第20話「対帝国戦略」

 統一暦一二〇五年七月二日。

 グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 リッタートゥルム城から戻ってから一ヶ月半ほど経った。

 その間、私はラウシェンバッハを離れ、ヴィントムント市と王国東部の要衝ヴェヒターミュンデ城に一度行っている。


 ヴィントムント市では王都シュヴェーレンベルクや帝都ヘルシャーホルストなど長距離通信の魔導具を使って情報共有を行い、思った以上に帝国が偽情報に踊ってくれたことを知った。


 王国第二騎士団のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵は、その情報を聞いた時、上機嫌だった。


『さすがはマティアス君だな。リッタートゥルム城から帝国の上層部を混乱させるとは。この調子でゴットフリート皇子も翻弄し続けてくれると助かるのだが』


「運が良かっただけです。皇帝もゴットフリート皇子も大きく混乱したわけではありませんし、皇都攻略作戦が少しだけ先延ばしになっただけですから」


 謙遜でもなんでもなく、正直な思いを告げた。

 エーデルシュタインから入ってくる情報では、皇都攻略作戦が間近に迫っていることは明らかで、この状況でゴットフリート皇子が動いたら、対応できないことを憂慮しているのだ。


 六月初旬、ヴェヒターミュンデ城に行き、ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵と面談した。また、城の防備や対岸にある帝国の拠点フェアラートについて、確認を行っている。


 ヴェヒターミュンデ城は直径一キロメートルほどの城塞で、城壁の高さは十メートルほどある。また、北はシュトルムゴルフ湾、南はシュティレムーア大湿原、東はシュヴァーン河に囲まれているため難攻不落だが、ヴェヒターミュンデ伯爵はそのことに驕ることなく、堅実な防衛体制を築いていた。


 ヴェヒターミュンデ騎士団は以前の二千人ほどから五千人にまで増員しており、更に城内の帝国諜報員を排除したこと、補給物資の備蓄状況も問題ないことから、仮にシュヴァーン河の渡河を許しても、半年程度は守り切れることを確認している。


 帝国の最西部の都市フェアラートだが、王国軍情報部による調査では守備兵が三千ほどで、増員は行われておらず、我が国に対する侵攻作戦が行われる可能性は低いという結論だ。


 更に帝国西部の状況を調べた結果、フェアラート以東の都市には数百人単位の警備隊しか存在せず、対リヒトロット皇国戦に戦力を集中させていることが判明した。


 そのため、エーデルシュタインにいる叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室のシャッテンにゴットフリート皇子の動向に注視するよう指示を出している。


 エーデルシュタインに駐屯している帝国軍だが、私の情報操作に引っかかり、皇都攻略作戦が延期された。しかし、出陣準備はほぼ完了しており、皇帝の裁可が下り次第、即座に発動されるという情報が入っている。


 私の護衛であったシュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペだが、ヴェヒターミュンデから帰還後、とりあえずラウシェンバッハ子爵領守備隊に編入した。


 任務としては周辺の警戒だが、この決定にエレンら猟兵団の面々はあまり納得していなかった。彼らは私の護衛として常に行動を共にしたいと言ってきた。

 しかし、当面は敵地に近いところに行く予定もないので、強引に納得してもらっている。



 そんな感じで意外にバタバタしていたが、本日七月二日の昼過ぎに、情報分析室に属するシャッテンが、私のいるラウシェンバッハの領主館にやってきた。


 すぐにイリスとカルラ、ユーダの三人と共に、シャッテンからの報告を聞くことにした。


「組頭エルゼ・クロイツァー様より、マティアス様に至急報告するよう命じられました……」


 エルゼ・クロイツァーは闇の監視者シャッテンヴァッヘの“八の組アハト”の長で、情報分析室に属し、情報収集と操作を担当している。


「……昨日の七月一日に、エーデルシュタインからの緊急連絡があり、帝国軍第二軍団、第三軍団が皇都リヒトロット攻略に向け、出発したそうです。目的地は明確にされていませんが、噂では皇都の西、約二百キロメートルに位置するナブリュック市である可能性が高いと情報分析室では見ております……」


 ナブリュック市はグリューン河の北岸にある港湾都市で、グリューン河の中流から下流に掛けての水運の要となる都市だ。ここを占領すれば、皇都リヒトロットへの補給は困難になるし、兵站基地として活用すれば、陸上を進軍することも可能となる。


 更にシャッテンの報告は続いていた。


「……帝国軍の輜重隊には、数多くの組み立て式のボートが載せられていたそうです。その数は二千艇分ほどで、その大きさから漕ぎ手以外の兵士を一度に十名程度は運べると報告を受けております。この他にも大型投石器らしきものも多数運んでいるという情報もあります。進軍が順調なら、三週間ほど後の七月下旬頃にはナブリュック市の対岸に到着するとのことでした。以上が報告となります」


「ありがとうございます」


 シャッテンに礼を言った後、イリスたちと協議を行う。

 最初にイリスが発言する。


「皇都を下流から攻めるのは常道ね。補給路を遮断できるし、兵力を分散させることができるのだから。でも、ゴットフリート皇子がそんな常識的な作戦を命じるかしら? これで皇都を陥落させられるなら、皇帝でもできたはずよ。そこが引っかかるわ」


 彼女の言葉にユーダが頷く。


「私もイリス様と同じことを思いました。今までも二個軍団を運用していましたし、ボートを使った渡河作戦は何度も失敗していたはずです」


 二人の意見に私は大きく頷いた。


「私も同じですね。恐らくですが、ゴットフリート皇子は何らかの陽動作戦を考えていると思います。例えば、帝国軍の戦力のほとんどをナブリュック市に集中させることで、皇国の目を引き付け、その間にどこか別の場所から渡河を行って皇都に奇襲を掛けるとか。そんな意表を突く作戦を考えているのではないかと思います」


「それはありそうね。皇国軍の水軍を下流に集めておけば、皇都近くで密かに渡河することはそれほど難しくないわ。渡河した上で皇国軍の主力を引きずり出して、野戦を挑むくらいのことは考えていそうな気がする」


 イリスの言葉にカルラが疑問を口にする。


「その可能性はあると思いますが、野戦で勝利したとしても、皇都を陥落させることはできないのではないでしょうか。皇都は東西いずれの方向からでも二つの城を突破する必要がありますし、城と皇都の間に渡河した場合は、前後から挟撃されることになります。そのような作戦をゴットフリート皇子が実行するとは思えないのですが」


 カルラの言うことはもっともなことだ。

 皇都リヒトロットは西にダーボルナ城とラウエルン城があり、東にはラウスラー城とイスブルク城がある。それぞれに五千の兵があり、城を短期間で突破するのは非常に難しい。


 また、城と皇都の間に上陸しても、皇都に駐留する数万の兵と戦っている間に、城から出撃した部隊に挟撃されることになり、戦争の天才であるゴットフリート皇子がそのような危険な二正面作戦を採用するとは思えない。


「確かにそうだけど、だとしたら、どうするつもりなのかしら?」


 イリスの疑問にカルラとユーダは答えられない。


「ゴットフリート皇子にとって、最も排除したいのは水軍じゃないかな」


 私の独り言にイリスが反応する。


「確かにそうだけど、帝国軍は何度も皇国水軍を攻撃しているけど、成功したことがないわ。帝国には皇国軍と戦えるだけの有力な水上戦力はないし、岸から攻撃するにしても有効な攻撃方法がなかったはずだから」


「その通りだね。だけど、全く効果がなかったわけでもないはずだよ……」


 そこで過去の皇国軍と帝国軍の戦いを思い出す。


「水軍基地に奇襲部隊を送り込んだことがあったけど、警戒が厳重で船に近づく前に殲滅された……投石器による攻撃は設置場所が分かっていれば、射程の関係で回避することは難しくない……」


 そこで少し考え込んだ。


「水軍がナブリュック市に出撃したとしても、ずっと川の上にいるわけじゃない。ナブリュック市の港に必ず入るはずだ。ナブリュック市にも水軍基地はあるけど、それほど大規模じゃないとすれば、奇襲部隊を送り込めば、係留している艦船に大きな損害を与えることも可能かもしれない」


「確かにそれはありそうね。でも、その奇襲部隊を送り込むのが難しいのではないかしら」


 イリスの言葉に頷く。


「その通りだね。だとすれば、投石器を使う作戦か……水軍が通過する場所に密かに投石器を設置したとしても、数隻が攻撃を受ければ、射程外に逃げることができる。だとすれば、どこかに誘い込んで攻撃を加えれば……そうか! 分かったぞ!」


「どういうこと?」


「ナブリュック市を大々的に攻撃すると見せかけて、皇国水軍を引き付ける。その上で皇都に近く、投石器が有効に使える場所に、電撃的な渡河作戦を行って町や村を占領する。そこから皇都に向かって進軍するように見せかければ、慌てて水軍が駆け付ける。水軍が集まったところで、投石器で攻撃すればどうだろうか」


「それなら水軍に大きな損害を与えることができるわ! だとすると、投石器の射程内に入れやすい川幅が狭くなったところということね」


 イリスも私の考えが理解できたようだ。

 カルラも理解したのか、すぐに地図を取り出した。


「それに該当するのは皇都の西百二十キロほどの場所にあるゼンフート村です。川幅は三百メートルと狭くなっていますし、帝国側の南岸はやや高い位置になっていますから、充分に届くはずです」


 カルラが地図の一ヶ所を指さした。


「このことはすぐにでも皇国に伝えるべきね。そうしないと水軍を失って、補給手段もなくなってしまうから」


 イリスの言葉にシャッテンが頷いた。


「承りました。大至急、ヴィントムントに戻り、王都に報告いたします」


 シャッテンはそのままヴィントムントにとんぼ返りすることになった。


「よろしくお願いします。ですが、私もヴィントムントに向かいます。恐らく、王都から伝令を出したのでは間に合いませんから、ヴィントムントのモーリス商会にお願いすることになると思いますので」


 翌日、私はイリス、カルラ、ユーダと三名のシャッテン、そして黒獣猟兵団の狼人ヴォルフ族五名と共にヴィントムントに向かった。

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