第44話「作戦会議:後編」
統一暦一二〇五年八月二十五日。
グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、城主館。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
ゾルダート帝国第三軍団に対する軍議が続いている。
作戦の説明を終え、ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵が作戦の目的である帝都への謀略について見込みを質問した後、総司令官であるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵に視線を向けた。
「一つ間違えば第二騎士団を失うことになりかねんが、ここまでの大博打を打つ必要があるとお前は考えているのだな?」
ヴェヒターミュンデ伯爵とグレーフェンベルク伯爵は王立学院兵学部の同期であり、ファーストネームで呼び合う仲だ。
もっとも学院生時代は同じ貴族という身分でありながらも、グレーフェンベルク伯爵は爵位を継ぐ可能性が低かったため、接点はあまりなかったらしく、ここ数年でこの関係になったと聞いている。
「必要だと思っているし、分の悪い賭けではないとも思っている」
「そうか……」
ヴェヒターミュンデ伯爵はあまり納得した様子がない。
そこでイリスが手を上げ発言を求めた。
グレーフェンベルク伯爵が小さく頷くと、彼女は真剣な表情で話し始める。
「今回の作戦の目的は皇国を滅亡させないことですが、更に大きな目的は皇国を存続させることで、帝国の国力をこれ以上増やさないことです。現在、我が国と帝国との戦力比は実力で一対三ほどですが、皇国領が完全併合されれば、その比率は一対五以上になります。つまり、同盟国であるシュッツェハーゲン王国、グランツフート共和国と我が国を合わせた国力とほぼ同等となるということです……」
ここまではヴェヒターミュンデ伯爵ら四人も頷いている。しかし、彼女の説明はまだ続いていた。
「そうなれば、シュヴァーン河という強力な障壁があったとしても、我が国が帝国に飲み込まれるのは時間の問題となります。ですので、今回の作戦で仮に第二騎士団が全滅したとしても、ゴットフリート皇子を撤退させ、皇都陥落を防ぎ、数年間の時を稼げるなら充分に割が合うと私は考えます」
イリスの言葉に私とグレーフェンベルク伯爵は頷いているが、他の四人は唖然としていた。
「君は今回の作戦が成功しても数年程度の時間しか稼げないと考えていると……いや、たった数年のために五千の兵が犠牲になってもよいと考えているのか?」
第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵が驚愕の表情で彼女に質問する。
「はい。数年あれば、彼が何とかしてくれるはずですから」
そう言いながら私に笑顔を見せる。その信頼が重いが、今は彼らが疑いを持つ方が困るので、無理やり笑みを浮かべる。
「もちろん第二騎士団を全滅させるような策ではありませんが、彼女の言っている通り、ゴットフリート皇子とマクシミリアン皇子が対立している状況なら、数年の時をいただければ、帝国に混乱をもたらすことはそれほど難しくありません。ですので、今回の戦いで敗北したように見えても、第三軍団をここに釘付けにできれば問題はないのですよ」
「私も彼に期待している。クラース宰相やマルクトホーフェン侯爵は理解しようとしないが、このまま帝国の膨張を許せば、我が国はそう遠くない将来、滅亡を迎えることになるだろう。しかし、帝国に対して、我が国ができることはあまりに少ないのだ……」
グレーフェンベルク伯爵が真情を吐露した。
彼の言う通り、王国としてできることは外交になるが、帝国の膨張政策を外交で抑え込むことは不可能だ。
「唯一の手段が謀略だ。敵を内部分裂させるだけでなく、経済を含めた広い視野で帝国を抑え込まなければならん。それができるのは彼だけだ。しかし、千里眼のマティアスであっても、謀略には時間が必要だ。その時間を稼ぐには盾である皇国を一秒でも長く存続させるしかない。そのために犠牲が必要というのであれば、甘んじて享受するしかないと思っている」
グレーフェンベルク伯爵には王国軍の情報部と
「了解した。我が軍の誇る俊英たちがそこまで言うなら、信じるしかないな」
アウデンリート子爵はそう言って笑みを浮かべた。
「それでは方針としては決定ということでよいな」
その言葉に全員が頷く。
「まずは敵第三軍団の位置の把握が重要だ。これについてはラウシェンバッハ参謀長代理が指揮を執って確認作業を行ってくれ」
「承知いたしました」
小さく頷き了承する。
「渡河作戦だが、準備はあと二日で完了する。フェアラートの守備隊が妨害してくる可能性が高いから、第三騎士団を呼び戻し、渡河地点を確保させる。現在の位置から戻るには二日掛かると想定されるから、渡河作戦決行は天候に異常がなければ、八月二十八日の早朝とする。意見はないか?」
ヴェヒターミュンデ伯爵、アウデンリート子爵は意見なしという感じで軽く頷く。
「一点だけ意見があります」
イリスがそう発言した。
「何かな」
「対岸のヴィークにいる監視部隊とフェアラートから出される斥候の排除を行いたいと思います。そのために黒獣猟兵団の出撃を許可していただけませんでしょうか」
ヴェヒターミュンデ城の対岸にはヴィークと呼ばれる船着き場がある。リヒトロット皇国が健在の頃は、
以前は監視兵が百名ほど常駐していたが、第三騎士団がリッタートゥルムからこの辺りに来た際、一度排除しており、今はフェアラートの町から十名程度が随時派遣されていた。
黒獣猟兵団だが、護衛の五名以外、船に乗せられなかったので別行動を採っていた。私がヴェヒターミュンデに行くことが決まった八月十八日に王都を出発し、昨日の二十四日に到着している。
彼らは強靭な肉体にものを言わせ、約五百キロメートルという距離を僅か七日で移動した。
一日の平均移動距離は約七十キロメートル。これは通常の行軍速度の三倍に当たる。
私としてはそこまで急ぐ必要はないと考え、十日ほど遅れてもよいと伝えていたのだが、護衛としてヴェヒターミュンデで私の到着を待ちたいと考え、強行軍を行ったようだ。
強行軍ではあったが、皆元気だと報告を受けている。
黒獣猟兵団の出撃については事前に相談を受けていなかった。
そのため驚いたのだが、軍議という公式の場で出されたため、どう言おうか迷っているうちに、グレーフェンベルク伯爵が承認してしまった。
「問題ない。私もできれば敵に知られたくないと思っていた。敵の斥候狩りは是非とも頼みたい」
「ありがとうございます。明日の朝、対岸に渡り、監視部隊と斥候を排除したいと思います」
その後、グレーフェンベルク伯爵が、再度意見がないか確認したが、特に出なかったため、軍議は終了した。
解散後、イリスと二人だけになる。
「私に黒獣猟兵団を使うつもりがないことは、君も理解していたと思っていたんだが」
臨時とはいえ、黒獣猟兵団も第二騎士団に属しているため、団長の命令なら仕方ないと思っていた。しかし、こちらから積極的に提案する気は全くなかった。
「分かっていたわ。でも、彼らに報いてあげる必要があると考えたの」
彼女の言いたいことが理解できない。
「どういうことかな?」
「彼らが兵士以上に厳しい訓練を受けていることは理解しているわね。彼らはそれだけの努力をしてでも、あなたの役に立ちたいと考えているの。それなのに後方にいるあなたの護衛だけではかわいそうだわ。彼らももっと自分たちを有効に使ってほしいと考えているはずだから」
確かに
「何となく分かったよ。しかし、先に相談してほしかったな」
そう言って苦笑すると、イリスはペロッと舌を出す。
「あなたに相談したら、駄目って言われるに決まっているじゃない」
確かにそうなので肩を竦めるしかなかった。
「ところで斥候狩りの指揮はエレンに任せるのか? 彼には荷が重い気がするが……ユーダさんがいればお願いするんだが、今はここにいない。私か君がここから遠隔で指揮を執ってもいいんだが、ヴェストエッケの時のように地図が整備されていないし、
黒獣猟兵団の隊長は
短距離用の通信の魔導具は持ってきているから、それを使って遠隔で指揮を執る方法もあるが、偵察ならともかく、襲撃では状況が分からないと的確な命令が出せない。ヴェストエッケで行ったように入念に準備しなければ、遠隔での指揮は無理だろう。
「そのことなら問題ないわ。私が一緒に行って現地で指揮を執るから」
その言葉に驚き、思わず声を張り上げてしまう。
「君が敵地に乗り込むのか!」
「ええ。名目上に過ぎないかもしれないけど、私は黒獣猟兵団の団長よ。それに実戦経験は少ないけど、これでも兵学部の次席だし、第一騎士団の隊長を務めていたから指揮官としての経験もあるわ。彼らほどじゃないけど、そこらの兵士よりも戦えるし、適任だと思うの」
「確かに適任だが……」
彼女の言っていることは正しい。
エレンたちもイリスの命令なら素直に聞くし、彼女の剣術の腕はベテランの兵士以上だ。
指揮の面でも、ヴェストエッケでは私に代わってラザファムとハルトムートの中隊を遠隔で指揮したし、戦術についても詳しい。そのため、反論しづらい。
「それに危険は少ないはずよ。フェアラートの守備隊は僅か三千しかいないのだから、大規模な偵察隊を出すことはできないし、第三騎士団の居場所が分からない状況では、私たちの存在に気づいても、討伐隊を出す余裕はないわ。仮に討伐隊が出てきても、エレンたち
根拠を示されると承認するしかなくなる。
「仕方がないな。出撃は認めるよ。それにしても君に理詰めで説得させられるとは思わなかったよ。昔はこうじゃなかったんだが」
私の最後の言葉に彼女は破顔する。
「あら、こうなったのはあなたのせいよ。あなたが私にいろいろ教えてくれたから」
確かにそんな気がしたので、苦笑しながら肩を竦めた。
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