第69話「アラベラ対策」

 統一暦一二一一年八月一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵


 マティアス・フォン・ラウシェンバッハが病に倒れたと聞いた。“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者からの報告では、奴を守るシャッテンたちが騎士団本部を中心に毒物が仕掛けられていないか探っていたことから分かったらしい。


 奴は屋敷に篭っており、病状に関する情報は入ってこないが、本日騎士団本部を通じ王宮に辞表が提出されてきた。今年一月の赤死病から回復し切っていない状態で毒を盛られたから回復の見込みがないのだろう。


 姉のアラベラがしつこく暗殺者を送り込んでいることは掴んでいる。それでもあの鉄壁の守りを突破できるとは全く考えておらず、奴が倒れたと聞いた時は我々に対する謀略だと思ったほどだ。


 しかし、辞表が提出されてきたということは、奴に大きなダメージを与えることに成功したということだ。それでもまだ謀略の可能性を疑い、腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーと協議している。


「謀略の可能性はないか?」


「可能性はゼロではありませんが、低いと思います」


 エルンストは自信を持って答えた。


「その根拠は?」


「総参謀長を辞任すれば、発言力を大きく損ないます。特に御前会議では総参謀長の職にあるなら別ですが、子爵では出席することすら難しく、仮に出席できたとしても発言が認められることは稀です。ホイジンガーではお館様の敵になりえないことはラウシェンバッハも、そしてホイジンガー本人も理解しているでしょう」


「そうだな。ホイジンガーにしてもレベンスブルクにしても私の敵ではない。問題は後任が誰になるかだが、ラウシェンバッハ以上に弁舌が達者な者がなる可能性はない。そう考えれば、謀略のための辞任をホイジンガーが認めることはないだろうな」


 エルンストは私の言葉に頷くが、懸念を口にした。


「問題はアラベラ殿下が暗殺者を送り込んだという噂が予想以上に広がっていることです。恐らく奴の妻のイリスが動いたのでしょうが、グレゴリウス殿下の王位継承にまで影響が出かねない状況です。アラベラ様にご自重いただかなくてはなりません」


 その言葉に思わずこめかみを押さえてしまう。


「分かってはいるのだがな……姉上に自重という言葉はない。ラウシェンバッハが死ななければ、更に暗殺者を雇うはずだ。今回に限っては“真実の番人ヴァールヴェヒター”も当てにならん。何といっても彼らの儲けに直結してくるのだからな」


 姉の護衛として配置している真実の番人ヴァールヴェヒターの陰供が関与しているところまでは掴めているが、姉が気前よく金を払うため、積極的に情報を流してこない。


 どのくらいの金額が奴らに支払われているのかは分からないが、少なくともラウシェンバッハに手を出してもよいと考えるほどの額は出しているはずだ。だとすれば、よい金蔓ができたと考えてもおかしくはないだろう。


「しかし、この状況は危険です。マティアスであれば、我々に対して暗殺者を送り込むようなことはしませんが、イリスは夫を守るためならためらわずに暗殺という手段を採るでしょう。そして、イリスが激怒しているという噂が流れています……」


 その噂は聞いていた。


「正義は向こうにあるのです。それにイリスは王都の民に人気がありますから、我々は完全な悪役です。マティアスが動けぬ今、イリスがラウシェンバッハ家を動かしているでしょうから非常に危険です」


 エルンストの言っていることは私も考えていたことだ。


「そうだな。ラウシェンバッハ家は子爵とはいえ裕福だ。怒りに任せて“ナハト”を大量に雇うことすらあり得る」


「その通りです。万が一、マティアスが死ねば、モーリス商会を動かし、国家予算並みの金を投入することすらあり得ます。私としましてはお館様の安全を考え、暗殺は直ちにやめるべきと考えています」


 皮肉なことに、今の状況でラウシェンバッハに生きていてほしいと一番願っているのはこの私だ。


「それは分かっている。イリスは姉上を告発するために一人で動こうとしたこともあるのだ。彼女の行動力を過小評価することは危険だということは理解している。だが、姉上が私の話を聞かぬのだ」


「“真実の番人ヴァールヴェヒター”ではなく、“真理の探究者ヴァールズーハー”に手を回してはいかがですか? イリスが怒りに任せ、伝手のある闇の監視者シャッテンヴァッヘに依頼すれば、組織同士の抗争にも繋がりかねません。また、“ナハト”の暗殺者を大量に雇い、アラベラ様やお館様だけでなく、直接手を下した真実の番人ヴァールヴェヒターの間者も抹殺しろと命じる可能性もあります。その危険性を訴えれば、上位機関である真理の探究者ヴァールズーハーが自主的にやめさせる可能性があると考えます」


 エルンストの提案は一考の余地がある。

 “真理の探究者ヴァールズーハー”は構成員こそ多いものの、能力的には最古の魔導師の塔“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”に大きく劣ると言われている。


 また、真実の番人ヴァールヴェヒターの間者も、シャッテンナハトに比べれば、実力は数段劣り、王都にいる間者を全滅させられる可能性は十分にある。大きな組織と言っても数十人単位で間者を失えば、組織としては大打撃だ。


真実の番人ヴァールヴェヒターの間者にそのことを伝える。他にもこれ以上、我らを無視するようなら契約を解除し、闇の監視者シャッテンヴァッヘに乗り換えると脅してみよう。奴らも顧客を無視して金儲けに走っていると噂されることは本意ではないはずだ。特に我が家のような大口の客ですら無視するという噂が流れれば、信用に係るからな」


「それがよろしいかと思います。ただ、闇の監視者シャッテンヴァッヘに乗り換えるという話はされぬ方がよいでしょう」


「なぜだ?」


 エルンストの言葉の意味が分からず聞き返す。


「彼らにも矜持はあるでしょう。対立組織に乗り換えられるなら、消してしまえと考えないとも限りません。現状では真実の番人ヴァールヴェヒターが陰供として護衛しているのです。機嫌を損ねすぎれば、お命を狙われる恐れがあります」


「確かにその可能性はあるかもしれん……では、イリスが暴走する可能性と顧客を無視するような行いは不愉快だとだけ伝えることにする。あとは姉上への手当てだが……」


「アラベラ様にご自重いただくことが難しいのでしたら、別のことに意識を向けていただいてはどうでしょうか?」


「別のことに意識か……グレゴリウス殿下に意識を向けさせろということか?」


「いいえ」


 そう言って首を横に振った後、声を潜めて話し始める。


「ラウシェンバッハはほぼ無力化できました。次はグレゴリウス殿下の王位継承の順位を上げることを考えていただいてはどうかと……」


 そこで私も彼の言いたいことを理解した。


「つまり、フリードリッヒ王子を……ということか」


 あえて不明瞭に話しているが、エルンストは第一王子のフリードリッヒの暗殺に姉の目を向けさせろと言ってきたのだ。


「はい。現在、フリードリッヒ殿下はグランツフート共和国の首都におられます。そこで身罷られても目立つことはありません。そもそもフリードリッヒ殿下は民の前にほとんど出ておりませんから、病死と発表すれば誰も気に留めないのではないでしょうか」


「だが、フリードリッヒ王子の周りにはシャッテンが多数配置されていると聞く。それに共和国も同盟国の王子をむざむざと殺されるわけにはいかぬだろうから、警備は厳重だ。成功の見込みは低いのではないか?」


 そこでエルンストはニヤリと笑った。


「共和国で難しいのであれば、呼び戻せばよいのです。道中で狙えば成功率は上がるでしょうし、失敗したとしても戻ってくれば命の危険を感じ、自ら王位継承権を放棄するかもしれません。王宮内であれば、お館様の裁量で如何様にもできます。その点をアラベラ様に説明すれば、賛同いただけるのではないかと」


 悪くない考えだと思った。

 姉の評判はこれ以上落ちようがない。陛下を脅させてフリードリッヒを帰国させ、王宮内でいびり倒す。心が弱いと聞いているから、自ら王位継承権を放棄する可能性は高そうだ。


 それにしてもエルンストはここ数ヶ月で一気に成長した。

 以前ならこのような策を提案することなかったが、情報も的確に集めているし、策も迷うことなく出してくる。


「いいだろう。卿の策を採用する。姉上には私の方から伝えておく。あとは私に対する悪評をどうするかだな」


「その点も考えております。御前会議の場でアラベラ殿下を糾弾してはどうでしょうか? お館様の悪評が流れ迷惑していると。今ラウシェンバッハが死ねば、窮地に陥るかもしれない。だから、アラベラ殿下に王家の資産を使わせないようにしてほしいと訴えるのです」


「それに意味があるのか? 姉上がその程度のことでやめることはないし、私に対して文句を言ってくるだけだと思うが」


 あの姉がその程度のことで止まるとは思えない。


「アラベラ殿下に対しての行動ではありません。陛下とホイジンガーに対して、お館様がラウシェンバッハの死を望んでおらず、この状況を何とかしたいと考えていると理解させるのです。単純な方たちですから、ラウシェンバッハの助言がなければあっさりと受け入れるのではないかと思います」


「確かにありそうだな。分かった。その方向で動くとする」


 こうして私はエルンストの策に従って動き始めた。

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