第40話「情報遮断」

 統一暦一二〇五年八月十四日。

 リヒトロット皇国中部、皇都リヒトロット。闇の監視者シャッテンヴァッヘ小頭アルノー・レーマー


 皇都リヒトロットを発し、西の防衛拠点ダーボルナ城に向かう急使船に揺られながら、これまでのことを考えていた。


(皇国に未来はないな。マイヘルベック程度が総司令官として防衛作戦を仕切らねばならんのだから……)


 シャッテンに過ぎない私であっても、エマニュエル・マイヘルベックに将としての才覚がないことはすぐに分かった。


(マティアス様とは言わんが、グレーフェンベルク伯爵程度がいなければ、ゴットフリートの攻勢は凌げんだろうな。まあ、マティアス様はそれが分かっておられるから、伯爵を通じて皇国軍を動かそうとしておられるのだが……)


 今回私が名乗った“大陸中央区統括官”だが、そのような役職は情報部に存在しない。マイヘルベックを始めとした皇国軍の上層部が納得しやすいように権威付けをしたに過ぎない。もちろん、これもマティアス様のご指示だ。


(偽の命令書で時間は稼げたが、精鋭である帝国軍の伝令を皇国軍が確実に仕留められるか不安が残る。マティアス様の見立て通り、レーヴェンガルトなる騎士長が優秀であればよいのだが……)


 この時私はマティアス様が推薦したヴェルナー・レーヴェンガルト騎士長の実力を疑っていた。千里眼を持つと言われているマティアス様であっても、皇国軍のすべての指揮官の実力を把握できるとは思えなかったからだ。


 そう考えた理由は、皇国軍では家柄によって出世度合が決まるからだ。弱冠二十五歳のレーヴェンガルトが千人の部下を持つ騎士長になれたのは、伯爵家の次男という身分が大きいはずだ。

 しかし、その疑念はレーヴェンガルト本人と行動を共にするようになって霧消した。


 レーヴェンガルトは命令書を受け取るとすぐに行動を開始した。

 部下たちに出撃準備を命じるとともに、彼の副官ホレス・マイヤーを引き連れ、私のところにやってくると、皇都周辺の地図を広げた。


「今後について協議したい」


 この国の指揮官は情報を軽視し、自分の思いだけで行動を起こす者が多く、私は意外だなと思いつつ頷いた。


「もちろん構いませんよ」


「それは助かる」


 レーヴェンガルトはそういうと、広げた地図の一箇所を指差した。


「レーマー殿は帝国軍の伝令の行動に詳しいと聞いている。私としてはここに伏兵を置きたいと考えているが、どうだろうか?」


 その場所はゼンフート村から十五キロメートルほど離れた森の中だった。地図では分かりづらいが、そこは二つの丘の間になっており、兵を隠すのに適している。また、街道の左右に兵を配した上で、前後から挟み撃ちにすれば逃げることは難しく、私が提案しようと思っていた場所だった。


「私もここがよいと考えておりました。よくご存じですね」


 私の言葉に意外そうな表情を浮かべる。


「地形を把握しておかなければ作戦など考えられん。それに我が軍は敵に追い込まれているんだ。少しでも有利になる場所に当たりを付けておくことは当然だろう」


 彼の言う通り、当たり前のことなのだが、ゼンフート村殲滅戦で敗死したナイツェル将軍は地形を把握せずに攻め込んでいる。


 日が大きく傾いた頃、彼の部下五百名と共に船でグリューン河を渡った。

 ダーボルナ城はグリューン河に架かるダーボルナ大橋があるが、跳ね上げ部を下す必要があり、遠目に見ても皇国軍が出撃したことが分かるため、避けたそうだ。


「他の騎士長は誰も見ていないと笑っていたが、今回の任務では隠密性が最も重要だ。万が一敵に知られたら、作戦の成功が難しいだけでなく、我々自体も危険だ。そんな危ない橋は渡りたくない」


 レーヴェンガルトが憤っていると、副官のマイヤーがまぜっかえす。


「渡るだけなら、ダーボルナ大橋は安全な橋ですぞ。危険とは言えますまい」


「その橋のことをいっているんじゃない!」


 その会話でレーヴェンガルトの緊張が解ける。

 そのやり取りを見て、この二人は思った以上によいコンビなのではないかと思い始めていた。


 夜を徹して移動し、翌八月十五日の夕方に目的地に到着した。

 そこで潜んでいると、ナブリュック方面から百人程度の帝国軍の騎兵中隊が街道を進んできた。急いでいるのか、足元が暗くなっているにもかかわらず、馬を走らせている。


「あれはゴットフリート皇子がナブリュックに送った騎兵中隊です。私たちが敵の伝令を始末したので、一個中隊を送り込んだのでしょう」


「ということは第三軍団が出陣したという情報を持って帰るということか……ホルス、奴らを一騎残らず殲滅できると思うか?」


「無理でしょうな。こちらは歩兵と弓兵しかおりません。逃げを打たれたら、追いつきようがないですよ」


「そうだな。ならば、奴らには手を出さずに通過させるべきか……全員に伝えろ。騎兵には手を出すな。息を凝らして隠れていろとな」


 冷静な判断だと思った。

 第三軍団が出陣したという情報がゴットフリート皇子に届かないことは望ましいが、この情報だけなら持ち帰られたとしても、疑念が確信に変わるだけで、ゴットフリート皇子の行動が変わるわけではない。


 それよりも下手に手を出して逃げられ、ここに皇国軍がいることを知られる方が厄介だ。

 知られずにいれば、奇襲を仕掛けて伝令部隊を殲滅することはできるが、知られてしまえば、こちらは逃げ出さざるを得ないし、伝令も警戒する。つまり情報を遮断するという作戦自体が失敗することになるのだ。


 翌朝、帝国軍の騎兵小隊約二十騎が現れた。全員が替え馬にする空馬を連れている。

 周囲には注意を払っておらず、馬の状態を気にしている感じだ。


「奴らを通すな! 作戦通りに前後から挟み撃ちにしろ!」


 こちらは五百名であり、油断している少数の敵を逃がす恐れは少ないだろう。

 結果は私の予想通りだった。


 槍兵が街道の進行方向を塞ぎ、それに驚いて停止したところに弓兵の射撃が襲い掛かった。森の中ということで一射目で全滅させることはできなかったが、後ろに戻ろうとした敵を槍兵が塞ぎ、そこで仕留めている。


 一応、部下たちに討ち漏らしがあった場合にフォローするよう密かに命じていたが、その必要はなかった。


「見事なものですね」


「ありがとう。だが、今回は上手くいったが、これで稼げる時間は精々一週間だ。ゴットフリートは馬鹿じゃないから、第三軍団からの返信がなければ別の手段を採るだろうからな」


 レーヴェンガルトの言っていることは正しい。

 私がゴットフリート皇子でも一個小隊を送り出しても返事が戻ってこなければ、皇国軍が動いていると確信するはずだ。


 その場合、討伐隊を出しつつ、別のルート、例えばグリューン河を使って新たな伝令を送り出すだろう。その時間を彼は一週間と見積もったが、私も全く同感だ。


 既に出発から四日目、第三軍団は西に百キロメートルほど移動している。伝令小隊は替え馬を用意していたとはいえ、一日に七十キロメートルほど移動できればいい方だ。


 一方第三軍団は一日に二十五キロメートルほど進んでいるはずだから、追い付くのは明後日くらいになっただろう。つまり往復で最短五日は掛かる計算だ。ゴットフリート皇子も最短で戻ってくるとは限らないと思っているだろうから、七日目に異常に気付くということだ。


「そうですね。ですが、一週間という時間を稼げれば大きいですよ。第三軍団は出発から既に四日ですから、今日の夕方には百キロメートルほどは西に移動しているでしょう。そして更に一週間あれば、三百キロメートル近く移動することになります。その時点で伝令を送り出したとしても、到着するのは第三軍団がフェアラートに到着した後ということになります。フェアラートには我が国のグレーフェンベルク伯爵がいるはずですから、何とかしてくれるでしょう」


 私の言葉にレーヴェンガルトは安堵した表情を浮かべる。


「確かに貴殿の言う通りだ。あとはゴットフリートが念のため送り出す新たな伝令をここで食い止めればいいということだな」


 それから五日間、この場で敵の伝令を遮断し続けた。


 ゴットフリート皇子からは二度伝令が送り出され、ナブリュックからは三度伝令が送り出された。そのすべてを討ち取り、ゼンフート村とナブリュック市の連絡線は完全に機能を失っている。


 ゴットフリート皇子の直属である第一師団に潜り込ませているシャッテンから、ゴットフリート皇子が動きそうだという連絡が入った。


「そろそろ潮時のようです。ゴットフリート皇子が動く準備をしていると連絡がありました」


「ならば、ここを引き上げるとするか。ホルス、引き上げを命じてくれ」


 副官に命令を出すと、再び私の方を見た。


「それにしても貴殿らは凄いな。これほど情報で苦労しなかったことは初めてだ。情報部を作ったグレーフェンベルク伯爵の凄さを改めて感じたよ」


 作ったのはマティアス様だが、そのことは口にできないので、曖昧に頭を下げておく。


 その後、レーヴェンガルト隊はダーボルナ城に戻り、私たちは再び、この地で敵の動きを監視することにした。

 監視を続けながら、マティアス様の凄さを改めて感じていた。


(レーヴェンガルトの才能を見抜いていたとは、さすがはマティアス様だ。レーヴェンガルトが皇都防衛にもっと関与できるよう、動いた方がよいかもしれん。皇都にいるモーリス殿に何とかできないか、連絡を入れてみるか……)


 私は部下の一人を皇都に送り出した。

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