第52話「疫病:その六」

 統一暦一二一一年二月十二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 深夜、エッフェンベルク伯爵家から使いが来た。


「先ほど奥方様がご逝去されました。主よりマティアス様、イリス様にお伝えせよと命じられました」


 妻のイリスも後ろで聞き、驚いている。


「シルヴィアさんが……大賢者様が診てくださったと思ったのですが……」


「はい。大賢者様は半日に渡って、シルヴィア様に治療を施してくださりました」


 私が無理を言って頼み込んだが、大賢者でも助けられなかったことに驚きを隠せない。


「葬儀は伯爵家の者だけで行うとのことで、マティアス様、イリス様には参列をお断りすると主は申しております」


 そこでイリスが堪らず声を出す。


「兄様の様子はどうなの! 大丈夫なの!」


「奥方様がお亡くなりになった直後は大層悲しまれ、我々も心配いたしましたが、大賢者様がお慰めくださり、今は落ち着いております。主より、大賢者様にお願いしてくださったマティアス様に感謝していると伝えるよう言われております」


 気丈なラザファムは何とか最愛の妻の死を乗り越えたようだ。


「分かりました。ラザファム卿にはお悔やみを申し上げると伝えてください。葬儀については配慮いただいた通り、我々は参列いたしません」


 エッフェンベルク家の家臣は頭を下げると静かに立ち去った。


「シルヴィア様が亡くなったなんて……三ヶ月前には生まれてくる子供のことで楽しくお話ししていたのに……」


 イリスは目に涙を浮かべている。

 義姉に当たるが、妹ができたみたいと言って喜んでいたのでショックが大きいのだろう。


「我々も更に注意しないといけないね」


「そうね。特にあなたは注意してほしいわ。騎士団本部に行くことも多いし、人と会う機会が多いのだから」


 イリスや子供たちとは最小限の接触に留めている。今も距離を取っているし、マスクも付けている。寝室は別だし、食事も一緒に摂らないようにしているが、身近な人が亡くなったと聞くと、これでもまだ不十分だと思ってしまう。


 それからラザファムに会うことなく、様子を見ていた。

 そろそろ顔を見に行こうと思っていた三日後の二月十五日、私は騎士団本部で体調を崩した。


 身体全体がだるく、頭がフラフラとし、喉が痛い。

 熱でぼやける頭でも感染したと直感した。

 護衛である獅子レーヴェ族のファルコに指示を出す。


「どうやら病に罹ったようだ。私はネッツァーさんの屋敷に行く。ユーダさんに連絡して、屋敷の者たちに注意を促してほしい。特にイリスと子供たちはカルラさん以外と接触しないよう徹底させてくれ」


「はっ! ユーダ様にそのように連絡します!」


「イリスには事前の計画通り、適切に対応してほしいと伝えてくれ。短ければ半月、長ければ一ヶ月ほど掛かるが、必ず帰るからと」


「はっ! 奥方様にその旨、確実にお伝えいたします!」


 私が頷くと、黒獣猟兵団の兵士が走り出す。

 自分の屋敷に戻ってもよかったのだが、治療が必要になるならネッツァー氏の屋敷の方が都合がいいため、事前に頼んであったのだ。


 私は参謀本部の者たちに指示を出した。


「私が病に倒れたことは隠すように。これは騎士団本部、軍務省からの問い合わせであっても同様だ。騎士団長と軍務卿にはこちらから伝える。君たちは私が極秘任務に就いたようだと周囲に伝えてほしい。よろしく頼む」


 指示を出し終えて馬車に乗り込むと、ネッツァー氏の屋敷に向かった。


(熱を出すのは子供の時以来だな……助かる確率は七割。悪くない賭けだ。それよりも子供たちの方が心配だ……)


 王都での成人の致死率は二割程度だが、私の場合基礎体力がないので、三割程度ではないかと勝手に思っている。


(問題はどれくらいで回復するかだ。この時間を利用してマルクトホーフェン侯爵が仕掛けてきたら目も当てられない……)


 不安を感じるが、徐々に意識がぼやけていった。


■■■


 統一暦一二一一年二月十五日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。イリス・フォン・ラウシェンバッハ


 夫マティアスが熱を出したという連絡を受けた。


「マティアス様より、イリス様には事前に計画した通りに、適切に対応していただきたいとの伝言を預かっております。また、遅くとも一ヶ月後には必ず生きて帰ることもお伝えしてほしいとのことでした」


 黒獣猟兵団の兵士が不安を隠すように表情を消して報告してきた。

 愛する夫が病に冒されたという事実に絶望しそうになるが、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの治療が受けられるのであれば、生きて戻ってくる可能性は十分に高い。


「分かったわ。カルラ、子供たちの世話をお願いするわね。私は何通か手紙を書かないといけないから」


 彼が心配していたのは、この事実を知ったマルクトホーフェン侯爵が何か仕掛けてくることだ。


 王国騎士団長のホイジンガー閣下と軍務卿のレベンスブルク閣下は政治的にマルクトホーフェン侯爵に対抗できないし、父カルステンは体調不良で、兄ラザファムも愛妻を失った衝撃が強くて対応できるか疑問がある。だから、私が適切に手を打つ必要があった。


 まず彼が病になったことは極力隠す必要がある。そのため、緊急の案件でヴェヒターミュンデ城に向かったことにする。


 そのためには命令書があった方がいい。ホイジンガー閣下に作成を依頼する手紙を書く。

 更にレベンスブルク閣下には帝国から難民が押し寄せる可能性があり、その対応が必要だと陛下に報告してもらうように依頼する。


 こうしておけば、マティの姿が見えなくなっても不思議に思う者は少ないはずだ。


「フレディとダニエルに伝えてちょうだい。王都内の商会に手紙を出してほしいと。内容はラウシェンバッハ子爵家が毛布と天幕を集めているから、在庫がある商会はラウシェンバッハ子爵領に運んでほしいと。問い合わせがあったら、マティが極秘任務で動いているとだけ伝えるように……」


 フレディとダニエルのモーリス兄弟には商人たちに噂を流してもらうために指示を出す。

 毛布と天幕を用意するということは難民の受け入れの可能性があるという証拠になるためだ。


 更にラウシェンバッハ子爵領にいる義父たちにも手紙を出す。

 内容は彼が病に罹ったことと、謀略のために毛布と天幕が大量に運び込まれるから、それを騎士団駐屯地に保管するようにという指示だ。


 手紙を書き終えると、椅子の背もたれに身体を預ける。

 彼の病のことを忘れるため、マルクトホーフェン侯爵に対抗することを考え始めた。しかし、直接動くことができないため、不安だけが募る。


(マルクトホーフェン侯爵が気づかなければいいけど……気づけば必ず何か仕掛けてくる。どのような手を打ってくるかは分からないけど……)


 偽装を行うが、唐突さは否めず、侯爵と腹心のヴィージンガーが気づく可能性は否定できない。


(兄様に相談できれば一番なんだけど、直接話はできないし、兄様の精神状態がどうなっているのか分からない……それを言ったら私も精神的にきついのだけど……マティがいなくなったらどうしよう。ネッツァー先生がいるから大丈夫だと思うのだけど、あの人は身体が弱いわ。もしものことがあったら……)


 そんな堂々巡りになる思考に陥っていた。

 考え込んでいると、カルラが声を掛けてきた。


「大賢者様がいらっしゃいます。シルヴィア様のことは残念でしたが、大賢者様ならマティアス様を助けてくださります。あまり思いつめないでください」


 そう言って優しい目で私を見ていた。

 カルラとは十年以上の付き合いで、姉のような存在でもある。


「ありがとう。そうね。大賢者様が診てくださるなら大丈夫。私は彼に頼まれたことをやるだけ」


 私はそう言うと、無理やり微笑んだ。

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