第19話「指揮官の心得」
統一暦一二〇三年七月三十一日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
夜明け前の午前五時頃。東のヴァイスホルン山脈が朝日を受けて輪郭がはっきりと見え始めた。
偵察に行った
その数は一万六千。軍旗から鳳凰騎士団のみが出陣していることが分かった。
その一万六千の兵が幅二キロメートルのヴェストエッケの城壁の左右と中央の三ヶ所に分かれて布陣していた。
最も西に白を基調とした鎧を身に纏った白鳳騎士団五千と十台の雲梯車。最も東に赤を基調とした赤鳳騎士団六千と十台の雲梯車。そして中央の城門前に黒い鎧に身を固めた黒鳳騎士団五千。
雲梯車は事前の想定通り、長さ二十メートル強、幅五メートル、高さ十五メートルほど。このままでは高さ二十メートルの城壁に届かないので、足りない分は折りたたまれた階段を伸ばすことで届かせる構造になっている。
雲梯車の移動は昨日見ていたが、ずいぶん苦労していた。
整地されていない草原であるため、移動速度は平均して時速二百メートルほどでしかなかった。
雲梯車は投石器の射程外である城壁から三百メートルほどの場所にあるため、最短では一時間半ほどで城壁に取りつくと想定している。
但し、城壁に向かって緩やかな上り坂になっていること、嫌がらせのために城壁前の草原に浅い溝を掘ったことから、もう少し時間は掛かると思っている。
対するヴェストエッケの防御体制だが、こちらも三つの部隊に分けている。
西はエッフェンベルク騎士団二千五百と大型投石器五台。東は第二騎士団三千と同じく大型投石器五台。中央はヴェストエッケ守備兵団二千だ。三ヶ所とも大型弩砲が十台ずつ配備されている。投石器と大型弩砲は守備兵団五百名が操作する。
合計八千名になるように調整しているが、これは第二騎士団とエッフェンベルク騎士団の到着を秘匿するためだ。そのため、各部隊とも十分な予備兵力を有している。
指揮官だが、第二騎士団は団長であるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵、エッフェンベルク騎士団はカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵、守備兵団はライムント・フランケル副兵団長だ。
本来であれば、全軍の指揮をグレーフェンベルク子爵が執るべきなのだが、本人が前線での指揮を希望したため、私に全体を見るよう命じてきた。
私は臨時の参謀に過ぎないため、そのことを指摘している。
「私は王立学院の教員で軍人ではありません。ですから、指揮命令系統として問題があります。第一、先日初陣を済ませたばかりの新人参謀に過ぎないんですよ」
「君が新人参謀だと誰も思っていないよ。それに君が全体を見て通信の魔導具で指示を出した方が的確だし早い。私も第二騎士団がどの程度戦えるのか、この目で確認したいのだ」
「指揮命令系統の観点はいかがですか? 王国軍人でない者が指揮を執るのは拙いでしょう」
「ならば、ジーゲル将軍に指揮を執ってもらおう。将軍、マティアス君と共に全軍を見てくれないか」
さすがに拙いと思ったのか、前線に立てないハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍を総司令官に指名した。
「承りましょう。やることがなく、どうしたものかと思っておったのですよ。もっとも彼の指示通りに命令を出すだけですが」
将軍はそう言って笑っている。
「うむ。よろしく頼む。これならいいだろ?」
ジーゲル将軍が命令を出すなら問題はないが、私の指示に従うという言葉が気になる。
「将軍が総司令官として指揮を執っていただけるなら問題ありません。ですが、私の指示に従うだけというお言葉は問題です。指揮官は判断することが仕事です。それを放棄するような発言は慎んでいただきたいと思います」
私の言葉にジーゲル将軍が小さく頭を下げる。
「確かに失言だった。君の判断を全面的に信頼しているという趣旨だが、きちんと判断した上で命令を出そう」
そのやり取りを見ていた身長二メートルの偉丈夫、フランケル副兵団長が話に割り込んできた。
「ラウシェンバッハ殿の言葉は将軍に対し、礼を失しているのではないか」
フランケル副兵団長はそう言って、私を圧迫するように一歩近づく。
彼は将軍のことを崇拝しており、学院を出たばかりの若造である私が、将軍を窘めたことが気に入らないらしい。
「参謀の務めは指揮官に適切な助言を行うことです。指揮官が健在な状況で参謀が勝手に命令を出すことは指揮命令系統の混乱を招く危険な行為です。そのことを指摘することが礼を失しているとは思いません」
副兵団長の圧力に負けないよう、こちらも笑みを作って反論する。
今の発言は副兵団長に対するものでもあるためだ。
フランケル副兵団長は四十歳を超えたばかりで、軍人としては脂がのってきたところだ。部隊長時代は一人の戦士としても前線指揮官としても優秀だった。ジーゲル将軍が後継者にしたいと考え、五年前に部隊長から副兵団長に昇進させている。
しかし、副兵団長に昇進した後はパッとしない。自発的に命令を出さず、将軍の命令に唯諾々と従うだけで、将軍はその点を不満に思い、兵団長の座を譲れずにいた。
「ライムントよ、よいのだ。彼の言っていることが全面的に正しい。冗談であっても指揮官が判断を放棄すると言ってはならんのだ」
ジーゲル将軍がそう言ってフォローする。
フランケル副兵団長はまだ不満げな表情をしており、私の発言の真意は伝わっていないようだ。
「私も少し言葉を選べばよかったと思います。フランケル副兵団長のご指摘通り、態度としては礼を失していたと反省しております」
禍根を残さないように頭を下げる。
「ならばよい。今後は気を付けていただきたい」
まだ不満げだが、将軍の顔を立てて引き下がった感じだ。
不安は残るが、中央は総司令部を置く物見塔に最も近いため、将軍の目が届きやすいと考え、この話を終えることにした。
「では、ジーゲル閣下が全軍を統括し、東をグレーフェンベルク閣下、西をエッフェンベルク閣下、中央をフランケル副兵団長が指揮を執るということでよろしいですね」
全員が頷いたので、作戦を伝える。
「基本的には昨日までに話し合った通りです。投石器で可能な限りダメージを与え、接近してきたら油の入った壺を投げてから火を掛けます。その間も弓兵と弩弓兵は攻撃を続け、更に接近されたら用意しておいた岩を雲梯車に投げ込み破壊します。敵の矢に対しては盾兵を適切に配置して対抗してください……」
簡単な打ち合わせの後、子爵と伯爵は所定の場所に移動する。
フランケル副兵団長も司令官室を出ていこうとしたが、ジーゲル将軍が呼び止め、別室に向かった。
■■■
統一暦一二〇三年七月三十一日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。守備兵団副兵団長ライムント・フランケル
作戦会議を終え、会議室を出ようとしたところで、ジーゲル将軍に呼び止められる。
「五分ほど時間をくれんか」
俺たち守備兵団の配置は中央の城門であるため最も近い。
そのため、特に急ぐ必要はないが、このタイミング将軍からどんな話があるのか想像できなかった。
「構いませんが……どのようなお話ですか?」
「大したことではない」
将軍はそうおっしゃるが、表情は硬い。
近くの会議室に入ると、将軍がゆっくりとした口調で話し始める。
「ラウシェンバッハ参謀長代理について、お前はどう見る」
質問の意図が掴めないが、正直な思いを伝える。
「頭が切れるだけでなく、見た目以上に豪胆な人物だと思っています。ただ、グレーフェンベルク閣下のお気に入りということで、いささか増長しているのではないかと」
正直な思いだ。
ジーゲル将軍が戦死したことにして敵の油断を誘い、その隙にごく少数の部隊を敵後方に潜入させて混乱を引き起こした。更に新たに派遣されてきた鳳凰騎士団を罠に嵌めた手腕は賞賛に値する。
しかし、グライフトゥルム王国軍の俊英と言われているグレーフェンベルク子爵に気に入られ、二十歳にもなっていないのに連隊長待遇、すなわち俺とほぼ同じ地位にあるためか、王国の西の守護神であるジーゲル閣下に対しても敬意を持っているように見えない。
「お前はそう見ているのか……では、先ほどの発言についてはどうだ?」
閣下は僅かに落胆したような表情を浮かべたが、すぐに別の質問を投げかけてきた。
「確かに理屈は向こうの方が正しいのでしょう。ですが、ラウシェンバッハ殿も自分を信頼しているという趣旨で閣下がおっしゃったことは分かっていたはずです。王国軍の宿将たる閣下に対してあのような言い方はないのではないかと思いました」
「あえて強い言い方をしたとは思わぬのか? お前も指揮官用の教本を読んでおるはずだが?」
「あえて強い言い方ですか? おっしゃる意味が分かりません」
閣下は再び寂しそうな表情を浮かべる。
「あれは儂だけではなく、お前に向けた言葉でもあるのだ。あの者は此度の戦いでお前が命令に従うだけで、指揮官としての決断を行わないのではないかと危惧しておる」
「ラウシェンバッハ殿が私のことを知っていると……しかし、彼とは会ってまだ半月も経っていませんし、私の指揮を見たわけでもないでしょう。それとも閣下が私のことを彼に伝えたのでしょうか」
閣下からは自分で判断して兵を動かせと何度も言われていた。しかし、俺には閣下のように兵たちを自在に動かせる自信がなく、どうしても命令を待ってしまうのだ。そのことを閣下が不満に思っていることは自分でもよく分かっている。
「儂は何も言っておらぬ……話は変わるが、あの者が何と呼ばれておるか知っておるか?」
昨年学院の兵学部を卒業したばかりの若造のことなど知るはずもない。
「存じません。こちらに来て初めて名を知ったほどですので」
「“千里眼のマティアス”と呼ばれておるらしい。お前も驚いたのではないか。鳳凰騎士団の将のことまで知っておったことを」
確かにそれはある。
鳳凰騎士団の騎士団長の経歴や性格、人間関係まで把握していたことに驚きを隠せなかった。それだけではなく、敵の攻城兵器についても予想しており、その対策まで考えてあったことにも驚いている。
しかし、そのことと今までの話が繋がらない。
「おっしゃる通りですが、それが何か」
「ラウシェンバッハ殿は儂だけではなく、お前や部隊長のことも詳しく知っておった。どのような戦い方を得意とするのか、どういう状況を苦手とするのか、儂よりも詳しく知っておったことに驚くより呆れたほどだ。当然、お前が自発的に命令を出せぬということも把握しておったぞ」
「
驚きのあまり、部隊長時代の話し方になりそうなる。
「今回の戦いでは、儂は戦死したことになっておるから、兵団の指揮を直接執ることができん。城壁での戦いであれば、問題は少ないが、突発的な事態が起きれば、現場での素早い判断が求められる。特に黒鳳騎士団のリーツは切れ者だそうだからな。何を仕掛けてくるのか、あの者でも想定できぬと言っておった」
「私の指揮が不安だと。つまり、あの発言は閣下に対してではなく、私に向けたものだとおっしゃりたいのですか?」
自分の能力を否定されたようで、怒りが湧き上がってくる。
「悔しいか。ならばあの者を見返すような指揮を執ってみせよ。いや、儂の後継者たる実力があることをグレーフェンベルク子爵に認めさせるのだ」
閣下が何を懸念されているのかようやく理解できた。
閣下は俺を後継者として育てるとおっしゃり、副兵団長にしてくれた。だが、俺は閣下の期待を裏切り続けている。
そして今回の戦いでは、王国軍の実質的なトップであるグレーフェンベルク子爵が参戦する。
ここで無様な指揮を見せれば、兵団長に推薦されても子爵が拒否するかもしれない。そのことを閣下は懸念されているのだ。
「ラウシェンバッハ殿は儂がこのことをお前に伝えることまで想定しておるだろう。そして、お前がそれに発奮するだろうということも」
「まさか……」
「あの者には未来が見えているのではないか。グレーフェンベルク子爵やエッフェンベルク伯爵は本気でそう考えておる。儂も最近そう思うようになった」
驚きのあまり言葉にならない。
「そんなことが……」
「よく考えてみよ。これまでなら王都から増援が来るのは、敵がここヴェストエッケに現れ、援軍を要請してから早くて一ヶ月、通常なら二ヶ月ほど後だ。だが、今回は敵の主力よりも早く増援が来ておる。子爵に聞いたが、この情報はラウシェンバッハ殿が探り出したものらしい。どうやって探ったのかは教えてもらっておらぬが、先を読むという次元の話ではなかろう」
「……」
閣下のおっしゃる通り、千キロ以上離れた場所のことをどうやって知ったのか、想像もできない。
「儂が戦死したことにしたのも、敵を油断させ、黒狼騎士団と鳳凰騎士団を仲違いさせるためだけではないだろう。お前が兵団長として相応しいか見るという理由もあるはずだ。あるいはお前に本来の実力を発揮させるためかもしれぬが」
閣下の言葉を聞き、あの優しげな微笑みを恐ろしく感じ始めている。彼の掌の上で踊らされているような気がして、言い知れぬ恐怖が沸き上がってきたのだ。
「いずれにせよ、お前は兵団長として、最も警戒すべき黒鳳騎士団と戦わねばならん。儂は全軍を統括せねばならんから、お前の面倒を見る余裕などないからな」
そうおっしゃるとゆっくりと立ち上がられた。
「お前のことは信頼している。だから好きなように指揮を執れ。拙そうな状況ならラウシェンバッハ殿が手を打つだろうし、儂も城を守るために全力で支援する」
俺の肩をポンと叩かれると、「武運を祈る」とおっしゃり会議室を出ていかれた。
残された俺は閣下の信頼に応えるべく、気合を入れ直した。
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