第17話「帝国の奇策:前編」

 統一暦一二〇四年一月十日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、エッフェンベルク伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 新年に行われるさまざまな行事が終わり、新年度の仕事が本格的に始まった。

 私もシュヴェーレンブルク王立学院の教員として動き始めている。今日は王立学院の入学式であり、私も教員の一人として式典に参加していた。


 教員としての仕事だが、今年も昨年同様に三年生の指導を行うことになっている。本来なら全学年を担当すべきなのだが、騎士団からの仕事もあり、ロマーヌス・マインホフ教授が配慮してくれた。


 ちなみに今年の三年生だが、私の弟ヘルマンもいる。

 我がラウシェンバッハ子爵家は代々文官を輩出している家だが、弟は爵位持ち以外でも出世しやすい軍人になることを希望した。


 これは子爵家の次男では独立すると騎士爵となるためで、文官の場合、能力があったとしても、日本の会社でいうところの課長級の中間管理職にしかなれない。一方、騎士団であれば、運にも左右されるが、地方の兵団長か、王国騎士団の連隊長になることは充分に可能だ。


 弟は名門王立学院兵学部に合格した後も努力を惜しまず、二年生の最終成績は席次九位となかなか優秀だ。


 また、彼は私と違い、身体は丈夫で身体能力も高い。更に初等部時代にはラザファムが私の家によく来たため、彼から剣を学んでおり、私よりよほど軍人向きと言える。


 初等部の頃は私と比較されて大変だったようだが、兵学部では割と伸び伸びやっているらしい。


 将来どうなるかは分からないが、ラウシェンバッハ子爵領も人口が増えてきたので、騎士団を創設するという話もあり、その初代団長になるかもしれない。


 三年生ではないが、二年生にはラザファムとイリスの弟、ディートリヒもいる。彼の場合、名門エッフェンベルク伯爵家の次男であるため、違和感はないが、首席を争うほど優秀だ。


 ラザファムとイリスが首席と次席、そしてディートリヒが首席になりそうなため、父親であるエッフェンベルク伯爵は王国一の教育者だということになり、いろいろな貴族の家から教育方針について聞かれているらしい。


 イリスは私の助手をやめ、エッフェンベルク家で花嫁修業中だ。

 花嫁修業といっても料理などを習うわけではなく、貴族家の女主人としての心構えを教えられている。


 彼女の場合、剣術や兵学部での勉強に打ち込んでいたため、貴族家の女主人としての心得がほとんどない。それを憂慮したエッフェンベルク伯爵夫人が半年間みっちりと教え込むと宣言している。


 そのため、イリスは十一月頃から毎日のように上級貴族のサロンに連れていかれていた。


『マティ、助けて……上品に笑うって、どうやったらいいの? ドレスなんてどれだっていいじゃない。一週間も前にあった人のドレスなんて覚えていないわ……このままじゃ、私の表情筋は引きつった笑顔の形で固まってしまう……』


 私の顔を見るたびに、こんな感じで愚痴を零している。


 大隊長に昇進したラザファムたちだが、ラザファムは第一連隊第二大隊長、ハルトムートは同じく第三大隊長、ユリウスは第三連隊第二大隊長に就任し、それぞれの部下を鍛え始めた。


 その第二騎士団だが、第三騎士団と第四騎士団に中核となる兵士が異動したため、兵士の多くが新兵に代わっている。まだ一週間ほどしか経っていないが、三人は結構苦労しているようだ。


『やる気はあっていいんだが、基礎がなっていないからな。採用担当官ももう少し考えてほしいもんだ』


 ハルトムートがそう零すと、ラザファムとユリウスも頷いていた。


『それよりも問題なのは、軍曹ゼルジャントだ。軍曹たちを引き抜かれると、兵たちのことがさっぱり分からなくなる。団長閣下も苦渋の決断なのだろうが、せめて新任の隊長のところくらいは残してほしかったな』


 ラザファムの愚痴に今度はハルトムートとユリウスが大きく頷いた。

 この他にも中隊長や小隊長など前線指揮官が大きく変わり、ヴェストエッケの戦いの頃とは別の騎士団と言えるほど変わっているらしい。


『このタイミングで戦争になったらヤバいぞ。マティ、そっちは大丈夫なんだろうな』


 ハルトムートが珍しく弱気な発言をした。


『今すぐに、というほどの情報はないね。まあ、年単位で時間はあると考えてくれたらいいよ』


 この時はまだ情報が入っていなかったので、そんなことを言ったが、昨日の夜、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室からゾルダート帝国に関する最新情報がもたらされ、私はその発言を思い出し、少し早まったなと後悔していた。



 今日はその情報を王国騎士団の実質的なトップ、第二騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵に提供し、今後について協議を行うことになっている。


 協議の場所はエッフェンベルク伯爵邸だ。騎士団本部に行けば、すぐに面会は叶うのだが、帝国の諜報員が私を見張っているため、場所を変えたのだ。


 カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵は私の義父となる人物であり、学院時代から頻繁に出入りしているため、誰も違和感を持つことはない。


 また、王都では新年を祝う晩餐会が盛んに行われる時期であり、仲のいい貴族が集まることは自然だ。私も伯爵にパーティに呼ばれたという体でここに来ている。


 エッフェンベルク伯爵邸に入ると、グレーフェンベルク伯爵の他に第三騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵と新たに第四騎士団長に就任したコンラート・フォン・アウデンリート子爵がいた。


 王国騎士団の実戦部隊である三騎士団の長が集まっていることに驚きを隠せなかった。

 そのため、グレーフェンベルク伯爵にだけ聞こえるように小声で確認する。


「よろしいのですか。マルクトホーフェン侯爵やクラース侯爵が知ったら、騎士団長が密談していると騒ぎかねませんが」


「騒がれても個人的な晩餐会だというだけだ。私とカルステン殿との仲は知らぬ者がいないほど親密だ。それにマンフレートは私の学院時代の同期だし、コンラート殿はカルステン殿の後輩だ。それが偶然集まっただけと言い切ればいい。第一やましいことは一切ないのだ。文句を言われる筋合いはないな」


「確かにやましいところはないですが……」


 グレーフェンベルク伯爵の言い分にも一理あるが、この場に私がいることが気になる。ホイジンガー伯爵は私が指揮官用の教本を作ったことは伝えてあるし、ヴェストエッケの戦いに参加していることも知っているので、大きな問題はないが、アウデンリート子爵は全く面識がない。


 私たちの会話が聞こえたのか、アウデンリート子爵が私に近づいてきた。


「君が千里眼のマティアス君だね。これからよろしく頼むよ」


 そう言って右手を差し出してきた。


 子爵はスラリと背が高く、肩までありそうな金髪を後ろで括り、青い瞳が印象的な美男子だ。レベンスブルク侯爵家の次男で、昨年暗殺されたマルグリット王妃の実兄でもある。


 以前は第一騎士団のナンバーツー、近衛騎士長を務めていたが、王妃暗殺事件の時には侯爵領にいたため何もできず、更に国王が脅しに屈してアラベラを適正に処分しなかったことから王家を見限った。そのため、実戦部隊への転属を希望し、第四騎士団長に就任した。


 アウデンリート子爵が反マルクトホーフェン侯爵派であることは間違いない。

 しかし、私が得ている情報では指揮官としての能力は低く、王国軍の主力を預かる人物として疑問を感じざるを得なかった。


 ただ、グレーフェンベルク伯爵が軍馬の件で貸しがあると言って、宰相であるクラース侯爵に強引に押し込んだほどなので、私が気づいていない何かがあるのではないかと思い、一応期待はしている。


 そのことがグレーフェンベルク伯爵に伝わったのか、明るい声で私の不安に答えてきた。


「コンラート殿は優秀な指揮官になる素養がある。私やカルステン殿と同じように訓練で鍛えていけば、近い将来王国軍の屋台骨にまでなってくれると信じているよ」


 その言葉に私は頷くことで応えた。

 アウデンリート子爵は私と握手をしながら、屈託のない笑みを浮かべて話しかけてくる。


「君があの教本を作った人物だと聞いている。帝国の目があるからなかなか難しそうだが、私の指導もお願いしたい。クリストフ卿やカルステン卿から、君の指導で一人前の指揮官になれたと聞いているからな」


 性格的なものなのか、若輩者である私に対しても構えたところがなく、好ましい人物に思えた。


「お二人については、共和国軍のケンプフェルト将軍の指導が大きいと思います。当時私は初等部の学生に過ぎませんでしたので」


 そんな話をして何となく打ち解けた後、本題に入った。

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