第4話「トラブルの結末」
統一暦一二〇〇年三月三十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク。ラウシェンバッハ子爵邸、ハルトムート・イスターツ
学院高等部に入学してから三ヶ月ほど経った。
マティアス、ラザファム、イリスの三人とは入学式の日の事件以降、友人としてつるんでいることが多い。
当初、俺は自分が平民ということで彼らのグループに入ることをためらった。ノイムル村の代官である男爵くらいしか見たことがなかった俺からしたら、伯爵家の嫡男と令嬢、子爵家の嫡男というのは王家と同じくらい雲の上の存在だからだ。
しかし、三人とも身分など全く気にすることはなかった。最初のうちはそれでいいのかと思わないでもなかったが、マティアスが学友なんだから身分は気にしないでおこうと言い、ラザファムとイリスも賛同したことから、ファーストネームで呼び合う仲になっている。
今なら理由が分かる。
俺が孤立していると、イザーク・フォン・マルクトホーフェンに何かされる可能性が高いから、マティアスが自分たちと一緒にいるように仕向けたのだ。
そのため、最近では学院の帰りにマティアスの家に寄って勉強をしたり、エッフェンベルク伯爵家の訓練に参加したりしている。
勉強はとても助かっている。
何といっても三人に比べ、俺の学力は格段に低い。ラザファムとイリスには悪いと思うが、マティアスが俺につき切りで教えてくれるため、このままいけば上位に食い込めるくらいにはなれそうだと思っている。
訓練の方も助かっている。
俺は東方系武術である竜牙流という双剣術を使うが、王都には東方系武術の使い手が少なく、鍛錬が滞ると思っていたのだ。
しかし、ラザファムとイリスの剣術の師であるハラルド・クレーマン様が指導してくれるようになり、こちらの方も以前より腕を上げている。
クレーマン様とは流派が異なるが、
その他にもマティアスから借りた士官教育の教本も読み始めた。
最初のうちは全く理解できなかったが、指揮官としての心得は、知れば知るほど面白いと思うようになっている。
不満は兵学部という割には大した教育は行われておらず、この教本が学院で使われていないことだ。
「これが兵学部で使われないのは納得できないな。学院の戦術の講義を聞く気がなくなるほどだ」
俺の呟きにマティアスがいつもの優しい笑みを浮かべて答える。
「確かに意味は少ないかもしれないね。でも、覚えておく必要はあると思っているよ」
彼の言葉に俺だけではなく、ラザファムとイリスも首を傾げた。
「どうしてなんだ? 弓で敵を削って歩兵が敵を止めて、騎兵突撃で止めを刺すしか教えない戦術の授業なんて意味などないと思うが?」
ラザファムが言う通り、学院の兵学部で教える戦術は騎士が主力という固定観念に凝り固まった古臭いものだ。これはマティアス自身に教えてもらったことだ。
「少なくとも我が国の騎士たちのほとんどが、今教えられている戦い方が正しいと思っているんだ。それを頭から否定すると彼らは理解できずに、必ず反発してくる。だから、理解しやすいように、彼らのやり方に沿っているという風に見せなくてはならないんだ」
「つまり私たちがいい作戦を考えたとしてもそれを理解できないから、今習っている戦術に沿ったものに直すということ? それで負けたら本末転倒な気がするのだけど?」
イリスがそう言って反論する。俺も全く同意見だ。
「そうじゃないよ。彼らのやり方に沿っているように見せるのであって、それに合わせるわけじゃない。例えば、騎兵を使わない作戦を考えたとするよ。その場合、騎兵は使わないと言えば反発されるだろう。だから、予備兵力として取っておいて、最後の最後で突撃によって殲滅する。つまり切り札として取っておくという感じで伝えれば、反発は少ないはずだ」
その説明にイリスは大きく頷いた。
「確かにそうね。それで実績を積んでいけば、古い考えの人もいつかは理解してくれるということね」
「それが理想だけど、そう簡単には変わらないと思う。まあ、実績を積めば理解しようという人も出てくるとは思うけどね」
こんな感じで彼の話は分かりやすいし、勉強になる。
彼らとの時間は楽しいのだが、イザークからの嫌がらせが三月に入るまで続き、学院に行くのが憂鬱になるほどだった。
三月に入ると、嫌がらせはピタリとやみ、イザークも学院に顔を見せなくなった、そして本日、自主退学したという話を聞いた。
その話自体は歓迎することなのだが、なぜ急にイザークが退学したのか理由が分からない。
ラザファムとイリスはマティアスが何をやったと確信しているようだが、学院内でするような話ではなく、ラウシェンバッハ子爵邸に入るまでその話は我慢していたようだ。
マティアスの部屋に入ると、イリスが単刀直入にマティアスに聞いた。
「あなたが何かしたのでしょ。どうやったか教えなさい」
彼の顔を覗き込むようにしており、その距離の近さにマティアスがたじろいでいる感じがした。
「言いたくないんだけど、言わないと納得しないよね」
彼の言葉に俺たち三人が同時に頷く。
「このことは口外しないと約束できるかな」
笑顔でありながらも、いつになく真剣な声音に俺たちはもう一度同時に頷いた。
「元々イザーク先輩には悪い噂があったことは知っているよね」
彼の言う通り、イザークには悪い噂が付きまとっていた。
イザークは昨年の成績が全体の五位と大貴族の子息にしては非常にいい。このまま卒業すれば、“恩賜の短剣”を賜る五位以内に入れるほどだ。
成績がいい理由だが、実技の成績が抜群によく、そこそこの成績でしかない座学の分をカバーしていたらしい。
兵学部の実技は一対一の武芸の腕を競うのではなく、隊長として兵を動かす指揮を指す。そのため、王国騎士団の兵士を使った演習が行われている。
イザークはその実技の模擬戦において連戦連勝で、その結果五位という席次になっているのだ。
これが実力なら問題なかったのだが、彼は対戦相手に実家の権力を背景に圧力を掛け、それで勝利を得ていたらしい。
「……二月の下旬に二年生の実技の試験で模擬戦が行われた。その時、イザーク先輩は対戦相手である某男爵家の次男に対して、マルクトホーフェン侯爵家で騎士として仕官させてやるから手を抜けと指示したらしい」
「男爵家の次男か……本当なら王国騎士団がいいんだろうが、入れなかったことを考えれば、マルクトホーフェン騎士団に確実に入れるというなら話に乗りそうだな」
ラザファムがそう言って納得顔で頷く。
彼は伯爵家の御曹司なのだが、こういった事情にも詳しい。もっとも情報源はマティアスなのだが。
「そう言うことだね。まあそれはいいとして、その話がマルクトホーフェン侯爵閣下の耳に入った。それだけじゃなく、第二王妃のアラベラ殿下の耳にも入り、二人は激怒した」
「侯爵はイザークの兄で、アラベラ様は姉か……不快に思うことがあっても激怒というのがよく分からないな」
ラザファムがそう言って首を傾げる。俺も同じだ。
「イザーク先輩が侯爵閣下とアラベラ様とは腹違いの兄弟ということは知っているかな。それも先輩の母上は身分が低い使用人だったということも」
俺たち全員が首を横に振る。
「侯爵であるミヒャエル卿とアラベラ様は、以前からイザーク先輩のことを妾腹の生まれということで、自分たちの弟とは認めていなかったんだ。特にミヒャエル卿は身分が低いくせに自分の地位を狙う敵という認識が強かったらしい。アラベラ様も王妃になったことで選民意識が強くなって、イザーク先輩のことを無視していたんだ」
イザークはマルクトホーフェン侯爵家の生まれという“身分”を振りかざしていた。その本人が自分の家では身分の違いで家族から虐げられていたのだ。そのことが滑稽であり、哀れでもあるなと一瞬思った。
「ようやく分かったわ。侯爵家の人間と認めていない人が、その地位を利用したことに怒ったのね」
イリスが納得したという顔をする。
「そうだね。それに加えて、この醜聞が広がったら自分たちの名に傷が付くと思ったようだよ」
「しかし、それだけのことであの人が自分から学院を辞めるのか? 君が二人に情報を渡したのだろうというのは簡単に想像できるけど、他にも何かしているんだろ?」
ラザファムが確信しているという感じで聞く。
「ユルゲンス学院長にお願いをしたんだ。侯爵閣下に悪い噂が広がっているから対処してほしいと、抗議でもないけどやんわりと、だけど直接言ってほしいとね」
「学院長を動かしたのか! でも、その程度で侯爵が動くとは思えないんだが?」
俺が驚いてそう言うと、マティアスは理由を説明する。
「話は変わるけど、去年の十一月、侯爵閣下に長男が生まれている」
「それがどう関係するんだ?」
侯爵家の事情に詳しいことに驚くが、どう関係するのか分からず、思わず口を挟んでしまった。しかし、マティアスは気を悪くした様子もなく、説明を続けていく。
「今まではミヒャエル卿に何かあったら、もしくは体質的に子供を作れなかったら、イザーク先輩が爵位を継ぐ可能性があった。そんなことがあって、ミヒャエル卿と先輩の父、つまり先代の侯爵であるルドルフ卿は先輩のことをかばっていたらしいんだ。だけど、直系の孫が生まれたことで、素行の悪い先輩を切り捨てることにした。そのきっかけが学院長の抗議なんだ」
ようやく理解できた。
元々先代のルドルフもイザークのことは苦々しく思っていた。しかし、ルドルフにはミヒャエルとイザーク以外の男子がおらず、後継者のことを考えて処分できなかったのだ。
そこにマティアスが現侯爵のミヒャエルを怒らせるような情報を耳に入れた。それも信憑性を増すため、複数のルートを使ってだ。
ミヒャエルはイザークを処分するいい機会だと思い、それまで止めていた父親のルドルフに侯爵家のことを考えて処分させろと迫り、ルドルフがそれを承認した。
そのことをマティアスに言うと、大きく頷く。
「その通りだよ。今回の件はイザーク先輩にすべて原因がある。私はミヒャエル卿たちがいつか行ったであろう粛清の機会を与えただけに過ぎないんだ」
「確かにきっかけを与えただけかもしれないけど、あなた以外ではそんな些細なことで学院を辞めるなんて分からないわよ」
イリスがそう言って呆れている。
「少し考えれば分かると思うよ。まあ、マルクトホーフェン侯爵家の内情を知らないと無理かもしれないけどね」
マティアスが涼しい顔でそう言った。
「分からないのは、どうしてこの話を内密にしなくてはいけないかといことだ。学院長にどうにかしてくれと頼むこと自体は、おかしな話ではないと思うのだが」
ラザファムの問いにマティアスがニコリと微笑む。
「変な勘繰りを受けるからね。私の父は宰相府の役人だから、父が動いたという話になると政治的にややこしくなる。君たちの父上も同じだ。ハルトムートは平民だから学院長が動くこと自体おかしいと思われる。だから私たちは先輩にいじめられていたかわいそうな被害者ということにしておいた方がいいんだ。今後のことを考えるとね」
マティアスの笑みになぜか背筋に冷たいものが流れた。彼は更に大きなことを考えているような気がしたからだ。
「いずれにしてもイザーク先輩の問題はこれで完全に片付いた。まだ身分に拘る人はいるだろうけど、少なくとも私たちと一緒なら問題はない。だから、これからは勉学に集中できると思うよ」
その後、イザークが侯爵家から放逐され、平民に身分を落とされたと聞いた。
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