第54話「酒造計画」
統一暦一二〇七年八月二十日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
フレディとダニエルのモーリス兄弟から昨日のイベントについて報告を受けた。
初めて行った大規模な屋外の飲食イベントだったが、思った以上に上手くいき、手応えを感じている。
フレディたちからの報告も終わり、雑談を始めたところで、ライナルト・モーリスがやってきた。
今後のイベントと領内に作る醸造所及び蒸留所の建設について協議するためだ。
簡単なあいさつの後、すぐに本題に入る。
「イベントについては、我が商会に専門部門を立ち上げます。ノウハウもある程度得ることができましたので、貴領内であれば同程度の規模のイベントなら、必ず成功させてみせます」
ライナルトは満面の笑みで自信を見せる。
「それは心強いですね。ですが、我が領内だけでなく、帝都での開催も考えています。それも今回の五倍以上の規模で」
私の言葉にライナルトは目を丸くする。
「帝都で五倍以上……十万人ほどのイベントということですか?」
「そうです。やれそうですか?」
「……」
ライナルトは即答できない。フレディとダニエルのモーリス兄弟も想定していなかったのか、目を見開いている。
そこでイリスが話に加わった。
「皇帝マクシミリアンは三年以内に皇都リヒトロットを陥落させると宣言しているわ。その戦勝式典の後に、帝国軍兵士の慰労のためのイベントを提案するの。そうなると、最低二個軍団六万人。そこに帝都の市民が数万人加わることになるから、十万人は下らないはずよ」
私とイリスの認識では、帝国が皇都を攻略することは既定路線となっている。もちろん、積極的に邪魔をするつもりだが、皇国の現状を見るかぎり、楽観できる材料が全くないのだ。
だから帝国が勝利した際に、嫌がらせができないか考えていた。
戦勝記念のイベントを提案すれば、帝国も大きな予算を組むはずだ。何と言っても皇帝の宣言通りに勝利したのだから。
その帝国の金を我々がむしり取るのだ。
「なるほど……三年以内にその規模のイベントを仕切れるようになれということですな……しかし、十万人を超えるとなると……」
そこで私が提案する。
「我が領でも来年には五万人程度のイベントをやるつもりです。まだ提案していませんが、グランツフート共和国軍一万と王国騎士団二個騎士団一万による合同演習を考えています。その際に我がラウシェンバッハ騎士団と領民が加わり、慰労会を行うつもりです。恐らく、今回のように多くの領民が参加しますから、五万人規模になるはずです」
合同演習の目的だが、帝国にプレッシャーを掛けることだ。
皇都攻略作戦は皇帝自らが出陣する親征になるから、動員される軍団は恐らく現在ある三個軍団すべてになる。
そうなると九万人もの大軍になるので、少しでも圧力を減らさなければ、皇国はあっという間に降伏してしまう。
王国の東部で二万を超える軍が皇国への援軍を念頭に置いた演習を行えば、皇都攻略作戦が開始されても国境であるシュヴァーン河付近に最低一個師団、一万人規模の軍を派遣せざるを得ないし、万全を期すなら一個軍団三万を送ってくるだろう。
それでも帝国の優位は揺らがないが、あっという間に瓦解するような事態を防ぐことができ、戦い方次第では凌ぎきることも不可能ではない。
皇帝や帝国軍上層部が危機感を持つには、正確な情報が彼らの下に確実に届くようにしなければならない。そのためには、帝都に向かう
これらのことを説明すると、ライナルトはなるほどという感じで頷いた。
「となると、来年の春までには今回の倍以上の規模に対応できるようにしなくてはならないということですか……分かりました。是非ともやらせてください」
「労力に見合った利益が得られるよう、我が家からの補助金も増額するつもりです」
「その件ですが、損失出なければ不要です。補助金を前提すると、担当する者の緊張感がなくなり、計画が粗くなりますので」
「その点は考えていなかったですね。では、そうさせていただきます。この件で他に確認したいことはありますか」
私の言葉にライナルトは首を横に振った。
「では醸造所と蒸留所の建設について、ライナルトさんのお考えを聞かせてください」
ライナルトはメモを取り出すと、説明を始めた。
「まず原料や商品の輸送については、マティアス様のお考え通り、ここは便利なところです。また、西側の獣人族入植地までの間には多くの小河川があり、水の質も悪くないと聞いております。王国北部に比べればやや温暖な気候ですが、夏以外であればビール造りも問題ありませんし、蒸留酒の熟成も森の中に貯蔵庫を建てれば、大きな問題はないと考えています……」
ここまでは私の考え通りなので頷いて先を促す。
「問題があるとすれば、職人を集めることですね。この辺りでは近隣の消費分しか作っていませんから、遠方から呼び寄せる必要があります。醸造はビールを想定していますし、蒸留酒も主に大麦を原料としますから、王都付近か北部のノルトハウゼン伯爵領から引き抜くことになりますが、どこも職人の数に余裕があるわけではなく、手放さない可能性が高いでしょう」
グライフトゥルム王国では王都のある中部域から北で大麦の栽培が盛んで、大消費地に近いこともあり、ビールやモルトウイスキーの生産量が多い。但し、需要と供給のバランスが取れていることから、酒造職人が余っているわけではない。
これも一応想定内であったため、すぐに私の考えを説明する。
「リヒトロット皇国の西部から呼ぶのはどうでしょうか? あの辺りでもビールや蒸留酒の生産は盛んだったはずです。皇国が滅びようとしている今、我が国に亡命を考えている職人も多いと思うのですが」
リヒトロット皇国西部はエンデラント大陸の穀倉地帯であり、特に北側では大麦が多く生産され、グリューン河を使った水運により大消費地である皇都へ安価に輸送できるため、ビールやモルトウイスキーが多く造られている。
しかし、皇都が陥落すれば、最大の顧客がなくなるので、酒造りに携わる者たちも不安に思っているはずだ。
「その可能性はありますね。特に皇国西部では帝国軍の評判は最悪ですから。問題はここで酒造りができるか不安に思うということでしょう。帝国軍は恐ろしいし、販路がなくなるかもしれないが、王国で仕事ができる保証がないのに、移住はできないと考えるのではないかと思います」
そこでイリスが話に入ってきた。
「優遇措置を大々的に宣伝してはどうかしら? 例えば、住居の無償提供や一定期間の税の免除とか。醸造所も蒸留所もラウシェンバッハ家がオーナーになるのだから、生産が安定しなくても給与を支払うと約束するのもいいかもしれないわ」
このプロジェクトではラウシェンバッハ家が出資者となり、モーリス商会が運営するという形を取る。
すべてモーリス商会が仕切ってもよいと言ってくれたが、初期投資を回収するまでに時間が掛かることや売れなかった時のことを考えると、これ以上モーリス商会にリスクを負わせることはよくないと考えたためだ。
「それはいいかもしれないな。あとはラウシェンバッハ家が主催する品評会のようなものを開催すると大々的に宣伝してもいいな。品評会で優勝した酒は国王陛下に献上するとか、優秀な職人を表彰する制度を考えていると言えば、やる気のある職人が来てくれそうな気がするね」
イメージは皇室御用達とか、日本酒などの品評会だ。
誰が評価するのだという問題はあるが、美食家を探してきてもいいし、引退した職人を審査員にしてもいい。
「面白そうですね。皇国西部で職人を募集してみます。建設については、王国内で対応できますので、準備は早急に進めていきます」
資金については既に二千万マルク、日本円で二十億円分用意しており、これで醸造所と蒸留所を二ヶ所ずつ建設する。資金は初期費用でほぼなくなるので、モーリス商会に低利の融資を頼んでおり、醸造所は三年目での単年度黒字化を目指すことにしていた。
二ヶ所ずつにしたのはリスクを分散するためだが、競争を促す目的もある。また、順調にいけば、更に醸造所や蒸留所を増やすつもりでいる。
これが可能なのはラウシェンバッハ家が王国でも有数の裕福な貴族であるためだ。
大規模な紡績工場が複数あり、獣人族を除いた人口も大きく増加していることから、税収はうなぎ登りだ。
その一方で家臣の数は少なく、足りない分も文官は商都ヴィントムントからアウトソーシングし、武官は獣人族が治安を守ってくれるため、他の貴族より経費は遥かに少ない。更に我が家には贅沢をする者がいないから、余剰金が結構積み上がっていたのだ。
「領主の権限で対応できるものであれば、何とでもできますし、王国政府が関与することでも私の方で何とかします。それでも今回は新規事業ですから思わぬリスクが後から見えてくるかもしれませんので、いつでも相談してください」
「分かりました。今思いつくものもいくつかありますので、相談したいと思います」
その後、話し合いを行い、調整を行っていった。
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