第62話「合同演習:その三」

 統一暦一二〇八年五月二十一日。

 グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、騎士団駐屯地。ゲルハルト・ケンプフェルト元帥


 駐屯地に到着した翌日、今日から本格的に演習が行われる。

 場所はラウシェンバッハ騎士団の駐屯地の南側にある草原だ。


 駐屯地の演習場では計四万人の兵士が展開するには狭すぎるためで、二キロメートル四方ほどの広さがある南側を演習地にしたと聞いている。


 ここは西にあるヴァイスホルン山脈に向かって緩やかな上り坂になっているが、基本的には平坦で大規模な軍の演習にはもってこいの場所だ。


 上り坂になっている西側には、高さ十メートルほどの木の櫓を建ててあり、そこから全軍を俯瞰するように観戦することができる。


 そして、今日は初日ということで、午前中は儂を含む師団長以上がここから、共和国軍二万の兵士は草原に広がって王国軍の演習風景を見学する。


 王国軍の総参謀長ユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵が拡声の魔導具を使い、説明を行った。


「本日は初日ということで、まずは我が軍が使用している通信の魔導具を使った陣形変更を見ていただこうと思っています。この場からホイジンガー王国騎士団長が命令を出し、どのように兵たちが動くかを確認していただければと思います」


 そこでマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵に代わる。


「第三騎士団と第四騎士団が小官の命令で動く。ラウシェンバッハ次長、通信兵の準備はどうか?」


 そう言って後ろに控えるマティアス君に確認する。


「完了しております」


 マティアス君はいつも通りの笑みを浮かべながら軽く頷いていた。


「よろしい。では、演習を開始する!」


 ホイジンガー伯爵の宣言で、儂たちと下にいる兵たちが一斉に王国騎士団に視線を向ける。

 伯爵は拡声の魔導具を副官に渡すと、すぐにマティアス君に命令を出す。


「第三騎士団に命令を伝えよ。第一連隊は大隊ごとに左翼に展開し、五十メートル間隔の三段の斜陣を形成すること。第二連隊は同じく右翼に斜陣を作れ。第三連隊と第四連隊は槍兵を前面に展開後、弓兵は矢を番えよ……」


 次々と出される命令をマティアス君が四人の兵士に伝達していく。


「第三騎士団第一連隊に連絡。大隊ごとに左翼に展開し、五十メートル間隔の三段の斜陣を形成せよ。第二連隊に連絡。大隊ごとに右翼に展開し、五十メートル間隔の三段の斜陣を形成せよ。第三連隊と第四連隊は槍兵を前面に展開後、弓兵は矢を番えよ……」


 四人の兵士は箱のような背嚢を背負っており、そこに繋がる取っ手のような器具を口と耳に当てながら復唱していく。


 その数秒後、眼下では王国軍が一斉に動き出す。

 ここから見る限り、何の合図もなく五千の兵士が動いているように見え、予め指示されていたかのようだ。


「第四騎士団に連絡。第一、第二連隊は第三騎士団の後方に大隊ごとの横陣を展開せよ。第三連隊は第三騎士団の右翼に大隊ごとに縦陣を作れ。第四連隊は同じく左翼に縦陣を形成せよ」


 ホイジンガー伯爵が同じように命令を出すが、ほとんど乱れることなく、三百名の大隊ごとに動いていく。


「凄いものですね! 最初から決められた場所に動いているかと思うほどです」


 参謀長のダリウス・ヒルデブラントが珍しく興奮している。


「ケンプフェルト殿、どこかの部隊に指示を出していただけますか? そうすれば、予定通りに動いていないことが分かりますので」


 ダリウスの声がホイジンガー伯爵に聞こえたようだ。


「疑ってはおらぬのだが……」


「兵士たちも同じことを思っているかもしれません。気にせずに指示を出していただければと思います」


 マティアス君の言葉に頷き、指示を出すことにした。


「確かにそうだな……では、左翼の斜陣の最前列を百メートル前進。その後ろの隊をそのまま中央へ五十メートル移動。これで頼む」


 マティアス君がその指示を復唱し、命令を伝えた。

 即座に二つの大隊が動き出す。

 その指示通りの動きに思わず唸る。


「これほど正確に動けるとは……しかし、距離はどう測っているのだろうか?」


「各隊の指揮官が歩数で指示を出しております。恐らく数メートルの誤差はあると思いますが、野戦で気になるほどではありません」


 マティアス君が私の疑問に答えてくれた。


「指示を受ける方も慣れねばならんということか……」


「その通りです。歩数だけでなく、指揮官の距離感覚も鍛える必要があります。数メートルなら弓の射程で大きな差とはなりませんが、これが十メートル以上になれば、射程外で止めるつもりが射程内に入るということにもなりかねません」


 儂だけでなく、二人の師団長、ロイ・キーファーとフランク・ホーネッカーも唸っている。


「今回はあえて騎兵を使っていませんが、騎兵の場合は更に注意が必要です。歩兵であれば、大隊長の命令を聞き漏らすことはありませんが、騎兵の場合は馬蹄の音で命令が伝わらない可能性があります。それに動きが速いので指示が遅れれば、違う場所に移動している可能性もあります。ですので、通信の魔導具だけでなく、ラッパや旗も併用します」


 この点は伝令を使った指揮でも大して変わらないので理解できる。


 その後、突撃や射撃を交えた演習が行われ、更に波状攻撃や横隊による移動攻撃など多彩な動きを見せた。


「見事なものですな。ホイジンガー殿の命令が確実に伝わっている。これならば、敵の動きに翻弄されるようなことも少なくなるでしょう」


 儂の言葉にホイジンガー伯爵が首を横に振る。


「前線の指揮官や兵たちはそれでいいでしょう。ですが、全体の指揮を執る司令官はどうしても視野が狭くなりますから、敵の動きに翻弄される可能性は否定できません。参謀が的確な助言をしてくれて初めてこの方式も役に立つと言えるでしょう」


 なるほどと思った。

 なまじ各部隊に指示が出せるため、その一点に目が行ってしまうということだ。


「これもラウシェンバッハ参謀次長の考えですかな?」


「はい。彼はヴェストエッケ攻防戦において、地図と通信の魔導具だけで二つの中隊を巧みに指揮し、黒狼騎士団のリートミュラー団長を翻弄したと聞いています。まだ、彼ほどの的確な指揮はできませんが、参謀の助言があれば小官でもこの程度の指揮が執れるのです」


「地図を見ながら……確かマティアス君は初陣だったはずだが……」


 黒狼騎士団の勇将リートミュラーを翻弄したことは聞いていたが、あれだけ実戦経験豊富な将を初陣のマティアス君が地図を見ながら指揮を執り、手玉に取っていたことに驚くより呆れてしまう。


「ええ。中隊の指揮官は閣下もご存じのラザファム・フォン・エッフェンベルクです。もう一人もマティアスと同期のハルトムート・イスターツ。更にイリスも前線に出たマティアスに代わって指揮を執っております。いずれも実質的な初陣でしたな」


「さすがは“世紀末組エンデフンダート”ということか。貴国には優秀な若手が多く将来が楽しみですな」


 正直な感想だ。

 我が国も教育には力を入れているが、マティアス君やイリス君、ラザファム君のような逸材はまだ見いだせていないからだ。


「お褒めの言葉、ありがとうございます。ですが、我が軍の問題は小官を含め、彼らの上の世代が成長できていないことです。閣下には是非とも指導をお願いしたいと真剣に思っております」


 ホイジンガー伯爵の顔を見ると真剣そのもので、謙遜というわけではないようだ。

 確かに我が国の情報機関が集めた情報でも、グレーフェンベルク伯爵亡き後、ジーゲル閣下の他に有能な司令官がおらず、王国軍の実力が下がるのではないかという報告を受けている。


「儂らでよければ、いつでも力になりますぞ」


 今回の合同演習は約半月間行われる大規模なものだ。この規模の演習は共和国軍でも行われることはなく、よい経験になるだろう。


 その後、通信の魔導具を使った演習が行われた。

 儂が全軍の指揮を執るのだが、魔導具を使った情報伝達は思いのほか難しかった。


 一番の理由は予想通り、自分で連隊規模の部隊に直接指示が出せるため、ある部隊に指示を出すことに集中すると、全軍の指揮が疎かになってしまうことだった。


「視野が狭くなるというのは、やはりこのことだったのだな……なるほど……」


 私の独り言にオブザーバーとして控えていたマティアス君が答えてくれた。


「通信の魔導具を使えば、細かな部分まで総司令部から命令が出せます。ですが、総司令部から師団司令部に命令を出し、師団司令部が現地の判断でそれを実行するという基本的な指揮は今までと大きくは変わりません。その点を抑えておけば、貴軍ならばすぐに活用できるでしょう」


「伝達の時間は大きく短縮できるが、大軍を指揮するやり方は変わらないということか……」


 その日は情報伝達に慣れることに主眼を置き、さまざまな演習を行った。

 そして、使えば使うほど感じたことは、この通信の魔導具というものが如何に有用であるかということだ。


「遠方にいる部隊に命令が出せるのは画期的だな。挟撃や待ち伏せなど戦術に幅が広がるというのがよく分かった」


 儂の言葉にダリウスが頷いている。


「戦場において偵察と情報伝達が重要であることは理解していましたが、この魔導具が普及すれば戦術は大きく変わりますな。我が軍でも偵察隊の強化を図るべきでしょう」


 そのような話をしながら一日目を終えた。

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