第18話「名誉の回復:その三」

 統一暦一二〇六年十月二十二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。イリス・フォン・ラウシェンバッハ


 私たちはこれから平民街にあるマフィアのアジトを襲撃する。


 午前四時くらいに起床し、準備を整えた。

 私は銀色の鎧を身に着けた完全装備だが、マティアスは革鎧すら身に着けず、貴族らしい紋章が入ったチュニックを着ている。


「大丈夫なの、その格好で」


 流れ矢が飛んで来たらどうするのかと思い聞いてみた。


「カルラさんたちシャッテンがいるから問題ないよ。それに後のことを考えたらこの姿の方がいいんだ」


 衛士隊や住民たちに自分が貴族であることを明確に示しておき、無用な干渉や説明を防ぐ考えのようだ。


 午前五時前、黒獣猟兵団五十名が屋敷の中庭に整列している。

 まだ夜明けまでは一時間半ほどと、深夜ともいえる時間であるため、マティアスが静かに「出発」と告げると、誰一人声を出すことなく歩き始める。


 私と夫、カルラたちシャッテン以外は漆黒のマントを身に纏っており、ところどころにある街灯の光を受けて、影が動いているような不気味さがあった。


 貴族街を歩いていくが、この時間にすれ違う者はいない。

 貴族街と平民街を分ける門に到着すると、門を守る第一騎士団の衛士が驚いた様子で前に現れた。


「どちらに向かわれるのか?」


 そこでマティアスが懐から一通の書状を取り出した。


「第一騎士団長ピエール・フォン・ホルクマイヤー閣下より、特別任務を申し付かったラウシェンバッハ子爵家嫡男、マティアスだ。緊急の任務であるため、すぐに門を開けよ」


 隊長は驚きの表情を浮かべる。第一騎士団が一貴族家に特別任務を出すことは今までなかったためだ。

 事前に通知してもよかったが、情報管理を徹底するため、極秘にしていたのだ。


 隊長は困惑したものの、手渡された書状を一瞥すると、団長命令ということですぐに命令を出す。


「門を開けよ」


 通用門がゆっくりと開けられる。

 エレンを先頭に私たちは門をくぐって平民街に入った。


 平民街は貴族街より人の気配があった。

 パン屋の前を通ると香ばしいいい香りがしており、朝から働いている人の声や音も僅かだが聞こえている。


 それでも道を歩いている者はおらず、誰にも見とがめられることなく目的地に到着した。


 目的地は二階建ての屋敷だ。

 シャッテンたちが調べた情報では、以前は大きな商家の住居だったらしく、幅四十メートル、奥行き三十メートルほどの敷地は高さ三メートルほどの木の塀で囲まれていた。


 私たちは屋敷の正門が見える場所に立っているが、エレンたち黒獣猟兵団は事前の打ち合わせ通りに、所定の場所に向かって静かに走っていく。


 正門の前に近づいたエレンが腕を上げて準備完了を伝えてきた。

 マティアスはそれを見て小さく頷く。


「作戦開始」


 それを聞いた私は頷き、右手をまっすぐに上げた後、鋭く振り下ろした。

 エレンがそれに応えるように鋭く口笛を吹き、ヘクトールら突入部隊が門を飛び越えていく。


『なんだ、てめぇらは! ぐわぁ!』


 不寝番だった者の悲鳴と昏倒した際の“ゴン”という音が聞こえてきた。


「完全な奇襲になったようだね。三十分もあれば終わるかな」


「そうね。確認も含めて、そのくらいで終わると思うわ」


 そんな話をしていると、近くの家から何が起きたのかと外に出てくる者が現れる。


「私は王国騎士団士官学校主任教官のマティアス・フォン・ラウシェンバッハだ! 第一騎士団長ピエール・フォン・ホルクマイヤー閣下の命を受け、我が家臣、黒獣猟兵団がマフィアである“ロシュ一家ファミーリエ”を捕縛する! 逃がすようなことはないが、念のため、家の外には出ないように!」


 静かな平民街に彼の声が響いた。

 それを聞き、外に出てきた者は慌てて家の中に戻っていく。

 彼の姿が明らかに貴族のものであり、素直に命令に従ったのだ。


 それでも何が起きているのか見ようとするためか、二階の窓がいくつも開いていた。


 その間にも黒獣猟兵団は順調に制圧していく。

 裏口から入ったヴェラたちが目的地に到着したのか、屋敷の二階の窓が荒々しく開かれた。


『敵襲だ! 助けてくれ!』


 そう叫んだあと、後ろから引っ張られたのか、窓から姿が消える。

 更に塀を乗り越えて逃げ出そうとした者も、ミリィ率いる部隊に見つかり、乗り越えることなく、引きずり降ろされていた。


 私は夫と共に余裕をもって屋敷を眺めていた。


■■■


 統一暦一二〇六年十月二十二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、平民街商業地区ロシュ一家のアジト。ブルーノ・ロシュ


 手下の一人が転げるようにして俺の部屋に入ってきた。


「ボス! 獣人たちが!」


 隣で寝ている情婦を突き飛ばしながら寝台から起き上がる。


「獣人だと? “フェアリュクターフント”が暴れているのか?」


 “狂犬”は犬獣人のゴーロのことだ。

 俺がマルクトホーフェンにいた頃に知り合ったゴロツキだが、最近になって俺のところに転がり込んできた。


 こいつの他にもマルクトホーフェン家のアイスナー男爵から頼まれて、何人か受け入れているが、そいつらは俺でも呆れるほどの凶暴なクズどもだ。


「ち、違うんですよ!……」


 下からは喧嘩でもしているようなドシンやバタンという、人が吹き飛ばされて壁にぶつかったような音が響き、悲鳴らしきものも聞こえてくる。


「襲撃か! どこのファミーリエだ!」


「ち、違うんですよ! 黒い鎧をまとった獣人たちが襲ってきたんです! すぐに……ゴアッ……」


 突然手下が吹き飛んでいった。

 代わりに現れたのは黒い鎧を身に纏った虎獣人の女だ。


「大人しく捕まりな」


 別嬪だが、目が剣呑でヤバい雰囲気がビシビシ伝わってくる。

 二メートルを超えている俺より少し背は低い程度で、獣人にしても大柄だ。

 それでもここで無様に逃げるわけにはいかない。


 裸のまま飛び掛かる。俺は剣を使うより殴り合いの方が得意だからだ。


「不細工な男に裸で迫られても嬉しかないんだがね」


 不敵に笑いながら、俺の突進を軽く避ける。


「何!」


 避けられると思っていなかった俺は、そのまま床に倒れ込んでしまう。

 その直後、背中に冷たく尖った物が突き付けられた感触があった。


「観念しな。動いたらブスリといくよ」


 動かせる範囲で首を回すと、巨大な両手剣が俺に突きつけられていることが分かった。


「クソがっ!」


 そう吐き捨てるものの、この状況でできることはない。


「ゆっくり背中に両手を回しな。ゆっくりだぞ。こっちは殺したって構わないんだからな」


 言われた通りにゆっくりと背中に腕を回す。隙があれば足を払ってやろうと思ったが、全く隙がなく、更に部下らしき獣人が現れ、観念するしかなかった。


 そのまま手首をしっかりと縛られ、更に足に枷まで嵌められ、完全に拘束されてしまった。


「その辺のシーツでも巻いておきな。イリス様にお見せできるものじゃないからね」


 イリスと聞き、ある人物の顔が頭に浮かぶ。


「ラウシェンバッハ家なのか……」


 そこで虎人族の女は勝ち誇ったような顔で胸を張る。


「そうさ。あたしらはラウシェンバッハ子爵家の家臣、シュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペだ」


 そこで相手が誰なのかようやく理解できた。


「黒獣猟兵団がなぜだ……」


「あたしらもあんたらのような屑を相手なんざしたくないんだが、こっちの名誉に関わってくるからね」


「名誉だと……」


「そうさ。あたしら獣人族セリアンスロープの評判を落とそうとしたんだろうが、喧嘩を売る相手は考えた方がいいぞ。まあ、この先、喧嘩を売るような機会はないんだろうがね」


 第二騎士団の精鋭が束になっても敵わないほどの手練れだと聞いている。そんな奴らを相手に勝てるわけがない。


「さて、死にたくなかったら、誰に頼まれたか吐きな。マティアス様はお優しいから、協力すれば助けてくれるそうだ」


「信じられるか!」


「そうでもないそうだぞ。マティアス様はお前のような屑でも使い道を考えてくださる天才だからな。それにアイスナー男爵は絶対に助けてはくれないぞ。無関係だと突っぱねるだけだろうからね」


 そこまで知られていることに愕然とする。


「どこまで知っていやがるんだ……」


「マティアス様は千里眼をお持ちなんだ。お前らのことは全部お見通しだ」


 “千里眼のマティアス”という二つ名を思い出す。

 そこで俺は観念した。


「本当に助けてくれるんだろうな」


「あたしはそう聞いているよ。まあ、無罪放免というわけにはいかないそうだが」


 恐らく犯罪奴隷として鉱山にでも送るつもりなのだろう。

 だが、生きてさえいれば、逃げ出すことは不可能じゃない。


「分かった。全部話すが、お前の主人が助けると約束してからだ」


「それで構わないよ。連れていきな!」


 その命令を受けて、俺は乱暴に引きずられていった。

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