第80話「大賢者からの相談」

 統一暦一二一二年四月十五日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、魔導師の塔内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔の一室でベッドに横になっていると、大賢者マグダが私の部屋を訪れた。


 私がここに来てから半年ほど経つが、世界中を飛び回っている大賢者とは二度しか顔を合わせていない。


「ずいぶんよくなったようじゃの」


 ここは大賢者の本拠地でもあるため、いつもの老婆姿ではなく、本来の妙齢な女性姿だった。


「おかげさまで最近は中庭を歩くことができるくらい調子がいいです」


「話ができるようなら、相談したいことがあるのじゃが」


 大賢者の表情は暗く、深く悩んでいるようだ。


「問題ないですよ。どのようなことでしょうか?」


「帝国が皇国に攻め込むという話はそなたも知っておろう。そして、皇家がヘルシャーの候補者を出す家系であることも……それで悩んでおることがある」


「リヒトロット皇家をどうやって救い出すかということでしょうか?」


 リヒトロット皇家はグライフトゥルム王家と並び、ヘルシャー候補が生まれる家系であり、助言者ベラーターである彼女が守るべき存在だ。


「そうじゃ。先日王都を訪れ、国王に皇王と家族の亡命を受け入れてほしいと頼んだのじゃが、断られた。皇王を受け入れれば、帝国がすぐにでも攻めてくるとマルクトホーフェンが反対したからじゃ」


 悔しげな表情でそう告げた。


「侯爵の言っていることは強ち間違っていませんが、皇帝は大陸を統一しようと考えているのですから、皇王陛下がいてもいなくても関係ないでしょう。まあ、王国を攻める口実に使える程度ですが、既に戦争状態である我が国に対して、今更口実が必要とは思えません」


「そうなのじゃ。そのことを言ったのじゃが、聞き入れなんだ。共和国に連れていくにしても、シュッツェハーゲンに連れていくにしても、グライフトゥルム王国を通らねばならぬ。それすら認めようとせぬのじゃ」


 ゾルダート帝国に抵抗しているのは我が国の他にグランツフート共和国とシュッツェハーゲン王国だ。海路を使うにしても、我が国の港に寄港しないといずれの国にも向かえない。


「皇王陛下以外の皇室の方々の受け入れも、認められないとおっしゃっているのでしょうか?」


 皇家の血筋を残すという目的であれば、皇王に拘る必要はない。どちらかと言えば、皇子と皇女を亡命させる方が目的には合致する。


「そうじゃ。せめて若い皇子と皇女を受けいれてほしいと伝えたのじゃが、マルクトホーフェンは頑なに拒否した。皇帝を刺激することは得策ではないとな」


「もしかしたら、皇帝と密約を結んだのかもしれませんね。グレゴリウス殿下の即位を認め、王国とは不可侵条約を結ぶという条件なら、侯爵が受け入れる可能性は十分にありますから」


 マルクトホーフェン侯爵と皇帝マクシミリアンが密かに連帯しているのではないかと疑っている。しかし、真実の番人ヴァールヴェヒターが防諜体制を敷いており、探り切れていない。


「ありそうな話じゃな。しかし、国王の意向を無視して亡命を受け入れるわけにはいかぬ。どうしたものかと思って、そなたに相談に来たのじゃ」


 血筋という点で言えば、グライフトゥルム王家の方が候補者の生まれる可能性が高いらしい。そのグライフトゥルム王家の国王の意向を無視することは、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘとの関係を拗らせることに繋がりかねない。そのため、私に相談に来たようだ。


「最初から亡命を受け入れるのではなく、脱出してきた皇家の方が王国に漂着したという形にしてはどうでしょうか? 皇国西部の最後の拠点となるクレーエブルク城には、万が一の場合に脱出される皇女がいらっしゃったはずですが」


 皇都が陥落する前、大賢者は皇王と交渉し、皇女が脱出しやすいよう、皇国西部にあるクレーエブルク城という辺境の城に移させた。クレーエブルク城はシュトルムゴルフ湾に面しており、船を出せば対岸のグライフトゥルム王国に逃げることは難しくない。


「うむ。エルミナ姫を逃がす算段はできておる」


「そのエルミナ殿下が帝国軍に追われて王国北部のネーベルタール半島に漂着し、それを保護したことにすれば、大賢者様が関与しているとは思われません。それにネーベルタール城に保護すれば見つかる可能性も低いですし、万が一発覚しても皇家ではなく、貴族令嬢に偽装すれば問題になることもないでしょう」


「他の皇子や皇女はどうするのじゃ? 皇子が二人、皇女が三人おるが」


「同じようにクレーエブルク城に移動していただくしかないでしょう。但し、今の場所に留まる限り、西海岸のクレーエブルクにおられるエルミナ殿下以外が脱出することは難しいと思います」


 現在、皇王テオドール九世はハルトシュタイン山脈の西の山麓にあるライヘンベルガーという城塞に移り住んでいる。ライヘンベルガー城は山麓に建てられた堅牢な城で、暗殺者を恐れた皇王が周囲の反対を押し切り逃げ込んだ。


 確かに堅牢な山城なのだが、周囲を囲まれれば脱出は困難で、早期に脱出したとしてもグリューン河まで移動する間に、騎兵中心の帝国軍に捕捉される可能性が高く、今のうちに移動しておかないと亡命は難しい。


「そうじゃな……じゃが、皇王も皇子たちも王国に逃げることに消極的じゃ。皇都が陥落した時、王国が積極的に支援しなかったことが原因じゃと思い込んでおる。どうやら宰相が吹き込んだようじゃ」


「クノールシャイト公爵が……そうなると公爵も帝国と密約を結んでいる可能性がありますね。大賢者様でも説得は難しいのですか?」


 宰相であるアーノルド・クノールシャイト公爵は皇都防衛戦でも消極的な意見が目立ち、早期に撤退まで主張していた。その裏には帝国と密約があるのではと疑っているが、皇国にいるシャッテンの数が少なく、証拠は見つかっていない。


「難しいの。皇王は儂にも不信感を持っておるようじゃからな……そちらは儂がもう一度説得するが、もう一つ相談があるのじゃ」


「どのようなことでしょうか?」


「そなたも感じておると思うが、皇国が滅ぶことは避けられぬ。相談はその後のことじゃ。マクシミリアンはどのタイミングで王国に攻め込んでくると考えておるのか、見込みを聞かせてほしいのじゃ」


 目的が一つしか思い浮かばないため、そのことを口にする。


「ジークフリート殿下を脱出させるためですか?」


「そうじゃ。フリードリッヒ王子も近々王都に戻されるらしい。そうなると、ネーベルタールにおるジークフリード王子しか助け出せぬ可能性が高い。今のうちなら商船を使って共和国かシュッツェハーゲンに逃がすこともできる。その場合はアラベラを恐れて亡命という形になるから同盟国である共和国は難しいかもしれんが」


 この質問については私も考えていたことであったのですぐに答えられる。


「今年の年末、もしくは来年の早い時期に、リヒトロット皇国は滅亡するでしょう。今行っているリヒトロット市での破壊活動も、皇国自体がなくなれば皇都回復という目的を失い瓦解します。そうなれば、帝国が旧皇国領を掌握する障害が一気になくなります。目的を失った皇国民も生きていかねばなりませんので、帝国の支配を受け入れるのに時間はあまり掛からないと考えています」


「うむ。そうじゃの。具体的にはいつ頃王国に攻め込んでくると考えておるのじゃ?」


「最短で皇国滅亡から三年、一二一六年には帝国が軍を動かしてくると考えています」


「それほど早くか……」


 大賢者は私の予想が、自分のものより早かったためか落胆している。


「はい。皇帝マクシミリアンには経済政策の失敗という弱点があります。そしてここまで国内経済が滅茶苦茶になれば、安定的に回復するには五年程度の時間では難しく、十年程度は見ておく必要があります。これは我々が行う謀略を考慮しない場合です。モーリス商会を使った策は今のところ看破されていませんので、更に時間が掛かるように手配していますが、皇帝はそのことを知りませんので」


「さすがじゃな。そこまで見越しておったとは……」


「皇帝は経済の失敗から民衆の目を逸らすための派手な成果が必要です。帝国の悲願である皇国の滅亡は達成できますので、数年は民衆も不満を表さないでしょう。ですが、その後に派手な成果を挙げるとすれば、我が国への侵攻に他なりません。それに三年後であれば、王家の後継者問題で王国内が混乱している可能性が高く、そこに付け込む形で帝国が侵攻してくるのではないかと考えています」


 皇帝とペテルセン総参謀長は王国侵攻を考え、マルクトホーフェン侯爵を動かしている可能性が高い。


 一二一六年であれば、第一王子フリードリッヒは二十一歳。王太子として立てられていれば、グレゴリウスを擁するマルクトホーフェン侯爵らが反発しているだろうし、グレゴリウスが立太子されていれば、国内で不満が高まっているだろう。

 誰も立太子されていなければ、揉めているということだから、付け入る隙はある。


 現国王フォルクマークが死んでおり、誰かが国王になっていても同じで、挙国一致体制となっている可能性は低い。

 いずれにしても帝国にとっては侵攻のタイミングとなると考えてもおかしくはない。


「そうじゃの……帝国で大きな問題が起きねば、その辺りが妥当な時期じゃろう。そうなると、あと二年程度でジークフリート王子をどうするか決めねばならんということか……」


「脱出自体はモーリス商会の船を使えば難しくありません。ですが、そこまで待てるのかという問題もあります」


「どういうことじゃ?」


 大賢者は首を傾げる。


「マルクトホーフェン侯爵は以前からジークフリート殿下の居場所を探していますが、今のところ見つかっておりません。ですが、つい先日入った情報では、侯爵はカウフフェルト男爵領を疑っているようです。カウフフェルト男爵が領地に戻ったタイミングと殿下の療養のタイミングが近いことから気づいたのではないかと」


「何と! 既にそこまで手を回しておったのか……ラザファムが更にシャッテンの増員を求めてきたと聞いておる。それが関係しておりそうじゃの……どうすべきかの?」


「まずは暗殺を封じるべきでしょう。もし、ジークフリート殿下、フリードリッヒ殿下が亡くなり、その死に不審な点があれば、グレゴリウス殿下が即位しても叡智の守護者ヴァイスヴァッヘは支援しないと大賢者様自らが脅すのです」


「うむ。じゃが、マルクトホーフェンは真理の探究者ヴァールズーハーと繋がっておる。儂の脅しなど無視するのではないかの。以前にも警告したが、未だに暗殺者を使っておるのじゃから」


 大賢者は私が倒れた後、国王とマルクトホーフェン侯爵にアラベラが暗殺者を使っていることを許せないと警告している。その際、侯爵だけでなくグレゴリウス王子もアラベラにやめるよう説得したが、効果がなかった。


「その可能性はありますが、その場合、皇帝が送り込む“ナハト”の暗殺者は防げません。帝国が王国を狙っている以上、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの支援は必須だと認識させれば、アラベラ殿下であっても無謀なことはしないでしょう」


「考えなしのアラベラも己の命が危ういと思えば、手を出さぬということか」


「その通りです。更に国王陛下にも釘を刺しておいた方がよいでしょう。暗殺という手段が安易に使われているから、立太子は慎重にした方がよいと。最悪の場合、王太子が決まった瞬間、お命が危ういとお伝えすれば、陛下も安易に脅しに屈することはされないでしょうから」


「それがよいの。では、儂は王都に戻り、そのことを国王らに伝えてくるとしよう」


 大賢者は入ってきた時とは別人のように晴れやかな表情で私の部屋を出ていった。

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