第八章:「東部戦線編」

第1話「辞令」

 統一暦一二〇五年二月十一日。

 ゾルダート帝国中部エーデルシュタイン、帝国軍本営。ゴットフリート・クルーガー元帥


 先ほど軍務府から辞令が届いた。

 マクシミリアンの第二軍団を正式に引き継ぎ、代わりに第三軍団をテーリヒェンに引き継げというものだ。


 皇帝を守護する第一軍団長と異なり、第二軍団長と第三軍団長は同格だ。つまり、昇格という意味はない。


 それでも父コルネリウス二世が俺を第二軍団長にしたのは、第二軍団を掌握し、更にテーリヒェンを通じて第三軍団も掌握し続けろということだ。


 そこから見えてくるのは、両軍団を使ってリヒトロット皇国を滅ぼせという父の意志だ。

 父が俺に期待していることはありがたいが、大きすぎる期待に戸惑いも感じている。


 確かに第二軍団と第三軍団を合わせれば、六万もの大軍となる。野戦においてなら、シュッツェハーゲン王国、グライフトゥルム王国、グランツフート共和国の三ヶ国の連合軍十万を相手にしても、俺が指揮を執れば勝利を得る自信は大いにある。


 しかし、攻城戦となると話は変わる。

 特に皇都リヒトロットは南に大河グリューン河が天然の堀として存在し、北はハルトシュタイン山脈が大軍の侵攻を阻んでいる。つまり、六万の精鋭がいたとしても、正面から戦えば、陥落させることは容易なことではないのだ。


 また、マクシミリアンが帝都に召喚され、軍団長を解任された影響も決して小さくはない。

 奴が第二軍団長として指揮を執っていた期間は僅か半年ほどと短いが、皇帝暗殺の嫌疑が掛けられたことで、将兵の動揺は決して小さなものではなかった。


 そして、俺が第二軍団長に就任することで、将兵たちは更に混乱するだろう。奴の徹底した合理主義的なやり方と俺のやり方は全く違うからだ。


 しかし、これは好機でもある。

 俺が第二軍団を掌握するには時間が掛かると、誰もが思うはずだ。つまり、敵も同じように考え、油断するということだ。

 その油断を突く。


 懸念があるとすれば、俺の後任であるザムエル・テーリヒェンだろう。

 彼はフェアラート会戦において、勇猛果敢な前線指揮官として名を馳せている。また、明確な目標を与えてやれば、その突破力は魅力的だ。


 その一方で独自に大軍を運用する才能がなく、精々一個連隊二千五百名を統率する能力しか持っていない。


 軍団長は三万の兵を指揮するため、担当する戦域も広く、総司令官からの命令をいちいち受けていては対応が遅れることもあり得る。その懸念を名将と名高い父は重視し、テーリヒェンとは長い付き合いであるにもかかわらず、彼の昇進を見送り続けてきた。


 今回テーリヒェンを軍団長に推薦したのは軍務尚書であるシルヴィオ・バルツァーだ。皇帝自らが命じたことなら反対は難しいが、軍務尚書が相手なら内示があった時点で、前任者として反対することは可能だった。


 本来であれば、帝国軍を弱体化しかねない人事であり、反対すべきだった。しかし、この話に乗り、テーリヒェンを使いこなせれば、大きな功績を挙げることができる。

 その先にあるのは皇帝の座だ。俺はその誘惑に負けた。


 辞令の他にバルツァーからの書簡も入っていた。封を切ると、そこに入っていたのはバルツァーからの手紙ではなく、マクシミリアンからのものだった。


 書かれていたのは俺が功績を挙げれば大人しく身を引くということと、俺が皇帝になった暁には内務尚書として使ってほしいということだった。


 弟の性格を考えると本心であるかは微妙だが、少なくとも父が弟を処刑するつもりがないことは理解できた。マクシミリアンからの頼みであっても、皇帝に忠実なバルツァーが父の許可を得ずに密書を送る手伝いをするはずがないからだ。


 そう考えると、父はまだマクシミリアンを後継者候補から外す気がないことが分かる。

 俺としては、そのことはどうでもよかった。俺自身の手で皇帝の座を掴めばいいからだ。


 マクシミリアンからの手紙には皇国やグライフトゥルム王国に関する情報が同封されていた。特にシュヴァーン河周辺とグリューン河流域の水運に関する情報は役に立ちそうだと思った。この情報は正式に軍務府から各軍団長に送られるが、俺には事前に送ったとあった。


 思惑は分からないが、今後の戦略検討に役に立つため、ありがたく受け取った。しかし、何らかの罠の可能性も否定できないため、父にその密書を転送しておいた。こうしておけば、俺がマクシミリアンと内通しているとは思われないはずだ。


 俺とテーリヒェンの軍団長就任は兵士の多くが歓迎した。

 テーリヒェンは将としての才はないが、その豪快な性格から兵士に人気があるためだ。


 俺は兵士たちを前に、簡単な演説を行った。


「今回俺は第二軍団長となった! これが何を意味するのか!」


 そこで言葉を切り、兵士たちを見る。

 彼らは期待に満ちた目で俺を見ていた。


「皆も分かっている通り、我が帝国の悲願、リヒトロット皇国を打倒することを陛下より期待されているのだ!」


「「「オオ!」」」


 そこで兵士たちがどよめく。

 両腕を広げることでそれを鎮め、再び言葉を紡いでいく。


「まだ皇帝陛下からの正式な命令は届いていないが、近い将来、皇都リヒトロットを攻略せよとの命令が届くだろう! 第二軍団と第三軍団が協力すれば、堅牢な城塞都市であっても陥落させることは可能だ! 兵士諸君! 各指揮官の命令に従い、準備に邁進せよ! ここで皇都を陥落させれば、我らの功績は帝国の偉大な歴史となる! 諸君らの一層の努力に期待する!」


 俺が右腕を突き上げると、兵士たちの叫びが木霊する。


「「「帝国万歳!」」」


「「「ゴットフリート殿下万歳!」」」


 演説の後、テーリヒェンと今後について協議した。


「まずは元帥への昇進、おめでとう」


 テーリヒェンは頬に大きな傷を持つ強面を紅潮させ、俺の祝福に応える。


「これもすべて閣下のお陰です。今後ともよろしく頼みます!」


「閣下はよせ。貴様も元帥になったんだ」


「しかし、閣下は私にとって主君と崇める方です。どのように呼べばよいか……」


 戦場では豪胆な男だが、意外に細かいところを気にすると、笑みが零れる。


「クルーガー殿でもゴットフリート殿でもよい。まあ、俺が至高の座についたら、陛下と呼んでもらうが、それまでは命を預け合った戦友として接してくれ」


「クルーガー殿……ですか……」


 困惑の表情を浮かべているので、彼の肩をポンと叩く。


「貴様も元帥閣下と呼ばれるんだぞ」


 そう言って励ます。


「確かにそうですな。では、クルーガー卿を呼ばせていただく。しかし、某のことは今まで通りテーリヒェンと呼び捨てでお願いしたい。貴殿の方が先任ですから」


 何とか折り合いをつけたようだ。


「先任という話が出たが、今後のことで相談したい」


 相談といったところで、テーリヒェンはニヤリと笑った。


「皇都攻略のことですな」


「そうだ。今後第二軍団と第三軍団は一体で運用しようと思っている。頭が二つでは指揮命令系統が混乱するからだ。テーリヒェンには悪いが、これまで通り、俺の指揮下に入ってくれ」


「もちろんです! クルーガー卿の命令に全面的に従いますぞ。何でも命じてくだされ!」


 元帥になっても変わらないと思ったが、予想通りだった。


「まずは第三軍団を掌握してくれ。まあ、ケプラーの奴は扱いづらいかもしれんが、貴様の直属になる第一師団長だ。奴とは上手くやってくれ」


 ケプラーの名が出たところで、テーリヒェンの表情が一瞬硬くなる。第一師団長のウーヴェ・ケプラーは俺に対してもずけずけと意見を言ってくる奴だから、そりが合わないのかもしれない。


「善処は致しますが……」


 テーリヒェンもケプラーとは付き合いが長く、その性格は熟知している。

 この人事には俺も思うところがあり、第二師団長のホラント・エルレバッハを第一師団長にし、第二師団長にケプラーを充ててはどうかと具申したが、通らなかった。


「ケプラーは俺が直々に鍛えた将だ。能力的には問題ないことは分かっているのだろう」


「その点は疑っておりませんが……」


 そこで俺は彼の手を取った。


「ならば、奴を使いこなせ。陛下も期待しているが、俺も大いに期待しているのだ。貴様となら皇都攻略も現実のものになると思っている。俺が至高の座に就くために力を貸してくれ」


 俺の言葉に再び顔を紅潮させる。


「殿下が至高の地位に上がられるために、某も微力ながら全力を尽くす所存!」


 ここまで言っておけば、テーリヒェンもケプラーにある程度は譲歩するだろう。

 俺は両軍団を掌握すべく、兵士たちのところに向かった。

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