第2話「疑念」

 統一暦一一九三年五月七日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マルティン・ネッツァー上級魔導師


 私マルティン・ネッツァーが八歳の少年、マティアス・フォン・ラウシェンバッハと出会ったのは偶然に過ぎなかった。


 マティアス少年は生まれつき身体が弱く、高熱を発した。昏睡状態が三日間続いたため、彼の両親であるラウシェンバッハ子爵夫妻が上級魔導師であり治癒師として名が売れていた私に治療を依頼してきたのだ。


 私が治療を始めて数時間後、死に瀕していた彼の容態は劇的に改善した。

 但し、私の治癒魔導が功を奏したのか、彼自身の生命力が病に勝ったのか、それとも全く別の要因で回復したのかは分からない。


 普段であれば手応えのようなものを感じるのだが、その時に限っては手応えが一切なかった。そのため、偶然という思いが消えないのだ。


 回復したものの、マティアス少年は憔悴し切っていた。記憶もあいまいなようで、当初は自分が誰なのかすら理解できず、焦点が合わない目で両手を見つめながら、ブツブツと意味不明な言葉を呟いていたほどだ。


 そんなこともあり、両親の強い希望によって、回復した翌日以降も数日おきに往診を行った。それがよかったのかは分からないが、彼は日に日に回復していく。

 また、私も徐々に打ち解け、往診の度に会話をするようになった。


 そんな日々が二ヶ月ほど続いた春のある日、私は彼に対し強い違和感を覚えた。

 それは彼の言動が八歳の少年とは思えなかったためだ。


 彼は回復するにつれ、時間を潰すためか、父親であるラウシェンバッハ子爵の書斎にあった本を読むようになった。その本は子供が読むような物語ではなく、王国の歴史や諸外国との外交上の関連を記したものなど、文官である子爵が資料として使っている文献だった。


 当初私は子供向けの本がなく、暇つぶしに眺めているだけだと思っていた。但し、時折単語の意味を聞いてきたので、内容を理解しようと努めていることだけは分かっている。


 その日に彼が読んでいたのは、千二百年ほど前に存在した統一国家、“フリーデン”に関するものだった。


 フリーデンは神である管理者ヘルシャーが姿を消した後に普人族メンシュが作った国家で、理想郷であったと古い文献に記されている。


 理想郷と呼ばれたのはこの大陸、エンデラント大陸にあったすべての国家やコミュニティが統合され、数百年にわたって続いていた国家間や種族間の争いがなくなり、平和が訪れたためだ。


 それだけではなく、国家の統合と共に文字や度量衡、暦などが統一され、望む者は誰でも教育を受けることができ、知識の共有も図られた。


 それまで一部の特権階級が独占していた富を平等に分配したことにより、人々は飢えることがなくなった。


 この他にも誰もが魔導師による高度な医療を受けられるようになり、病を恐れる必要がなくなった。彼らの命を脅かす存在は寿命の他には、辺境に現れる魔獣ウンティーアのみとなったのだ。

 これらの話を初めて聞いた時、私はフリーデンに生まれたかったと強く思ったほどだ。


 しかし、平和な時代はわずか三十年ほどで終わった。理想の国家フリーデンが崩壊したためだ。崩壊の原因はオルクスと呼ばれる強欲な魔導師マギーアの一団が大規模な反乱を起こしたためだが、そのことを戯れに質問してみた。


「フリーデンが滅んだ理由は何かな?」


 マティアス少年は寝たきりであったことから、少年というより妖精のような儚げな見た目で、美しい少女と見まがうほどだ。彼は小さく首を傾げた後、私の質問に答え始めた。


「フリーデンの施政者が“人”というものを理解していなかったからだと思います」


 悪人であるオルクスが原因だと答えると思っていたため、私はわずかに動揺した。そのため、彼の意見を否定するような発言をしつつ、質問を重ねてしまう。


「フリーデンを作ったのは助言者ベラーターのマグダ様で、神である管理者ヘルシャーに匹敵する知恵者と言われているのだが、人を理解していなかったというのはどういう意味かな?」


 助言者ベラーターは大賢者とも呼ばれ、私が属する魔導師の塔、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの創設者であり、現在の最高指導者でもある。


 個人的に接する機会も多く、大賢者と呼ばれるだけの知識と見識を持っておられると確信している。そのことを否定されたため、子供相手に少し口調がきつくなってしまった。

 しかし彼は私の口調など気にした様子もなく、冷静に答えていく。


「組織、特に大規模な集団に必要なのは明確な“敵”です。敵がいない組織は団結し続けることができませんし、内に敵を作ることになります。理想郷というのは神話の中の話であって、現実ではあり得ないのではないかと思っています」


 目から鱗が落ちる思いだった。自分の経験を踏まえても、彼の言葉には頷ける部分が多い。

 しかし、なぜ八歳の子供がこのようなことを言えるのか、そのことが気になった。


「今の話は何かに書いてあったのかな?」


 私の言葉にマティアス少年は少し困ったような表情をした。


「何かで読んだ気がするんですけど、あんまり覚えてません」


 そこで私は強い違和感を覚えた。

 それまで大人の、それも強い知性を感じさせる大人と話している感覚だったのだが、突然、年相応の口調に変わったためだ。


 恐らくだが、自分でも八歳の子供が口にすることではなかったと気づいたのだろう。自分が異端な存在だと気づかれることを恐れ、慌てて口調を子供のものに変えたのだ。


 その後、彼は警戒したのか、私の問いに子供らしい答えしか返してこなくなった。

 私はこのことで彼に対する違和感が更に強まり、彼が見た目通りの少年ではないと確信した。

 私はこのことを魔導師の塔にいる上司に報告した。


 王都シュヴェーレンブルクと魔導師の塔があるグライフトゥルムとは直線で約四百キロメートルの距離があるが、通信の魔導具ヴェルクツォイクを使えば、双方向での通信が可能だ。


 これは叡智の守護者ヴァイスヴァッヘのみが有している技術で、我々が他の魔導師の塔より優れていることを示している。


 情報伝達は早くとも、私の報告で塔がすぐに動くとは思っていなかった。

 しかし、上司である導師に報告した翌日、意外な方が私の屋敷を訪れた。

 それは助言者ベラーターである大賢者マグダ様だった。


 マグダ様は我が組織の最高指導者であり、私程度の地位の者が興味を持ったという報告を上げただけで、自ら動かれることはまずない。また、これほど早く行動に移されるとは思っておらず、驚きを隠せなかった。


 マグダ様はいつも通り、漆黒のローブを身にまとった老婆の姿で現れた。しかし、私の執務室に入られると、その姿を本来の妙齢の美女に戻す。それまでのバサバサの白髪から艶やかな黒髪になり、匂い立つような色気を感じさせる。


「そなたが見たというわらべのことを儂に聞かせてくれぬか」


 声も老婆のしわがれたものから、艶のあるものに変わるが、話し方はいつも通り、時代がかっている。

 導師に報告したことを伝えると、マグダ様は小さく頷かれた。


「直接うてみるかの」


 そうおっしゃられると、老婆の姿に変え、私に案内するように促す。


「すぐに案内あないしてくれぬか。あまり時間がないのでの」


 突然の訪問に子爵たちが困惑することは間違いない。本来なら事前に連絡し心の準備をさせるべきだが、マグダ様はお忙しい。


 常に各国を飛び回っておられるだけでなく、国王陛下からの呼び出しも多いと聞いている。だから時間が取れないことは充分に理解しているため、素直に頷く。


 一応ラウシェンバッハ子爵家に先触れを送り出し、そのまま屋敷に向かう。

 屋敷に到着すると、現れた執事に対し、大賢者マグダ様と共にマティアス少年に面会したい旨を伝える。執事は突然の訪問に慌てながらも、すぐに子爵に話を通した。


 同じように慌てた様子のリヒャルト・フォン・ラウシェンバッハ子爵とヘーデ夫人が現れる。二人とも三十歳ほどとまだ若く、大賢者様の突然の訪問に困惑している様子だった。


「だ、大賢者様を我が家にお迎えできたこと、ま、まことに光栄に思います……」


 子爵は有能な官吏と聞いているが、さすがに伝説の人物を前に緊張している。


「……我が息子、マティアスにお会いしたいとのことですが、いかなることでしょうか……」


「そこなマルティンより、病で失うには惜しい秀でた童がおると聞いての。念のため儂が診てやろうと思ったのじゃ。では、マティアスなる者の部屋に案内してくれぬか」


 子爵は困惑しながらもマグダ様の言葉に逆らうこともできなかった。

 部屋の前で立ち止まると、マグダ様は子爵たちを一瞥する。


「これより先は儂とマルティンのみじゃ。よいな」


 有無を言わさぬ言葉に子爵たちは頷くことしかできなかった。

 こうして私はマグダ様とマティアス少年の邂逅に立ち会うことになった。

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