第39話「月夜の死闘:その八」

 統一暦一二〇三年八月十一日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。第二騎士団団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク


 法国軍の赤鳳騎士団が城内に入ってきたという連絡があった。


『赤鳳騎士団が城門から進入開始しました。但し、白鳳騎士団が強引に割り込もうとしており、混乱が生じております。以上』


 司令官室にいるマティアス君から情報が届くが、この段階で割り込もうとする白鳳騎士団のギーナ・ロズゴニーに侮蔑に似た感情を抱く。


(愚かな……指揮官がいない赤鳳騎士団ではなく、自分たちが前に出るとでも言っているのだろうが、狭い城門に殺到すれば進入自体を邪魔することになると気づかぬのか……だが、この状況は敵にとって有利になる。できるだけスムーズに入ってきてほしいのだが……)


 それでも黒狼騎士団の兵士に化けたシャッテンたちが上手く誘導することで、順調に中に入り始めたという報告が入り安堵する。


「すぐに敵がここに到着するぞ! 第一連隊、戦闘準備!」


 城主館の前は幅百メートル、奥行き五十メートルほどの広場になっており、第一連隊の約六百名が前衛、団長直属の戦闘工兵大隊約四百名が後衛として待ち構えている。戦闘工兵大隊は予備兵力だ。


「敵が見えました!」


 誰の声かは分からないが、その声で前方に目を凝らす。赤鳳騎士団の兵士が徒競走かのように全力疾走で駆け込んでくる。


 その特徴的な赤い鎧が篝火の光を受けて鮮血のように見え、心に余裕がなければ、恐怖を感じたことだろう。


「迎え撃て!」


 私の命令で第一連隊の兵士たちが一斉に槍を構える。獰猛な笑みを浮かべて走り込んできた敵兵が、その光景を見て驚愕の表情に変え、急停止した。


『急に止まるな!』


『敵の待ち伏せだ!』


『押すな! 止まれ!』


 先頭が急に止まったため、敵に混乱が生じる。怒号と罵声が交錯するが、それに構わず命令を発した。


「第一連隊! 敵を殲滅せよ! 前進!」


 混乱した敵とは対照的に我が騎士団の兵士は秩序を保ったまま前進する。その整然とした前進に赤鳳騎士団の兵士たちに怯えが見える。


『下がれ! 待ち伏せだ!』


『敵は少ない! 蹴散らしてしまえ!』


 混乱している敵に第一連隊の槍が容赦なく突き出される。

 その間にも敵は次々と広場に入ってくるが、指揮命令系統が崩壊しているのか、身体強化を使って無謀な攻撃をしてくる者と、一旦立ち止まって命令を待とうとする者がぶつかり合っている。


「蹂躙せよ!」


 そう命じた後、マティアス君に繋ぐよう通信兵に命じる。


「ラウシェンバッハ参謀長代理に繋いでくれ」


 すぐに通信が繋がった。


「敵が混乱している。側面からの攻撃のタイミングだと思うが、君の意見は?……以上」


 どうも“以上”という言葉を忘れてしまう。そのことで苦笑が浮かびそうになるが、マティアス君からの返信が届いた。


『あと五分ほど待って総攻撃を開始しましょう。白鳳騎士団が割り込んだせいで思ったより敵が侵入していませんので。以上』


「了解した。それでどの程度の敵兵が入り込むことになるのかな。以上」


『城門の外にいる敵兵の数からの推定になりますが、赤鳳騎士団が三千、白鳳騎士団も三千ほどです。残念なことにロズゴニー団長は後方に残るようです。以上』


 六千の兵を第二騎士団三千と、守備兵団七百、義勇兵四千五百の計八千人以上で迎え撃つ。奇襲効果と合わせれば、充分な戦力だ。


 通信の間にも敵は続々と押しかけてきており、第一連隊が大量の死体を作っていた。既に広場を抜けて中央道路に達しており、遠くから“月”と“雲”という声が聞こえてくる。


「通信兵! 第二連隊長、第三連隊長、ジーゲル将軍、シャイデマン参謀長に連絡! 敵を攻撃せよ!」


 私は演習で使う演台の上から戦場を見ているが、城門までの中央道路は祭りの日の王都のように兵士で溢れていた。この状況では武器を持った状態で身体の向きを変えるだけでも周囲の者とぶつかってしまい、満足に防御もできないはずだ。


 攻撃が始まると、予想通り敵兵が次々と打ち倒されていく。更に“罠だ”とか、“下がれ”と、王国軍の兵士が闇雲に叫んでおり、敵はそれにも踊らされ右往左往している。

 敵が混乱しているのは、敵の指揮官を狙い撃ちするように予め命じてあったからだ。


 この策を聞いた際、奇襲によって大きく混乱するだろうから、敵の前線指揮官も適切な指示を出すことはできないから、狙い撃ちに意味はないと思った。そのことをマティアス君にいうと、彼は微笑みながら首を横に振った。


『指揮官の命令はたとえ間違ったものであっても、兵士は本能的にそれに従おうとします。そうなった場合、秩序を回復するまではいかないでしょうが、命令を出す者がいると安心し、冷静さを取り戻す可能性は否定できません。ですので、指揮官を殺した上で適当に叫ばせた方が敵はより混乱するのです』


 今となってはよく分かるが、よく思いつくものだと恐ろしくなる。


 そんなことを考える余裕があるのは、第一連隊が着実に敵を葬っているからだ。特にラザファム率いる第三大隊第一中隊とハルトムート率いる第二大隊第二中隊の活躍は目覚ましい。


 この二つの中隊は個性こそ違うものの、いずれも鎧袖一触という感じで敵を葬り続けている。


 ラザファムの隊は小隊長、分隊長、班長といった前線指揮官が完璧に機能し、敵の弱点を突きつつ、味方が相互にフォローし合うように的確に指示を出している。“氷雪烈火”という二つ名の通り、自身は激しく剣を振りながらも冷静に指示を出していた。


 一方のハルトムートの隊は兵士が三人一組になってフォローし合いながら、ハルトムートがこじ開けた穴を拡げていく。中隊長が最前線で剣を振るい続けているが、不思議と他の中隊と連携する形になっており、どうやって命令を出しているのかと首を傾げるほどだ。


 第一連隊の戦いを見ていると、副官の声が聞こえてきた。


「敵の一部が城壁沿いに左右に向かおうとしております」


 その指摘で城門の方を見る。

 城門が狭く逃げられないため、城壁を乗り越えて逃げようとしているらしい。


「エッフェンベルク伯爵に連絡。西に向かった敵兵を駆逐せよ」


「了解しました」


 副官が答え、通信兵がカルステン殿に連絡を入れる。

 エッフェンベルク騎士団は白鳳騎士団が城門に向かったことで手が空いており、城内に向かわせても問題はない。


「東に向かった敵はどうなさるのでしょうか?」


 聞き逃したと思ったのか、副官がおずおずという感じで聞いてきた。


「逃がしてやればよい」


「ですが……」


 私の言葉に疑問を口にしようとするが、それを遮って理由を説明した。


「黒狼騎士団が東側の城壁の一部を占拠したままだ。無理に追撃すれば、奴らが攻撃してくる。無駄な損害は極力減らすべきだ」


 副官は納得しがたいという顔をしている。その表情に不満が募る。


(マティアス君とまでは言わんが、ラザファムやイリスくらいの理解力がほしいところだな。もう少し士官の教育に力を入れねばならんな……)


 そんなことを考えている余裕が私にはあった。

 既に戦闘というより作業に近く、私が判断することがほとんどないからだ。


「このまま敵を殲滅せよ! 但し、無理はするな!」


 そして、更に指示を出す。


「敵に降伏を促せ! 降伏する者は武器を捨てろと大声で叫ぶのだ! 敵兵を死兵とさせるな!」


 これもマティアス君の発案だ。

 これまでレヒト法国との戦いではほとんど捕虜を取っていなかった。捕虜交換をすることもないし、法国が身代金を支払うこともないため、身体強化を使える敵兵を管理するのが大変だからだ。


 しかし、マティアス君は法国軍の兵士が、死に物狂いで反撃することを懸念した。そのために降伏を促し、生き残れる道を見せるべきだと提案したのだ。


「逃げ道がなくなり殺されるしかないとなれば、死に物狂いで反撃してきます。ですが、生き残るすべが僅かでもあるのであれば、それに賭けようとする兵士が出てくるはずです。人間誰しも死にたくないですから。こちらの損害を抑えるために降伏を促すべきでしょう」


「言わんとすることは分かるが、捕虜の扱いはどうするのだ? 十人や二十人なら何とかなるが、数百人単位となったら収監する場所すら確保できんぞ」


「当面は五人一組として誰か一人でも反抗したら、連帯責任で全員を処刑すると言っておけばいいでしょう。少し落ち着いたら、身代金を要求しましょう。運がよければ、王国にとって価値のあるものを手に入れられますから」


 法国が素直に身代金を払うとは思えないし、聖都までの距離を考えれば、交渉に時間が掛かる。そのことを指摘すると、微笑みながら首を横に振った。


「現地の指揮官でも渡せるものを要求するつもりです。まあ、誰が指揮官として残っているかで、要求できるかどうかも分かりませんから、その時になったら相談しましょう。それに捕虜が反抗的なままなら、今まで通り殺してしまうこともできますので、リスクはそれほどありませんよ」


 恐ろしいことをさらりと言うと思った。


 この策も成功した。

 敵の一部が降伏を申し出たが、それが受け入れられたと知ると、劣勢の敵兵が降伏し始めたのだ。

 これで勝てると思ったが、甘くはなかった。


「第四連隊長より緊急の連絡です! 黒鳳騎士団が城壁に迫っており、至急増援を願うとのことです!」


 最も警戒すべき敵、フィデリオ・リーツが動き始めた。

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