもりなので、その候補として考えているのだ。


「俺が将軍ね……ピンとこないな」


「そうでもないと思うぞ。ハルトならジーゲル閣下のような兵に慕われる将軍になれると思っている」


「私もラズの意見に賛成だよ。ヴェヒターミュンデ閣下の義理の息子になれば、難しいことじゃない」


 その言葉にハルトムートが顔を一瞬歪めた。


「ウルスラ様とのことを利用するつもりはない」


 ヴェヒターミュンデ伯爵令嬢ウルスラとの仲は伯爵公認で、近い将来結婚することは間違いない。しかし、潔癖な彼としては地位を得るために近づいたと言われたくないのだろう。


「ハルトがそう考えても、周りはそう見ない。笑い飛ばすくらいのつもりでいないと、そこに突っ込まれてトラブルを招きかねないから注意した方がいい」


 私の忠告にハルトムートも不満げな表情ながらも頷いた。


「マティの言いたいことは理解した。だからと言って、すぐに納得できない」


「それでいいよ。いずれにしてもラズも君も今より高い地位に着くんだ。ある程度の腹芸をできるようになっておかないと、足元を掬われるから」


 その後、今後の方針について話し合い、当面はこれまでの方針通りで進めることを決めた。

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