第52話「後片付け」
統一暦一二〇七年八月十九日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、守備隊駐屯地。ダニエル・モーリス
午後五時、マティアス様が企画された獣人族兵士と領民との交流イベントは無事に終了した。
マティアス様の閉会の宣言で、領民たちは家路につく。
しかし、僕たちはまだまだ仕事が残っていた。
「洗い物が終わったら排水溝の掃除も頼む! トイレは早めにきれいにしておけ! 守備隊の方々は今日も使うのだからな! 残った料理があれば、冷蔵の魔導具に一旦入れておいてくれ! 会計は二人一組でチェックしながらやるんだ! 何度も計算し直すことになるからな! 手が空いた者は会場のゴミ拾いを頼む!……」
父ライナルトが大声で指示を出していた。
「ダニエル、お前の方で気づいたことは全部メモしてあるか?」
兄フレディが聞いてきた。
「もちろんさ。兄さんの方も手順書の問題点は整理できている?」
「それはまだだ。一応メモは取ってあるから、あとでお前の分と合わせて修正するよ」
「なら、僕たちも片づけを手伝おうよ。自警団の方たちを早く帰してあげたいから」
獣人族の自警団員は片づけを手伝ってくれている。最初は断ったのだが、代表のデニスさんが、マティアス様が自分たちのために開いてくれたことだからと言って、全員に指示を出していたのだ。
獣人族の集落は最も遠いところで三十キロほど離れていたはずだ。
僕の足なら一日でも到達できるか分からないけど、獣人族なら走れば二時間も掛からずに到着できる。
それに陽が落ちても夜目が利くから、多少遅くなっても今日中には帰ることができるが、あまり遅くなるのは悪いと思い、急いでいるのだ。
五千人以上で片づけたため、一時間ほどで大体のところは終わった。
「あとは細々としたことだけなので、守備隊と自警団、そして領都から手伝いに来てくださった方々は解散してくださっても結構です! お疲れさまでした!」
父さんがやや掠れた大声で終了を宣言した。
朝から声を張り上げ続けていたため、喉を傷めたのだろう。特に片付けのところでは、駆けずり回って指示を出していたので、父さんにしては珍しく、疲れた表情も見せている。
「お疲れ! 今日は楽しかったよ!」
「あんたたちも早めに切り上げるんだぜ!」
モーリス商会の従業員たちと一緒に見送っていると、そんな声が掛かる。
見送りを終えたところで、父さんがパンと手を叩き、僕たちの方を見た。
「さて、残りは我々でやるぞ。フレディとダニエルはマティアス様に提出する報告書を作ってくれ。やれるな?」
「もちろんだよ」
兄さんが自信を見せるが、僕も同じだ。
報告書の作り方はユーダ様に教えていただいているから、マティアス様が望まれるものはだいたい分かっている。
「では、任せたぞ。こっちで今日の収支報告を作るから、それと合わせて明日の朝にはご報告しておきたいからな」
マティアス様は明後日の朝にラウシェンバッハを出発されるので、改善点があれば明日中に対応しておきたいとお考えになる。
父さんもそのことが分かっており、急いでいるのだ。
兄さんと二人で手順書とメモを見ながら、報告書を作っていく。
「来場者の数は一万一千五百人。それに料理を提供してくれた手伝いの人が二百二十五人。うちの商会関係者が僕たちを含めて二十五人。これは午後一時にカルラ様から教えていただいたけど、兄さんが把握している数字はある?」
「ああ。僕の方は九時時点と十二時時点だ。一応、この数字も参考で書いておこう」
マティアス様は来場者の正確な数を知りたがっていたので、
「僕が感じた最大の改善点はテーブルの数と配置だね。一万六千人以上が食事を摂るにはテーブルの数が圧倒的に足りなかった。それに場所も厨房に近すぎて、人の流れを阻害していた。もう少し広い範囲に置くべきだったと思う」
兄さんの指摘に頷く。
「それは僕も感じたね。せっかく広い演習場があるのに、テーブルを出さなかったから、みんな地面に座って食べていたから。それはそれで楽しそうだったけど、今回の目的である兵士と領民の交流という点では成功とはいえないと思う」
「気分が悪くなった人の救護体制も問題だよ。暑かったこともあるんだろうけど、休憩所が一杯になって、最後には守備隊の人たちに手伝ってもらった。頻繁に会場を見回って、体調が悪くなりそうな人は早めに手当てしておいた方がいいと思う」
そんな感じで改善点を出し、予め作っておいた手順書を修正していく。
「……お酒の準備は一ヶ月くらい前からやった方がいいね。それに駐屯地に地下倉庫が必要だ。いろいろ頑張ったけど、最後の方のビールは結構温かったと聞いたから……」
「……お金のやり取りも考え直した方がいいね。その場で支払うより、別の場所でチケットを買って、物と交換した方が計算で時間を取られないからスムーズに出せると思う……」
二時間ほど二人で頭を悩ませながら、報告書と手順書の改善点をまとめた。
その頃には父さんの方も整理が終わっており、僕たちの作った報告書を見せる。
父さんは報告書を受け取ると、真剣な表情で読み始めた。
「うむ……なるほど……うん?……そうか……」
頷いたり首を傾げたりしている。
十分ほどで読み終えると、父さんは大きく頷いた。
「よくまとまっている。これならマティアス様もご満足していただけるはずだ」
何とか合格点がもらえ、ホッとする。
「今日はここで泊まって、お前たちは明日の朝いちばんでお屋敷に向かってくれ。私は最後のチェックをした後に合流するからな。だが、その前に晩飯を食おう」
父さんはそう言うと、冷蔵の魔導具の中から食材を出してくる。
「今から料理を作るの?」
僕が聞くと、父さんはニヤリと笑った。
「あとはソースを混ぜてちょっと煮込むだけというところまで居酒屋の料理人にやってもらってある。みんなも残りの酒を準備しろ! チャチャっと飲んで食って、さっさと寝るぞ!」
従業員たちも手際よく、準備していく。
こういったことには慣れているらしい。
父さんは大きな鍋に素材を全部入れると、魔導コンロを使って温め始めた。
肉と野菜、小麦粉を練った団子のような物も入っている。そして、ジュウジュウ言い始めたところで、用意してあったトマトソースを加えてひと煮立ちさせた。
他にも残っていたソーセージやパンを焼いている者やビールを注いでいる者もいる。父さんに指示されていないのに自分たちで役割分担を決めて手際よく準備していた。
さすがは世界を股に掛ける大商人ライナルト・モーリスとその部下だと、ちょっと自慢したくなった。
「ほしい奴は自分で適当に椀に入れて持っていけ! 適当に飲んで食ったら、私に構わず守備隊から借りた簡易寝台で寝てくれ! 但し、使った食器は洗って元の場所に戻すこと! 身体を拭きたい者は食器洗い場の水が使えるぞ! それじゃ、今日はよくやってくれた! みんなのお陰で大成功だった! 乾杯!」
僕たちにもオレンジを絞ったジュースが用意されており、一緒になってコップを上げた。
冷たいジュースに口を付けると、疲れた身体が少し楽になる気がした。
「早く飲める歳になりたいね」
僕の言葉に兄さんが頷く。
「僕であと六年か……マティアス様は二十歳までダメとおっしゃっていたからな……」
マティアス様は、アルコールは成長に影響するから、二十歳までは飲まない方がいいとおっしゃっていた。イリス様はもっと前から飲んでいたとおっしゃっていた時に苦笑いされていたけど。
「この料理美味しいね。適当に作ったみたいに見えたけど」
僕が驚いていると兄さんも料理を口にした後に感心していた。
「父さんはあの短時間でも美味しくできるように準備させていたんだな。後片付けの後のことまでなんて全く考えていなかった」
そう言いながらも手早く食事を摂り、食器を洗いに行く。
「明日は夜明けと共に起きるから早く寝ないとな。朝食前に屋敷に戻って身支度しないと、マティアス様に心配されるから」
僕たちは屋敷では執事服を来て働いている。これはいつお客様がいらっしゃるか分からないためで、領都でも同じようにしていた。
今着ている服は動きやすさと暑さ対策のために、半そでのブラウスと半ズボンなので、着替えないといけない。
それにこっちで顔を洗って髪を整えても、馬車で移動すれば汗もかくし、髪も乱れるから、マティアス様たちの前に出るには準備に三十分以上は必要だ。
「そうだね。でも今日は楽しかった。こういった仕事も面白いかもしれないな」
食器を洗いながら、そんな話をしていた。
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