第3話「大賢者との面談」

 統一暦一一九二年五月八日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 私の寝る寝台の横に大賢者マグダが立った。

 バサバサの白髪に深いしわが刻まれた顔、鉤鼻で細い目という魔女を具現化したかのような姿にたじろぐ。


 その大賢者の目がわずかに開き、ギロリと睨む。


「坊がマティアスかの?」


 名を尋ねるなら自分から名乗るべきだろうと思うが、当然そんなことを口にできるはずもなく、ただ頷くことで肯定するしかなかった。


 私の心の声は聞こえなかったらしく、私の主治医であるマルティン・ネッツァー氏が代わりに紹介してくれた。


「既に聞いていると思うけど、この方は大賢者マグダ様だ。君に危害を加えることないから安心してほしい」


 そう言った後、ネッツァー氏は大賢者に向き直り、苦笑交じりに話す。


「そのように睨んでは怖がられてしまいます」


「ふん。この程度で怯えるようなら儂が会う価値などないわ。それに見てみよ。このわらべは恐れているように見せながらも、こちらを冷静に観察しておるではないか。大した肝をしておるものじゃの」


 確かにこの時、私は彼女を見ていた。

 しかしそれは単にその方向を見たまま固まっていただけだ。怯えたように見せているのはなく、本当に怯えているのだ。

 そのことを口にしたくとも、声帯が恐怖で麻痺し、声が出ない。


「なるほど。確かにマグダ様の強い視線を受ければ、歴戦の騎士ですら怯み、目を逸らします。十にもならぬ子供なら泣き叫んで収拾がつかなくなるでしょう。このように声一つ上げず、視線を外さないということは、マグダ様のお考えの通りかと」


 ネッツァー医師の的外れな言葉に、私は心の中で“違う”と叫んでいた。しかし、数千年も生きている魔女も読心術は心得ていないらしく、私の心の声は届かなかった。


「坊よ。演技はもうよい。儂の問いに答えるのじゃ」


 演技はもうよいと言われても困るが、小さく頷くことでそれに答えた。


「このマルティンにフリーデンが滅びたのは施政者が人について理解しておらぬと申したな。今少し、詳しく話してみよ。儂が納得できるようにの」


 鋭い目つきで睨まれ、再び身が竦む。

 伝説が正しく、目の前にいる大賢者が本物の助言者ベラーターなら、フリーデンの建国にも関わっているはずで答えに窮す。


 しかし、適当な答えでは許してもらえないことは明らかだ。

 私は腹を括るしかなかった。


 昔やった大規模なプレゼンを思い出し、心の中で大きく深呼吸をする。そして、目の前に誰もいないという暗示を掛けた。


 これは昔やっていた緊張を解くためのルーティーンで、ある大企業で成果を発表した際、千人近い聴衆を前にしたが、これで切り抜けている。


 緊張を解すと、プレゼン時と同じように自信ありげな笑みを無理やり作り、そしてゆっくりとした口調で話し始めた。


「大きな集団でなくとも、人が二人以上集まれば、その人たちの間で必ず何らかの軋轢が生まれます。これは仲のよい夫婦であっても、血を分けた親子であっても。そして、どれほど幸せであっても些細なトラブルは必ず起きるのです。いえ、幸せであればあるほど、些細なことから不満が募り、それが原因で仲違いが発生することは珍しくありません……」


 大賢者の反応を見るが、彼女は厳しい表情を崩すことなく、私を見つめていた。しかし、先ほどのような威圧のようなものは放っていないことにわずかに安堵する。


「……一方、集団の外に自分たちを脅かす存在、すなわち敵がいる場合はどうでしょうか? 喧嘩ばかりする兄弟であっても、魔獣ウンティーアに囲まれ逃げ場を失えば協力せざるを得ませんし、雪山で遭難した場合も二人で抱き合って暖を取らなければ生きていけないのです……」


 稚拙な例を挙げて説明していくが、大賢者に納得した様子がない。そこで思い切ってこの世界での例を示すことにした。


「一例を挙げるなら、隣国であるレヒト法国です。彼の国は北にグライフトゥルム王国、東にシュッツェハーゲン王国、北東にリヒトロット皇国と三つの国に囲まれていましたが、いずれもレヒト法国に領土的な野心を示さず、また強国であったため、建国以来長きにわたって自国の安全を脅かされることがありませんでした……」


 レヒト法国はグライフトゥルム王国の南に位置する宗教国家だ。

 建国の経緯はよく分かっていないが、当初は清廉な宗教指導者によって統治され、聖堂騎士団による強大な武力を背景に魔獣ウンティーアを排除し、平和を享受していたらしい。


 しかし、建国から百年ほど経つと、独裁的な宗教国家らしく、指導者たちが腐敗していった。そして、その腐敗に耐えかねた人々が立ち上がり、グランツフート共和国という国家が独立し、国を割ってしまう。


「……それでもグランツフート共和国建国までに五百年以上の時間が掛かっています。しかしながら、フリーデンはわずか三十年で崩壊しました。この違いは何でしょうか?」


 そこで大賢者の表情を伺う。先ほどまでの威圧感が完全に消え、興味を持ち始めたような気がした。


「その違いですが、フリーデンではすべての人が平等に幸福であり、かつ不幸でしたが、レヒト法国はそうではありませんでした。それが原因ではないかと思うのです」


「すべての人が平等に幸福であり不幸であった……意味が分からぬの」


 それまで黙っていた大賢者が口を開いた。


「レヒト法国では一部の宗教指導者が特権階級として搾取していました。しかし、一般大衆の下に獣人セリアンスロープを置くことで、自分たちより下の者がいると思えたのです」


 レヒト法国はトゥテラリィ教という宗教による支配を行っているが、トゥテラリィ教の特徴として普人メンシュ至上主義がある。そのため、普人メンシュ族以外の種族、特に獣人セリアンスロープ族は迫害を受けていた。


「レヒト法国は獣人という生贄を大衆に与えましたが、フリーデンにはそれに該当する者がいませんでした……」


「うむ」


 そう言って大賢者は頷く。


「フリーデンは理想郷といえる国家でした。誰一人飢えることなく、誰もがそこそこ・・・・の幸せを享受できるのです。ですが、人は周囲と比較し、自分の立ち位置を見出します。周囲より優れていれば幸福ですし、劣っていれば不幸、そう考えるものだと思います」


「皆が等しく幸福であるが故に、自分より下の者がおらぬ故に、自らが幸福なのか不幸なのか分からぬと。坊はそう言いたいのかの?」


 私はその言葉に大きく頷いた。


「その通りです。フリーデンではあくせく働かなくても幸せになれたと本に書いてありました。裏を返せば、人より努力しても周囲との差が生まれないということなのです。これでは有能であり向上心のある人にとっては一種の地獄と言っていいでしょう」


「うむ……」


 大賢者は唸りながら考え込んでいた。私はそれを無視して話を進める。


「それに不満を持った一部の者たち、すなわちオルクスと呼ばれる有能かつ向上心を持った魔導師マギーアたちが蜂起したのではないか。私はそう考えました」


 フリーデンはある意味、究極の共産主義国家と言えなくもない。

 すべての財産は共有化され、王族などの支配階級に搾取されることなく、ある程度の労働の対価だけで飢えることなく暮らしていける。また、年を取って働けなくなっても充実した社会保障制度により、不安を感じることなく暮らせたらしい。


「坊の言わんとすることは分からぬでもない。じゃが、たとえ不満を感じたとしても、それまでの戦乱の時代と違って、誰も命の危険を感じぬのじゃ。その社会を打ち砕くような反乱を起こすことまで考えぬのではないのかの?」


「戦乱の時代と言われていますが、大陸全土で常に戦闘があったとは思いません。弱小国が飲み込まれたことはあったでしょう。その際に目を覆うような悲劇が起きたことも否定しません。ですが、大国の、特に有力者がいる首都あるいは大都市が戦乱に巻き込まれることは稀だったのではないかと思います。恐らく命の危機を実感したことがない人は多くいたはずです」


「そうじゃな。儂は各地を回っておったから知っておるが、実際にあの悲惨の光景を目にした魔導師マギーアは少なかろう……」


「オルクスと呼ばれた人たちが野心家だったのかは分かりません。ですが、魔導師マギーアという特殊な才能を持つ優秀な人たちだったことは間違いありません。そんな人たちが一般人と同じ評価しか得られないとなれば、不満を感じることは間違いないでしょう。まして平和な場所にいて、ある一定の評価を受けていた人たちなら、そもそもそんな社会を必要としていませんし、壊してしまいたいと考えてもおかしくない気がします」


 大賢者は「うむ……」と言って再び考え込む。


「優秀な人たちは自分たちが理想とする国家、自分たちが正しく評価される国家を作るために立ち上がったのです。同じようにより幸福を求めた人たちが彼らを支持し、反乱が大きくなっていった……もしその時、敵となる存在がいればどうだったでしょうか」


 大賢者は私の問いにゆっくりとした口調で答える。


「敵がいれば反乱など起こせぬな。その敵に付け込まれ、自分たちのやりたいことなどできなくなる。否、それ以前に敵と結託して反乱を起こしたと思われ、手を貸す者など出てこぬだろうの」


「私もそう思います。ですので急速にフリーデンは崩壊したのだと……もっとも歴史書には崩壊までわずか三十年と書かれていますが、実際にはフリーデンという国家は百年ほど続いたのではないかと思っていますが」


 大賢者は「そうじゃの」と言って肯定するが、すぐに目を見開き、疑問を口にした。


「坊はなぜそう思うのじゃ? 儂が知る限り、フリーデンは三十年ほどで崩壊したとしか書かれておらぬはずじゃが」


 私はその言葉に頷くが、すぐに否定する考えを説明していく。


「おっしゃる通り私の読んだ本にも三十年で崩壊したとだけしか書かれていません。ですが、様々な情報を統合して考えると疑問点が浮かんできます」


「どのような疑問点なのじゃ?」


 大賢者が興味を持ったことで私は自信を持った。そのことに安堵するが、油断することなく、冷静さを保ちつつ説明していく。


「フリーデン崩壊後、最初にできた国家は我が国、グライフトゥルム王国です。その成立が統一暦百二十年。つまりフリーデン建国から百二十年後に新しい国家が建国を宣言しているのです。フリーデン崩壊が統一暦三十年とすると、九十年もの間、国家がない状態が続いたことになります。群雄割拠の世界であったとしてもフリーデンという国の一部が生き残り、秩序を維持していたと考える方が自然だと思います」


 歴史書を見て疑問に感じたことだ。

 伝説ではフリーデンという国家は三十年ほどで滅んだとあるが、現在このエンデラント大陸に存在する最古の国グライフトゥルム王国が建国するまで九十年の空白がある。


 統一暦三十年はフリーデンの首都で大規模な反乱が起きた年に過ぎず、実際には反乱者オルクスとの間で内乱が継続し、ある程度秩序が回復したのが、グライフトゥルム王国の建国ではないかと考えている。


 その根拠は目の前にいる助言者ベラーターの存在だ。

 彼女はグライフトゥルム王国を本拠としている。フリーデンの建国にも関わっている人物が本拠としているなら、フリーデンと無関係ということはないはずだ。


 その九十年の間にフリーデンの真の崩壊の過程があり、それにグライフトゥルム王国の関係者が関わった。それもきれいごとではない事実が多くあり、それを歴史に残さないことで、グライフトゥルム王国の正統性を担保しようとしたのではないかと思っている。


「恐らくですが、フリーデンの崩壊をより悲劇的に見せ、それを教訓として残すために、あえて三十年という短い時間で滅んだと歴史に残したのではないかと。理由ははっきりしませんが、魔導師マギーアの力を制限するためではないかと考えています」


「なるほどのぉ……マルティンが驚くのも無理はないの。儂も驚かされたわ。よくぞここまで考えたものじゃと。否、まるで見てきたことを話しているようじゃの……」


 大賢者は驚くというより呆れたような表情を浮かべて私を見ていた。

 自分自身、八歳の少年が話すことではないと思っている。しかし、生半可な答えでは何かを隠していると思われるため、自分の考えを包み隠さずに話した。


「坊は何者じゃ? 何をするためにここにおる?」


 そう言って大賢者が鋭い視線を向ける。


「分かりません。自分がマティアス・フォン・ラウシェンバッハであること以外、何者であるのかは。自分が何のために生まれたのかも……」


 そこで私は賭けに出た。


「大賢者様にお尋ねします。私は何のために生まれてきたのでしょうか? 普人メンシュは大地を管理するために生み出されたと神話にあります。ですが、具体的に何をしたらよいのか分からないのです」


 この世界の神話には“神は大地を作り、それを管理させるために普人メンシュを作った”とある。地球でもよく見かけた類の話だ。


 自分が何者かは前世でも若い頃に考えたことがあるが、結局答えは得られなかった。恐らく普通の人間に答えることはできないだろう。その問いをぶつけることにしたのだ。


「そう切り返してくるか。これは儂の聞き方が悪かったの」


 大賢者はそう言ってニヤリと笑った後、更に言葉を続けた。


「そのように煙に巻けば、誤魔化せるとでも思ったか? そなたのような童に先ほどの話ができようはずがない。坊よ。もう一度尋ねる。そなたは何者じゃ?」


 その言葉を聞き、私は賭けに敗れたことを悟った。

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