第16話「内務尚書の困惑」

 統一暦一二〇四年九月一日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト


 ここ数ヶ月の帝都の混乱は、ゾルダート帝国を根幹から揺るがしつつあった。


 事の発端はここから遥か西、シュトルムゴルフ湾で起きた魔獣ウンティーアの異常行動だ。これにより魔獣ウンティーアの襲撃を恐れた商人たちが商都ヴィントムントから船を出さなくなった。


 モーリス商会の商会長、ライナルト・モーリスが早い段階で情報を持ってきてくれたお陰で、危機的な状況には陥っていないが、未だに商船はほとんど到着せず、帝都の食糧事情は悲観的な状況が続いている。


 一ヶ月ほど前から備蓄を切り崩したことで、小麦の価格は以前の二倍程度にまで抑え込んでいるが、この状況が半年続けば、皇帝陛下のお膝元である帝都で、これまで忠実だった民たちが暴動を起こす可能性すら否定できない。


 この他にもマクシミリアン殿下に関する噂も帝国を揺るがしかねない。


 八月に入った頃から流れ始めた噂らしく、私の耳に入ってきたのは八月十日頃だ。

 具体的にはマクシミリアン殿下がモーリスを呼び出し、暗殺用の毒物を密かに手に入れろと命じ、モーリスがそれを拒否したというものだった。


 これまでもマクシミリアン殿下とゴットフリート殿下の確執は知らぬ者がいないほど有名だったが、これほど具体的な話が広がったのは初めてのことだ。


 また、暗殺の相手がゴットフリート殿下だけならそれほど意外でもなかったが、皇帝陛下のお命を狙っているという噂には驚きを隠せなかった。


 マクシミリアン殿下がモーリスを呼び出したのは七月十九日。その事実は当時から私も掴んでいたが、その時は帝都への穀物供給の見込みを確認するための呼び出しだろうと軽く考えていた。


 しかし、それだけではなかったらしく、その翌日、モーリスが私のところにやってきた。


「ヴィントムントに戻りますので、そのご挨拶に参りました」


 できるだけ早く商人組合ヘンドラーツンフトと交渉してほしいため、私としても歓迎することだが、突然出発すると言ってきたことに驚いた。


「何か理由があるのかね?」


「閣下からの要請に応えるためです」


 そう言って笑顔を浮かべているが、焦りのようなものがあると感じた。


「マクシミリアン殿下から何か言われたのかな? それならば、私の方から釘を刺しておくが」


「そのようなことはございません」


 更に聞いてみたが、はっきりとした理由を告げずに帝都を去った。


 この時は疑念が過った程度だったが、それからしばらくして、殿下に関する噂が流れ始めた。

 嫌な予感がしたため、諜報局に詳細な調査を命じた。


 調査の結果、噂の出どころが軍務府の文官だと判明した。その文官が同僚と酒場で飲んでいた時に話していたらしく、それを偶然耳にした常連客である商人が、面白おかしく広めたらしい。


 ここまではよくある話だが、今回は具体的な話として広まっている。特に殿下がモーリスを恫喝したという話は軍務府内では知らぬ者がなく、それによって噂の信憑性が増した。


 軍務府の文官たちに事実関係を確かめた結果、殿下の執務室の警備に当たっていた者から、恫喝するような声が聞こえてきたという証言を得た。


 警備の者を問い詰めたが、政治的にも中立で不審な点もなく、更に殿下の副官に恫喝があったのかと聞いた者がおり、副官が明確に否定しなかったという証言も出てきたため、嘘を言っている可能性は低いと断じた。


 しかし、更に疑問が湧いてきた。

 マクシミリアン殿下が意味もなく商人を恫喝するとは思えないし、それが事実であったとしても何らかの理由があるはずだ。


 今回は恫喝したという点だけが異常な速さで広まっている。そのことが気になった。

 そのため、マクシミリアン殿下の失脚を望む誰かが、故意に噂を広めたのではないかと考えた。


 最初に思い浮かんだのは皇位を争うゴットフリート殿下だ。しかし、殿下は生粋の武人であり、このような謀略は好まない。また、腹心の部下も同様で、政治的な才能の持ち主はおらず、実行は不可能だ。


 次に考えたのはリヒトロット皇国だ。しかし、皇国が諜報部隊を編成したという噂はなく、真実の番人ヴァールヴェヒター闇の監視者シャッテンヴァッヘの間者を雇ったという情報もない。


 これまでのことと合わせて考えると、情報を操作するという考えを持つ者が皇国にいるかすら疑問だ。


 皇国を支援するグランツフート共和国と、我が国と直接対峙しているシュッツェハーゲン王国も候補になるが、どちらの国も質実剛健を旨としており、謀略を重視し始めたという情報もない。


 唯一グライフトゥルム王国だけが例外だ。

 彼の国はレヒト法国の侵攻作戦を早期に掴んでいた兆候があり、情報を重視し始めている可能性が高い。


 また、切れ者と名高い第二騎士団長のグレーフェンベルク伯爵なら、我が国に対する謀略を仕掛けてきてもおかしくはない。


 しかし、諜報局の報告から考える限り、彼は生粋の武人であり、このような謀略を考える人物ではなさそうだ。


 それに王国の情報収集能力なら、リヒトプレリエ大平原の遊牧民がゴットフリート殿下に膝を屈したという情報は入手しているはずで、マクシミリアン殿下よりゴットフリート殿下の方に脅威を感じているだろう。

 そう考えると、グライフトゥルム王国が謀略を行った可能性は低いと考えざるを得ない。


 商人組合ヘンドラーツンフトも怪しいと言えば怪しい。

 近い将来、リヒトロット皇国が亡ぶことは間違いなく、その次はグライフトゥルム王国になるだろう。


 組合ツンフトのあるヴィントムントは王国内にあり、我が軍が王国に侵攻していけば、必ず占領する場所だ。


 占領しなくとも、王国が認めている自治を我が国が認める可能性は低く、妨害工作を行ってもおかしくはない。


 しかし、商人組合ヘンドラーツンフトは一枚岩ではなく、商人たちは自らの利害に直接関わらなければ、金が掛かる謀略を積極的に行うとは思えない。


 他に動く者がいるとすれば、枢密院の元老たちだろう。

 自分たちの権限を強化するため、陛下やマクシミリアン殿下を邪魔だと思っているからだ。


 特に私の前任者であるハンス・ヨアヒム・フェーゲライン殿は実績を上げていたものの、陛下からあまり評価されず、内務尚書を退任している。その際、マクシミリアン殿下が積極的に賛成したという噂があり、彼がそのことで恨みを抱いている可能性は高い。


 また、長く内務尚書であったことから、文官に対して未だに強い影響力を持っており、今回のような情報操作を行うことは難しくない。

 但し、フェーゲライン殿は私情で動く人ではなく、私は彼が関与したとは思っていない。


 他の元老に関しては、軍部出身者は能力的に無理だし、皇室関係者や官僚出身者はフェーゲライン殿以外にマクシミリアン殿下を貶める動機がなく、いろいろと調べてみたが、マクシミリアン殿下に対する悪評を流した者の正体が見えてこなかった。


 当事者であるマクシミリアン殿下に聞くということも考えたが、既にエーデルシュタインに向けて出発した後であり、無理に追いかけて聞けば話が大きくなることは明らかで、噂を流した者の思惑に嵌ると考え、断念している。


 事実関係は明らかにならなかったが、噂は日に日に広まり、ついに陛下の耳に入った。

 そのため、陛下に謁見し、調べたことを説明することとなった。


「マクシミリアンがヴィントムントの商人を脅したと聞いたが真か? あれは理由もなく、そのような愚かなことをする者ではないが」


「小職も陛下と同じ考えでございます。もし、事実であるなら、我が国もしくはマクシミリアン殿下にとって必要なことだったのでしょう。ですが、その場合であっても噂になるような不手際をされる方ではありません。そう考えるならば、何者かが殿下を貶めるために噂を流したと考えるのが自然ではないかと愚考します」


 陛下は私の言葉に頷かれた。


「では誰がマクシミリアンを貶めようとしたのだ? ゴットフリートではあるまい。あの者なら正々堂々と戦うだろうからな。卿のことだ。既に調べておるのではないか?」


「調べてはおりますが、断定できるだけの証拠がなく、陛下に報告することができません。小職の力不足ゆえ、お叱りは甘んじて受ける所存です」


 陛下は私の謝罪に笑顔で首を横に振られた。


「ヴァルデマールが調べて分からぬなら、我が国に分かる者はおらぬ」


 陛下の信頼に自然と頭が下がる。


「ご信頼に感謝いたします」


「余もいろいろと考えてみたが、グライフトゥルム王国という可能性はないか? グレーフェンベルクならば、マクシミリアンとゴットフリートを噛み合わせ、同時に葬り去ることで、我が国に混乱を与えようと考えてもおかしくはあるまい」


「その点は私も考えたのですが、グレーフェンベルク伯爵は生粋の武人のようです。確かに情報は重視しておりますが、謀略を行うような人物ではないかと」


 陛下は私の言葉に頷かれた。


「確かに報告書を読む限り、謀略を好むとは思えぬ。それに謀略を行うのであれば、まずはマルクトホーフェンを標的にするはずだ。余がグレーフェンベルクなら必ずそうするからな」


 その点は私も同感だった。


「おっしゃる通りかと」


「だが、第三の人物がいればどうだ? グレーフェンベルクも台頭してくるまでは、誰も重視していなかったのだ。今現在は我々が把握しておらぬ、隠れた謀略の天才がいれば、我が国に対して何か仕掛けてくるかもしれん」


 あり得ないことではないが、私には陛下がなぜそのようなお考えに至ったのか、理解できず、首肯することができなかった。

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