第43話「作戦会議:前編」

 統一暦一二〇五年八月二十五日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、城主館。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 ゾルダート帝国第三軍団に対する軍議が始まった。


 周辺の地図が広げられた大きなテーブルには、総司令官であるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵、ヴェヒターミュンデ城の城主であり国境の守備を任されているルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵、第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵が席についている。


 三人の騎士団長の他には、ヴェヒターミュンデ騎士団と第四騎士団のそれぞれの参謀長、そして、私とイリスが座っている。他には護衛も副官もいない。これは今回の作戦内容をできる限り秘匿したいためだ。


 第二騎士団の参謀長であるエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵が騎士団を指揮して不在のため、参謀長代理である私がいることはおかしな話ではないが、なぜか臨時の作戦参謀に過ぎないイリスも同席するようにグレーフェンベルク伯爵から言われている。


『イリスは君に次ぐ我が国の軍略家だ。独特の視点を持っているし、勘も鋭い。軍議に参加させぬ理由がないな』


 伯爵の言う通り、彼女がいた方がいいのだが、マルクトホーフェン侯爵派が王国騎士団に入り込み始めている今、二十歳そこそこの私やイリスが重用されていることに対し、何か言われないか気になっている。


 そのことを伯爵に伝えたが、取り合ってもらえなかった。


『軍議に誰を招集するかは司令官の専権事項だ。文句は言わせんよ』


 そんな事情だが、この場に私とイリスを忌避する者はいないので、雰囲気は悪くない。


 グレーフェンベルク伯爵が口火を切った。


「今回の作戦の目的だが、フェアラートを占領することでも、敵軍に勝利することでもない。リヒトロット皇国を救うために、現在行いつつある帝国への謀略を成功させることが目的となる。具体的には敵第三軍団に我々を攻撃させ、この地に拘束することだ……」


 伯爵の言う通り、第三軍団に勝利することは最初から狙わない。

 理由は、第三軍団は我々の一・五倍の三万人もの兵力を持っており、正面からぶつかれば勝利どころか敗北が必至だからだ。


「……正面から戦わないが、敵の軍団長テーリヒェンを苛立たせるために、ちょっかいは掛ける。方法はラウシェンバッハ参謀長代理が考えているが、注意すべきは帝国軍の指揮官、兵士のいずれもが優秀であることだ。王国軍屈指の精鋭である王国騎士団とヴェヒターミュンデ騎士団であっても、望まぬ戦いに引きずり込まれる可能性は否定できん……」


 軍団長であるザムエル・テーリヒェン元帥も大軍の指揮官としては疑問符が付くが、戦術家としては決して無能ではない。特に突破力は帝国軍でも屈指と言われ、皇帝コルネリウス二世の勝利に何度も貢献している。


 また、三人の師団長もいずれも能力が高く、本人の前では言えないが、実戦経験が少ないホイジンガー伯爵、ヴェヒターミュンデ伯爵、アウデンリート子爵の三人の騎士団長では力不足は否めない。


 唯一、グレーフェンベルク伯爵が師団長たちに匹敵すると思うが、それでも互角に戦うには戦力的に同等であればという条件が付く。しかし、第二騎士団は帝国軍の一個師団の半数の五千人に過ぎず、戦いに引きずり込まれれば、大きな損害を受ける可能性が高い。


 更に兵士の質も大きな差がある。

 王国軍の兵士はヴェストエッケの戦いで実戦を経験している者もいるが、その前の大規模な戦闘は十年ほど前のフェアラート会戦が最後だ。そのため、兵士の多くが実戦を経験していない。


 一方の帝国軍兵士は長年にわたる皇国との戦いで、そのほとんどが実戦を経験しているベテラン揃いだ。勝利を積み重ねてきた経験は大きな自信になっており、少々の罠や不利な条件で怯むことはないだろう。


 そして最も大きな差があるのが、中隊長や小隊長ら前線指揮官だ。

 王国軍の隊長たちの多くが、突貫で教育を受けただけの促成指揮官だ。それに引き換え、帝国軍の隊長たちは伝統ある士官学校で正式な教育を受け、更に多くの実戦を経験している。


 特にマルクトホーフェン侯爵派が強引にねじ込んできた若い貴族出身の隊長は、能力の欠如に加え、命令を順守するという基本的なことすらできない。あまりに酷い場合は騎士団から放逐しているが、その都度送り込んでくるため、一向に質が向上しない。


 マルクトホーフェン侯爵派は王国騎士団を掌握するために、比較的優秀な者を送り込んでいるつもりのようだが、帝国の謀略と言われた方が納得できるほどの酷さだ。騎士団長を始め、私たち司令部にとっては嫌がらせ以外の何物でもない。


 指揮官の質の低さから命令通りに動けない懸念がある。また、作戦通りに進まなかった場合、現場での判断が必要になるが、経験不足から臨機応変に動けない可能性が高い。

 このことはグレーフェンベルク伯爵も懸念している。


「新たに入った中隊長や小隊長については、連隊長、大隊長の意見を聞き、不適格と判断したら迷わず更迭し、下級指揮官を臨時で昇進させてほしい。戦いの直前であり、混乱することが予想されるが、今回の作戦では命令通りに動けることが最重要だ。それができぬ隊長は全軍を危険に晒すと考えてくれ」


 その言葉にアウデンリート子爵が大きく頷く。辺境に常駐するヴェヒターミュンデ騎士団にはマルクトホーフェン侯爵も子飼いの騎士を送り込んでいないが、歴史が浅い第四騎士団には多くのマルクトホーフェン侯爵派がいるためだ。


「作戦についてだが、騎士団長と参謀長に留め、参謀や連隊長にも全貌を明かすことを禁ずる。理由はラウシェンバッハ参謀長代理から説明してもらうが、これが必要なことだと心得ておいてほしい」


 その言葉にヴェヒターミュンデ伯爵とアウデンリート子爵は小さく頷くが、それぞれの参謀長は疑問と不安を感じているようで表情が険しい。


「ではラウシェンバッハ参謀長代理、作戦の説明を頼む」


 その言葉に私は頷くと、ゆっくりと立ち上がり、全員を見回していく。


「先にお伝えしておきますが、今回の作戦は名誉ある騎士の戦い方ではありません。どちらかと言えば、詐術に近いものと思ってください」


 予め話してあるグレーフェンベルク伯爵とイリスは表情を変えないが、ヴェヒターミュンデ伯爵が眉を顰め、アウデンリート子爵は逆に笑みを浮かべている。二人の参謀長は聞き漏らすまいと表情を引き締めていた。


「グレーフェンベルク閣下もおっしゃられましたが、今回の作戦の目的は帝都に対する謀略を成功させ、皇都を攻めるゴットフリート皇子を撤退させることです。そのためには帝都にいる皇帝、枢密院の元老たち、内務尚書らを騙す必要があります……」


 そこから帝都で行う謀略について概略を説明し、更に作戦自体についても説明していく。

 概要を説明し終えた後、最も注意してほしい点を強調する。


「……先ほども申しましたが、テーリヒェン元帥が考えている通りのことが、彼の目の前で実際に起きていると錯覚させなければなりません。また、三人の師団長たちが疑問に思っても、テーリヒェン元帥が強引に突き進めるように誘導することが重要です。そのために先ほど説明したような無様に見える演技も必要だと認識していただきたいと思っています……」


 四人の表情は硬く、懸念点がいろいろと思い浮かんでいるようだ。


「……もう一度言いますが、今回の作戦の目的は帝都での謀略を成功させることです。そのために長期化は避けて通れません。前線指揮官や兵が不満に思うことも多いと思いますが、皆さんが指導力を発揮し、勝利に導くようにお願いしたいと思います」


 説明を終えてゆっくりと着席する。

 私が着席してもすぐに発言する者はおらず、沈黙が支配する。

 その沈黙を破ったのはヴェヒターミュンデ伯爵だった。


「作戦の趣旨は理解した。いや、理解したと思う。だがマティアス、本当に君の言う通りに都合よく進むものなのか? 戦場では想定を覆されることが多い。これに関しては君がここにいるから臨機応変に対応できるかもしれんが、帝都の方は難しいのではないか? 皇帝は一筋縄ではいかん相手だし、その腹心たちも一癖も二癖もあると聞く。どの程度成功の見込みがあると考えているのか、教えてくれないか」


 その問いに自信ありげな笑みを浮かべて答えていく。


「戦場でのことについては、最善を尽くすとしかいいようがありません。但し、準備もほとんど終えていますし、我が軍の兵が問題なく対応できる作戦にしているつもりです。帝国上層部についてですが、既に帝都及びエーデルシュタインで情報操作を始めておりますので、成功する可能性は充分にあると見ています。現状では状況証拠に過ぎませんが、今流している噂通りに事態が推移すれば、皇帝と腹心はともかく、元老たちを動かすことは容易いでしょう」


 ヴェヒターミュンデ伯爵には自信をもって答えたが、実際にはそこまで自信はない。


「君がそこまで言うのなら実現性はあるということなのだろうな……クリストフに聞きたい」


 ヴェヒターミュンデ伯爵は私に向かって頷いたが、グレーフェンベルク伯爵に視線を向けた。

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