第22話「ヴェストエッケ城攻防戦:その三」

 統一暦一二〇三年七月三十一日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城南。熊獣人族ゲルティ・ベーア


 夜明けと共に、このクソ重い雲梯車という奴を押し始めた。

 まだ昨日の疲れは完全に消えていないが、俺たち奴隷は命じられた通りにするしかねぇ。


 俺たちが入っている雲梯車は木の板で囲まれ、上には階段が作られている。一応、階段部分から風は入ってくるが、五十人もの男が入るとムッとした熱気はなかなか抜けない。


 昨日は黒鳳騎士団の兵士が手伝ってくれたから、まだマシだった。

 だが、赤鳳騎士団の連中は手伝う気がなく、力を振り絞ってもギシギシというだけでほとんど動かねぇ。


「もっと力を入れんか!」


 俺たちの監視役である兵士が鞭を振るいながら吠える。

 その横暴な態度に怒りを覚えるが、ここで文句を言っても鞭が飛んでくるだけだから、皆歯を食いしばって耐えて目の前の棒を押す。


 それでもほとんど進まない。

 原因は昨日と違い、車輪が通る部分を平らにしていないからだ。


「車輪の前を平らにしてくれ! そうすればもう少し早く進められるんだ!」


 俺がそう言って頼むが、赤鳳騎士団の兵士は鞭を振るうだけで聞き入れてくれない。


「つべこべ言わずに押せ!」


 これ以上言っても無駄だと思い、口を噤む。


 何度かギシギシと前後に揺らすうちに、何とか動き始めた。しかし、すぐに敵の攻撃が始まった。


 俺たちの周囲は全く見えないが、投石器から打ち出される岩が落ちるドーンという音や、他の雲梯車にぶち当たったバーンという音が聞こえてくる。


 俺たちの周りにある木の板は厚さ三センチくらいしかなく、矢は防げても岩までは防げない。


 時間が経つにつれ、敵の攻撃が命中し始める。

 俺たちの雲梯車にも岩が何度も当たり、強い衝撃を受けていた。それでも当たり所がよかったのか、防御用の板が割れた他は大きな損傷はなかった。


 雲梯車はどれだけ力を入れてもほとんど進まず、時間だけが過ぎていく。その間も投石器からの攻撃は続いており、防御用の板がどんどん外れていった。


 どのくらい時間が経ったのかは分からないが、太陽が高くなり、真夏の日射が雲梯車の中に差し込んできた。中にいる俺たちは太陽に焼かれ、汗が滝のように噴き出していく。

 だが、水を飲むことも休むこともできない。


 いい加減兵士が手伝えばいいのにと思っていたら、一旦停止するよう命令が出る。


「止まれ! これよりロープを取り付ける! その間に休憩しろ!」


 水袋が回されてくる。

 温い水だが、身体にしみ込むためか、上等な酒より美味いと感じた。


 水を飲んだ後、仲間たちの様子を見るが、肩で息をしている者はいるものの、けが人はいなかった。

 他の氏族の連中のことは分からないが、俺たちは幸運な方なのだろう。


 ロープの取り付けは十分ほどで終わり、再び動き出した。

 後ろからも押す兵がおり、先ほどまでより軽くなった。


 しかし、城壁が近づくにつれ、再び重くなっていった。

 中で押しているから気づかなかったが、緩やかな上り坂になっているらしい。

 それでも必死に押し、ゆっくりだが確実に前に進んでいく。


 ロープを引く兵士に矢による攻撃が集中しているらしく、矢を受けた兵士の死体が隙間から見えるようになる。


 法国軍の兵士が死んでいくことに留飲を下げる。奴らは俺たちのことを人だと思っておらず、様々な嫌がらせを受けていたからだ。


 城壁に近づくと、投石器の攻撃範囲から外れたのか、岩が当たる音がしなくなった。

 城壁に辿り着いてしまえば、俺たちの仕事は終わりだ。


「あと少しだ! 力を振り絞れ!」


 板が外れた隙間から見える城壁は目の前で、俺の言葉で仲間たちは最後の力を振り絞った。


 突然、上でパリンという陶器が割れる音がした。そして、ねっとりとした液体がぽたぽたと落ちてくる。


「油だ!」


 誰かがそう叫んだが、その直後に上で炎が上がり、何が起きたのか全員が理解した。

 王国軍が油を撒き、松明を投げ込んだのだ。


 火の着いた油が落ちてくる。


「熱い! 助けてくれ!」


「誰か背中の火を消してくれ!」


 運悪く油が掛かり、火が落ちてきた奴らが叫び声を上げる。

 隣の者が手で叩いて消していく。


 油が少なかったため、雲梯車に火が回ることはなかった。

 しかし、二人の仲間が酷い火傷を負い、押し棒にもたれかかって苦しんでいる。


「何とかしてくれ!」


 監督する兵士に頼むが、雲梯車を止めることはなかった。


「早く城壁に取り付くんだ! そうすれば助けてやれる!」


 その兵士を睨みつけるが、奴が言う通り城壁に辿り着いた方が、手当てができると思い直す。


 油による攻撃は一度きりで、その後は流れ矢が散発的に飛び込んでくるだけだった。


「止まれ! これより最後の階段を伸ばす! ロープを引け!」


 折りたたまれた階段部分を、滑車を使ったからくりで伸ばしていく。

 俺たちは言われるままにロープを引いた。


 ガシャンという音が響き、折りたたまれた部分が城壁に届いたことが分かった。


 その直後、外で隊長が何かを叫び、兵士たちが階段を駆け上がっていく。


「けが人の近くにいる奴はどんな状況か教えてくれ! その他の者は今のうちに休んでおけ! この後、何をさせられるか分からんからな」


 火傷を負った二人は既にこと切れていた。

 肩で息をしている者が多いが、体調の悪い者はおらず、これで終わったと安堵する。

 しかし、まだ終わっていなかった。


「油を投げ込んできたぞ! 退避しろ!」


 その声の直後、盾を持った兵士が何人も階段を転げ落ちていく音が響く。

 それだけならよかったのだが、上から火の着いた油が降ってくるため、俺たちにも被害が出始める。


「できる限り端に寄れ! 上から何が降ってくるか分からんぞ!」


 俺の言葉に全員が一斉に左右に移動する。

 俺たちは押し棒に鎖で繋がれているため、横にしか動けないのだ。

 しかし、その対応はすぐに役立った。


 バーンという音の後にガラガラと何かが転がる音が上から聞こえてきた。


「敵は大きな石を投げ込み始めたぞ! 弓兵! 奴らが投げこむ前に射殺すんだ!」


 どうやら今度は石を投げ込み始めたらしい。

 時々落ちてくるが、その石は直径三十センチを優に超える物で、思った以上に勢いがある。運悪く頭に直撃すれば死ぬことになるし、腕や肩でも骨折は免れない。


 その攻撃は何度もあり、下にいる俺たちにも被害が出始める。


「鎖を外してくれ! 頼む!」


 避けようがないため、鎖を外してくれと叫ぶが、戦いに集中しているためか、それとも俺たちのことなど無視していいと思っているのか、誰一人応える者はいなかった。


 やりようのない怒りに打ち震えるが、手首に着けられた頑丈な枷と鎖は俺たち熊獣人ベーア族の力をもってしても引き千切ることはできない。


 逃げられないことにも苛立つが、そもそもこの鎖自体にもイラついている。

 俺たちは家族を人質に取られ、命令を無視して逃げることなどできない。一人でも逃げ出す者がいれば、連帯責任で部族全員を殺すと脅されているからだ。


 それでも騎士団の連中は俺たちのことが信用できないらしい。聞いた話では、ブチ切れた獣人がそれまで嫌がらせをしていた兵士を戦闘のどさくさの中で殴り殺したことがあり、それを警戒しているというのだ。


 殴った獣人の気持ちは痛いほど分かる。

 俺たちは今回の作戦が成功しても、次は決死隊として使い潰されるはずだ。そして、俺たち男衆が全滅したら、領都ハーセナイにいる一族は売り払われるか、殺されるかして処分される。


 そして、いつか必ずそんな事態がやってくる。それが分かっているから、自暴自棄になるのは仕方がない。


 周りで戦闘が行われているが、俺たちにすることはなく、いろいろなことを考えてしまう。

 特に奴隷狩りに遭う前に、なぜこの腐った国を捨てて逃げなかったのかと。


 確かに逃げるという選択肢はあった。しかし、俺たち獣人は普人族メンシュの町や村に入れない。見つかれば、その場で殺されるか、奴隷として捕らえられるかの二択しかないからだ。


 だから、人目が付かない森の中を進むしかないが、女子供や老人を連れて何十日も森の中を移動することは現実的ではない。


 仮に森の中を移動できたとしても、国境付近では騎士団の兵士が定期的に巡回しているから、この国から出ることはまず不可能だ。


 国を出ずに奴隷狩りから逃げるには、森の更に奥に逃げ込むしかないが、森の奥には魔獣ウンティーアがいる。それも奥に行けば行くほど強くなり、結局は殺されてしまう。


 大人になり現実を知って絶望を感じたが、族長になっても俺にできることは何もなく、虚しい気持ちだけが残った。


 それとは別に、ここに来る途中で不思議なというか、おかしな話を聞いた。聞いた場所は北方教会領の領都クライスボルンで、獣人族の集落を丸ごと奴隷として買い上げている商人がいるという話だ。


 ダムマイヤー商会とかいう聖都の奴隷商が、働き手だけじゃなく子供や老人にまで金を払い、買い取っているということだった。男衆や若い女なら買い手はあるだろうが、老人を買ってどうするのかと気になった。


 ゾルダート帝国に売るらしいが、教会の坊主どもや騎士団の連中は金になるといって喜んで売っているらしい。

 帝国がどんなところかは知らんが、この国よりマシならありかなと思ったことを思い出した。


 そんなことを考えていたが、戦いは続いていた。

 続いてはいるが、赤鳳騎士団の兵士は全く動いておらず、膠着状態に陥っているだけのようだ。


 それはいいのだが、真夏の灼熱の空気が雲梯車の中に絶えず入ってきており、頭がくらくらする。仲間たちもぐったりとしている者が多い。

 食事は元々朝と晩の二回だけだが、水すらもらえない。


 外に向かって声を掛けても、俺たちのことを気にかける奴はおらず、俺自身の気力も尽きたため、そのまま雲梯車の押し棒に身体を預け、隙間から覗く青空を見上げていた。

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