第63話「合同演習:その四」

 統一暦一二〇八年六月一日。

 グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、騎士団駐屯地。エレン・ヴォルフ連隊長


 グランツフート共和国軍との合同演習が始まってから十日が過ぎた。

 共和国軍も通信の魔導具を使った戦術に慣れ、王国騎士団との連携もスムーズになってきたとマティアス様は満足しておられた。


 俺たちラウシェンバッハ騎士団も王国騎士団やグランツフート共和国軍を相手に何度か模擬戦を行っているが、あまり手応えを感じていない。

 それはどちらも兵の質が我々より劣り、一方的に押しまくって終わってしまうからだ。


 そのため、兵たちの中に騎士団や共和国軍を侮る者まで出始めている。もちろん、そいつらも友軍に対して態度に出すことはないが、自分たちだけになると自然とそのような話になるようだ。


『王国軍も共和国軍も大したことはないな。まあ、元帥直属の部隊は俺たちと同じくらいの強さだが』


『王国騎士団が勝てたんだから、帝国軍も大したことはないんだろう』


『そう考えると、法国の兵士の方がまだ強そうだったな。態度は最悪だったが』


 獣人族戦士の中にはレヒト法国の聖堂騎士団の兵士を直接見ている者が多く、自然と比較してしまうのだ。


 実際に帝国軍と戦ったことがある黒獣猟兵団出身の俺たちは、帝国軍を侮るようなことは考えていないが、ケンプフェルト元帥直属の精鋭ですら同数なら互角に戦えることに慢心している者が目立つのだ。


 マティアス様もイリス様も、そして騎士団長であるヘルマン様もそのことに気づいておられるはずだし、連隊長である俺やヘクトールが何とかすべきだと進言しているのだが、特別な命令はなかった。


 そして本日、ラウシェンバッハ騎士団は共和国軍一個師団一万人と模擬戦を行う。

 兵たちの間には二倍になっても圧倒できると楽観的だ。俺自身も圧倒できるとは思わないが、負けることはないと思っていた。


 模擬戦の開始前、マティアス様が俺たちの前で訓示を行われた。


「これまでは遭遇戦のような形だったが、より実戦的な模擬戦を行う。本日はケンプフェルト元帥閣下が直々に指揮を執られる防御陣に、君たちラウシェンバッハ騎士団が挑むという形だ。名将が指揮する軍隊の強さを、身をもって感じてほしい。以上だ」


 マティアス様のお言葉に全員が敬礼をもって応える。

 ヘルマン様が拡声の魔導具を受け取り、作戦の概要を説明された。


「子爵閣下がおっしゃった通り、今回は敵の防衛線を突破することが目標だ。防御柵を設置しているとはいえ、君たちの身体能力なら問題なく突破できる。我らラウシェンバッハ騎士団の力を友軍に知らしめてほしい!」


 我々が敬礼すると命令が出される。


「作戦を開始する! 第一連隊と第四連隊は騎士団司令部近くで待機! 第三連隊は防御を固めつつ正面に移動し、敵を引き付けよ! 第一、第四連隊は第三連隊が敵を引き付けたところで左右に回り込み敵を撹乱せよ! 第二連隊は混乱が起きたところで正面より突破! 一気に敵の防衛線を食い破れ!」


 第三連隊は猛牛族や熊人族など大柄な種族で構成された部隊だ。ラウシェンバッハ騎士団では珍しく分厚い金属鎧を身に纏い、更に大型の盾を持つ。矢はもちろん、投石器から放たれる十キログラムほどの石すら無傷で跳ね返すほどの防御力が自慢だ。


 俺が指揮する第一連隊は狼人族や犬人族など、スピードと攻撃力のバランスがいい万能型の部隊だ。第四連隊は比較的小柄な種族で構成されたスピードを重視した撹乱型の部隊だ。その二つの部隊で敵を混乱に持ち込む。


 そして止めに虎人族や獅子族といった攻撃力重視の第二連隊が、正面から切り崩すという作戦のようだ。


 これまでの演習の結果を見る限り、今回の倍の二個師団二万人であっても突破は難しくないだろう。


 両軍が五百メートルほどの距離で対峙したところで、ドーンという太鼓の音が響く。

 模擬戦の開始だ。


 ヴィルギル率いる第三連隊がゆっくりとした歩調で共和国軍に向かっていく。単純な数の差で言えば、十倍の敵に向かっていくのだが、第三連隊は整然としており自信に満ちていることが分かる。


 共和国軍から矢が放たれるが、ほとんどが盾と鎧に阻まれ、防御柵の手前まで行っても脱落者は十人にも満たない。


「団長より命令です。第一連隊は敵左翼の側面に回り込み、敵を切り崩せとのことです」


 通信兵の言葉に「了解した」といって頷き、命令を発した。


「第一連隊は敵左翼の側面に回り込む! 第一大隊を先頭に突撃するが、敵から百メートルの距離は必ず保て! 突撃!」


 俺の命令で第一大隊が動き始める。更に第二、第三大隊と続き、俺がいる連隊司令部も最後尾に続いた。


 僅か五百メートルということで、一分ほどで敵の左翼の側面に到着する。

 敵の中央に視線を向けると、第三連隊が盾を構えたまま防御柵を押し倒そうとしていた。


 共和国軍は中央を突破されないよう、その部分に厚みを持たせたようだが、我々の方にも二千ほどの部隊が回されていた。そのほとんどが槍兵のようだ。


「敵は僅か二千の槍兵だ! 敵の懐に飛び込めば蹴散らすことは難しくない! 第一大隊は正面! 第二大隊はその右! 第三大隊は更に右から攻めよ!」


 ここまでは何も問題はなく、軽く蹂躙できると考えていた。

 しかし、第一大隊は突撃したものの、足が止まってしまう。


「何が起きた!」


 そう叫ぶものの、大隊には通信の魔導具が配備されていないため、連隊司令部の位置から先頭は見えず、状況が全く掴めない。

 第二、第三大隊も同じように動きを止め、膠着状態に陥った。


「偵察小隊! 先頭付近の状況を確認してこい!」


 俺の命令で黒犬族の斥候兵が駆け出した。

 その直後、山なりに撃ち出された数百本の矢が俺たちを襲う。


「上に注意しろ! 盾を翳せ!」


 しかし、俺の叫び声は前線に届くことはなく、多くの兵士が戦闘不能扱いになり、戦線から離脱する。


 敵を突破できないことに疑問を感じ、別の命令を出した。


「第三大隊は一旦後退し、敵の後方に回り込め! 但し、これは敵の動揺を誘う陽動だ」


 伝令がその命令を持って走るが、その間に第一大隊の先頭に向かった斥候兵が戻ってきた。


「敵は五十人ほどで方陣を作り、それが二十個ほどありました。その方陣がジグザグ型に配置され、防御に徹しています。隙間を抜けようとするとそこに矢が集中し、突破できないようです。大隊長が指示を求むと言っていました」


 五十人で一つの方陣を作り、それがチェック模様のように配置され、強固な防御陣になっているらしい。


「第三大隊が迂回している。第一、第二大隊は敵を拘束せよ」


 伝令が命令を持って走るが、入れ替わるように第三大隊から伝令が来た。


「敵の騎兵約一千が突撃してきました! 第三大隊長が戦死扱いです! ご命令を!」


 俺がどう対処しようかと考えているところに、敵の騎兵の馬蹄の音が近づいてきた。


「第二大隊は敵騎兵を撹乱し、足を止めろ! 第三大隊はその場で近づく敵を攻撃せよ!」


 俺はパニックに陥っていた。


(第二、第三大隊は防御しかできん。第一大隊も突破はできないだろう……どうすればいい? ヘクトールの第二連隊の突撃を支援するためにはこの場にいた方がいいのだが……)


 その逡巡が命取りになった。

 共和国軍の騎兵が陣を切り裂くように突入し、俺自身も剣を振るって戦う羽目になったのだ。


 それから何分戦っていたのかは分からないが、唐突に大きな太鼓の音が聞こえ、更に通信兵の声が聞こえてきた。


「演習終了です。負傷者がいる場合はすぐに報告せよとのことです」


 俺は脱力したまま、頷いた。


「了解した……演習終了! 各隊長は負傷者の有無を確認し、司令部に報告せよ!」


 落ち着いたところで戦場を見ると、中央も左翼も突破できず、我々が敗北したことが分かった。


(負けたのか……いや、完敗だな。敵よりこちらの方が戦闘不能判定者の数が多い……)


 正確な数は分からないが、有効な攻撃を受けたと判断して戦場から離脱した者の数は圧倒的にこちらの方が多かったのだ。


 負傷者の治療が行われた後、演習に参加した者が整列する。

 演台が運ばれ、その上にマティアス様が立たれた。


「共和国軍の皆さん、ラウシェンバッハ騎士団の諸君。お疲れさまでした。既に勝敗は分かっていると思いますが、ラウシェンバッハ騎士団は全兵力の三分の一を失い、指揮命令系統も崩壊したことから潰走直前と判断し、共和国軍の勝利と判定しました……」


 やはり圧倒的な敗北だった。


「……ケンプフェルト閣下の的確な指揮はもちろん、それを確実に実行した共和国軍の前線指揮官及び兵士の方々の奮闘の賜物と考えております……」


 確かにその通りだが、まだ納得できない。


「ラウシェンバッハ騎士団は強引な攻撃を繰り返しましたが、強固な防御陣の突破が叶いませんでした。いかに身体能力が高くとも、的確な指揮で構築された防御陣は容易に突破できないことが分かったと思います……」


 そこでマティアス様は我々の顔をゆっくりと見られた。


「まだ納得できていないという顔をしているようだね」


 そうおっしゃって微笑んでおられる。


「君たちが強力な戦士であることは間違いない。しかし、今回ケンプフェルト閣下は局所的に十倍程度の戦力差が生まれるように戦力を投入しておられた……」


 その説明に首を傾げそうになった。

 こちらは一千、共和国軍の左翼は最初二千で途中から騎兵一千が加わったが、一対三にしかならないためだ。


「確かに数は正面で二倍、両翼で三倍程度だったが、ラウシェンバッハ騎士団側には遊兵が多くいた。そのため、前線での戦力比は十倍程度になっていたということだ。もっとも今回はあえてクローゼル団長に命令を変更しないように指示していたから、現場での対応が遅れたが、現地の指揮官がそのことに気づいていれば、対応することは十分に対応可能だった。今回の敗因は前線指揮官の差だと言えるだろう」


 それでようやく納得した。

 敵はケンプフェルト閣下の命令に的確に従い、最も効果的な戦いができたが、それを可能にしたのは小隊長や中隊長といった前線指揮官が状況に合わせて調整できたからだ。


 一方、俺たちは俺の指示が悪かったこともあるが、前線指揮官が闇雲に戦ったため、軌道修正する機会を失い、敵に付け込まれた。

 俺も悔しさで涙が出そうになるが、他の隊長たちも同じように歯を食いしばっている。


「諸君らはよい経験をした。ケンプフェルト閣下のような名将と戦うことが、如何に難しいことであるかということを、身をもって知ったのだから。まだ演習期間はある。諸君らの成長に期待する!」


 マティアス様はそう言ってもう一度微笑まれた。

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