第29話「防衛戦開始」

 統一暦一二〇三年八月二日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 日付が変わったくらいの深夜、予想通り敵の夜襲があった。


 城の周囲を警戒していたシャッテンからの報告では、黒狼騎士団のほぼ全数が出撃しており、こちらも守備兵団、第二騎士団、エッフェンベルク騎士団のすべてに戦闘準備を命じた。


 城壁に上ってきた数は少なかったものの攻撃自体は激しく、守備兵団と第二騎士団に二十名程度の死傷者を出した。それでも敵の侵入を許すことなく、撃退に成功する。但し、その攻撃のせいで、深夜零時過ぎから三時近くまで起きていることになった。


 翌朝、睡眠不足に悩まされながら、夜襲についての最終的な報告を受けていると、城の外に出した斥候隊から連絡が入った。彼らには通信の魔導具を持ったシャッテンが同行しており、帰還を待つことなく、状況を伝えることができる。


『クロイツホーフ城より敵軍が出撃。その数、およそ五千。軍旗より黒鳳騎士団と思われる。敵騎兵部隊が接近してきたため、我が隊は退避する。以上』


 昼間にも何かしてくると思ったが、一個騎士団だけが出撃してくることに違和感を持つ。

 斥候隊の報告を受けた後、城壁の物見塔に上がる。そこから望遠鏡を使うと、黒鳳騎士団が隊列を組んで接近してくるのが見えた。


 私以外にも物見塔には、総司令官であるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵と参謀長のベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵、守備兵団のハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍がおり、それぞれ望遠鏡で敵を見ている。


「動きが早いな。だが、何をする気なのだ?」


 グレーフェンベルク子爵が私に問い掛けてきたが、敵の装備を見て思ったことを口にする。


「後方をご覧ください。手押し車が見えます。それにスコップを担いだ兵士も多数います。恐らくですが、突入用のトンネルを掘るつもりなのでしょう」


「トンネルか……対処法は既に用意されていたな。ならば問題はないということか」


「トンネルだけなら問題はありませんが、単純な突入作戦をするつもりはないでしょう。以前失敗していますから。狙いが分からない以上、警戒はしておくべきです」


 トンネルによる攻撃は以前から想定されており、実際に行われていた。

 トンネル作戦に対する策としては、城壁の周囲に雨水排水用の側溝を作り、そこに水を貯め、トンネルの開口部ができたら水を流し込めるようになっている。


 数十年前の攻撃でもそれを使って撃退しており、町の奥深くまでトンネルを掘るなら別だが、城壁付近で開口部を作るなら問題はない。また、町の奥深くまで掘るとしても、こちらから縦穴を掘れば、水を流し込めるので対応できないわけではない。


 ちなみにヴェストエッケの水源は北側を流れるラーテナウ川であり、生活用水として絶えず流れ込んでいるため、改めて水を用意する必要はない。


「黒鳳騎士団だけなら野戦を挑むこともできますが」


 シャイデマン男爵が野戦の可能性を指摘する。


「それはやめておいた方がよいでしょう。野戦のために出撃すれば、法国軍もクロイツホーフ城から出撃してきます。ごく短時間で黒鳳騎士団を殲滅できればいいですが、敵が時間稼ぎに徹したら、なし崩しで全面的な会戦に持ち込まれてしまいます」


 私の意見にジーゲル将軍が大きく頷く。


「ヴェストエッケの城門は狭い。その分撤退も容易ではないということだ」


 将軍の言葉を受け、子爵が方針を宣言する。


「これまで通り、守備に徹する」


 黒鳳騎士団は城門より東に一キロメートルほど、投石器の射程ギリギリである城壁から三百メートルの場所で停止する。

 そして、スコップを持った兵士たちが一斉に地面を掘り始めた。


 また、作業を行わない敵兵が城壁に近づき、弓兵が射撃を開始する。

 弓兵以外も城壁を登るような行動を見せ、守備兵団三千が城壁で反撃していく。反撃と言っても矢を放つくらいしかなく、重装備の敵に有効なダメージを与えられない。


 常識的な防衛戦ではあるが、打つ手がほとんどなく、もどかしさが募る。


「もどかしいわね。何もできないのかしら」


 私と同じ思いなのか、護衛として一緒にいるイリスが私にだけ聞こえるように話し掛けてきた。


「気持ちは分かるけど無理だね。リーツ団長が攻撃されることを想定していないはずがないから」


 監視強化を命じた後、私たちは物見塔を降りていった。


 夜になり、黒鳳騎士団の主力はクロイツホーフ城に戻っていったが、千人近い兵士が残り、作業を続けているという報告があった。


「敵は本気でトンネルを掘るつもりなのかな。それとも陽動作戦と見破られないように真剣にやっているのか……問題は明日以降も黒鳳騎士団が続けるかどうかだな」


 横にいるイリスが私の言葉を聞き、首を傾げている。


「白鳳騎士団と赤鳳騎士団は協力しないんじゃないの? 団長が根に持っているんでしょ」


「そうなんだけどね。そうなると、黒鳳騎士団と黒狼騎士団だけが毎日戦場に出るから疲れが溜まっていくはずだ。つまり総攻撃の時の主力が白鳳騎士団と赤鳳騎士団ということになる。リーツ団長やリートミュラー団長がそれをよしとするとは思えないね」


 懸念しているのは敵がどうやって攻撃してくるかだ。

 リーツが作戦案を考えたのであれば、ロズゴニーとプロイスに作戦の重要な部分は任せないはずだ。


 そうであるなら、黒鳳騎士団と黒狼騎士団が主力になるはずだが、主力となる騎士団を疲弊させるなら、別の策を疑う必要がある。

 そのことを説明すると、イリスは微笑んだ。


「それなら今悩んでも仕方がないわ。明日になれば分かるのだから。だったら、少しでも休んで英気を養った方が建設的よ」


 彼女の言う通りなので、食事を摂った後、夜中に起きる前提で早めに就寝することにした。


■■■


 統一暦一二〇三年八月八日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城南。黒鳳騎士団長フィデリオ・リーツ


 トンネル工事開始から七日目、作業自体は順調に進んでいた。


 現状では城壁の直前まで二本のトンネルを掘り進め、更に斜路建設用の横方向の穴も掘っている。敵に悟られないために地面まで到達させていないが、すぐに斜路の建設に取り掛かれるはずだ。


 なお、トンネルの作業には白鳳騎士団と赤鳳騎士団も参加している。

 当初は消極的だったロズゴニー殿とプロイス殿だったが、黒狼騎士団による夜襲が徐々に効果を表し、敵の損害が増えていることに気をよくして、今では兵士たちを叱咤するようになっていた。


 予想通り、王国軍は山脈越え作戦の情報に対して積極的に動くことなかった。

 今のところ、こちらの情報がどれだけ漏れているかは分からないが、警戒を強めるだけで積極的な手を打ってこないということは、情報漏洩は最小限に抑えられていると考えていい。


 この状況に安堵するが、もう一ついい傾向がある。それは王国軍がトンネル作戦を本命だと考えている可能性が高いということだ。


 理由はこの作業を積極的に邪魔しないことだ。今掘っているトンネルは本格的なもので、突入に使うことも可能なほど完成度が高いものだが、トンネルなら対応できると高を括り、我々に無駄な作業を強いられるとほくそ笑んでいるのだろう。


 完成度が高いのは雲梯車の組み立てのために連れてきた職人の中に、鉱山で働いていた者がたまたまいたためだ。その者が船大工らの手を借りて支保工という物を使って補強したため、幅三メートル、高さ二メートルほどのトンネルになったのだ。


 また、水が湧き出ることを想定し、城壁に向かって緩やかな斜面となっているヴァイスホルン山脈に近い東側とし、トラブルらしいトラブルは起きていない。


 これだけのトンネルを僅か七日間で掘り上げたことは素人の私から見ても凄いことだと思う。その元鉱夫も驚いており、作業している者全員が身体強化を使っているため、通常の倍以上の速度で作れているのではないかと言っている。


 そして、今日から斜路の設置に取り掛かる。

 トンネルを掘って出た土は確保してあり、更に周辺から土を運びこみ、大きな山が三つほどできている。


 斜路を建設し始めれば、この土砂で充分な量があると敵にも分かるだろうから、これが本命だと思い、慌てるはずだ。そうなれば、敵の目をこの斜路に引き付けられる。


 斜路の建設を邪魔しようとすれば、昼間も積極的に攻撃を掛けざるを得ず、敵の疲労は大きくなるはずだ。そして敵が充分に疲弊したところで、大規模な夜襲で決着をつける。


 斜路の建設を始める前に兵たちに作業内容を確認させる。


「最も南側は敵の投石器の射程内だ! だから土を盛ることよりも敵の攻撃を避けることに専念しろ! 敵が石を打ち込んでくれるなら、こちらの作業を手伝ってくれることにもなるのだからな」


 私の言葉で兵士たちが笑う。


「城壁に近い方は敵の矢に注意しろ。とりあえず、踏み固める必要はないから矢に注意しながらドンドン土を放り込んでいけ!……」


 本来であればしっかりと固めなければ、兵士たちが登っていく際に足を取られ、役に立たない。しかし、この斜路もダミーであるため、そこまで厳密に作る必要はない。


 ロズゴニー殿たちが何か言ってきても、ある程度土を運んでおけば、時間短縮になると答えれば、それ以上何も言ってこないはずだ。


「作業開始!」


 私の命令で兵士たちが一斉に動き出す。

 一時間もしないうちに、地面に次々に穴が開いていく。敵も気づいたのか、すぐに投石器と弓で攻撃してくるが、塹壕のような形になっているため、大きな被害は出ていない。


 今日一日で斜路の形が見えてきた。

 これで敵も我々が斜路を使って城壁を突破しようとしていると思うはずだ。


 作戦が上手くいっていることに気持ちが昂るが、敵にはジーゲル将軍以外の名将がいることを思い出し、昂った心を落ち着ける。


 敵が野戦を挑んでくることを考え、陣形を整えて待ち構えるが、トンネル作業の時と同じように敵が出てくることはなかった。しかし、いつもより激しい攻撃を加えてきており、目論見通りだと安堵した。

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