第24話「イリスの授業:前編」

 統一暦一二〇八年九月十一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク郊外、士官学校内。イリス・フォン・ラウシェンバッハ主任教官


 九月に入り、士官学校の授業が再開され、少しだけ気が紛れているが、これほどマティと一緒にいなかったのは初等部時代の夏休みくらいで寂しさが募っている。


 それでも士官学校の仕事を疎かにしてはいけないと気を張っている。

 特に士官学校での授業を通じて、王国内に対帝国戦略を故意にリークすることで、皇帝に危機感を持たせるという任務もあるから。


 でも、このことについてはあまり期待できないのではないかと思い始めている。

 理由は帝国軍の動きが思った以上に速く、噂として皇帝の耳に入る頃には皇都が陥落している可能性が高いと思っているから。

 多分だけど、私に仕事を与えた方が、気が紛れると、彼が考えたからだと思っている。


 そのため、帝国への謀略ではなく、国内対応を主眼に置くことを考えている。

 ここで私が士官学校の学生を相手に王国軍が採るべき戦略を示すことで、マルクトホーフェン侯爵派が帝国に情報を流せば、それを探ることで監視しやすくなる。


 このことは情報部を通じて、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室に依頼しているから、監視を強化してくれるはず。


 九月一日、最上級生である四年生に対する夏休み明け最初の戦術科の授業が行われた。

 授業の後半、課題を出した。


『現在、ゾルダート帝国軍八万がリヒトロット皇国の皇都を攻略しようとしています。それに対し、我がグライフトゥルム王国軍が採り得る戦術について、レポートを出してもらいます』


 本来なら戦略についてレポートを出させたいが、学生では国内外の情勢まで理解できず、戦略の構築は難しいと諦めた。


 学生たちから夏休み明け早々にレポートかという不満げな雰囲気が伝わってきた。

 それを無視して話を進めていく。


『戦術の前提となる王国の戦略ですが、王国を守るために皇都陥落を防ぎ、帝国軍を撤退させることです。帝国軍が作戦の発動を発表してから一ヶ月後、王国はその事実を知り、直ちに救援作戦を開始するものとします。王国軍が投入する戦力は、第二から第四騎士団とヴェヒターミュンデ騎士団、リッタートゥルム守備兵団、そして、ラウシェンバッハ騎士団です。それぞれの戦力は……』


 更にグランツフート共和国軍についても言及する。


『……グランツフート共和国軍は我が国からの出兵要請を受け、二万の兵が一ヶ月後に合流するものとします。また、補給物資はヴェヒターミュンデ城に船によって輸送されるため、国内では十分な量が確保できるものとします。以上の条件の下、総司令官である王国騎士団長として、採り得る戦術を具体的に示すこと。期限は十日後の十一日です。質問があれば受け付けます』


 学生からは特に質問は出なかった。


 そして今日、レポートが提出された。

 戦術科の教官であるクリスティン・ゲゼルと新たに教官になったボリス・レフラーと共にレポートを確認していった。


 ゲゼルはエッフェンベルク家に属する騎士爵で、私が幼い頃からの付き合いがあり、未だに“お嬢様”と呼ぶ時がある。


 レフラーはジーゲル校長が招聘した騎士爵で、ヴェストエッケ守備兵団の元部隊長だ。現在四十歳でカイゼル髭が特徴的なダンディな紳士だ。


 ヴェヒターミュンデでの戦いでも、ライムント・フランケル副兵団長の下で的確な指揮を行っていた実戦経験豊富な戦術家で、実戦での経験を学生たちに伝えてもらうために招聘したと聞いている。


「なかなか難しい課題でしたね。現実的な戦術が書かれたものは見当たりませんよ」


 ゲゼルがそう言って笑っている。


「そうでもありませんぞ。いくつか面白い物もあります」


 レフラーはそう言ってレポートを手渡してきた。


「グレゴール・フォン・ダイスラー君ね。確かに面白い視点だわ」


 グレゴールはノルトハウゼン伯爵家のダイスラー男爵家の嫡男だ。現当主のハンス・フォン・ダイスラーは五年前の一二〇三年十月に第二騎士団と模擬戦をやって敗れた指揮官だ。


 その後、戦術の重要性が身に染みて分かったのか、嫡男グレゴールを王立学院の兵学部に入学させ、その後士官学校に編入してきた。

 グレゴールは元々優秀だったようで、現在の席次五位以内を常に維持している秀才だ。


「これもよくできていますよ。さすがはヴェヒターミュンデ伯爵の嫡男ですね」


 そう言ってゲゼルがレポートを渡してきた。


「マティか、ハルトに発破を掛けられたみたいね」


 グスタフ・フォン・ヴェヒターミュンデはヴェヒターミュンデ伯爵家の嫡男だが、これまで成績は振るわず、夏休み前には卒業が危ぶまれるレベルだった。

 夏休みに実家に戻り、その際にマティかハルトに指導してもらったようだ。


 そして、翌日の十二日、グレゴールとグスタフに発表してもらうことにした。


「レポートの提出、お疲れさまでした。全体の講評は後でしますが、せっかくなので面白そうな案を出してきた二人に発表してもらおうと思います。まずはダイスラー君。あなたから」


 グレゴールは予想していなかったのか、驚きの表情を見せて立ち上がった。


「は、はい! では発表します!」


 緊張気味で話し始める。


「戦略目的が皇都攻略の妨害ということで、それを達成することを第一と考えました。そして前提条件として、帝国軍八万に対し、王国と共和国の連合軍が正面から戦っても勝利は難しいとしました」


 その言葉に学生たちから不満の声が上がる。


「その前提はおかしいだろ!」


「最初から負ける前提とは王国騎士団を馬鹿にしているのか!」


 その声を私が一喝する。


「静かにしなさい! 勝てないという前提で戦術を考えることは大事なことです。戦略目的を達成できるなら、正面から戦って勝つ必要はないのですから。ダイスラー君、続けなさい」


 私の言葉で学生たちは黙るが、不満そうな表情は消えていない。


「はい。敵の戦意を喪失させるには、圧倒的な兵力を見せることだと考えました。現在、リヒトロット皇国の皇都には水軍を合わせれば、十万近い兵力があると聞いています。そこに王国軍と共和国軍が加われば、十五万近くになり、帝国軍の倍になります。グリューン河を使って防御すれば、帝国軍も攻めあぐねるはずです……」


 敵より多くの戦力を戦場に集めることは戦術の基本であり、彼はそれに忠実に従ったようだ。


「……問題はどうやって四万人の兵士を皇都に送り込むかです。これについてはヴェヒターミュンデでシュヴァーン河を渡河し、そのまま帝国の西部域を一気に移動します。そして、グリューン河に到達した後、輸送船を使って皇都に移動すれば、安全かつ迅速な移動が可能となり、帝国軍の到達より先に戦力を集中できると考えました。以上です」


「ありがとう。では、私から質問です。補給はどうするのかしら? 四万人の兵を食べさせていくのは大変よ」


「はい。その点も考えています。帝国内は輜重隊による補給と、帝国西部の都市から徴発することを考えています。幸い収穫期を迎えていますし、帝国西部は皇帝に心から臣従しているわけではなく、適正な対価を支払えば、入手は難しくありません。また、皇都に入った後はシュトルムゴルフ湾とグリューン河の水運を使えば、王国や穀倉地帯である皇国西部から輸送が可能ですので、こちらも問題ありません」


「よく考えているわ。でも、四万ということはヴェヒターミュンデとリッタートゥルムはそれぞれの守備隊だけで守ることになるから、危険ではなくて?」


「帝国軍が王国側に進出してくるということは皇都攻略を諦めたということです。それにヴェヒターミュンデに軍を送るのであれば、補給路は北公路ノルトシュトラーセになりますから、皇都から出撃して補給路を断てば、帝国軍は窮することになります。恐らく帝国はシュヴァーン河に向かわないと思います」


「その通りね。他に質問はないかしら?」


 私の問いかけに学生から反応はなかった。


「私からいいですか?」


 補助教員である黒獣猟兵団の護衛、サンドラ・ティーガーが手を上げた。


「どうぞ、ティーガー補助教員」


「王国軍と共和国軍はいつまで皇都にいなくてはならないのでしょうか? 長期間国を空ければ、もう一つの敵国であるレヒト法国が攻めてくるかもしれませんが」


 その問いにグレゴールはハッとした表情を浮かべる。


「その点は考えていませんでした……一応、帝国軍が撤退するまでと思っていましたが、皇帝が簡単に諦めるとは思えませんから、半年くらいは掛かると思います……」


「ティーガー補助教員の指摘はいい視点よ。王国軍の戦略の一番の目的は王国を守ること。そのための手段として、皇国を滅ぼさせないことであり、皇都を守ることです。王国にはもう一つの敵がいることを忘れてはいけません」


 そう言いながらも国内にも敵がいると考えていた。しかし、そのことは口にできない。


「ですが、ダイスラー君の考えは悪くありません。敵の戦意を挫くこと、すなわち敵の心を攻めることは、敵兵を殺すという直接的な方法より効果的な場合があります。敵の戦意を挫くには戦略目的がどうやっても達成できないと思い込ませることが大事ですから、今回のダイスラー君の考えは理に適っているといっていいでしょう」


 私の言葉にグレゴールは目を輝かせている。


「質問がないようでしたら、もう一人の発表に移りたいと思います」


 そこで教室内を見回すが、質問者はいなかった。


「では、グスタフ・フォン・ヴェヒターミュンデ君。君の考えを発表しなさい」


 グスタフは自分が当てられるとは思っていなかったのか、驚いて立ち上がった。


「お、俺ですか?」


「そうよ。よろしく頼むわ」


 私はそう言って促した。

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