第5話「ゴットフリートの憂鬱」

 統一暦一二〇五年九月十七日。

 リヒトロット皇国西部、ナブリュック市。ゴットフリート・クルーガー元帥


 皇都リヒトロットに近いゼンフート村からナブリュックに移動して、三週間ほど経った。

 ゼンフート村から移動したのは、テーリヒェンの第三軍団がグライフトゥルム王国軍に誘い出されたため、戦略の変更を余儀なくされたためだ。


 当初は皇国水軍を殲滅し、皇都を孤立させた後に陸軍を誘い出して倒し、敵の戦意を喪失させて降伏を促すという作戦だった。


 しかし、グレーフェンベルクからの情報によって、皇国がこちらの作戦に気づき、水軍の殲滅という大きな目的が達成できなくなった。


 そこで戦略を大きく転換しようと考えたが、遠征軍の半数である第三軍団が誘い出されたことにより、ナブリュックでグリューン河を封鎖し、皇都を干上がらせる策しか採れなくなった。


 そのため、テーリヒェンに対し、即座に戻るよう命令を送ったが、第三軍団が戻ってくるどころか、伝令すら戻ってこなくなった。


 皇国軍が伝令を潰しに掛かっていることに気づき、周辺の索敵を強化し、更に複数の伝令を送って、第三軍団が戻ってくるのを待っていた。彼らが戻れば、まだ十分に勝算はあるからだ。しかし、その期待は脆くも崩れ去った。



 秋の気配が強まってきた本日、俺の下に汗を滴らせた伝令が天幕に息を切らせながら入ってきた。

 伝令は一礼すると、すぐに報告を始める。


「報告いたします! 去る九月七日、テーリヒェン元帥麾下の第三軍団がグライフトゥルム王国の要衝ヴェヒターミュンデ城に攻撃を行いました! しかしながら敵の巧妙な罠に嵌り、第一師団、第三師団は王国側で孤立。両師団はケプラー将軍を始め、多くの戦死者を出しながら奮戦したものの、降伏を余儀なくされました! 現在、第二師団が王国軍を牽制しつつ、帝国西部域の防衛体制を構築中とのことです!」


 その言葉に思わず立ち上がる。


「ケプラーが死んだだと? それに二個師団が降伏した……テーリヒェンは何をやっているのだ! なぜ俺の命令を無視した!」


「申し訳ありません!」


 伝令は俺の怒声に平伏する。


「すまぬ。そなたに非はない」


 そう言って怒りをぶちまけたことを謝罪するが、伝令はそれで気を取り直し、報告を続ける。


「第三軍団はクルーガー元帥閣下の命令に従い、国境で蠢動する王国軍に対応したとのこと。テーリヒェン元帥閣下より、その命令書を預かっております」


 伝令はそう言って命令書が入った封書を俺に捧げた。

 俺はそれをひったくるようにして受け取ると、すぐに中を検める。


「……なんだ、これは……このような命令を出した覚えなどない!」


 それに書かれていたのは、皇都攻略作戦の邪魔をさせぬよう、国境付近の王国軍を処理しろという命令と、俺のサインだった。


「テーリヒェン元帥閣下もエルレバッハ将軍閣下もこの命令書が正しいと思い込んでおられました。また、ナブリュック出発後にクルーガー閣下からの伝令が途絶えていたそうです。ケプラー将軍は訝しんでおられたそうですが、二万から三万の王国軍が国境を越えたという情報を受け、その敵に対するためにフェアラートに向かったとのことです」


「三万の王国軍だと……」


「実際には王国第二騎士団、第三騎士団、第四騎士団とヴェヒターミュンデ騎士団の四個騎士団二万ほどだったそうです。詳細な報告書はこちらにございます」


 そう言ってもう一通の封書を取り出した。

 報告書には、王国軍は西部域の各都市で食糧を徴発し、第三軍団が補給に不安を持つようにしたこと、フェアラートを占領していた王国軍が油断していると思い込み、攻撃を仕掛けて巧みにヴェヒターミュンデ城に誘い込まれ、浮橋を焼き払われて孤立したことなどが書かれていた。


「グレーフェンベルクめ、狡猾な……」


 その報告書を読み、再び怒りが込み上げてくるが、第一師団長のカール・ハインツ・ガリアードが冷静さを保った声で話し掛けてきた。


「第三軍団が敗北したことは事実のようです。第二師団は健在のようですが、西部域の治安維持のためにある程度兵力は割かねばならんでしょう。その前提で戦略を考え直すべきですな」


 ガリアードはどちらかと言えば文官のような見た目だが、父である皇帝にすら諫言する剛毅さを持ち、今回のことにも動じていないように見える。その彼の声を聴き、俺も冷静さが戻ってきた。


「そうだな。戦略はこれまでと同じ、皇都の封鎖でいいだろう。あとは俺自身が囮となって、王国軍の勝利で浮かれている皇国軍を引きずり出して叩く。そんなところだな」


「それしかないでしょうな。ですが、帝都が認めるかが問題です。王国も捕虜返還の条件に皇国からの撤退を付けてくるでしょうから。それまでに皇都を攻略することができればよいのですが……」


 彼の懸念は理解できる。

 ゼンフート村で皇国陸軍の主力を殲滅することはできたが、基本的に皇国軍は守りの姿勢だ。


 第三軍団が敗北したと聞いても主力を失っているし、グレーフェンベルクから何らかの策が授けられていれば、無暗に攻撃を仕掛けてくることはないだろう。

 そうなると持久戦になるが、捕虜返還が決まれば、間違いなく撤退を命じられる。


「皇国の連中を焦らせるために西の都市を攻め落としますか?」


 ここナブリュックから西にも多くの都市がある。また、穀倉地帯でもあり、皇国にとって重要な収入源でもあった。更にそれらの都市には数百人規模の治安維持部隊しか残っていない。一個師団でも無人の野を行くがごとく、簡単に攻略できるだろう。


 しかし、問題があった。

 占領は可能だが、文官の数が圧倒的に足りないため、その後の統治まで手が回らないのだ。


 統治を軽視すれば、治安の悪化や生産力の低下を招く。今後、我が帝国領となる地を疲弊させるわけにはいかない。

 それでもこの状況を打破するためには、これしかないと腹を括った。


「そうだな。いくつかの都市を落とせば、皇国の連中も慌てるはずだ。何も手を打たずにいれば、民に見捨てられるのだから、軍を出さざるを得なくなる。そこで叩く!」


 俺は危険な賭けに打って出ることにした。


 翌日から情報収集に努め、西への侵攻作戦の検討を始めた。

 ナブリュックで捕らえた商人を派遣し、情報収集に当たらせたが、驚くべき情報を持ち返った。


「帝国軍が攻めてくる可能性が高いと思っているようですな。ですが、住民たちに不安の色はありませんでした。攻めてきたら無抵抗を貫き、時を稼げばよいと考えているようでした」


「時を稼げばよいだと……どういうことだ?」


「帝国軍が攻めてきても、三ヶ月ほどで撤退するだろうという噂が流れていました。この辺りを占領するということは、ゴットフリート殿下が独立を考えているということであり、皇帝陛下が認めないからだと」


 想定外の言葉に思わず立ち上がる。


「俺が独立だと!」


「はい。殿下は遊牧民たちを手中に収めておられます。更に西の都市を攻略し、グライフトゥルム王国と同盟を結べば、独立することは難しくないと。その情報が帝都に届き、皇帝陛下が出される撤退命令が殿下の下に届くのに掛かる時間は二ヶ月程度。だから長くとも三ヶ月我慢すればいいという話でした」


 商人の言葉にガリアードが唸る。


「うーむ……あり得ぬとは言い切れませんな。マクシミリアン殿下がいらっしゃいますから」


「だが、俺にそんな意思はないぞ。それに無責任な噂に踊らされるような陛下ではない」


「確かに聡明なる皇帝陛下であれば、クルーガー元帥の無実はご理解いただけるでしょうが、枢密院の議員たちが動けばどうでしょうか。撤退命令を出さざるを得なくなるのではありますまいか」


 その可能性は充分にあり得る。


「つまり、西に攻め込めば俺は謀反人となり、動かねば無能の烙印を押されるわけか……これもグレーフェンベルクの策謀の一環ではないか?」


「その可能性は高いですな。ですが、そうであっても動けぬことに変わりありません」


「その通りだ」


 俺はそう言って天を見上げるしかなかった。

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