第59話「昇進」
統一暦一二〇八年二月一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
今日、王国騎士団で人事の発表があった。
目玉はラザファム、ハルトムート、ユリウスが揃って昇進したことだ。
ラザファムは第二騎士団の第三連隊長になった。
まだ二十三歳と非常に若いが、名門エッフェンベルク伯爵家の嫡男であり、勲章も得ていることから、順当だと思われている。
ハルトムートはヴェヒターミュンデ騎士団に転属の上、歩兵部隊長に就任することが決まっている。
歩兵部隊長は千人の兵士を指揮することになるため、連隊長と同格だ。
騎士に叙されていない平民の若者が連隊長待遇ということで、いろいろなところから異論が出ている。
人事については軍務省の管轄であり、義父である軍務次官カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵からその話を聞いていた。
『メンゲヴァイン宰相が最初に文句を言ってきたな。平民に以前の騎士長と同じ地位を与えるのはおかしいと』
騎士長は王国騎士団の前身、シュヴェーレンブルク騎士団で使われていた階級で、騎士団長に次ぐ地位に当たる。
『私も同じことを言われましたよ。ですが、私の説明を聞いてご納得していただき、最後にはよいことだとまで、おっしゃっていただきました』
そう言って笑う。
『この件でもマルクトホーフェン侯爵を出汁に使ったようだな。侯爵派の若手貴族がいろいろなところで文句を言っていたそうじゃないか。これは君が誘導したことなのだろう?』
義父の言う通り、私が流した噂で踊ってくれた。
『放っておけば、マルクトホーフェン侯爵がハルトの昇進に賛同すると思いましたので。あの方も宰相閣下の動かし方を覚えつつありますから、先に侯爵派の方たちに噂を流して踊ってもらいました』
マルクトホーフェン侯爵は、メンゲヴァイン宰相が自分の意見にことごとく反対すると気づいている。そのため、ハルトムートの昇進を邪魔するためには、自分が賛成すればいいということに気づくと思ったのだ。
侯爵が動く前に侯爵派の若手貴族に平民が連隊長待遇になるという噂を流した。彼らは特権意識の塊のようなものなので、侯爵に対しても何とかしてくれと直談判に行き、更に自分たちだけで軍務省や宰相府にクレームを付けに行っている。
マルクトホーフェン侯爵は彼らから話を聞き、困惑したはずだ。
ハルトムートの昇進を邪魔するためには賛成の意思表示をすべきだが、それを行えば自派閥の貴族が反発する。
また、単純に若手貴族の言葉通りに反対に回れば、ハルトムートの昇進を邪魔することができないだけでなく、最近集め始めた騎士階級の若手たちの離反を招きかねない。そのため、安易に賛意を示すことができなかった。
その時間を利用し、メンゲヴァイン宰相にマルクトホーフェン侯爵が反対してくるがよいのかと伝えた上で、ハルトムートが騎士に叙任される予定だと教えている。その結果、宰相も納得して賛同してくれたのだ。
『ヴェヒターミュンデ閣下がハルトムートの騎士への叙任を申請してくれて助かりました。あれがなければ難しかったと思います』
ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵は指揮能力が高く、兵たちにも人気があるハルトムートを非常に気に入っており、いずれは嫡男であるグスタフの腹心としたいと考えている。
グスタフは現在十八歳で士官学校の最上級生である四年生だ。成績は優秀で五番以内に入ることは確実と言われており、ルートヴィヒも大いに期待している。
また、娘であるウルスラがハルトムートに恋心を抱いていると知っており、自らの家臣にしたいと常々言っていた。
『いずれにせよ、ハルトムートが然るべき地位に就くことはよいことだ。彼はいずれ将軍になれる逸材だからな』
義父も彼のことを十代半ばから見ており、その才能を認めていた。
ユリウス・フェルゲンハウアーだが、彼も転属となる。転属先はハルトムートとは正反対の西部の要衝ヴェストエッケ守備隊だ。
転属後は守備隊の連隊長に就任することが決まっている。
ユリウスは既に騎士に叙任されているものの二十三歳と若く、本来なら揉める案件だったが、ハルトムートの方がインパクトがあったため、意外にすんなり承認された。
ユリウスをヴェストエッケ守備隊に推薦した人物は二人いる。
一人は士官学校長のハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍だ。
ユリウスの弓の腕は城壁の先に平原が広がるヴェストエッケの方が有利であることと、ライムント・フランケル兵団長の補佐役として優秀な戦術家を欲していたためだ。
もう一人は西部の雄、エドヴァルト・フォン・ケッセルシュラガー侯爵だ。
ユリウスのフェルゲンハウアー家はケッセルシュラガー侯爵家の寄子ではないが、有能な彼を取り込もうと考えたらしい。
三人は軍務省で辞令を受け、あいさつ回りを終えて夕方、私の屋敷に集まった。
三人の昇進は年初に内示が出ており、引き継ぎも終わっている。そのため、ユリウスは三日後、ハルトムートも五日後には王都を出発することになっている。
そのため、五人で会える機会は今日くらいしかなく、私が送別会を企画した。
本当は昔のように居酒屋で和気藹々とやりたかったが、子爵家の当主である私はもちろん、三人は連隊長クラス、イリスも主任教官と、気軽に居酒屋にいくことは難しい。
ラザファムのエッフェンベルク伯爵邸でもよかったのだが、ここなら気を遣わずに飲めるので、我が家で行うことにした。
「昇進おめでとう」
「おめでとう!」
私とイリスが祝福の言葉を掛ける。
三人ははにかみながらも“ありがとう”と返してきた。
「私としては連隊長になれるほどの武勲を挙げているとは思っていないのだがな」
ラザファムの言葉にハルトムートとユリウスが頷く。それに対し、イリスが少し強めの口調で反論する。
「そんなことはないわ。ヴェヒターミュンデの戦いで帝国軍を西岸に引き込んだのはあなたたち三人の大隊よ。あなたたちが失敗していたら、あれほどの勝利は得られなかったわ。だから順当な昇進よ」
「ラズとユリウスは当然だな。俺はオマケみたいなものだが」
ハルトムートの言葉に再びイリスが口を開く。但し、今回は少し柔らかい口調だ。
「ハルトの場合、正当な評価を得られてよかったと思っているわ。ヴェヒターミュンデ閣下があなたのことを気に入ってくださったからよかったけど、そうでなかったら昇進は見送られていたはずだから……騎士への叙任の祝福を忘れていたわ。おめでとう、ハルト。これでウルスラさんとのことも進みそうね」
「い、あ、それは……そんなことはねぇぞ!」
ハルトムートは顔を赤くした後、慌てた感じで否定する。
「あら、今回のことはルートヴィヒ様よりウルスラさんの希望が強かったと聞いているわよ」
ハルトムートは慌てて首を横に振っているが、収拾がつかなくなりそうなので私が割って入る。
「イリスの言うことはともかく、ヴェヒターミュンデ閣下は君を嫡男のグスタフ殿の腹心にしたいとお考えであることは間違いない。そうなるとウルスラ殿のこともそうだが、ヴェヒターミュンデ伯爵家の中での立ち位置をしっかり見極めないと面倒になる。そのことは覚えておいてほしい」
「今回は伯爵家の家臣としての叙任じゃないと聞いているが?」
ラザファムが疑問を口にした。
「その通りだよ。ヴェヒターミュンデ閣下は申請してくださったが、家臣として申請されたわけじゃない。いずれ家臣にしたいとは常々おっしゃっているけどね」
上級貴族である伯爵家の場合、家臣を騎士爵にする権限を持つ。その場合、自らの領地から俸給なり領地なりを渡すことになり、家名と紋章の登録だけが行われる。しかし、今回は王国軍に所属する騎士団長として申請しており、推薦に近い。
「つまり、独立した騎士爵としてヴェヒターミュンデ騎士団に入り、周囲に実力を認めさせた上で、重臣として登用したいということか」
「ラズの言う通りだ。ヴェヒターミュンデ伯爵家には多くの家臣がいる。それもほとんどが武官で忠誠心も高い。そんなところに家臣として登用された平民が騎士爵となり、嫡男の腹心になったら軋轢が生じることは容易に想像できる。それなら独立した騎士爵として実力を見せつけた上で、嫡男の腹心として家臣に登用された方がハルトもやりやすいと伯爵はお考えなんだ」
順番が変わるだけだが、こういったことは意外に揉める原因となる。
家臣になってから騎士爵になるのであれば、功績がなくとも伯爵の意向だけで十分だが、平民が後ろ盾もなく騎士爵になるには大きな功績が必要だ。
もちろん、ヴェヒターミュンデ騎士団の者たちもハルトムートが十分過ぎる実績を持つことは知っているが、伯爵のお気に入りとして入るより、実力を評価されて入ったとはっきり分かる方が後でやりやすい。
「閣下はそこまで考えてくださっていたのか……」
「そうよ。だから、ウルスラさんのことも私が興味本位で言っているだけじゃないの。ルートヴィヒ様もその辺りのことを考えておられたはずよ」
イリスの言葉にハルトムートは頷く。
「そうだな。まあ、なるようにしかならんが、真面目に考えてみるよ……それにしてもユリウスの話はないのかよ。お前も何か喋れ」
自分が標的になっていたから、無口なユリウスに絡んだようだ。
「特にないな。まあ、母からは見合いをしろと言われているが」
「ちょうどいいじゃない。ヴェストエッケなら領地までそれほど遠くないんでしょ」
イリスが目を輝かせて聞いた。
「ここよりはマシだが、それほど近いわけじゃないぞ。一度は帰郷するつもりだが……」
「結婚が決まったら連絡してよ。ユリウスのことだから、黙って結婚しそうだから」
その言葉に私たち三人が笑う。
「確かにありそうだな。無口に加えて筆不精でもあるからな」
そんな感じで楽しく酒を酌み交わしていたが、次に五人一緒に飲める機会がいつ訪れるのだろうと考えていた。
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