第68話「油断:後編」

 統一暦一二一一年七月二十七日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 会議中に高熱を発して倒れてから三日目の朝を迎えた。


 一旦は小康状態になり屋敷に戻ったものの、再び高熱を発している。

 上級魔導師マルティン・ネッツァー氏に治療してもらったが、熱は下がり切らず、強い倦怠感は改善されていない。


 更に発疹まで現れ、赤死病が再発したのではないかと一瞬疑ったが、腕には内出血したようなどす黒い色が広がり、毒あるいは別の病気の可能性が高いことに変わりはなかった。

 それでも感染症の疑いがあるので、帰宅した時以外、家族とは接触していない。


 私の世話をしてくれるのはシャッテンのユーダ・カーンだ。

 彼は毒による暗殺を疑っており、私が倒れたことに責任を感じ、昼夜を問わず付き添ってくれている。


 今日は少し熱が下がり、久しぶりに話ができる状態になった。

 ユーダが私に水を飲ませながら、この三日で分かったことを報告している。


「騎士団本部でもマティアスと同じような症状の者が出ているそうです。現在、“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”が総力を挙げて、毒物が使われた形跡がないか探しております」


「同じような症状の者が出ているのですか……共通点はありませんか?」


 ユーダは私の問いに首を横に振る。


「部署はバラバラですし、共通のものを口にしたということはないようです。逆に同じ部署でも症状が出ていない者も多く、原因究明に苦慮しております」


「騎士団以外ではどうですか?」


「周辺の住民にもごく一部ですが、似た症状が出ております。それで井戸水を疑ったのですが、全くの無害でした」


 そこであることを思い出した。


「そう言えば、今年は異常に蚊が多かったような気がします。私も発症する三日ほど前に騎士団本部で刺されました。もしかしたら、蚊を媒介した病気かもしれません。一度調べてみてもらえませんか」


 王都は大陸北部にあり、比較的涼しいが、盛夏には蚊が発生する。

 また、冷房がないため、窓を開けっぱなしにすることが多く、蚊に刺されることはよくあった。しかし、今年は異常に多く、私だけでなく、多くの者が刺されている。


 マラリアやデング熱などの蚊を介した病気について詳しく知っているわけではないが、高熱を発するという特徴があったと記憶しているし、内出血に似た症状があるという話を聞いた記憶もある。


 また、グランツフート共和国南部の亜熱帯地域では、蚊による病気が多いという情報を見たことがあった。


 それらの情報に加え、王都内でも場所が限定されていることと、発症者がバラバラであることから、蚊による病気の可能性に気づいたのだ。


「蚊ですか?」


 ユーダは想定外の言葉に驚いている。


「はい。グランツフート共和国の南部では蚊に刺されると高熱を発することがあると聞いたことがあります。それで思い出したのです」


「なるほど。分かりました。調査してみます」


「調べる際に敷地内に不審な水がめや桶などがないか確認してください」


「水がめや桶ですか?」


 ユーダには私の意図が分からなかったようだ。


「蚊は水があるところで繁殖します。単なる偶然なら良いのですが、誰かが蚊を媒介にした病を流行らそうとした可能性は否定できませんから」


「なるほど。確かにその通りですね」


 それから二日経ったが、私の症状は改善されないどころか、更に悪化した。

 発疹は全身に広がり、内出血は腕だけでなく背中にも広がっていた。今は治癒魔導による解熱で意識はあるものの、強い倦怠感でしゃべる気力すらない。


「ずいぶん酷いようじゃの」


 大賢者マグダがベッドの横にいた。

 寝ている間に部屋に入ってきたようだ。


「王都に戻られたのですね……」


 何とかそれだけ口にできた。


「先ほど着いたばかりじゃ。どれ診察するかの」


 そう言って診察を始める。


「そなたが懸念していた共和国南部のフォルタージュンゲルの出血熱に似ておる。歯茎からも出血しておるようじゃし、まず間違いないの。じゃが、儂が来たからにはもう安心じゃ」


 そのまま手を翳し、全身にくまなく治癒魔導を掛けていく。


「しかし運がよかったの。この病は幼児や病で弱った者が罹ると、内臓がやられて死に至る。数日遅れておったら危険だったかもしれぬ」


 その言葉に私を狙った可能性が高いと思った。


「ユーダが調べておるが、どうやらそなたの思った通りのようじゃの。騎士団本部に怪しい水がめがいくつもあったそうじゃ。蚊もこの辺りにはおらぬ種類らしい。恐らくじゃが、そなたを狙ったものじゃろうな」


 敵は“蚊”という生物兵器を使ってきたのだ。なかなか嫌らしい手だと思った。

 油断したつもりはなかったが、まさかこのような手を使ってくるとは思っておらず、危うく命を落とすところだった。


「誰がやったのかも調べておるが、恐らく“真実の番人ヴァールヴェヒター”であろう。“真理の探究者ヴァールズーハー”は怪しげな人体実験をやっておるし、フォルタージュンゲルに支部もある。このような手の込んだことができる組織はあそこしかありえぬ」


 “真理の探究者ヴァールズーハー”は魔導師の塔だが、魔導以外にも過去の技術の復活を目指し、いろいろと研究を行っているらしい。その中には禁忌に近いこともあり、人体実験もやっているようだ。


「いずれにしてもそなたは療養せねばならん。儂の治癒魔導で内臓は修復できたが、機能を完全に戻すことはできぬ。半年前の赤死病からも回復し切っておらぬ中で、今回のことがあったのじゃからの。それに真実の番人ヴァールヴェヒターが暗殺に関わっておるなら、塔で静養した方がよい。今回のように思わぬ手で来られれば、カルラとユーダでも対応しきれぬ」


 幼少期と同じように“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の本部である“塔”で静養することを勧めてきた。


 儂かに直接的な暗殺ならカルラたちシャッテンで十分に守り切れるが、今回のような搦め手で来られると、後手に回る可能性が高い。


 今回は大賢者が間に合ったからよかったようなものの、今後を考えると提案に乗る方が良いかもしれないと思い始めていた。


「まずは身体を休めよ。儂もひと月ほどはここにおるからの」


 大賢者はそう言うと、私の頭に手を翳した。私は答えることなく、眠りに就いた。


■■■


 統一暦一二一一年七月二十九日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。イリス・フォン・ラウシェンバッハ


「とりあえずは命に関わることはないじゃろう。もっとも体力が落ちておるから細心の注意は必要じゃがの」


 マティが助かったことに安堵の涙が浮かぶ。


「ありがとうございました!」


「マティアスには先ほど言っておいたが、王都は危険じゃ。塔に行った方がよい。あそこなら“真実の番人ヴァールヴェヒター”も“ナハト”も手を出せぬ。万が一体調を崩したとしても、シドニウスがおるから心配はいらぬ」


 グライフトゥルム市にある叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの本部に行くことを勧められる。


「分かりました。彼が移動できるようになったら、グライフトゥルム市に向かいます」


 私は即座に了承した。

 大賢者様は世界中を飛び回っておられ不在であることが多いが、大導師シドニウス・フェルケ様は大賢者様に次ぐ大魔導師だが常に塔にいらっしゃるから安心だ。


「うむ。できるだけ早くの方がよいが、真夏の移動は身体への負担が大きい。十月まで待った方がよいじゃろう」


 確かに大賢者様のおっしゃる通りなのだけど、暗殺者に対する不安が大きく、すぐに頷けない。


「まだ二ヶ月以上先ですが、大丈夫でしょうか?」


「ここならば、まず安全じゃ。シャッテンを増やすように命じたからの」


「ありがとうございます」


 大賢者様がそうおっしゃるなら大丈夫だと安堵する。


「問題はマティアスとそなたが王都からいなくなった後じゃ。アラベラとマルクトホーフェンを抑える者がおらぬようになる。どうしたものかの」


「グライフトゥルム市には長距離通信の魔導具があります。彼の体調がよければ直接連絡できます。彼の調子が悪くても、情報分析室からの情報があれば、私でもある程度は対応できると思います。もちろん、彼ほど的確にはできませんが」


「うむ。マティアスの一番の理解者はそなたじゃ。それがよかろう」


 今回のことで、アラベラとマルクトホーフェン侯爵を生かしておかないと誓った。

 二度と後手に回らないよう、どんな手でも使うつもり。それが愛する夫を守る唯一の手段だから。

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