第12話「獣人族移住作戦」
統一暦一二〇一年二月一日。
レヒト法国東部キルステン、モーリス商会支店。ロニー・トルンク
モーリス商会のレヒト法国での責任者、総支配人となって五ヶ月。
商会長と共にマティアス様に会った後、すぐにレヒト法国に舞い戻り、指示通りに動いた。
十一月にここ東方教会の領都キルステンでダムマイヤー奴隷商会を買収し、モーリス商会のダミー会社にすることに成功。更に十二月には、聖都レヒトシュテットで聖職者を使い、高級娼館“マリアンネの館”のオーナーを陥れ、経営権を奪うことに成功する。
マティアス様の策に従って、ある司祭を優遇することで、枢機卿を補佐する主教に伝手ができた。
その主教には娼館のナンバーワンを未亡人と言って送り込んだ。さすがにナンバーワンになるだけあって、傍目には清楚な貴婦人にしか見えず、その結果、その主教を篭絡することに成功した。
これにより、教団上層部の情報が入ってくるようになった。その情報を
その主教にはモーリス商会としてアプローチしていないが、好戦的な東方教会出身であることと、外面がいい野心家であるため、今後積極的に支援していく方針だ。この国の民にとっては迷惑な話だろうが、諦めてもらうしかない。
理由は二つある。
もう一つの理由は、この狼人族が我々
懸念も二つある。
一つ目は狼人族の人数が想定より多いことだ。
通常の
そのため、集落の総意を得るのに時間が掛かり、聖竜騎士団が動く前に合意できない可能性があった。
もう一つは狼人族の野戦での戦闘能力が高いことだ。
暗闇でも見える視力に加え、鋭い嗅覚と聴覚、更に強い脚力を持ち、奇襲や夜襲で撹乱に使うには有効な手駒だと騎士団が考えると、我々に売却しない可能性があった。
この懸念については、もし万が一そうなった場合、聖都で伝手ができた主教を使うつもりで準備している。
主教は法王、枢機卿、総主教、大主教の下位ではあるが、複数の教会を任されるほどで、教団の中での地位は充分に高い。また、東方教会出身の枢機卿の補佐をしていることから、ここキルステンでは強い発言力を持っており、騎士団を抑えることができるのではないかと考えている。
翌日の早朝に出発した。
主要街道から外れているため、獣道のような細い道を進み、三日後の二月四日に狼人族の集落に到着した。
同行者はダムマイヤー奴隷商会の事務員三名と
集落は森に囲まれているが、防壁のようなものはない。ここには
集落に入ると、すぐに三角の耳と太い尾を持つ獣人、狼人族の若者に囲まれた。
武器を手にしているものの、威嚇することはなく、一人の若者が一歩前に出る。
「族長のデニス・ヴォルフの息子、エレンだ。何の用で俺たちの村に入った?」
獣人であるため年齢は分かりづらいが、十代半ばといったところだろうが、思った以上に落ち着いている。
「ダムマイヤー商会のロニー・トルンクと申します。族長様にお話があって参りました。取り次いでいただけますでしょうか」
エレンは胡散臭げな表情を一瞬浮かべたが、すぐに踵を返して集落の中に進み始める。
俺たちはその後を離れないように付いていった。
集落は思ったよりしっかりとしていた。
建物は平屋建てであるものの、屋根はスレート葺きであり、他の
ひと際大きな建物の前でエレンは止まった。
「親父に話してくる」
少し待っていると、四十歳くらいの引き締まった体格の男が現れた。
「俺に話があるということだが、何の用だ?」
「この村に危機が迫っておりますが、ここでは……」
そこまで言うと、デニスは顎をしゃくって建物に入るように指示する。
家に入ると中は思ったより明るく、調度類もしっかりとしている。それを見て俺は内心で説得は難しいかもと思っていた。これだけの家財を捨てて逃げろということになり、彼らがためらうことが容易に想像できたためだ。
食堂らしき場所で椅子を勧められた。話し合いにはデニスの他にエレンと二人の男の計四人が参加するようだ。
「聖竜騎士団が奴隷狩りを行うらしいと聞きました。近々共和国に攻め入るらしく、その尖兵を得るためとか」
デニスは表情を変えることなく頷いている。予想通り、ここまで噂が流れてきているようだ。
「そこで提案です。私どもが某国に亡命の手配をします。その国はあなた方を開拓民として受け入れたいとのことです。そのために一度、私どもの奴隷となり法国内を移動していただきます……」
奴隷になるというところで、デニス以外の三人が睨みつけてきた。それに構わず説明を続ける。
「そうすれば、騎士団も手を出せませんので。家財などは可能な限り、我々が買い取ったことにして運搬します……法国から出国後、解放するという手続きを考えております」
デニスは静かに質問を投げかけてきた。
「確かに俺たちにとっては安全にこの国から逃げ出せるが、お前さんたちのメリットはなんだ? 商人がただで動くはずがないからな」
その言葉にエレンが大きく頷く。
「俺たちが大人しく捕まったら、そのまま騎士団に引き渡すって算段なんだろうよ」
エレンの悪態は無視してデニスに顔を向ける。
「まず誤解を解いておきましょう。我々のメリットですが、出国先から購入費用などの経費とは別に、一人当たり五千マルク(日本円で五十万円)の報奨金が支払われます。八百人なら四百万マルク。充分な利益を上げることができるのです」
これは本当の話だ。もっとも回収できるのはいつのことかは分からないが。
「その某国ってのはどこなんだ? 行き先も分からずに付いていく気はないぞ」
エレンがそう言って私を睨みつける。
「行き先については同意いただいた後、族長にのみお伝えいたします。もし、このことが騎士団に漏れれば、私どもの命も危うくなるかもしれませんので」
「なるほど……」
この言い方でデニスは何となく察したようだ。
「時間はあまりありません。聖竜騎士団は恐らく半月以内にここに来るはずです。同意いただければ私も同行するつもりですが、同意いただけなければ同行しません。私どもが帰る明日の正午までに決めていただかないと、この話はなかったことになります」
「それはどういうことだ?」
デニスが低い声で聞いてきた。
「騎士団が我が商会に奴隷買い付けの話を持ってくるはずですが、同意いただいていれば戦いにならないように交渉させてほしいと提案するつもりです。ですが、同意いただけなければ、亡命の話もなかったことになります。騎士団と戦って生き残った方だけを引き取るつもりがないからです」
「亡命の条件が集落全体ということか」
「その通りです。戦いになれば、主な労働力である働き盛りの男性の多くが亡くなるでしょう。それでは開拓を期待している国にとってあまり意味がありません。それに私も悲しみと憎しみを抱えた方たちを何十日も引き連れて移動する気はありませんから」
「言わんとすることは理解した。先に俺にだけ行き先を教えてくれないか。もちろん、このことは絶対に口外しないと約束する」
俺はここで悩んだ。
王国に亡命させるという情報が万が一聖堂騎士団に伝われば、俺の命はない。騎士団に捕まらなくとも
だが、ここでデニスの信頼を勝ち取れれば、この任務を完遂できる可能性が上がることは確かだ。
俺はここで決断した。
「いいでしょう。あなたを信じます」
そう言って人払いをしてもらった後、グライフトゥルム王国に向かうことと、マティアス様が教えてくれた目的、レヒト法国の戦力を低下させ、王国の国力を増加させるということを話した。
「なるほど……この話の信憑性が一気に上がった。確かにお前さんたち、その国、俺たちの三者に、大きなメリットがある」
その後、俺たちは族長の家で泊まることになった。但し、夕方から集会が行われるため、家から一歩も出られないという条件が付いたが。
翌朝、デニスから承諾する旨の報告があった。
「
そう言って右手を差し出してきた。
俺はその手を取り、大きく頭を下げた。
それから領都キルステンに戻り、教団の伝手を最大限に使って、聖竜騎士団の白竜騎士団の副団長と面会した。
少なくない賄賂を渡し、副団長自らが指揮を執ることを約束させる。
狼人族の村に到着すると、予定通り交渉を申し込んだ。
「奴らに殺されるかもしれんぞ」
副団長はそう言って止めるが、私のことを心配しているというより、気前のいいパトロンを失いたくないためだろう。
「大丈夫です。それに戦闘にならずに全員を奴隷にできれば、騎士団にとってもよいことではありませんか?」
「そうだな……だが、本当に老人や赤子にも金を出すのか? 未だに信じられんが……」
その言葉に大きく頷き、交渉に向かう。
デニスは約束通り、非武装で待っていた。
「出発の準備はできている。荷物も各家にまとめてあるから、それを運んでほしい」
「了解しました。この先、法国を出るまでは言葉使いが荒くなりますが、ご容赦を」
副団長に報告に行き、成功したことを告げる。
「全員が白竜騎士団のご威光にひれ伏し、降伏いたしました」
「信じられん……」
驚いている副団長に畳みかける。
「ここにある家財などは我々が買い取らせていただきます。騎士団の皆さんが運んで売るより、手間がなくてよいと思いますが、いかがでしょうか。もちろん、全額騎士団にお支払いします」
俺の最後の言葉で、副団長は自分に金が転がり込んでくると考え、即座に頷いた。
騎士団は村の外で待機し、その間に荷馬車を入れて家財を回収していく。それが終わったところで、デニスたちに手枷を付けていった。
多くの狼人族に睨みつけられるが、抵抗する者はいなかった。
「不自由を掛けてすみませんが、我慢してください」
小声で謝罪するが、騎士団の目があるところでは気の荒い奴隷商人を演じている。
すべてが終わった後、副団長に人数などを報告し、残っている者がいないことを確認させた。
「八百十一人か……隠れている者はいなかったから恐らく全員なのだろうが、これほどの人数になるとはな……」
最後には自分の懐に入ってくる金を計算しているのか、ニヤニヤと笑っていた。
三日掛けてキルステンに到着し、一泊した後、東に向かう。
大金を手に入れてご機嫌になった副団長がサービスで護衛まで付けてくれたから、恐れていたトラブルは発生せず、グランツフート共和国との国境付近に到着した。
レヒト法国とグランツフート共和国との国境はあいまいで、幅十キロメートルほどが緩衝地帯のようになっている。
護衛の騎士たちにも心付けを渡しているため、緩衝地帯に入る直前に機嫌よく引き上げていった。
あと少しで共和国に入るというところで、一旦止まる。
「手枷を外させていただきます。ご不自由をおかけしました」
そう言いながら全員の手枷を外していく。
人数が多いだけに一時間近く掛かったが、彼らは最後まで信じていなかったのか、驚きの表情を浮かべている者が多かった。
「すぐそこがグランツフート共和国です。既に話は通してありますし、共和国軍の護衛も付きますので、安心してください」
国境の検問に到着すると、驚いたことにゲルハルト・ケンプフェルト将軍が待っていた。
「ネッツァー氏から聞いているぞ。マティアスが法国の強力な戦力を引き抜いたそうじゃないか」
そう言って豪快に笑うが、俺は慌てた。
「その話はご内密に……」
後ろにいる
「俺はあの坊主のこと知っているから気にするな」
マティアス様が共和国の英雄と面識があると聞き驚くが、あの方ならあり得ると納得する。
ケンプフェルト将軍の名はレヒト法国にも轟いており、狼人族も知っていたため、大きく驚いていた。その将軍が狼人族の前で演説を行った。
「この先は我ら共和国軍がグライフトゥルム王国の国境まで護衛するから安心してくれ! 王国に入れば目的地は近いと聞いている! 今回の策を考えた、マティアス・フォン・ラウシェンバッハのことはよく知っているが、諸君らに不利益になることはしないと俺が断言する! 不安もあるだろうが、モーリス商会の者たちを信じてやってほしい! 以上だ!」
ケンプフェルト将軍がマティアス様の名を出したため、俺は思わず
何とか五月に入るまでに、目的地であるラウシェンバッハ子爵領に到着した。
領都ラウシェンバッハではわざわざ子爵家の家臣が出迎えてくれる。そして、翌日の朝、入植予定地に向かった。
ラウシェンバッハ子爵領はドライフェルス平原の中央部にあるが、
その理由は、西側には南西にあるヴァイスホルン山脈から
騎士団や
領都から南西に向かうと、雑木林と草原が混じり合ったような土地になる。
全体に乾燥しているものの、小さな川がいくつもあり、水利のよい場所さえ選べば、開拓に向いた土地であるように思えた。
領都から二十キロメートルほどの場所で、子爵家の家臣が停止を命じた。
「ここが入植予定地だ! ここを中心に二キロメートル範囲であれば、好きに開拓してもよい! 一応可能な限りの資材は準備した! 食糧は当面、こちらから支給するが、不足するものがあれば、領都に要求してくれ! すべてを叶えることはできんが考慮はする!」
入植予定地は百メートル四方ほどの大きさで、中に小川が流れている。また、生えていた木は抜かれ、大雑把ではあるが整地もされていた。更に木材や石材などが山積みにされており、小さな倉庫には農作業に使う道具が保管されている。
「本当に俺たちがここに住んでいいのか……本当に……」
族長のデニスが茫然としながら呟いている。他の狼人族たちも茫然と見ていたが、多くの者が涙を流して喜んでいた。
「マティアス様が手配されたんでしょう。あの方のやることに抜かりがあるはずはありませんから」
「そのマティアス様っていうのはどんな方なんだ?」
デニスの息子、エレンが聞いてきた。
「ラウシェンバッハ子爵様のご嫡男で、天才と名高い方です。詳しくはお話しできませんが、今回のこともすべてマティアス様のご指示です。ですので、我々ではなく、マティアス様に感謝してください」
「分かった。だが、これまでのことは感謝する。最初に疑って悪かった」
エレンはそう言って頭を下げた。
その後の
デニスたちが協力を申し出てくれ、彼らが説得してくれたためだ。
翌年の夏には十の氏族、約五千人がラウシェンバッハ子爵領に入植した。
まだ多くの村が建設途中だが、獣人たちは笑顔で働いており、この仕事をやってよかったと思っている。
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