第41話「ゴットフリートの苦悩」
統一暦一二〇五年八月二十三日。
リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ゼンフート村。ゴットフリート・クルーガー元帥
私の命令を無視し、第三軍団がグライフトゥルム王国との国境フェアラートに向かった。
そして、第三軍団との連絡線が切られたことが今日確実となった。
(テーリヒェンがグレーフェンベルクの策略に踊らされたか……ある意味想定内だが、ケプラーたちも気づかなかったのか? しかし、抜かったな。命令書がどこかですり替えられたのだろう。それに気づくのが遅すぎた……)
テーリヒェンが王国軍のグレーフェンベルク伯爵の策略に嵌められそうになっていたことは気づいていた。しかし、こちらから指示があるまで動くなという命令書を送り、それに了解する返信があったことから油断していた。
更に第三軍団が移動を開始してからも失敗だった。
念のため、騎兵小隊を伝令として送ったが、その小隊も予定を過ぎても戻っていない。一応、更に複数の伝令を送っているが、音沙汰がない。恐らくだが、皇国軍の待ち伏せにあって、殺されたのだろう。
これでテーリヒェンを止める術がなくなった。
すぐに戻って来いという伝令を今から送るつもりだが、奴にその命令が届くのはどんなに早くても月が替わった頃だ。
フェアラートに到着しているか微妙だが、そこまで行けば王国軍がちょっかいを掛けてくるはずだ。そうでなければ、こんな面倒なことはしないだろう。
(それにしてもグレーフェンベルクはどこまで見えているのだ? 奴は千キロ以上離れた王都シュヴェーレンブルクにいるはず。“千里眼のマティアス”と呼ばれた若造がいたらしいが、本当に千里眼が使えるのかもしれんな……だとしたら、それを前提に策を練らねばならん……)
王国とレヒト法国との間で起きたヴェストエッケの戦いにおいて、法国軍の策をことごとく看破した天才がいたと、内務府の諜報局が探り出し、その報告書を見たことがある。
その情報に基づき、父である皇帝コルネリウス二世が手を打ったそうだが、俺はその話を聞いた時、何を大袈裟なと思ったものだ。
しかし、今回のことを思えば、父は正しかったのかもしれない。
ナブリュック攻略からゼンフート村占領まではほぼ計画通りに進んだ。皇国水軍を殲滅するという今回の戦略目的は未だ達成できていないが、皇都攻略という大きな観点で見れば、ナブリュック攻略と皇国陸軍に大きなダメージを与えたことは大きな前進だ。
しかし、現状では打つ手がほとんどない。
皇国水軍はどれだけ挑発しても決戦に応じず、ナブリュック近郊でグリューン河の支配権を維持しているだけだ。
皇国陸軍もゼンフート村殲滅戦以降、ダーボルナ城に篭り、一切討って出てこない。
ダーボルナ城は防御に適した堅城であり、正面から攻めても陥落させることは不可能だ。
水軍を殲滅した後に、ダーボルナ城と皇都の間に強襲上陸をして、敵を動揺させるという策が皇都攻略の鍵となるが、それなくして皇都攻略は持久戦にならざるを得ない。
唯一可能性がある作戦は、第三軍団をナブリュックからダーボルナ城の東に移動させ、渡河を強行する作戦だった。
ナブリュックは我が軍団の第二師団と第三師団の計二万で充分に押さえておくことができるし、皇国水軍も第三軍団が皇都に向かえば、渡河を妨害するために、ゼンフート村を強行突破しなくてはならなくなる。
強行突破では完全に殲滅することは無理でも、半数以上を沈めることはそれほど難しくない。当初の目的である皇国水軍を無力化は充分に可能だった。
しかし、そのことに気づくのが遅すぎた。
それにグレーフェンベルクと千里眼のマティアスなる者が、この状態で何も手を打ってこないはずはない。それが俺の苦手とする謀略であることは、容易に想像できる。この点が不安だった。
第一師団長のカール・ハインツ・ガリアードを呼び、今後の協議を行った。
「テーリヒェンが王国の謀略で戦線を離脱したことは明らかだ。それでもナブリュックを維持することは可能だし、ここで皇国水軍を待ち続けることも難しくはない。だが、グレーフェンベルクがこの先のことを考えていないはずがない。君の考えを聞きたい」
ガリアードは少し考えた後、私の目を見て話し始めた。
「王国がどのような策に出るとしても、この状況を変える必要はないと思います。こことナブリュックを押さえておけば、皇都への物資の搬入はほぼ不可能です。皇都にどれだけの物資が備蓄されているかは分かりませんが、多くても一年分が精々でしょう。つまり、その間、ここを押さえ続けていれば、敵は決戦を選択せざるを得ません。それに勝利すれば皇国は必ず降伏するはずです」
「そうだな。懸念があるとすれば、グライフトゥルム王国とグランツフート共和国が援軍を出すことだが、補給の問題もあるし、国内事情もあるだろうから、両軍合わせて多くても五万程度。その程度なら我が第二軍団だけでも勝利は難しくない。それに連合軍に勝利すれば、皇国の心も折れるだろう」
「王国にはグレーフェンベルク、共和国にはケンプフェルトという名将がいますが?」
ガリアードは視線を向けたまま、そう指摘してきた。
「それでも負けることは考えられんな。確かに奴らは優秀な指揮官だが、地の利はこちらにある。平原での野戦で我が軍団が後れを取ることは考えられん。それに俺には切り札がある」
「大平原の民たちのことですか? 彼らを動かすことができると」
「その通りだ。遊牧民たちが動けば、連合軍に勝ち目はない。だから純軍事的に考えるだけなら勝利は固いのだが、グレーフェンベルクは搦め手を使ってくる。それが何か分からん以上、持久戦でよいのかという疑問があるのだ」
俺が恐れているのは謀略だ。
我が軍に裏切り者がいると匂わせて、二ヶ月以上時間を無駄にさせられた。同じような手を使って、撤退に追い込まれるのではないかと恐れているのだ。
「確かに搦め手を使ってくる恐れはありますな。ですが、小官にはそれが何か想像もつきません。マクシミリアン殿下なら何か良い手を思いつかれるかもしれませんが」
ガリアードは俺の前でも堂々とマクシミリアンのことを話す。もちろん、俺がそのことで機嫌を悪くすることはなく、そのことを理解しているためだ。
「マクシミリアンならか……確かにそうだな。だが、ここに奴はいないし、シュテヒェルトのように謀略を得意とする者もおらぬ。我々で対応せねばならんのだ」
二つの軍団を指揮するようになって気づいたことは、俺には戦術面を支えてくれる優秀な指揮官はいても、謀略や政略を含めた戦略面で支えてくれる参謀がいないことだ。
マクシミリアンやグレーフェンベルクのように、自分で戦略や謀略を考えて実行できるなら構わんのだろうが、俺にはその才能がない。
だから、そう言った面で助言してくれる、内務尚書のシュテヒェルトのような参謀を欲しているが、ここにはそんな奴はいないから、自分たちで考えるしかない。
「謀略を懸念されるのであれば、それが動き出す前に決着を付けるしかありませんな」
「そうだな。具体的にはどうすべきだと」
「決戦を強いるためには、皇国軍を引きずり出すしかありません。そのためにはナブリュックを押さえつつ、グリューン河の北側の都市を攻略して皇都を孤立させるしかないでしょう。皇都にいる皇王や貴族たちも、領土を大きく奪われれば動かざるを得ませんので」
ガリアードの言った策は俺自身も考えてことがある。
「その方針に切り替えるということは、皇都攻略の目途が立っていないことを自ら表明することになる。それに対皇国戦において全権は俺にあるが、支配地域の無制限な拡大まで認められているわけではない。皇帝陛下はお認めになっても、枢密院や内務府が反対する可能性がある。安易には切り替えられん」
グリューン河の北側の都市を攻略していくことはそれほど難しくない。問題はそれを維持することだ。仮に二十箇所の都市に治安維持部隊を置くとして、一箇所当たり一千名でも二万の兵士が必要になる。
兵士だけでなく、文官も当然必要だし、行政機構として我が国に組み込むためには、少なくない金が必要だ。
ただでさえ、軍事費の増大で我が国の財政は厳しい状況にあるのに、支配地域の急激な拡大は、短期的には財政の悪化を助長することになる。
そのため、軍以外から横やりが入る可能性が高い。
「そうなると打つ手はありませんな。テーリヒェン元帥が王国軍を破り、そのことを大々的に喧伝して皇国の士気を下げるくらいしか思いつきません」
俺の命令を無視したテーリヒェンに期待するというのは、さすがに気分が悪い。
「テーリヒェンに期待する気はない。奴が王国軍を破り、ヴェヒターミュンデを陥落させたとしても、俺は功績として認めることはない」
「感情的には理解しますが、ならば、代替案を考えねばなりますまい。それがあればよいのですが……」
ガリアードもさすがに言い過ぎたと思ったのか、いつもより歯切れが悪い。
「そうだな。もう少し何か考えてみるか」
結局いい案は思いつかず、ゼンフート村で待機を続けるしかなかった。
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