第37話「復帰」

 統一暦一二〇五年八月十二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王国騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 一昨日、私は王都シュヴェーレンブルクに戻ってきた。

 既に一ヶ月ほど前の七月十五日に私の無実は公表されており、多くの人から労いと励ましの言葉を掛けられている。


 そして昨日、王国第二騎士団長のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵から呼び出しを受けた。

 伯爵から第二騎士団の参謀長代理に就任してほしいという要請を受け、受諾している。


 また、イリスも私の部下として臨時の作戦参謀となった。

 更にシュヴァルツェビスティエン猟兵団イエーガートルッペの五十人も、私の直属として第二騎士団司令部付きの部隊として認められている。


 要請を受けた際、伯爵がリヒトロット皇国の状況を憂いていた。


「皇国の状況が想定より悪い。そろそろ君の仕掛けた謀略が効いてくるはずだが、ゴットフリート皇子だけでなく、皇国の動きも読めん。士官学校設立のこともあるから悪いとは思っているが、君が近くにいた方が迅速に動けるから是非とも頼む」


 伯爵の言う通り、リヒトロット皇国の状況は最悪ではないが、かなり悪い。

 皇国水軍を磨り潰さないように無理な攻撃は避けていたようだが、陸軍が暴走してゴットフリート皇子に攻撃を仕掛けた。


 一万の正規軍がほぼ全滅という結果で、軍の士気は下がるし、皇都周辺の都市を放棄せざるを得ず、市民の間に不安が広がっていた。


 一応、皇国軍には期待していなかったから、戦略的には支障はないが、市民の不安が上層部に伝わり、抵抗することなく降伏することを密かに恐れている。


 ゾルダート帝国の第三軍団に対する謀略は今のところ上手くいっている。

 ゴットフリート皇子から第三軍団長ザムエル・テーリヒェン元帥に偽の命令書が届き始めており、今頃第三軍団は西に向けて出発しているはずだ。


 偽の命令書だが、闇の監視者シャッテンヴァッヘシャッテンが活躍している。


 ナブリュックからゴットフリート皇子がいるゼンフート村は陸路で百キロメートルほど離れている。そのため、伝令を送る際に途中の村で休憩と馬の交換を行うが、そこでシャッテンが命令書やテーリヒェンが出した確認の書簡をすり替えていた。


 方法は詳しく聞いていないが、ずいぶん前から第二軍団と第三軍団に潜り込んでおり、ゴットフリート皇子とテーリヒェン元帥の筆跡をまねること、封印に使う印章の複製も作っていることから偽造は簡単だそうだ。


 また、替え馬のいる村は帝国軍が支配しているが、ここにも複数のシャッテンが潜り込んでいる。素人の私からしたらすり替えは難しそうに思えるが、シャッテンにとって一般人に過ぎない伝令を欺くことは容易いことらしい。


 問題はゴットフリート皇子の元部下たちが不審に思うことだ。

 これについては手の打ちようがないが、テーリヒェンが焦ってくれることを期待している。


 そして、上手くいけば、今日にもフェアラートからの偽伝令が第三軍団に到着するはずだ。


 その伝令は数万の王国軍が渡河を開始したという情報を伝えることになっており、運がよければ数日以内に第三軍団はナブリュックを離れることになる。


 第三軍団が皇都から離れるだけでは問題の解決にはならないが、この事実を上手く使って、帝国上層部に揺さぶりを掛ける。既にその手筈はある程度整っており、切っ掛けを待っている状況だ。


 王国軍の状況だが、コンラート・フォン・アウデンリート子爵率いる第四騎士団は七月下旬にヴェヒターミュンデに到着後、フェアラートの守備隊に見せつけるように渡河準備を行っている。


 まだ増水期だが、以前から使用している小型船を繋ぎ合わせる浮橋であるため、渡河に支障はない。しかし、その分準備期間が必要であと二週間ほど掛かる予定だ。


 マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵率いる第三騎士団は、リッタートゥルムから帝国領内に入った。


 そして、帝国の国境警備隊を蹴散らしながら、シュヴァーン河の東岸を北上し、昨日ヴェヒターミュンデの対岸に到着した。

 第三騎士団は橋頭保を確保しつつ、渡河準備完了を待っている状況だ。


 その情報を聞き、私はグレーフェンベルク伯爵に第二騎士団をヴェヒターミュンデに移動させるよう進言した。


「そろそろ十日前のゼンフート村の戦いの結果が王都に届きます。それを機に皇国支援を訴えますが、帝国第三軍団が早めに動いた場合に間に合わなくなります。訓練を名目に第二騎士団をヴィントムント辺りに移動させてはいかがでしょうか」


 八月三日に皇都に近いゼンフート村で、ゴットフリート皇子率いる第二軍団第一師団が皇国軍一万に勝利した。一万人中生き残ったのは二千人ほどで、ゼンフート村殲滅戦と呼ばれている。


 帝国が支配するナブリュック市にその情報が届き、更に下流の町にもその情報が流れている。商人組合ヘンドラーツンフトの商人は減っているが、帝国の支配地域以外には船を出しているため、そろそろヴィントムントに情報が届く頃だ。


 ヴィントムントから王都までは定期船が出ているため、三日ほどで情報が届く。私の予想では早ければ十六日、遅くとも二十日には王都に情報が届くと見ていた。


 王都からヴェヒターミュンデまでは三週間は掛かるが、第三軍団がナブリュックを出発しフェアラートに到着するのも同程度だ。今から動かしておかないと第二騎士団が間に合わなくなる。


「そうだな。私と君たちは船で向かえば追い付ける。メルテザッカーに指揮を任せ、先行させるとしよう」


 メルテザッカーとは新たに就任した参謀長、エルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵のことだ。前任のシャイデマン男爵は私が王都を離れていた今年の五月に、古巣であるノルトハウゼン騎士団に復帰している。


 メルテザッカー男爵は金髪碧眼のスラリとした美男子だ。三十九歳と聞いているが、二十代後半にしか見えず、宮廷での舞踏会では美姫たちが列をなして踊りの順番を待ったという逸話を持つ。


 男爵は西部の雄、ケッセルシュラガー侯爵家に属しているが、昨年のヴェストエッケの戦いで危機感を持ち、侯爵家騎士団を強化するため、侯爵の許しを得て王国騎士団に入団した。


 王立学院高等部の兵学部で優秀な成績を修めていたこと、グレーフェンベルク伯爵が二年後輩の彼のことを覚えていたこともあり、ノルトハウゼン騎士団に戻るシャイデマン男爵の後任となったらしい。


 但し、侯爵家にいたため、王国騎士団における教育を受けておらず、かなり苦労しているらしい。昨日あった時もそのことを言われている。


『貴殿があの教本を作ったと聞いている。これから一緒にいる機会も多いだろうから、いろいろと教えてもらいたい。このままでは私が第二騎士団の弱点と言われそうだからな』


 教育を受けていない男爵を参謀長にした理由を伯爵に聞いている。


『君が戻ってくる前提だったからな。本来ならしっかりと教育した上で連隊長にした方が、エルヴィンの性格にも合っているんだが、奴には西の要になってもらいたいと思っている。だから、君の下でみっちりと勉強してもらおうと思ったんだよ』


 私が参謀長代理になるから、参謀としての能力にはあまり期待していないということらしい。それを聞いて一瞬言葉を失ったが、伯爵らしいと苦笑している。


 第二騎士団は演習という名目でヴィントムントに向かい、また、その穴埋めにエッフェンベルク騎士団が王都にやってくることも決まっている。


 この決定に宰相であるクラース侯爵が反対したが、皇国が滅亡すれば次は我が国であり、帝国に対する牽制が必要だと、伯爵が国王フォルクマーク十世に直談判し、認められた。


 国王も最初はやる気のない感じだったが、帝国に捕らえられたら処刑されると伯爵が脅したことから、即座に認めたと教えてもらった。


「ところで帝国の第三軍団がシュヴァーン河まで来たらどうするつもりなんだ? 君のことだ、牽制だけで済ませるつもりはないんだろ?」


 グレーフェンベルク伯爵が聞いてきた。


「私も気になります。千里眼のマティアス殿がどのような策を考えているのか、興味があるので」


 メルテザッカー男爵が話に加わってきた。

 舞踏会で名を馳せているが、男爵は見た目と異なり硬派な感じの話し方だ。


「敵の出方次第です。三万人の軍団すべてが投入されるのか、一個師団だけが来るのかも分かっていません。タイミングによっては罠に引き込んで多少のダメージを与えることもできますが、ヴェヒターミュンデ城に籠城するだけになる可能性も充分にありえます」


「確かにそうだな。そのために入念な準備を行うということか」


 伯爵の言葉に大きく頷いておく。


「目的はあくまで皇国の危機を救うことです。皇都を攻撃しているゴットフリート皇子が撤退するように誘導しなくてはなりません。そのために第三軍団がどのような状態にするのがよいのか、考える必要があると思います」


 私の言葉に男爵が頷くが、横にいたイリスが口を挟んできた。


「第三軍団と戦うことで、ゴットフリート皇子を撤退させることってできるのかしら? ナブリュックを確保し続ければ、一年以内に皇都は陥落するわ。ゴットフリート皇子としては第三軍団がいなくても、皇都を押さえる第二軍団の補給線はしっかりしているから、持久戦に持ち込めばいいだけよ。この状況で撤退なんてあり得るのかしら」


 我が妻ながら鋭い指摘だと苦笑する。


「なるほど。イリス嬢の言う通りだな」


 メルテザッカー男爵が感心するように頷いた。


「純軍事的に考えれば、彼女の言う通りです。ですが、戦争は政治の一手段に過ぎません。皇帝や枢密院の元老たちがどう考えるかで、作戦の継続は決まるのです。その点を突けば、活路は見いだせると思っています」


「つまり、第三軍団が失態を冒す。その責任はゴットフリート皇子にある。マクシミリアン皇子派がそれに乗じて動けば、ゴットフリート皇子を召喚するかもしれないということか」


 グレーフェンベルク伯爵がそう言うが、私は大きくかぶりを振る。


「そう上手くはいきませんよ。それにマクシミリアン皇子を復権させることの危険性にも注意する必要があります。その点をどうするのか考えつつ策を練らねばなりません」


 私の言葉にメルテザッカー男爵が大きく溜息を吐いた。


「これが閣下のおっしゃっていたマティアス殿の視野の広さか……戦場で勝ちさえすればいいと思っていたが、認識を改めなくてはならないな」


「その通りだ。特に王国騎士団の参謀長なのだから、外交や内政にも目を配らねばならん。その辺りはマティアス君から学べばいい。私も彼から学んだのだからな」


 グレーフェンベルク伯爵がそう言って男爵を励ます。


「そうなると、今回の出陣は残念です。せっかくマティアス殿から教えを受けられる機会だったのに、半月以上は別行動となりますから」


「その点は我慢してくれ。ヴェヒターミュンデに入れば、嫌でも彼と一緒に考えることになるんだ。そこで学べばいいさ」


 伯爵はメルテザッカー男爵にずいぶん期待しているらしく、彼の肩をポンポンと叩いていた。

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