第59話「帝国の一手」

 統一暦一二一一年五月一日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。皇帝マクシミリアン


 赤死病なる疫病がようやく終息した。

 帝国全体の被害に関してはまだ完全には把握できていないが、国内での死者数は四十万人に達する見込みだ。


 特に酷かったのは帝都に繋がるザフィーア河流域だ。

 帝都でも五万人以上が死んでいるが、ザフィーア河とザフィーア湖の港湾都市では二十万人近くが死んでいる。


 帝都から水運を通じて疫病が広がったが、それらの都市では治癒魔導師が帝都より少なく、死亡率が高かった。


 比較的軽微だったのはシュッツェハーゲン王国との国境に近い南東部と旧皇国領である西部だ。


 元々帝都との物流は少なく、独立して経済が完結していることから疫病の発生自体が遅く、帝都などの知見が活用でき、疫病を封じ込めることに成功したためだ。


 軍の被害は深刻だった。

 第一から第三の正規軍団は遺体の処理を行ったことと、過密な兵舎で過ごすことが多いことから、爆発的に感染した。


 正規軍団以外でも国境の城塞などでは感染によって多くの兵士が死んでおり、帝国軍全体で二万人以上を失っている。


 また、リヒトロット市やエーデルシュタイン市など旧皇国領の城塞都市では、我が軍が感染を広めたとして、市民たちが大きく反発した。ようやく占領政策が上手くいき始めたところだったが、大きく躓いた形だ。


 実際我が軍の輜重隊が感染を広めた可能性が高く、市民たちの気持ちも分からないでもない。これに関してはラウシェンバッハの手の者が故意に広めた可能性が高かったが、内務尚書のシュテヒェルトが病死したため、諜報局が混乱し対処できなかった。


 シュテヒェルトと軍務尚書のバルツァーを失った影響は他にも出ており、この痛手から回復するのにどれほどの時間が掛かるのか、全く予想が付かない。


 そんなこともあり、総参謀長のヨーゼフ・ペテルセンと今後の方針について協議を行っていた。


「まずはどこから手を付けるかだな」


 余の言葉にペテルセンが頷く。

 相変わらず手にはグラスを持っている。淡いピンク色であることから、今日はロゼワインのようだ。


「軍関係に関して言えば、正規軍団の再編が必要でしょう。兵士の損失は大きかったですが、幸いなことに上級指揮官の被害が少なく、比較的対応は容易ですので。ただ、この状況で兵士を徴募するわけにはいきませんから、第一軍団を一個師団に縮小し、第二、第三軍団と被害の大きかった地方の守備隊に振り分けるべきでしょう」


「そうだな。しかし皇都攻略で資金を得られなかったことがここでも影を落とすな。第四軍団を結成できていれば、ここまで縮小せずに済んだのだが」


 皇都攻略作戦ではリヒトロット市と周辺の町や村を得ることができたが、不動産以外の資産を得ることができなかった。そのため、攻略作戦で使った戦費すら回収できず、第四軍団を編成することができていない。


「ものは考えようでしょう。兵が少なければ、その分維持費も少なく済みます。まずは民間を回復させ、余力が出たところで兵力を増やす方が合理的ですから」


「確かにそうだな。だが、皇国はともかく、グライフトゥルム王国は思った以上に疫病の被害が小さい。皇国への支援を強化されたら厄介だぞ」


 グライフトゥルム王国でも疫病の被害が出ているが、我が国の四分の一程度という話だ。ラウシェンバッハが事前に手を打ち、感染の拡大を防いだことが大きいらしい。


「そうですな。幸いラウシェンバッハが病から回復していないようですので、この機に手を打つべきでしょう。特に王国軍務省と参謀本部は柱を失っている状態ですから、内部分裂を誘えば、王国を弱体化させることは難しくないですので」


「マルクトホーフェンを使うか……」


「それがよろしいでしょう。私が送り込んだ者が上手く腹心の心を掴んだようですので」


 一昨年の皇都攻略成功後、第四軍団の結成が難しく、早期に皇国攻略ができないと分かった。


 そのため、王国を混乱させるべく、マルクトホーフェン侯爵の腹心ヴィージンガーの下に真実の番人ヴァールヴェヒターの工作員を送り込んだ。その者はオストインゼル公国の貴族という肩書で入り込み、ペテルセンが考えた策をヴィージンガーに授けている。


「マルクトホーフェンがこちらの策に乗るかが問題だな。あの男は意外に慎重だ」


 六年前に会った時には手強いという印象はなかったが、あれからラウシェンバッハに何度も煮え湯を飲まされ、マルクトホーフェンは成長している。


「彼にとってもメリットがあれば、必ず乗ってきます。それに今のところ、腹心であるヴィージンガーが策を考えて実行していると思っています。こちらの思惑に気づくことはないでしょう」


 マルクトホーフェンも真実の番人ヴァールヴェヒターの間者を多数雇っているが、同じ組織の工作員に対しては警戒していない。


 もちろん、その工作員がマルクトホーフェンらを暗殺しようとすれば、契約上問題になるので止めるだろうが、マルクトホーフェンが警戒しているのは闇の監視者シャッテンヴァッヘであり、そのような指示が出されているので比較的自由に動ける。


 また、闇の監視者シャッテンヴァッヘ真実の番人ヴァールヴェヒターの間者がマルクトホーフェンの周囲に多数いるため、我が国が送り込んだ工作員とは気づいていない。但し、我が国と接触していることは気づいているようで、連絡役として認識しているはずだ。


「それで何から始めるのだ?」


「まずはラウシェンバッハの追い落としを行います。そのためにアラベラを利用しようと考えております」


「アラベラ? 第二王妃をどう使うのだ? 思慮が足りぬ女だという噂だが」


 第二王妃のアラベラは王宮内で第一王妃を自ら手に掛けるような思慮のない者だ。そのような者をどのように使うのか気になった。


「ラウシェンバッハを暗殺するように唆すのです。アラベラとグレゴリウスの王都帰還を邪魔しているのはラウシェンバッハであり、病に倒れた今のうちに始末しないと王都に戻ることができないと言えば、必ず暗殺者を送り込むでしょう」


 その言葉に疑問を持った。


「しかし、ラウシェンバッハの周りには闇の監視者シャッテンヴァッヘの護衛がいる。それに黒獣猟兵団なる護衛も有能と聞く。我が国でも断念したのだ。アラベラが用意する暗殺者では歯が立たぬ」


 ラウシェンバッハの暗殺は実行にこそ移していないが、何度も検討されている。

 しかし、真実の番人ヴァールヴェヒターの間者からの報告では“ナハト”に匹敵する護衛が多数守っており、断念していた。


「成功する必要はないのです。アラベラは思慮が足りませんから、資金さえ続くのであれば、失敗しても何度も暗殺を命じるでしょう。それに対して周囲が危機感を持ってくれれば、自ら辞任するはずです」


「なるほど。その資金を我が国が用意するのだな。ラウシェンバッハも第二王妃を殺せとは命じられまい。問題は金が掛かることだな」


 余の言葉にペテルセンが自信ありげに頷く。


「その点は問題ありません。こちらで斡旋した組織に依頼させ、失敗したらヴィージンガーに証拠隠滅のためにその組織を潰さねばならないと囁けばよいのです。組織を潰し、資金を回収すれば、その金で別の組織に依頼できます」


「組織を潰すにしても闇の監視者シャッテンヴァッヘの報復と見るのではないか? そうなると受けるところがなくなると思うが」


「噂が広まれば、おっしゃる通りになるかと思いますが、数ヶ月は続けることができますから、ラウシェンバッハの周囲に危機感を持たせるという目的を達成することは十分に可能かと」


「よかろう。その策を実行せよ。失敗してもアラベラが暴走したとしか見られぬから、我が国にリスクはない」


「承知いたしました。必ずやラウシェンバッハを辞任させてみせます」


 ペテルセンはそう言ってグラスを上げた。

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