第61話「合同演習:その二」
統一暦一二〇八年五月二十日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、騎士団駐屯地。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
グライフトゥルム王国軍約二万とグランツフート共和国軍約二万の計四万という大軍が我がラウシェンバッハ子爵領に集結した。
王国軍の内訳は王国第二、第三、第四の各騎士団約一万五千と、ラウシェンバッハ騎士団約四千五百、黒獣猟兵団約五百だ。
場所はラウシェンバッハ騎士団の駐屯地で、王国軍は昨日、共和国軍は今日の午後に到着した。
グランツフート共和国軍の代表であるゲルハルト・ケンプフェルト元帥が三人の将軍と副官を引き連れて、王国軍の司令部となっている高級士官用の宿舎を訪れた。
王国軍側の出席者は、王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵を筆頭に、第三騎士団長ベネディクト・フォン・シュタットフェルト伯爵、第四騎士団長コンラート・フォン・アウデンリート子爵、総参謀長ユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵らが出迎えている。
王国軍関係者の中には、妻のイリスと士官学校のハインツ・ハラルド・ジーゲル校長もいる。
イリスは現在士官学校の戦術科の主任教官であり、参謀本部にも騎士団にも所属していない。そのため、ここにいるのはおかしいのだが、彼女は士官候補生たちの教育の一環ということで、全候補生二百名を引き連れてここに来た。
『あなたと離れたくないということもあるけど、今回の演習では見るべきところが多いから、候補生たちの実習にはうってつけよ。ジーゲル閣下も大賛成してくれたわ』
以前からジーゲル校長はケンプフェルト元帥に会いたいと言っており、それを利用したらしく、三百五十キロメートルもの距離をものともせずに遠征を承認させた。
『長距離行軍のいい訓練にもなったわ。私も久しぶりに歩いたけど、まだまだ若い子たちに負けていなかったわ』
士官学校のカリキュラムの中に行軍訓練があるが、ここまで長距離の訓練はなく、多くの候補生がへばっていたらしい。一方のイリスは身体強化が使えることから、一日三十キロメートルほどの行軍でも問題なかった。
そんな彼女に呆れながらもケンプフェルト元帥の挨拶を聞いていた。
「今回は貴重な機会をいただき感謝している。我が国もレヒト法国だけでなく、ゾルダート帝国に脅威を感じ始めている。是非ともこの機会に貴国との連携を強めたい」
それに対し、ホイジンガー伯爵が大きく頷いた。
「我々も軍制改革の先達である共和国軍との演習はよい機会だと考えている。名将ケンプフェルト閣下に是非とも指導をお願いしたい」
そう言って両者はがっちりと握手を交わした。
その後はささやかな歓迎の宴が行われる。
「マティアス君とはほぼ十年振りか……グレーフェンベルク殿のことは残念だったが、君が元気そうで何よりだ」
ケンプフェルト元帥とは一一九八年八月にエッフェンベルク伯爵領で会っている。当時はまだ黒々としていた髪だったが、五十四歳になった今、半分以上が白髪に変わっている。それでも鍛え上げられた武人らしく、老いは全く感じない。
「閣下もご壮健の様子で安堵しました。グレーフェンベルク閣下のことは本当に残念でなりません。ですが、残された我々が遺志を継ぐつもりです」
「そうだな。君にその覚悟があるなら、グレーフェンベルク殿も安心だろう」
「過分なお言葉ありがとうございます。それに今回は無理なお願いをお聞きいただき、ありがとうございました」
「いや、こちらにもメリットは大きいからな。イリス君も久しぶりだな。以前より更に美しくなった。マティアス君が羨ましいぞ」
湿っぽくなったことを気にしたのか、ケンプフェルト元帥は私の隣にいるイリスに話しかけた。
「ありがとうございます。以前と同じように閣下に稽古をつけていただければと思っておりますけど、どうでしょうか?」
「ハハハハハ! 相変わらずだな。時間があるときであれば構わんよ。だが、ここには儂以上に手練れが多数おるのではないかな?」
私の護衛である黒獣猟兵団の
「確かに彼らは強いですが、四元流の達人に教えを乞える機会はなかなかありませんので」
ケンプフェルト元帥は東方系武術の四元流の達人で、共和国最強の剣術士と言われている。
そんな話をしていると、ジーゲル校長が話に加わってきた。
「名将ケンプフェルト元帥に儂を紹介してくれんか」
「これは失礼しました。こちらは元ヴェストエッケ守備兵団長のハインツ・ハラルド・ジーゲル閣下です。現在は王国軍士官学校の校長を務めておられます」
そこでケンプフェルト元帥が目を見開く。
「王国の西の守護神、ジーゲル将軍にお会いできるとは思っておりませんでした。ゲルハルト・ケンプフェルトと申します」
そう言って右手を差し出した。
「ハインツ・ハラルド・ジーゲルと申す。ケンプフェルト閣下にお会いできて感激しておりますぞ」
二人はガッチリと握手をする。
レヒト法国の天敵といわれる二人の名将が初めて顔を合わせた瞬間だ。
「ジーゲル閣下にご指導いただけるとは思っていなかった! これだけでもここに来たかいがあるというものだ」
「儂にケンプフェルト閣下の指導などできませぬよ。ヴェストエッケの戦いでもマティアス君の助言で勝てたようなものですからの」
そのような話をしながら歓迎の宴は和やかに行われた。
その後、共和国軍の将軍三名が紹介された。
「彼らは儂の最も信頼する者たちだ。七年前の聖竜騎士団との戦いでも彼らの目覚ましい活躍をしているし、その後も儂の下で部隊を指揮して助けてくれておる……」
統一暦一二〇一年三月に聖竜騎士団の一つ、赤竜騎士団五千が共和国に侵攻した。その際に赤竜騎士団に大きなダメージを与え、法王暗殺事件のきっかけを作っている。
「……右からロイ・キーファー、フランク・ホーネッカー、ダリウス・ヒルデブラントだ。ロイが歩兵主体の第一師団、フランクが騎兵主体の第二師団を指揮しておる。ダリウスは参謀長で儂の軍師だ」
いずれも三十代後半から四十代前半の働き盛りで、ロイ・キーファーはがっしりとした身体つきの偉丈夫だ。ケンプフェルト元帥と同じ四元流の達人で、前線での指揮では絶大な破壊力を誇る。
フランク・ホーネッカーは細身の美男子で、前線で戦う指揮官というより参謀に見える。しかし、東方系武術の神狼流という槍術の名人であり、騎兵部隊の指揮ではケンプフェルト元帥が自分より上と断言するほど信頼していた。
ダリウス・ヒルデブラントは中肉中背のあまり特徴のない男だが、寡黙ながらも言葉の端々に鋭い知性を感じさせ、軍師という言葉がすんなり納得できた。軍事だけでなく、政治面でもケンプフェルト元帥を補佐している。
「彼がマティアス・フォン・ラウシェンバッハ参謀本部次長だ。その隣が彼の妻、イリス・フォン・ラウシェンバッハ主任教官だ。二人の噂は聞いておろう」
元帥が私たちを紹介すると、三人は驚きの表情を見せた。
「若いとは聞いていたが、これほどとは……“千里眼のマティアス”殿の噂は共和国まで鳴り響いておりますぞ」
キーファーが驚きながらも右手を差し出してきた。
「私もお二人の噂は聞いております。マティアス殿はもちろん、イリス殿も戦術家として非常に優秀であると」
ホーネッカーは優しい笑みを浮かべていた。
「千里眼のマティアス殿の話は閣下より伺っています。是非とも私にも指導をお願いしたい」
ヒルデブラントがそう言って真剣な表情で握手を求めてきた。
「ケンプフェルト閣下が大袈裟におっしゃっておられるだけです。私の方こそ、皆さまからご指導を賜りたいと思っております」
共和国軍の宿将ケンプフェルト元帥とその信頼する将軍たちの高い評価が面映ゆい。
「何を言っておるのだ? 我が軍でも君の教本は使われておるし、今回も特別な戦術を伝授してもらえると楽しみにしておるのだ。よろしく頼むぞ」
そう言って分厚い手でバシンと背中を叩かれ、つんのめりそうになった。
「承りました。今回は帝国軍にも優位に立てる戦術を考えておりますので、ご意見をいただければと思っています」
「それは楽しみだ」
そんな話をしながら、和やかな雰囲気で宴は進んでいった。
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