第30話「兆候」

 統一暦一二〇三年八月十日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城壁。ハルトムート・イスターツ


 真夏の太陽が照り付ける中、俺は城壁の上から敵が行う作業を見ていた。

 奴らは土が入った布袋を担いでトンネルから飛び出し、土をばら撒いてからトンネルに戻っていく。


 坂路は三十メートルほど出来上がり、徐々に伸びてきている。但し、城壁に近づくほど高さが必要になるから、まだ全体の十分の一もできていない印象だ。


 こちらも手を拱いているわけではなく、敵が飛び出してきたタイミングで攻撃を加えている。但し、投石器でタイミングを合わせることはできないため、適当な間隔で比較的小さな石をばら撒いているだけだ。


 弓兵による射撃も似たような状況で、奴らの動きが速すぎるため、狙いを付けてもなかなか命中せず、通るであろう場所をヤマ勘で予測し矢を撃ち込んでいるに過ぎない。

 そのため、運の悪い敵兵に稀に当たる程度で、妨害にすらなっていない。


 逆に敵の弓兵が放つ矢で負傷する者が増え始めていた。即死するような者は少ないが、この状況に兵士たちが苛立っている。


「何とかならないもんですかね。このままじゃ、坂道ができ上がってしまいますぜ」


「出撃したらあっという間に蹴散らせるんですよ。隊長から軍師様に言ってくださいよ」


 兵たちが不満を口にする。


「まだ待て」


「ですが……」


 不満げな表情で反論しようとしたが、それを押し留めて話を続ける。


「マティアスが言うにはあの坂道は本命じゃないらしい。あれが完成するにはあと十日は掛かる。奴が言うには、敵はこちらを苛立たせて出撃させようとしているんだそうだ」


 もっとも敵の狙いについてはマティアスですら確信が持てないらしく、こちらを苛立たせることと、疲労を蓄積させることくらいしか思いつかないと言っている。


 そのため、団長を通じて兵たちの士気を維持することと、突発的な事態にも慌てるなという指示が出されていた。他にも夜襲で寝不足が続いているから、昼間のうちに体力を回復させておくことも言われている。


「いずれにしても、あと数日で何か動きがあるとマティアスが言っていた。だからイライラせずに待っていろ」


「軍師様がそういうなら仕方ないですね。のんびり待ちますか」


「数日なら待てますね」


 そう言って兵たちは納得する。


「お前らなぁ。俺は隊長だぞ。俺よりマティアスの言うことを聞くのかよ」


「そりゃそうですよ。隊長が言っているより千里眼のマティアス様の言葉の方が断然説得力がありますからね」


 そう言って軽口を叩いて笑っているが、兵たちのマティアスへの信頼の強さは本物だ。

 後方撹乱作戦でも、前回の攻城戦でもマティアスの作戦通りにいっており、信仰の域にまで達している感じだ。


「分かったら真面目に敵を監視していろ。大隊長にどやされるのは俺なんだからな」


 そうは言うものの、あまりやることがない。

 矢の消耗を抑えるように騎士団司令部から言われているし、敵が城壁に上ってこようとしない限り、やれることはほとんどないのだ。


 ただ気になることがあった。

 毎日、白鳳騎士団、赤鳳騎士団、黒鳳騎士団と出撃してくる騎士団が異なり、今日は黒鳳騎士団が担当なのだが、いつもより覇気がない気がした。


 大隊長にそのことを報告すると、しばらくしてからマティアスがやってきた。

 後ろには鎧を身に纏ったイリスとシャッテンのカルラが付き従い、彼自身も革鎧を着ている。


「いつもと様子が違うと聞いたけど、具体的にどこが違うのかな」


「具体的と言われても困るんだが……土を運んでいる兵士なんだが、人数は変わらないがいつもより運ぶ土の量が少ない感じなんだ。それにこっちを牽制してくる兵士があそこにいるだろう……」


 そう言って右手で弓を構えている敵兵を指す。


「奴らなんだが、矢の消耗を気にしているのか、いつもより手数が少ない気がするんだ。それに城壁に登ろうとする連中も上からの攻撃を気にしている感じが強い」


「なるほど、よく見ているね。さすがはハルトだよ」


 マティアスはそう言って私を褒める。


「敵を見る時は先入観を持たずにまっさらな目で見ろ。同じに見えても違いがないか、常に注意しろ。これはお前が作った教本に書いてあったことだ」


 兵学部に入ってから常に読んでいるから内容は完全に暗記している。


「頭で分かっていても実践できない人の方が多いよ。それに気づいたとしても間違いじゃないかと思って、すぐに報告しないことも多いんだ。現場の感覚をすぐに司令部に報告することはとても大事なことだからね」


 更にマティアスに褒められ、顔がにやけそうになるが、それを抑えて真面目な表情で話を変える。


「敵が動くと思うか?」


 俺の問いに彼は少しだけ考えた後、ゆっくりとした口調で答える。


「体力の消耗を抑えているとしたら、本格的な攻撃を考えているのかもしれないな……」


 その言葉に気持ちが昂るが、兵たちの手前冷静さを装って小声で確認する。


「今夜、大規模な襲撃を掛けてくるということか」


「どうだろうね。この十日ほどで我が軍には一千名近い損害が出ている。敵はこちらの正確な数を把握していないだろうけど、一万人程度と考えるなら一割近い戦力が低下したと思っているはずだ。そうなると、この辺りで勝負をかけてくるということは充分に考えられるね」


 黒狼騎士団の夜襲によって、第二騎士団でも二百名近い戦死者とその倍以上の負傷者を出している。エッフェンベルク騎士団も同様だ。夜襲に慣れている守備兵団は我々より損失は少ないが、それでも少なくない数の兵を失っていた。


 負傷者は治癒魔導師によって復帰しているが、全員が即座に前線に復帰できるわけではない。


 一方の黒狼騎士団だが、確認できている戦死者は二百名程度だ。王国軍に比べ、圧倒的に少ないが、これは敵が奇襲を掛けてこちらに損害を与えた後、本格的な反撃を受ける前に即座に撤退しているからだ。


「私ならもう五日ほどは続けるんだけど、法国軍にも事情があるからそろそろかもしれないな……」


 マティアスはそう独り言を呟く。


 白鳳騎士団のロズゴニーと赤鳳騎士団のプロイスが早期に決着をつけることを望み、それを黒鳳騎士団のリーツが抑えているとマティアスは見ている。


 リーツが抑えきれない場合は総攻撃となるが、自分勝手なロズゴニーとプロイスが自らの騎士団が昼に出撃した日の夜に、総攻撃を行うことを了承するとは考えづらい。彼らは自分たちが活躍したという実績を残したいからだ。


「そうなると、今夜が怪しいな」


 俺がそういうと、マティアスは小さく頷く。


「そうだね。明後日が満月だから、今夜か三日後に夜襲を掛けてくる可能性が高いと思う」


 新月の夜の方が敵から見つからないため、夜襲に適していると習ったことを思い出す。


「満月? 夜襲は新月の方がいいんじゃないのか? 戦術の教本にはそう書いてあったと思うが」


「確かに書いてあるけど、夜襲には条件があったはずだよ」


 そう言ってマティアスはニコリと微笑む。その微笑みはできの悪い生徒を嗜める教師の笑みに見えた。


「敵の位置を常に把握していること、地形を把握していること、敵までの移動ルートが確保されていること、気象条件が夜襲を行うのに有利であること、敵が油断していること、味方の指揮命令系統が完全に機能して、連絡手段を確保していること……このくらいだったかな」


 俺の答えにマティアスが頷く。


「あとは夜襲の目的が明確であることかな。法国軍は、移動ルートは分かっているけど、暗闇の中で連携が取れない大軍を動かすことに不安があるはずだ。もし、王国軍が事前に察知して逆に夜襲を掛けてきたら、少人数の襲撃でも同士討ちが起きるから」


 そこで後ろにいたイリスが話に加わる。


「確かにそうね。百人くらいでも、敵襲だ!と叫びながら突入してきたら、大混乱になると思うわ」


 俺も同感だと思い大きく頷く。


「なるほど。慣れている黒狼騎士団だけなら問題ないが、白鳳騎士団や赤鳳騎士団まで参加したら二万人近い。暗闇だと誰が味方なのか分からないし、隊長たちも混乱するだろうから、鎧の特徴が見える満月がいいということか」


「そうだね。それに灯りの魔導具や松明を使えば遠くから丸見えだけど、満月の光だと、槍の穂先なんかの反射する部分を隠してしまえば、五百メートルくらいまで近づいても見つかる可能性は低い。なら、同士討ちが起きにくくて奇襲しやすい満月の夜がいいと思ってもおかしくないんだ」


 マティアスの説明を聞き納得するが、自分の至らなさに少し落ち込む。

 落ち込んでいると、イリスが胸を張って話し始める。


「どっちでもあまり関係ないわね。通信の魔導具を持ったシャッテンの偵察隊に見張らせているから完全な奇襲を受ける可能性はないから」


 夜間の監視はイリスが指揮するシャッテンの部隊が行っている。

 毎日行われている黒狼騎士団の夜襲も、敵がクロイツホーフ城を出撃した直後に連絡が来るそうだから三十分程度の時間余裕はある。


「だが、敵が全軍を出して来たらヤバいんじゃないか? クロイツホーフ城から歩いても一時間以内にここに着くんだ。不寝番の部隊は対応できるが、休んでいる兵たちを叩き起こして準備させても配置に着くのはギリギリになると思うが」


 俺の言葉にマティアスは微笑みながら頷く。


「その点は私も同意だけど、全軍が出てくる徴候を察知したら、すぐにこちらも戦闘準備に入ればいい。それなら充分に間に合うと考えているよ」


「全軍が出てくる徴候か……潜入したシャッテンと連絡が取れないのにどうやって探るんだ?」


「戦術の教本に書いてあったはずだよ」


 マティアスに言われて記憶を辿る。


「食事の準備か! 炊事で上がる煙の量を見ればある程度は推定できると書いてあったな」


 俺の言葉にマティアスがニコリと笑う。


「その通り。ただ、敵にはリーツ団長がいるからなぁ。夜襲に見せかけて、こちらの疲労を誘う作戦に出られたり、逆に炊煙を上げない食事にして偽装されたりすると困るんだけどね」


 少し憂いた表情を浮かべていた。


「いずれにしてもグレーフェンベルク閣下がどうお考えになるかだ。これからその話をしてくるよ」


 それだけ言うと、マティアスはイリスたちと共に城壁から降りていった。

 彼らを見送った後、兵士たちが話し掛けてきた。


「結局、軍師様はどうお考えなんで?」


「まだ分からんが、今夜にでも大規模な夜襲があるかもしれないそうだ。団長から命令があるだろうが、今夜は早めに寝ておけよ」


「じゃあ、酒は飲まずに寝た方がいいってことですね」


「そういうことだ。酒は祝勝会まで取っておけ」


「それじゃ、何としてでも生き残らないと。せっかくの酒を他の連中に飲まれてしまうのは癪ですからね」


 そう言って笑っていたが、大隊長にどやされる。


「第二中隊! まじめにやれ! 今日の配給をなしにするぞ!」


 その言葉で俺たちはキビキビと動き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る