第45話「黒獣猟兵団出撃」

 統一暦一二〇五年八月二十五日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、兵舎内。黒獣猟兵団隊長エレン・ヴォルフ


 マティアス様とイリス様がヴェヒターミュンデに到着した夜、お二人が俺たちシュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペがいる兵舎を訪れた。


 俺たちは慌てて整列し、マティアス様たちを出迎える。


「楽にして」


 マティアス様のお言葉で俺たちは直立不動の姿勢から、足をやや開き、休めの状態に切り替える。


「君たち黒獣猟兵団に頼みたいことがある。明日の朝、シュヴァーン河を渡り、船着き場であるヴィークにいる監視兵とフェアラート守備隊が出す斥候隊を排除してほしい」


 そのお言葉に喜びの声を出しそうになるが、マティアス様たちの後ろに立つカルラ様の姿を見て、グッと堪える。俺たちの指導をしてくれたシャッテンのリオ殿から、命令を受ける時に不必要に感情を表すなと叩きこまれていたためだ。


「今回の任務は敵の目を潰すという重要なものだが、気負う必要はない。君たちの安全を最優先に考え、可能な範囲で敵の斥候を倒してほしい」


 そこでマティアス様はイリス様に目配せをした。

 イリス様がニコリと微笑み、一歩前に出る。


「今回の任務の指揮官はイリスだ。任務の期間は明日二十六日から二十九日まで。但し、二十八日以降は敵の斥候ではなく、伝令を排除する任務に変わる。後半の二日間は夜間も含めての任務となるため、君たちに負担が掛かるが、気を抜くことなく、全員無事で戻ってきてほしい。では、イリス。君からも何か一言を」


 そう言ってマティアス様はイリス様に場所を譲る。


「彼が言った通り、私たちの任務は敵の目を潰し、情報を遮断すること。派手な仕事ではないけど、彼が考えた策を成功させるためには、とても重要なことです。私はあなたたちなら必ず成し遂げると信じています」


 それだけおっしゃると、俺たちを見回し、それから再び話し始められた。


「この任務は狼人ヴォルフ族、白猫ヴァイスカッツェ族、兎人ハーゼ族、白虎ヴァイスティーガー族、獅子シーレ族、シュヴァルツェヴォルフ族、猟犬ヤークトフント族、黒犬シュヴァルツェフント族の八氏族四十名で行います。編成はこの後、各氏族のリーダーと決めます」


 その言葉で熊人ベーア族と猛牛シュティーア族の戦士たちの身体が僅かに揺れた。作戦に参加できないことが悔しいのだろう。


熊人ベーア族と猛牛シュティーア族は、私の代わりにマティの護衛を頼むわ。ここは安全だけど、あなたたちがいるから、私は安心して任務に当たれるのよ」


 イリス様のお言葉に、熊人族と猛牛族の戦士が誇らしげに胸を張る。

 斥候と伝令を狩るには身体がデカく、動きが遅い熊人族たちは不向きだ。そのことをそのまま言えば、彼らが落胆すると思って、イリス様はそうおっしゃったのだろう。


 マティアス様はカルラ様と共に城主館に戻られた。その後ろには熊人族と猛牛族も付き従っている。

 残られたイリス様は兵舎の一画に各氏族のリーダーを集められた。


 そこは食堂にもなっており、大きなテーブルがあった。

 イリス様はそこにある椅子に無造作に座られると、「あなたたちも座りなさい」と命じられた。


 俺を含めた八人のリーダーは躊躇うことなく席に着く。以前は一緒のテーブルに着くということが畏れ多いと思って遠慮していたが、マティアス様、イリス様から時間の無駄だからやめるようにと言われたためだ。


「ヴェヒターミュンデ騎士団から聞いた話では、ヴィークには常時十名の兵士が監視しているそうよ。それにフェアラート守備隊の斥候隊は騎兵五騎が一班となってシュヴァーン河の河畔を見張りにくるらしいわ。この他にもシャッテンからの情報では、第三騎士団の行方を探っているのか、東門から北公路ノルトシュトラーセに出ていく班もあるようね。私たちはこれらのすべてを潰します」


 その言葉に俺たちは大きく頷いた。


「班は五つ作るわ。班長はエレン、ミリィ、ミーツェ、ヴェラ、ヘクトール。エレン班、ミリィ班、ミーツェ班は狼人族、犬人族、白猫族、兎人族で構成する探索・襲撃班、ヴェラ班とヘクトール班は白虎族と獅子族を中心とした遊撃班よ……」


 ミリィは白猫族、ミーツェは兎人族で、どちらも偵察や奇襲を得意としている。ヴェラは白虎族、ヘクトールは獅子族で、こちらは攻撃を得意としており、理に適った編成だと皆が頷いている。


「ヴェラとヘクトールの班のどちらかは、必ず私の護衛にもなってもらうことになるわ。私は遊撃班と一緒に出撃するつもりだったのだけど、マティが許してくれなかったの。過保護すぎると思うのだけど、仕方がないわ」


 そうおっしゃりながら肩を竦められる。

 確かにイリス様の腕なら遊撃班に入っても足手まといになることはないだろう。しかし、マティアス様のお考えも理解できるので、俺たちは何も言わずに頷いただけだ。


「マティも言ったけど、今回の任務は重要だけど、あなたたちを失ってまで成し遂げなければならないものではないわ。もし失敗して斥候隊に逃げられたとしても、あの人ならそれを利用してくれるはず。だから、誰一人欠けることなく戻ってくる。これが一番重要なことよ」


「「「はっ!」」」


 俺たちは同時に答えた。

 マティアス様もイリス様も俺たちのことをいつも気遣ってくれる。そのことは嬉しいのだが、少し歯痒い気持ちもあった。恐らく、他の者も同じことを考えているはずだ。


 その気持ちがイリス様に伝わったようだ。


「もう一度言うわ。この任務で命を落とすことは、私が許しません。あなたたちが命を賭けていいのは、あの人を守る時だけ。そのことを肝に銘じておきなさい」


「「「はっ!」」」


 それから地図を使って作戦が指示された。


「各班長は今晩のうちにメンバーに作戦内容を周知しておいて。明日の夜明け前に出発するし、川を渡ったら敵地だということを忘れないように」


 イリス様が城主館にお戻りになった後、カルラ様がやってこられた。カルラ様は闇の監視者シャッテンヴァッヘの十ある組の筆頭の組頭であり、我々がマティアス様に恩返しすることを密かに支援してくださった恩人だ。


「あなたたちの一番の任務はイリス様をお守りすることです。特に白虎族と獅子族は常にそのことを考えながら行動しなさい。もし危険だと判断したのなら、イリス様の命令を無視してでも離脱し、ノイムル村の対岸まで逃げなさい。そこにシャッテンの協力者がいますから、その者から指示を仰ぐのです」


「「はっ! イリス様をお守りすることを最優先します!」」


 ヴェラとヘクトールは同時に敬礼しながら答えた。


「他の者たちも同じです。イリス様に危険が及ぶと判断したら、即座にそのことを進言しなさい。イリス様は聡明な方ですから、そこで撤退の判断をされるでしょうから」


 カルラ様はそれだけおっしゃると兵舎から消えるように立ち去られた。


 翌朝、東の空が僅かに白み始めた頃、俺たちは装備を整えてシュヴァーン河の河畔にある桟橋に集合していた。


 そこにはイリス様が既にいらっしゃった。

 横にはマティアス様とカルラ様がおられ、後ろには黒獣猟兵団の制服を着た熊人族と猛牛族が、彫像のように並んでいる。


 イリス様はいつもの輝くような白い鎧ではなく、魔獣狩人イエーガーが身に着けるような武骨な革鎧を装備している。


「これより作戦を開始する。各班長は班員の体調と装備の確認を」


 イリス様の命令を受け、俺は素早く点検を行っていく。

 と言っても、兵舎を出る時に既に確認しているから、問題ないことは分かっている。


「エレン班全員、体調、装備共に異常なし!」


「ミリィ班全員、体調、装備共に異常なし!」


 班長たちが次々に報告していく。

 報告が終わると、イリス様はマティアス様に小さく頷いた後、命令を発せられた。


「渡河開始!」


 その命令を受け、俺たちはすぐに十人乗りくらいのボートに乗り込む。


「気をつけて」


 マティアス様が心配そうに声を掛けられた。


「大丈夫よ。絶対に無茶はしないから」


 イリス様はそうおっしゃりながら手を振っている。


 シュヴァーン河は増水期ということで川の水量は多いが、何も起きることなく、渡河に成功した。


 渡った場所はヴェヒターミュンデ城から上流に一キロメートルほど行った場所だ。ここなら敵の監視も行き届かない。


「まずはヴィークの監視兵を排除します。エレン、あなたの班に任せます」


「はっ! エレン班、ヴィークの監視兵を排除します!」


 命令を復唱し、班員全員で敬礼した後、ヴィークに向かう。

 まだ完全に夜は明けていないが、既に空はオレンジ色に染まり始めていた。


「陽が昇り切る前に敵兵を排除する。出発!」


 目的地までは僅か一キロメートルであり、十分も掛からずに到着する。

 監視所は船着き場の事務所だったところで、篝火が焚かれていた。

 接近すると、外に五人、屋上に三人、馬の近く二人いることが分かり、部下たちに排除を小声で命じる。


「一気に片付ける。クルト、お前は二人連れて馬を出されないように塞げ。他の者は俺に続け」


 それから先は一言もしゃべることなく、静かに行動する。

 敵兵は第三騎士団が渡河を終え、帝国領内を自由に動いていることから油断することなく警戒している。しかし、疲れが最も出る夜明け近くということもあり、二十メートルほどまで接近できた。


 ハンドサインで攻撃を指示する。

 短弓から放たれた矢が歩哨の一人の喉に突き刺さった。


「突撃!」


 そこからはただの蹂躙だった。

 普人族メンシュの一般兵は俺たち黒獣猟兵団の敵ではなく、五分ほどで殲滅に成功する。

 更に五分経つと、イリス様がやってこられた。


「完璧のようね。よくやったわ、エレン。他の者たちも見事です」


 イリス様のお褒めの言葉に胸を大きく張った。


 それからフェアラートに近づき、門から出てくる敵兵を密かに狩っていった。

 一日目で六つの班、三十名の斥候を倒し、俺たちに警戒した敵は翌日以降出てこなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る