第81話「大賢者の恫喝」
統一暦一二一二年五月五日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
グライフトゥルム王国は徐々に我が手の中に入りつつある。
先日の御前会議で国王に対し、第一王子フリードリッヒをグランツフート共和国から戻すよう迫った。国王は私の要求に屈し、王子に帰還を命じると約束した。
フリードリッヒは姉アラベラによる暗殺を恐れ、九年前の一二〇三年に共和国の首都ゲドゥルトに留学の名目で脱出した。
共和国上層部は王国の次期国王の留学ということで当初は困惑したらしいが、同盟国の国王直々の依頼ということで最大限の配慮をし、ケンプフェルト元帥が自ら選んだ精鋭が昼夜を問わず警護に当たっている。
調べた結果、“
フリードリッヒが戻ってきたところで、立太子の話を出す。優秀なグレゴリウス殿下とただ先に生まれただけのフリードリッヒでは比較対象にすらならず、グレゴリウス殿下が立太子されることは間違いない。
また、このことを公表しても貴族たちの反発は大きくないと見ている。
ここ数年、フリードリッヒの臆病さと無能さを噂として流しており、貴族たちもあまり期待していない。それに帰国した実物を見れば更に失望することは間違いない。
一方のグレゴリウス殿下は昨年の夏から陛下の下で政務を学んでおり、その優秀さは宰相府の官僚たちが驚くほどだ。また、その噂は貴族たちだけでなく、王都の民たちの間にも流れており、グレゴリウス殿下が立太子されても誰も違和感を抱かないだろう。
問題は姉が誰かに唆されて馬鹿なことをすることだけだが、グレゴリウス殿下が認められつつあることに満足しており、以前のような直情的にフリードリッヒ暗殺を実行することはないだろう。
既に宰相府と軍務省はほぼ掌握し、騎士団も我々に反発する者が次々と辞めている。
王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵も諦めたのか、騎士団の実務に没頭し、政治に口を出すことは以前にも増してなくなっている。
そんな状況の中、大賢者マグダ様が王宮を訪れた。
大賢者様は姉を嫌っており、その煽りを受けて私に対しても冷淡な態度が多い。
私としては一国を滅ぼすことができる力を持つと言われ、国王に対しても強い影響力を持っている大賢者様と敵対関係にはなりたくない。
それどころか、
腹心のエルンスト・フォン・ヴィージンガー子爵と話し合い、彼も同じ結論に達している。
『大賢者様に敵対することは、グレゴリウス殿下の王位継承の道を閉ざすことと同じです。
レヒト法国の前身であるゼーレグネーデ神国は禁忌を冒したとして、
神国の首都は業火に包まれ、支配者・民衆の区別なく、すべてが消え去り、都があったとされるガルゲンベルク山脈付近は呪いを受けて
大賢者様は国王だけでなく、姉アラベラ、グレゴリウス殿下、そして私にも話を聞くように要求してきた。
対応した者は、あまりのお怒りに近寄るだけで震えが止まらなかったと言っている。そのことで悪い予感しかしないが、行かないという選択肢はない。
国王の執務室に入ると、既に王家の三人と大賢者様が待っておられた。
「遅れたことをお詫びいたします」
そう言って頭を下げるが、確かに大賢者様の雰囲気はいつもと違い、部屋の中の空気自体が変わったように感じていた。
小心者の国王はもちろん、傍若無人な姉まで顔を蒼褪めさせている。そんな中、グレゴリウス殿下だけは笑みを浮かべる余裕をお持ちだった。
「よい。では話を始めるとするぞ」
私が座ると、大賢者様はすぐに話し始めた。
「儂は昨年、暗殺を行うような愚考は許さぬと警告したはずじゃ。王国の防衛に必要なラウシェンバッハ子爵を失えば、初代国王フォルクマークと一緒に作ったこの国が亡びるからじゃ。じゃが、儂の警告を軽く考えた者がおる。未だに子爵を狙う者がおると
そこで私を含め、そこにいる全員が姉を見た。
姉は大賢者様の恐ろしい視線を受け、失神しそうになっているが、私は同情しなかった。まだ、諦めていなかったのかと怒りに打ち震えていたからだ。
「それだけでも不愉快じゃが、フリードリッヒ王子とジークフリート王子にも暗殺者を向けるという話を聞いた。国王よ、
大賢者様は口調こそぞんざいだが、普段は“陛下”と呼んでおられる。しかし、今は敬意の欠片もない。
「よ、余は……大賢者の言葉を無視するようなことは認めておらぬ! その者が余の命を無視しておるのだ!」
「そなたはこの国の王であろう!」
そう言って叱責するが、すぐに視線をグレゴリウス殿下に向けた。
「儂はそなたに期待しておると言った。じゃが、暗殺という手段で王となるなら、儂はそなたを見限る。これは脅しではないぞ」
殿下は大賢者様の鋭い視線を受けても臆することはなかった。
「大賢者様のおっしゃることは道理だと思います。私もそのような手段で王となるつもりもありませんし、なりたくもありません。私は誰にも後ろ指を指されることなく、胸を張って王となりたいと思っています。母上にもそのことを常に話しております」
大賢者様はその言葉を聞き、満足げに頷かれた。
「うむ。そなたの言葉に偽りはなさそうじゃの」
そうおっしゃった後、私に視線を向けられた。
大賢者様は魔女のような風貌であり、その強い視線だけで呪われそうな錯覚を覚える。
「誰がやったのかは分かっておる。じゃが、その阿呆は協力者がおらねば何もできぬ。侯爵よ、そなたが手配したのではなかろうな。そなたが
最後の言葉を受け、心臓を鷲掴みされるような恐怖を感じた。
「も、もちろん私は関与しておりません。私も暗殺者を使う非情な者と言われ、迷惑しているのです。誓って、私は関係ございません」
このことは事実であり、震えながらもはっきりと否定した。
大賢者様はねめつけるように私を見続けている。その視線は心の中を見透かしているようで、目を逸らしたくなるが、精神力を総動員して視線を受け止め続けた。
どれくらいの時間だったのかは分からないが、大賢者様は視線を緩められた。
「そなたの言葉も真実のようじゃの。じゃが、そなたが清廉潔白とは思っておらぬ。そのことは忘れるでないぞ」
暗殺者についての疑いは晴れたが、他のことで疑念は持たれているらしい。
大賢者様は遂に姉に視線を向けた。
「そなたはマルグリットを殺しただけでは飽き足らず、その遺児をも殺そうとしておる。そうであろう!」
「!」
姉はその言葉で失神し、ソファの背もたれにだらしなく倒れ込む。
「気を失ってしもうたか……まあよい……」
そうおっしゃられると、国王に視線を向ける。
「儂は本来、俗世に関与はできぬ。それでもこの国に助力しておるのは初代国王フォルクマークとの友誼があるからじゃ。あの者が儂に協力してくれねば、戦乱の時代は更に数百年は続いたじゃろう。それを防いでくれたことに感謝し、子孫であるそなたらに助力し続けておるのじゃ。そのことを忘れるでないぞ」
そうおっしゃると大賢者様は執務室を出ていかれた。
扉が閉まった瞬間、思わず息を吐き出した。
「父上、大賢者様のお言葉、軽々にはできません。母上には私からも言い聞かせますが、今後は王家の資金を使わせぬようにしていただきたい」
グレゴリウス殿下はそうおっしゃると、私の方を見た。
「叔父上も同じだ。叔父上が母上に協力しているとは思わぬが、叔父上の家臣の誰かが母上に協力しているはずだ。家臣の手綱をしっかりと握ってほしい」
「承りました」
そう言って頭を下げるが、誰が姉に協力しているのか、皆目見当がついていない。
「私は実力で父上に認めていただくつもりだ。兄上にもジークフリートにも負けるつもりはない。暗殺などと言う卑劣な行為は不要だ。ラウシェンバッハについても同様だ。あの者が私に敵対するなら正々堂々戦い、勝利する。他の敵対してくる者も同様だ。今後、暗殺という手段を採るようなら、叔父上であっても容赦はせぬ。叔父上と大賢者様のどちらを取るのかと言われれば自明であるのだからな」
殿下の言葉に私は頭を下げるしかなかった。
しかし、屈辱は感じていない。
国王と違い、グレゴリウス殿下には王としての威厳が備わっているからだ。
私は頭を下げながら、姉が馬鹿なことをしなければ、殿下が王となると確信した。
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