第57話「勧誘:後編」
統一暦一二一一年三月十九日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。ラザファム・フォン・エッフェンベルク伯爵
約二ヶ月ぶりに親友であるマティアスに会う。
彼は世界中に恐怖を振りまいた疫病、赤死病に罹り、一時は大賢者様が匙を投げられるほど危険な状態にあった。赤死病は完治したものの、体調が戻り切らず、今も療養している。
ベッドに寝ている彼の顔色は抜けるように白く、儚さを感じさせた。命の炎が燃え尽きてしまったのではないかと不安になるほどだ。
「大丈夫なのか?」
私は思わず、そんな言葉が出た。
その言葉が聞こえたのか、彼はゆっくりと私の方に顔を向ける。
「大丈夫だよ。今日は気分もいいし、食事も少しだけど摂れているからね」
そう言っていつものように微笑んでいる。
「ここに来たということは、大賢者マグダ様から話を聞いたということかな?」
既に大賢者様から話を聞いていたようだ。
「そうだ。ネーベルタール城に行き、ジークフリート殿下の教育係になってほしいと頼まれた。そのことで相談したい」
「その前にシルヴィアさんのことで聞いておきたい。君は彼女の死に責任を感じているということでいいかな」
その言葉に自責の念が湧き上がってくる。
「そうだ……私が油断しなければ、シルヴィアは無事だったはずだ。君からの警告を何度も聞いていたのに、私が油断した結果だと思っている」
「そのことを割り切れているとは思わないけど、生きていこうという気力はあると思っていいのかな?」
マティアスは私の目を見ながら聞いてきた。
「一生後悔することは間違いない。だが、フェリックスのことがある。シルヴィアが残してくれた息子を立派に育てなければならない。今はそれしか言えない。伯爵である私には領民や王国にも責任はあるのだが……」
正直な思いだ。
伯爵という身分にあるから、領民はもちろん、グライフトゥルム王国に対しても責任や義務はある。
伯爵位を返上しようかとも思ったが、父カルステンに“伯爵位を返上すれば、マルクトホーフェン侯爵を喜ばせるだけだ”と言われたため、返上しなかった。
「分かった。君が生きていこうと考えているなら、まだ希望はあるから。絶望したままだったらどうしようかと思っていたんだ」
そう言って笑う。
「大賢者様の申し出を受けようと思っている。私にとっては最善の道だからだ。だが、他の者にとってこの選択が最善なのか自信がない。領民に対してはディートがいるから問題はないが、王国に対しての義務を果たせない。それ以上に君を一人、ここに残していくことになる。君の体調が万全なら心配することもなかったのだが、今の状況で君を残して自分だけ傷心を癒すために王都を離れていいものかと……」
「相変わらず君は真面目だね、ラズ」
そう言って微笑んだ後、ゆっくりとした口調で話していく。
「今回の君の失敗は大きな痛手であることは間違いない。私もそうだけど、レベンスブルク侯爵閣下も義父上も万全ではないからね。でも、そこまで悲観する状況ではないと思っているよ」
意外な言葉に驚く。
「悲観する状況ではない? そうなのか?」
私は疑問を持った。マルクトホーフェン侯爵に対抗できる体制が完全に崩壊し、王国の将来に大きな不安が残るからだ。
「ああ。今回の疫病で帝国と法国が戦争を仕掛けてくる可能性は限りなく低くなった。まだ正確な情報が入っていないから断言はできないけど、少なくとも五年は大きな動きはできないはずだ。この時間を利用してマルクトホーフェン侯爵派を排除する。そのためにはまず彼らに油断してもらわないといけない」
「油断させるか……」
何となく彼が言いたいことが分かってきた。
「侯爵は以前より手強くなっている。今回の君の件でヴィージンガー殿が策士として成長したことは間違いない。一方でこちら側は弱体化している。ホイジンガー閣下は健在だけど、アウデンリート子爵が亡くなられ、軍務省の味方もいなくなる可能性が高い。この状況でマルクトホーフェン侯爵と対峙するのは大変だ。だから、我々から隙を見せて、侯爵たちに暴走してもらう。その時、王都にいなければ、ダメージを負うことはない」
「確かに辺境にいれば政争に巻き込まれることはないが……」
言っていることは分かるが、それでいいのかと疑問が湧く。
「私もホイジンガー閣下も最小限のダメージで切り抜けるつもりだ。その上でマルクトホーフェン侯爵に王国を牛耳らせる。侯爵が王国のために尽力すれば別だが、彼は自分の利益のために動くだろう。それ以前にアラベラ殿下が無茶苦茶にしてくれるはずだ。その時、私たちが立ち上がる。この状況に至ったら、それが一番いい方法だと思っているよ」
マティアスはマルクトホーフェン侯爵に政争で敗れたことにし、彼らが失敗した後に再び対決するという考えのようだ。
「なるほど……その旗頭にジークフリート殿下を据えるなら、私がネーベルタール城に行くことは理に適っているな」
そう言うと、マティアスは小さく首を振る。
「私は今のところジークフリート殿下を旗頭にするつもりはないよ」
「どうしてだ? フリードリッヒ殿下は今の陛下と性格的に似ていると聞いている。期待できないと思うのだが」
第一王子であるフリードリッヒ殿下はグランツフート共和国に留学しているが、暗殺者を恐れて引き篭もっているらしい。
「もちろんフリードリッヒ殿下には期待していないよ。大きな争いになる可能性があるんだ。王位継承問題を絡めると王国自体にダメージが残る。だから、あくまで家臣の間での政争という形にしたいと思っている」
言わんとすることは分かるが、合理的でないように思えた。
王家の権威を使わなければ、マルクトホーフェン侯爵を完全に潰すことは難しい。潰すとすれば内戦で勝利する必要があるが、彼がそれを望むとは思えなかったのだ。
「別の理由があるのか? 君が考えるにしては合理的でない気がするのだが」
マティアスは微笑むだけで答えてくれない。
「今の私には言えないということだな……分かった。君が理由もなく、不合理な選択をするとは思えない。だから、これが最善の手なのだろう。その上で聞きたい。私が成すべきことは何だろうか?」
「ジークフリート殿下の心を強くしてほしい」
彼の言っている意味が理解できない。
「殿下の心を強くする? どういう意味だ? 私は剣術と学問を教えるだけだと思っていたのだが」
「それもあるけど、今の殿下は母であるマルグリット殿下の死を未だに引きずっているらしい。守り役のカウフフェルト男爵は有能の人のようだが、殿下の心を解きほぐすところまでいっていない。愛する者を失った君なら、殿下の心を解きほぐし、強く育てることができるのではないかと思っている」
五歳で母を目の前で失っているから、十二歳になった今でも引きずっているとしても、おかしな話ではない。
しかし、私にできるのか自信がなかった。
「私は君とは違う。確かに部下の指導はやっていたが、それとは全く別のことだ。愛する者を失った者同士と言っても、具体的にどうしたらいいのか全く分からない。とてもできるとは思えないんだが……」
「気負う必要はないよ。君なら特に無理をしなくてもできると思っている。ただ、私の言葉を覚えておいてほしいだけだよ」
よく分からないが、彼がそう言うのなら、心配することはないだろう。
その後、マルティン・ネッツァー氏を通じて、大賢者様に了承する旨を伝えた。
そレからすぐに宰相府から連絡がきた。
ネーベルタール城の城代として赴任することが正式に決まったのだ。
私は息子フェリックスとごく少数の家臣と共に北に向けて出発した。
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