第46話「渡河作戦開始」
統一暦一二〇五年八月二十八日。
グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城外、シュヴァーン河河畔。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
今日から本格的に渡河作戦を開始する。
ゾルダート帝国軍三千がいるフェアラートから出てくる斥候隊はイリス率いる黒獣猟兵団によってすべて排除され、情報の遮断は完璧だ。
また、マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵率いる王国第三騎士団は、敵第三軍団への牽制のため帝国領内で活動していたが、ヴェヒターミュンデ城の対岸にあるヴィークと呼ばれる船着き場に戻り、橋頭堡を確保している。
渡河に使う浮橋の土台となる小型船もすべて完成した。それらを繋ぎ止めるための太いロープの設置も終わっており、朝から小型船を順次出して浮橋を作る作業に入る。
この時期は夏の増水期ということもあり、思った以上に流れがきつい。
六年前の一一九九年には、帝国軍が渡河作戦を行おうとしたことがあったが、その時は増水期に入ったことから諦めているほどだ。
しかし、我が国にはシュヴァーン河の渡河のためのノウハウがあり、増水期でも問題なく渡河ができる。
この作業のためにリッタートゥルム城にいる水軍の船を三十隻ほど呼び寄せ、今日中に全長七百メートルを超える浮橋を二本設置する予定としていた。
この作業にはヴェヒターミュンデ騎士団の兵士たちが当たる。
彼らは以前から浮橋の設置を担当しているため、作業手順は完璧にマスターしている。ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵は今日中の設置に自信を持っていた。
作業が始まったが、私たちにできることはなく、ヴェヒターミュンデ伯爵に任せて城に戻る。
総司令官である第二騎士団長のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵、第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵、それぞれの参謀長たちと今後の協議に入った。
「明日の朝には渡河が可能になるが、現状の認識を合わせておきたい。ラウシェンバッハ参謀長代理、状況を説明してくれ」
私はグレーフェンベルク伯爵に黙礼してから説明を始めた。
「まず我が軍の状況ですが、第三騎士団はヴィークで橋頭堡を確保しつつ、フェアラート守備隊に牽制を行っております。守備隊も渡河が本格的に開始されたことは想定しているでしょうが、斥候隊を出すことができませんから、出撃してくることはないでしょう……」
イリス率いる黒獣猟兵団はフェアラートから出される斥候隊を、完璧に排除していた。
フェアラートの町はシュヴァーン河から六キロメートルほど離れているから、町からシュヴァーン河の様子を直接見ることはできない。
「第二騎士団ですが、八月二十三日にヴィントムントに到着したという連絡が入っておりますので、ここへの到着は九月一日頃と想定しております。ですので、初期の作戦に第二騎士団は間に合いません……」
第二騎士団も通常よりかなり早いペースで行軍しており、予定より三日ほど早く到着する見込みだ。それでも渡河作戦とその後のフェアラート攻略戦には間に合わない。
「第四騎士団は準備完了と伺っております。第四騎士団には攻城戦に使う梯子などを運搬してもらいますが、食糧については第三騎士団が帝国領内で徴発してきたもので賄いますので、第四騎士団は午前中には渡河を完了する見込みです……」
そこでアウデンリート子爵を見ると、小さく頷いていた。
第三騎士団は帝国領内で敵への嫌がらせのために食糧を購入しており、その量は大型の荷馬車五百輌分ほどある。
「ヴェヒターミュンデ騎士団も明日の夕方には渡河を終える見込みですので、明後日の三十日にはフェアラートへの攻撃が可能となります。以上が我が軍の状況です」
「うむ。それぞれ認識は同じだな」
グレーフェンベルク伯爵がそう言って出席者たちを見回していく。
全員が軽く頷いているので、私は帝国軍の状況について説明を始めた。
「ゾルダート帝国軍ですが、第三軍団は現在、フェアラートの東約百キロメートルにあるタウバッハという町で待機しております。第三騎士団が食糧を徴発したため、フェアラートまでの補給に不安があるからです。そのため、各地に補給部隊を出し、食糧の確保を行っており、情報からの推定になりますが、これが完了するのは三十一日頃と見ております」
「つまり、敵第三軍団がフェアラートに向かうのは月が替わってから、到着は九月四日ごろと見ておけばよいのだな」
グレーフェンベルク伯爵の言葉に笑みを浮かべて頷く。
「その通りです。情報によれば、タウバッハや周辺の村と揉めたそうです。第三騎士団に食糧を提供したことを帝国の参謀が咎め、それに住民が反発しました。帝国軍は自分たちを見捨てて逃げたのに、無防備な状態で数千の王国軍に逆らえるわけがないと」
「それも君が煽ったのだろう?」
伯爵がニヤニヤしながら聞いてきた。
その笑みに私も笑みを浮かべて頷く。
「もちろんです。この先のこともありますから、反帝国感情を強くしておく方がよいですから」
私の言葉にアウデンリート子爵が小さく首を横に振る。
「どこまで見ているのだ、君は……」
その問いには笑みを浮かべるだけで直接答えず、説明を続ける。
「敵はホイジンガー伯爵たちを見失っているようで、斥候隊を四方に出しています。第三騎士団がどこかに潜み、後方で補給線を脅かされることを嫌っているのでしょう」
「なるほど。だからテーリヒェンの動きが突然鈍くなったのか。補給だけなら進みながらでも集められるが、補給線が脅かされれば兵たちの士気にも関わる。それを嫌ったのだな」
伯爵が納得したという表情を浮かべている。
「フックスベルガーを含め、旧皇国領の町や村は、まだ帝国の支配を完全に受け入れていません。偽の情報を流してくれる協力者に事欠きませんので、テーリヒェン元帥も判断に迷っているでしょう」
「さすがはマティアス君だな。では、続きを頼む」
伯爵の言葉に頷き、帝国軍の状況を説明していく。
「帝国第三軍団ですが、このままいけば、早ければ九月四日、遅くとも六日にはフェアラートに到着いたします。ですので、九月三日までにフェアラートを占領し、迎え撃つ準備をしなくてはなりません。ご存じのようにフェアラートは一辺が一・五キロメートル、高さ五メートルほどの城壁に囲まれており、三千の兵で守ることは難しく、強引に攻めれば二日、じっくり攻めても五日で陥落させることができます……」
フェアラートは城壁に囲まれているが、リヒトロット皇国がグライフトゥルム王国への侵攻拠点として建設した都市であるため、城壁の高さはそれほど高くない。
また、全周六キロメートルという長大な城壁を三千人で完璧にカバーすることは不可能だ。元が皇国の都市であるため、住民の帝国に対する忠誠心は皆無で、義勇兵による補充もないから、必ずどこかに穴が開く。それを突けば、大きな損害を受けることなく、城壁は突破できる。
「フェアラートへの攻撃は第三騎士団と第四騎士団が担当し、ヴェヒターミュンデ騎士団は東から来る帝国軍を警戒するため、フェアラートの東に展開し、攻撃には参加しません。それでも一万の兵になりますから、兵力的には充分でしょう」
「そうだな。懸念があるとすれば、両騎士団ともに初陣に近いという点だ」
グレーフェンベルク伯爵の言葉にアウデンリート子爵が頷く。
「クリストフ殿のおっしゃる通りだ。私自身、指揮に不安がないとは言えん」
「その点は問題ないだろう。私もマティアス君も前線で指揮は執らぬが、フェアラートの近くで全体を見る。それに通信の魔導具も準備してあるから、不安があればいつでも相談に乗れる」
今回のフェアラート攻略作戦は、第三騎士団と第四騎士団の実戦経験を積む場としても考えている。
第三騎士団のホイジンガー伯爵は九年前のフェアラート会戦を経験しているが、アウデンリート子爵は近衛兵である第一騎士団に長くいたため、実戦経験が全くない。また、第四騎士団は創設から二年未満と短く、演習ではともかく実戦での連携に不安がある。
「今回の目的は敵第三軍団を引き付けることですので、無理に攻めることなく、演習の延長くらいに考えてくださればよいかと思います」
アウデンリート子爵は私の言葉に大きく頷いた。
「君とクリストフ殿が近くにいてくれるなら安心して戦える。よろしく頼むよ」
その後、細かな調整を行った。
夕方、河畔に出ると予定通りに浮橋が二本完成していた。
浮橋は幅五メートル、長さ七メートルの小型船を隙間なく並べ、その上に幅五メートルほどの板が敷かれている。馬を駆けさせることは無理だが、荷馬車を通すことができ、簡易の橋としては充分なものだ。
また、この浮橋には通常とは異なる細工がしてある。使う状況になるかは分からないが、準備は怠らない。
翌日、第四騎士団が渡河を開始した。
数名ずつの兵士の集団が慎重に浮橋の上を歩いていく。川の流れで僅かに揺れているのか、何人かの兵士はへっぴり腰でふらついている。
しかし、すぐに慣れたのか、百メートルもいかないうちに、地面と同じように歩けるようになっていた。
予定通り午前中に第四騎士団の渡河が完了した。
私たち第二騎士団司令部は午後一番に渡河を行う。
司令部要員は私の護衛である黒獣猟兵団の
「なかなかバランスを取るのが難しいな」
グレーフェンベルク伯爵はそう言いながらも危なげなく馬を操っていく。
十五分ほどで橋を渡り切り、帝国領のヴィークに入る。私がいなければ、もっと短時間で渡れただろう。
ヴィークは船着き場と事務所、昔は商店が並んでいたであろう民家がある。しかし、今は無人で、人が長年手入れしていないため廃墟という印象が強い。
午後四時頃、ヴェヒターミュンデ騎士団も渡河を終えた。これでフェアラート攻略準備は整った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます