第17話「皇帝の直感」

 統一暦一二〇四年九月一日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト


 皇帝コルネリウス二世陛下の執務室で、マクシミリアン殿下の悪評が流されている件について報告を行った。


 その際、陛下がグライフトゥルム王国に謀略を行っている人物がいるのではないか、我々が知らぬ人物が密かに台頭してきたのではないかとおっしゃられた。


 諜報局という組織は生まれてからまだ四年弱、その可能性は充分にあるが、なぜ陛下がそのような結論に至ったのか、私には理解できなかった。


「陛下がそう考えになる理由をお聞かせいただけないでしょうか」


 陛下は「勘だ」と端的にお答えになった後、更に言葉を続けられた。


「三年ほど前のレヒト法国での法王暗殺事件は覚えているか?」


 統一暦一二〇一年の六月に起きた事件であり、記憶に新しい。


「もちろんでございます」


「もしあの事件が起きなければ、北方教会領の神狼騎士団が王国に攻め込んだ可能性は高い。何と言ってもライバルである聖竜騎士団が共和国に敗北した直後だ。自分たちが国の威信を取り戻してやると言って、攻め込んでもおかしくはなかった。いや、以前なら必ず行っていただろう。だが、法王が殺され、法国は大混乱に陥った。その結果、王国への侵攻作戦は二年以上にわたって行われなかった……」


 確かに陛下のおっしゃる通りだ。


「グライフトゥルム王国の主力である王国騎士団は、一一九九年に体制を大きく変えたが、あの当時はまだ一年半程度しか経っていなかった。大規模な編成の組み換えは大きな混乱をもたらす。恐らくだが、それ以前と比べて戦力的には落ちていたはずだ。つまり王国には戦争に勝つ算段ができていなかった。時間を稼ぐために謀略を使ったとしても、余は驚かぬな」


 時系列的に考えると、充分にあり得る話だが、疑問もある。


「確かに見逃している可能性はありますが、そのような人物がいるのであれば、国内の状況を改善しようと考えるのではないでしょうか。今は大人しいマルクトホーフェン侯爵派も、第二王子であるグレゴリウス王子が成長すれば、王位を狙って動き始めるはずです。今のうちに手を打つべきですが、その兆候は全く見えてきません」


 陛下もその点が気になっていたのか、私の言葉に素直に頷かれた。


「その点は余も同感だ。直接的な脅威であるレヒト法国ならともかく、現在の我が国は皇国に集中している。だから王国にとって直接的な脅威とは言えぬ。今のまま大きな状況の変化がなければ、王国に攻め込むのは現在の皇国の版図を完全に我がものにした十年ほど後だろう。それにマクシミリアンを恐れると言っても、余が健在なのだ。マクシミリアンを貶めるより、余に対して何か仕掛けることを考えるはずだ。その点が腑に落ちぬ」


 その後、陛下といろいろと検討したが、情報が少なく、結論は出なかった。


「噂については、これ以上広まるなら手を打たねばならんが、恐らくそれほど長くは続くまい。民たちも小麦のことの方がよほど気になるだろうからな」


「おっしゃる通りかと」


 そこで陛下は何かを思い出したのか、次の言葉に間が空いた。


「どうかなさいましたか?」


 私がそう聞くと、陛下は徐に口を開かれた。


「ふと思い出したのだ。ラウシェンバッハという若者のことをな」


 その口調は軽く、表情も真剣なものではなかった。


「マティアス・フォン・ラウシェンバッハのことでございますか?


「そうだ。千里眼と呼ばれるほどの能力の持ち主なら、我が国に謀略を仕掛けてきてもおかしくはないと思うのだが……新たな情報はないのか?」


 ラウシェンバッハについては、半年ほど前に一度陛下に報告している。


 その時は叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの治癒師と懇意であること、モーリス商会がラウシェンバッハ子爵領に投資をしていること、そのラウシェンバッハ子爵領で獣人たちが増えていることなどを報告していた。


 その後、特に目新しい事実はなく、突然名が出たことに驚く。


「特に目新しい情報はありませんが……何か気になることでもおありでしょうか?」


「うむ。先ほど話した第三の人物がその者ではないかと、ふと思ったのだ。グレーフェンベルクとも親しく、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘとも関係がある。モーリス商会が積極的に投資している点も気になった」


 陛下の言葉ではあるが、あまりに突拍子もないと思った。


「確かに気になる事実ではございますが、彼は今年二十歳になったばかりの若者です。我が国への謀略はともかく、レヒト法国への謀略が行われたのは準備を含めれば四年以上前でしょう。さすがに若すぎるかと」


 私の懸念に陛下は頷かれるが、表情に納得された様子がうかがえない。


「確かにそうなのだが、気になる。若すぎるというのであれば、マクシミリアンの例もある。可能性が全くないとは言えぬと思うが」


 マクシミリアン殿下が十代半ばの頃と言えば、士官学校で学んでいる頃になるが、その頃から政治に対するセンスは目を見張るものがあり、話をする度に何度も唸らされている。

 もし、当時の殿下であれば、謀略に携わっても違和感はないだろう。しかし、疑問もあった。


「確かに若いからと言って何もできないとは言えません。ですが、古い国家である王国で、下級貴族に過ぎない子爵家の子供が政治に口出しできるものでしょうか? もし、政治に関与していたのであれば、父親である子爵を隠れ蓑として使ったはずです。彼の父は財務官僚ですが、誠実な人物という以外に目立った功績があったとは記憶しておりません」


 陛下も私の疑念に頷かれた。


「その点は理解しているよ。だが、どうしても気になるのだ……」


 そうおっしゃられると、少し考え込まれる。


「……そう言えば、獣人たちの村に諜報員が入り込めぬのであったな……謀略を行うなら、防諜対策は厳重に行われるだろう。ならば、その村に何か秘密があるのではないか?」


 陛下の言葉に大きく頷く。


「確かに秘密が多い村ではあります。獣人たちは共和国からやってきたと言われておりますが、どの程度いるのか、何のために故郷を捨てて移住してきたのかが調べきれていません。そう考えると、陛下のご懸念も理解できます」


 ラウシェンバッハ子爵領の獣人族セリアンスロープについては、子爵が魔獣ウンティーア対策として入植を斡旋したと言われているが、グランツフート共和国から来たというだけで、具体的にどこから来たのか全く分かっていない。


 また、少ない時でも数百人単位、多い時では数千人単位で入植している。これだけの数をどうやって集めたのか、その資金はどこから出ているのか、これらの疑問についてラウシェンバッハの町で調べたが、一切不明のままだ。


「今少し調べてみよ。そのラウシェンバッハという若造が関係しているかは分からぬが、秘密を暴こうとすれば何らかの動きが見える。そこから本当の策士が見つかるかもしれぬからな」


「はっ! 直ちに手配いたします」


 私がそう言って答えると、陛下は笑顔を見せられた。


「気負う必要はないぞ。余の思い付きに過ぎぬのだ。他の案件より優先度を上げる必要はないからな」


「承りました」


 そう答えるものの、陛下の直感はよく当たるため、最優先で調べるつもりだ。


 陛下の下を辞去した後、私は諜報局長を呼び出した。


「マティアス・フォン・ラウシェンバッハについて最優先で調査せよ。特にラウシェンバッハ子爵領の獣人入植地については、マティアスとの関係を徹底的に調べるのだ」


 局長は僅かに疑問を感じたようだが、すぐに了承する。


「承りました。マティアス・フォン・ラウシェンバッハについて、再調査を実施すること、特に獣人入植地との関係を探り出すことを命じます」


「よろしく頼む」


 私がそういうが、局長はまだ何か言いたそうにしていた。


「何かあるのか?」


「ラウシェンバッハ子爵領の獣人入植地ですが、役人と許可を受けた商人以外は入れません。その商人たちも口が堅く、すぐに成果が出ないことはご承知おきください」


「その点は理解している。多少無理をしても構わん。こちらの動きに反応を見せれば、それはそれで新たな情報となるのだからな」


 今回の調査で諜報員を使い捨てることも覚悟している。これまでは諜報員を育てることを考え、できる限り無理はさせなかったが、陛下のおっしゃる通り、相手の反応を見るということもありだと思ったためだ。もっとも使い潰すのは現地で雇った者だけだ。


「それから船が使えませんので、ラウシェンバッハ子爵領の調査は二ヶ月以上先になります」


「その点も問題ない。特に急ぐ案件でもないからな」


 王国に潜入するには、海路を使って自由貿易都市であるヴィントムントに入り、金を積んで偽の身分証を入手して入国するか、エーデルシュタインから南に向かい、主要街道である大陸公路ラントシュトラーセを使わずに密かに国境を越える陸路の二ルートしかない。


 陸路であれば、国境まで二千キロメートルほど移動する必要があり、二ヶ月という期間は最短と言える。


 急ぐ案件ではないが、結果が分かるのが半年近く先というのは長すぎる。

 噂に聞く叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの通信の魔導具という物があれば、即座に指示を出せ、結果もそれほど待たずに出るのにと思ってしまう。


 ないものねだりをしても仕方ないと、私はその他の案件の処理を始めた。

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