番外編第四話「ライバルになれなかった男ヴィージンガー」

 統一暦一二一三年三月三十日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。エルンスト・フォン・ヴィージンガー


 十日ほど前、第一王子のフリードリッヒが王都に戻ってきた。

 情けないことに暗殺者を恐れ、十年もの長きにわたって、同盟国であるグランツフート共和国の首都ゲドゥルトに逃げていたのだ。


 フリードリッヒは十八歳になるが、オドオドとした表情を隠すこともできないほど凡庸だ。二歳年下のグレゴリウス殿下の堂々とした態度とは比べ物にならず、王宮にいる貴族たちは皆、次期国王の資格なしと思ったことだろう。


 しかし、本日国王からフリードリッヒが立太子される可能性があることが告げられた。


「長子であるフリードリッヒは先日十八歳になった。長く国を離れていたが、立派に育っておる。まだ確定はしておらぬが、立太子のことを考えねばならん」


 その言葉にお館様であるミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵閣下が反対の声を上げられた。


「グレゴリウス殿下は一年半に渡り、陛下の下で政務を学ばれております。その見識の深さは陛下もご存じのはず。拙速に決められる必要はないのではありますまいか」


「宮廷書記官長はフリードリッヒに不満があるというのか?」


 国王はお館様を睨みつけるようにして言い放った。


「そうではございません。王国は今後、建国以来の苦難に遭う可能性が高く、継承権の順位によらず、優秀な方に国を率いていただくべきと考えております」


 お館様の言葉に国王は無表情で頷いた。


「卿がそう言うのであれば、もう一度考えてみよう。だが、長子を差し置いて次子が王位を継げば、国内に混乱が起きる可能性が高い。卿がいう国難に対応するには挙国一致で当たらねばならんと思う」


 優柔不断な国王にしては珍しくお館様に反論した。数日前に大賢者が謁見しているから、その時に何か言われたのかもしれない。


 王宮から侯爵邸に戻ると、お館様から呼び出しを受ける。


「国王の態度についてどう考える? 大賢者の入れ知恵だと思うが、立太子されれば厄介だ」


「お気になさる必要はございません。大賢者は既に王都を離れておりますし、あの無能な宰相だけでは何もできますまい。一度きちんとお話すれば、陛下も分かってくださると思います」


 私の言葉にお館様は満足そうに頷かれた。


「そうだな。あの国王が意地を張り続けることができるとは思えん」


 その後、私はある人物を呼び出した。

 東の島国オストインゼル公国大使館の書記官ヒュベルトゥス・ライヒだ。


 この男は四十歳ほどの冴えない中年男だ。三年ほど前、ゾルダード帝国との連絡役として王都にやってきた。皇帝のただの連絡役かと思ったが、謀略の才能があり、時々知恵を借りている。


「国王がフリードリッヒ王子を王太子にしたいと考えているようだ。阻止するために何かよい知恵はないか?」


「そうですな……フリードリッヒ殿下には後ろ盾となる大貴族がおりません。また、生来臆病な方とお見受けしますので、そのことをご理解いただければ、ご自身から辞退されるのではないかと」


「それは私も考えたが、弱い気がするのだ。第一、フリードリッヒに会うことが難しい。陰供シャッテンも付いているようだし、下手に脅せば大賢者の耳に入る。そうなれば、国王は更に頑なになるだろう」


 ライヒは「確かにそうでございますな」と言って頷くと、少し考えた後に案を出してきた。


「ではこうしてはいかがでしょうか? この国で強い武力を持つ貴族はマルクトホーフェン侯爵家の他には、エッフェンベルク伯爵家、ラウシェンバッハ子爵家、ノルトハウゼン伯爵家、グリュンタール伯爵家の四家です。エッフェンベルクとラウシェンバッハの両家は当主が不在ですし、早期に王都に戻ってくる可能性は低いでしょう」


「なるほど。つまり、ノルトハウゼンとグリュンタールを掌握すればよいということか……」


 ノルトハウゼン家とグリュンタール家は北部の雄で、共に三千名程度の常設騎士団を有している。特にノルトハウゼン騎士団は対レヒト法国戦で活躍し、エッフェンベルク騎士団と並んで精鋭と言われていた。


「はい。その事実を知れば、こちらから脅さなくともフリードリッヒ殿下はご辞退され、王位継承権を放棄した後、亡命されるはずですし、国王陛下もグレゴリウス殿下の立太子に前向きになっていただけると思います」


 両家とも数年前に代替わりが行われ、現当主は我らに敵対の意思を明確に示しているわけではないが、ノルトハウゼン家のヴィルヘルムはラウシェンバッハを慕っており、マルクトホーフェン陣営に入る可能性は低い。


「しかし、ノルトハウゼンはラウシェンバッハを先輩として慕っていたし、ラウシェンバッハも夫婦でかわいがっていた。そんな奴が我らに味方することはなかろう。グリュンタールだが、ノルトハウゼンと領地を接しているから歩調を合わせる可能性が高い。難しいのではないか?」


「必ずしも味方に引き入れる必要はないのです。フリードリッヒ殿下がそう思い込めばよいだけですから。ノルトハウゼン家とグリュンタール家がマルクトホーフェン侯爵家と懇意だという噂を流します。幸い、両家とも年末年始にしか王都を訪れませんから、否定される可能性は低いと考えます」


「なるほど。事実でなくともそう思い込んでくれればよいということだな。確かに有効な手だな」


 そう考えた私はすぐにお館様に提案を行った。


「王都で噂を流し、それが勝手に耳に入る。大賢者も我らの罪は問えぬし、国王を叱り付けて対応させることも不可能ということか……うむ。リスクは少ない。エルンストよ、よく思いついた。すぐに実行せよ」


 その策を実行した。噂は徐々に広まり、国王の表情は以前より曇っている。フリードリッヒは相変わらず引き篭もっているため、状況は分からないが、園遊会にすら出てこなくなったので噂を耳にしたことは確実だ。


 それからしばらくして、ライヒが別の提案を持ってきた。


「アラベラ殿下ですが、あまり締め付けると暴発する恐れがあります。殿下の監視は帝国側が主体で行いますので、侯爵家の方々はラウシェンバッハ子爵の手の者に対応するために集中されてはいかがでしょうか」


 確かに自由奔放な方を閉じ込めておくのは危険だが、帝国が善意でそのような申し出をするはずがない。


「何を企んでいる?」


「皇帝陛下は旧皇国領の掌握を最優先に考えておられます。しかし、いろいろと手を尽くされていますが、未だに上手くいっておりません。その最大の障害がラウシェンバッハ子爵の手の者なのです。侯爵家がラウシェンバッハ子爵に集中していただけば、子爵も帝国に手を出すことが難しくなります。それが目的なのです」


 確かにあり得る話だ。ラウシェンバッハの謀略で帝国内ではずいぶんと混乱が起きたと聞いている。病床にあるとはいえ、現地の者に伝令を使って指示を出すことは可能だ。


 それにアラベラ殿下が暴走し、マルクトホーフェン侯爵家の力が削がれることは帝国にとっても不利益に繋がる。もちろん、将来的には敵対関係となるが、我が国に謀略を仕掛けたとしても、帝国が軍を派遣する可能性は低い。


 現在雇っている真実の番人ヴァールヴェヒターの間者は王都と領都に集中させ、ラウシェンバッハの謀略の手が伸びないように対処している。マルクトホーフェン侯爵家の財力でもこれ以上間者を雇うことは難しく、帝国の申し出は検討の余地がある。しかし、この男が帝国の利益を考えないはずがない。


「帝国がラウシェンバッハの監視を行えばよいではないか。我らを監視している者を回せば、充分な人数が確保できるのではないか?」


 帝国が我が国に多くの間者を送り込んでいることは分かっている。その多くが我らに対抗するラウシェンバッハの手の者を監視しているが、我がマルクトホーフェン家も見張っているはずだ。


「それでも構いませんが、ラウシェンバッハ子爵の監視を我らに任せていただけるのですかな。そこまで信用していただけているなら、我らに否はありませんが?」


 確かに帝国に任せることは危険だ。我が国に混乱を与えるため、ラウシェンバッハがマルクトホーフェン家に仕掛けてきても見て見ぬ振りをする可能性があるためだ。


 このことをお館様に伝えた。


「帝国の間者を上手く利用し、ラウシェンバッハの監視を強化してはどうかと」


「帝国の間者を利用するだと……皇帝と役割を分担するということか?」


「その通りでございます。アラベラ様の監視はマルクトホーフェン家、帝国の双方で利害が一致しますので、彼らに任せても問題はありません。ですが、ラウシェンバッハを封じ込めることに関しては、帝国を信用することは危険です」


「確かにそうだな。よかろう、卿に任せる」


 こうしてラウシェンバッハの監視を強化し始めた。


(ラウシェンバッハは塔に篭ったままか……ここで奴を封じ込め、二度と表舞台に出してはならぬ。奴がいれば、私は参謀として三流としか見られぬのだから……)


 私はラウシェンバッハを憎んでいる。

 私は高等部の兵学部を首席で卒業した。しかし、私に対する評価は高くない。その最大の要因が天才と名高いラウシェンバッハが私を評価しなかったためだ。


 奴は私を警戒し、学院時代から評価しなかった。記憶力に頼った前例主義と貶めた。

 私の同期にはヴィルヘルム・フォン・ノルトハウゼンがいるが、奴は次席であったのに、騎士団や貴族の間での評価は私より遥かに高い。


 その理由が当時助教授だったラウシェンバッハが可愛がり、グレーフェンベルクやホイジンガーと言った騎士団の重鎮に有能だと吹き込んだからだ。


 私は首席で卒業したが、王国騎士団には入らなかった。

 入れば、グレーフェンベルクらに貶められることは明らかだったからだ。


 しかし、これは私が望んだことではなかった。私は騎士団に入り、そこで参謀となって優秀な人材をマルクトホーフェン家に引き込むつもりだったのだ。


 今思えば、私を警戒した結果だと分かる。

 お館様も当初は私のことをあまり評価していなかった。実績を上げなければ、今の側近という地位から外され、私は埋没していっただろう。


 お館様には認めていただき、今の地位を盤石のものとしたが、それでも私に対する不当な評価に怒りを覚えている。

 これから先、今度は私が奴を貶めてやるつもりだ。そのためにいろいろと考えている。


 情報操作は奴に一日の長があるが、私も奴のやり方を十分に学び、今では負けぬ自信がある。現在王都ではラウシェンバッハに回復の見込みがなく、家督を弟に譲るという噂を流している。


 そして、そろそろ宮廷書記官長であるお館様に、王宮に出仕できぬ貴族は当主として不適格ではないかと国王に進言していただく予定だ。

 そうなれば、ラウシェンバッハとエッフェンベルクは家督を譲らざるを得ない。


 そのことをお館様に進言してみた。


「うむ……」


 お館様は考え込まれた。


「何か問題でしょうか?」


「それをやれば、確かにラウシェンバッハとエッフェンベルクは家督を譲らざるを得んが、我らも敵を作ることになる」


「敵でございますか?」


「そうだ。出仕できなくなれば、家督を譲らなければならないという前例を作れば、西方の貴族の反発は大きいだろう。今でも旅費が嵩むという理由で、数年に一度しか王都に来ぬ者もいる。西方は中立派が多い。敵を増やすことになりかねん」


 お館様の懸念は理解できた。

 そのため、この案は取り下げたが、更に奴を追い詰める策を検討しているところだ。

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