第十一章:「苦闘編」

第1話「ヴェヒターミュンデへ」

 統一暦一二〇八年八月二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 昨日、ゾルダート帝国のリヒトロット皇国への侵攻作戦が開始され、帝国軍八万が帝都ヘルシャーホルストを発ったという報告が入った。


 グライフトゥルム王国を牽制するために、帝国軍第二軍団三万が国境であるシュヴァーン河流域に派遣される。

 それに対応するため、リッタートゥルム城に向かう。


「絶対に無茶は駄目よ」


 私に抱き着いている妻のイリスが、不安そうな表情で見上げている。


「大丈夫だよ。安全なところで指示を出すだけだから」


 私がそう言ってもあまり納得した様子がない。


「カルラ、ユーダ、ファルコ。彼のことをお願いするわ」


 いつものメイド姿ではなく、女騎士の格好の“シャッテン”、カルラ・シュヴァイツァーが恭しく頷く。


「お任せください。私どもの命に代えましても、マティアス様はお守りいたします」


 その後ろでは同じく騎士姿のユーダが小さく頷き、黒獣猟兵団のリーダー、獅子レーヴェ族のファルコと団員九名が敬礼で応えている。


 イリスの後ろではフレディとダニエルのモーリス兄弟が真剣な表情で立っていた。彼ら自身は同行したいと考えていたようだが、戦場では足手まといになると考え、口に出していない。


「フレディとダニエルもよろしく頼むよ。商人たちにそれとなく、情報を流しておいてくれ」


「「分かりました!」」


 二人にはラウシェンバッハ騎士団が出陣することと、私が奇策を考えていることを商人たちにそれとなく流すよう頼んである。


 王都にいる商人たちは私が二人を気に入っていることを知っており、彼らが平民街に行く度に話を聞いてくるらしい。今回はそれを利用する。


 見送りを受けながら屋敷を出る。

 すぐに船着き場に行き、最初の目的地である商都ヴィントムントに向かった。


 この時期のシュトルムゴルフ湾は波も穏やかで、海風によって真夏の暑さも和らぎ、船の上は過ごしやすい。戦場に向かうという事実さえなければ、優雅なクルージングといっていいほどだ。


(イリスと一緒でないのはいつ以来だろうな……)


 イリスとは学院時代からほとんど一緒にいるため、何かが足りないという感じがして仕方なかった。


 それでもトラブルが起きることなく、二日後の八月四日の夕方にヴィントムントに到着した。


 ここではモーリス商会に足を運び、商会長であるライナルト・モーリスと面談する。

 店の外にはライナルト本人が待っていた。


「ようこそお越しくださいました」


 シャッテンの一人を密かに走らせ、店の外で待ってもらったのだ。

 わざわざそんな面倒なことをしたのは、商人たちに見せるためだ。


 私はともかく、黒獣猟兵団は商都では非常に目立つから、私がここに来たことがすぐに噂になる。


 更にライナルト本人と会っているとなれば、少しでも目端の利く商人なら、何か商売のネタになるのではないかと探りを入れてくる。


 何と言っても、モーリス商会は私のアイデアに乗ってイベント部門を立ち上げ、合同演習では大きな利益を上げている。今回も何か商売のネタになることを話し合っているのではないかと勘繰り、ライナルトに接触してくることは間違いない。


 応接室に入ると、ライナルトは真剣な表情に変えた。


「知り合いの商人たちに聞いていますが、先日の情報より更に皇都は大変なことになっているようです。このままでは帝国軍が現れただけで、降伏するかもしれません」


 ライナルトは十日前に皇都リヒトロットから戻ったところで、現地の最新情報を長距離通信の魔導具で王都にも伝えられてくれているが、更にここでも情報を集めてくれたようだ。


「皇国軍がまとまらないだけじゃなく、他にも懸念材料があるということですか?」


「はい。帝国軍が秋に皇都を攻めるという話は以前から流れていたのですが、抵抗すれば皇都を焼き払うという噂が流れ始めたそうです。それで貴族だけでなく市民もパニックになり、グリューン河の水運は大混乱に陥っていると聞きました」


「帝国の諜報局が流した噂でしょうか?」


「はっきりとした証拠はありませんが、マティアス様のお考え通りだと思います。皇国政府は義勇兵となる市民の脱出を防ごうと、港を封鎖したそうです。そのせいで物資の運搬が滞るだけでなく、市民の不満が高まり、皇都防衛の準備もままならないという話でした」


 敵ながら見事なものだと感心する。情報操作で民衆と軍に楔を打ち込み、更に準備まで妨害しているからだ。


「分かりました。引き続き情報収集と拡散をお願いします」


「その件はお任せください。ですが、私が動く必要はありませんか? 今からエーデルシュタインか皇都に向かえば、帝国軍より先に到着できますから、お役に立てると思いますが?」


 彼は帝国軍御用達の商人であり、皇帝マクシミリアンとも面識がある。また、皇国政府の高官とも太いパイプがあり、効果的な情報操作を行うことができる。


「申し出はありがたいですが、それには及びません。皇都では情報分析室と情報部が動いていますので、ある程度は何とかなると考えています。それよりもライナルトさんにここで情報の拡散をやっていただいた方が効果的です」


 ライナルトには私が密かに皇都に向かうか、帝国領内で何らかの策を実行するのではないかという憶測を流してもらう。


 その根拠としてイリスやモーリス兄弟だけでなく、いつも行動を共にしているお気に入りのメイドや執事すら連れていないとして、信憑性を高めてもらうのだ。


「承知いたしました。明日の朝にでも私のところに多くの者が来るでしょうから、それとなく情報を流しておきます」


 その翌日、再び船に乗り、ヴェヒターミュンデに向かい、八月六日の午後四時頃、ヴェヒターミュンデに無事到着した。


 城に入るとハルトムートが出迎えてくれた。


「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」


 そう言って私の肩を抱き、ポンポンと背中を叩く。

 彼と会うのは二月以来で、半年ぶりだ。


「ハルトも元気そうだね。ここの騎士団にはもう慣れたかな」


「ああ。いつでも戦えるぞ。そのことで閣下からマティに話があるそうだ」


 何となく予想は付いているが、こちらも話をしておきたいので、すぐに領主館に向かう。


 伯爵の執務室にすぐに通され、そこにはルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵と嫡男のグスタフ、部隊長クラスも待っていた。更に長女のウルスラも後ろに控えている。


 あいさつもそこそこに本題に入る。


「帝国軍が動いたと聞いたが、今回はどのような戦いになるのか、君の考えを聞かせてくれ」


 伯爵の言葉に頷き、説明を始めた。


「既に帝国軍の規模やこちらに向かってくるのが第二軍団であることは知っておられると思います。その第二軍団ですが、常識的に考えれば、ヴェヒターミュンデに二個師団、リッタートゥルムに一個師団を張り付け、我が軍および共和国軍の帝国領内進攻を防ごうとするはずです」


 私の説明に全員が頷いている。


「それに対し、我が軍が採る行動ですが、第二軍団を拘束しつつ、皇都攻略部隊を引き揚げさせるしかありません。下手にこちらから打って出れば、第二軍団に補給線を分断され、帝国内で孤立することになりますから」


「確かにそうだが、皇都攻略部隊を引き揚げさせることなどできることなのか? 皇帝が直々に率いているのだ。自ら設けた三年という期限も近い。滅多なことでは作戦を中止することはないと思うのだが」


 伯爵の懸念に小さく頷く。


「ご懸念の通りだと思います。今考えている策は、帝国軍の後方基地であるエーデルシュタイン付近が危険だと誤認させることですが、皇帝とペテルセン総参謀長を騙すことは容易なことではありません。それに最新の情報では皇都で混乱が起きており、帝国軍が侵攻すれば、一戦も交えることなく、降伏する可能性すら出てきておりますから、皇都を陥落させることに集中するのではないかと考えています」


 そこでハルトムートが発言を求めた。

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