第12話「捕虜返還交渉:その四」
統一暦一二〇五年十月二十日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。マクシミリアン・クルーガー元帥
本日、二度目の捕虜返還の交渉が行われる。
一昨日、昨日と協議を重ねたが、ラウシェンバッハの策略が思いつかず、これ以上時間を浪費することは得策でないと、父である皇帝コルネリウス二世は判断した。
グライフトゥルム王国の使節団だが、ここ白狼宮に閉じ込めておくわけにもいかず、昨日は監視を付けて帝都内を案内させている。もちろん、我々の認めた者以外は接触させず、工作を行わせないように配慮している。
ヴィージンガーなる若者は、我々は虜囚ではないと抗議してきたが、使節団の安全のためと押し切った。
全員が揃ったところで、こちらから切り出した。
「貴国の提示する条件を我が国は全面的に受け入れる。具体的な賠償金の受け渡しについて……」
ここまで私が話したところで、マルクトホーフェン侯爵が遮ってきた。
「お待ちいただきたい」
父が右の眉を上げて問う。
「何かあるのかな? 余は全面的に卿らの申し出を受け入れるつもりだが」
侯爵は勝ち誇ったような表情を一瞬浮かべた後、表情を消して話し始める。
「貴国からの謝罪の言葉を聞いておりません。我が国の国境をたびたび侵した上、今回は二万の兵力をもって攻め込んできたのです。我が国も貴国のフェアラートを攻めたが、我らには同盟国を救うという大義がある。だが、貴国にはそのようなものはなく、野心によって戦争を起こしたのです。それに対する謝罪の言葉が必要であると考えます」
「大義というが、王国が攻めてきたのは事実。それに我が軍が対応したにすぎん。第一、そのような条件は付けていなかったではないか? 一昨日、要求は金銭のみかと確認し、そうだと答えたと記憶している。それとも卿は僅か二日前のことすら覚えていられないほど、物忘れが激しいのか?」
父が揶揄するように指摘する。
「条件とおっしゃるが、戦争を仕掛け、我が方にも少なくない犠牲者が出ているのです。それに対し、謝罪するのが道理であると思いますが、帝国ではそのような礼節は持ち合わせぬということですかな」
侯爵は強気で攻めてくる。全面的に受け入れると言ったことから、我々が弱気になったと思ったようだ。
「国家が正式に謝罪するということは全面降伏にも等しいこと。そのことをお分かりか?」
私が指摘すると、侯爵に代わりヴィージンガーが反論してきた。
「もちろん理解しております。ですので、正式な文書での謝罪を要求しているわけではございません。皇帝陛下が我が国王陛下に対し、非公式に謝罪の言葉をいただければと考えております」
そこで彼らの目的に気づいた。
我が国から譲歩を引き出し、それをもって侯爵の手柄にしようとしているのだ。
彼らにとって交渉が延びることは不利益に繋がらない。そのため、更なる譲歩を引き出そうとしているのだろう。
「話にならんな! 条件は金銭のみと言いながら、後から付け加えてくる。余と帝国を愚弄するにもほどがあるぞ!」
父が怒りを爆発させる。
これは演技だが、父を知らぬ者が見れば、このまま手討ちにしそうな勢いに見えるはずだ。実際、ヴィージンガーは震えそうになりながら蒼褪めている。
しかし、侯爵は胆力があるのか、父の恫喝にも笑みを浮かべたままだ。
「交渉を長引かせ、民たちの不安を煽ろうとしているなら無駄なこと。王国が合意を踏みにじり、陛下に対し謝罪を要求したと公表すれば、民たちは王国に対し怒りを覚えるはず。そのような見え透いた策に我らが乗ると思っておられるのか?」
私が冷静に指摘すると、マルクトホーフェン侯爵は笑みを浮かべたまま、小さく首を横に振る。
「交渉を長引かせるつもりはありません。だが、何らかの配慮をいただきたいと思っております」
そこで父と内務尚書のシュテヒェルトが侯爵の意図に気づいたようだ。
「配慮か……ならば、余が話すことはないな。マクシミリアンよ。お前に任せる」
それだけ言うと、シュテヒェルトと軍務尚書のバルツァー、第一軍団長のマウラーを引き連れ、部屋を出ていった。
「マルクトホーフェン殿、ここは腹を割って話し合いたいが、そこのヴィージンガー殿と三人で話をできないだろうか」
「もちろん、構いませんよ」
そう言って侯爵はニヤリと笑った。
■■■
統一暦一二〇五年十月二十日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。エルンスト・フォン・ヴィージンガー
我々は皇帝に対して謝罪を要求した。
しかし、皇帝は怒りを見せ、それに対し、マルクトホーフェン侯爵閣下は“何らかの配慮”という言葉に変え、妥協点を探られる。
ここまでは想定内だが、マクシミリアン皇子と侯爵閣下、そして私の三人で“配慮”について話し合うことになった。
これは想定しておらず、また、対応方針書にも書かれていなかったので、私は困惑している。
「配慮とは具体的に何を求めているのか、教えていただけないか」
マクシミリアン皇子が切り出した。
「国王陛下に対して謝罪することが難しいことは理解しておりますよ。ですが、国王陛下を称賛することはできるのではありませんか?」
「貴国の国王を称賛する……」
マクシミリアン皇子も戸惑っているが、私にも侯爵閣下の意図が読めない。
国王陛下は特に何もしておらず、皇帝が賞賛したところで、陛下も嬉しくはないはずだ。
「精強を誇る帝国軍が、我が国の騎士団に敗北した。これは事実。勝者を称賛することは、武人として恥ずべき行為ではない。逆に度量を見せることにもなります。そして、国王陛下は王国騎士団を束ねる大元帥でもある」
そこで侯爵閣下はニヤリと笑われた。
マクシミリアン皇子も笑みを返す。
「なるほど。謝罪ではなく賞賛であれば、皇帝陛下の度量を示すことができ、かつ捕虜となった兵士たちも強敵に敗れたのであれば肩身の狭い思いをすることもない。そして、貴殿は皇帝陛下から貴国の国王を称賛したという実績を得ることができる。どちらにとっても損はないということですね」
その説明を聞いてようやく理解できた。
さすがは侯爵閣下だが、そのことは顔に出さず、最初から分かっていたかのように振舞う。しかし、別の疑問も頭に浮かんでくる。
国王陛下を称賛するということであれば、このような密談という形にする必要はなく、あの場で皇帝に話してもよかったはずだ。
私と同じことを考えたのか、マクシミリアン皇子が疑問を口にした。
「この提案にはまだ意味がありそうですね」
皇子はそう言って侯爵閣下の目をしっかりと見つめる。
「さすがは政戦の天才と、グレーフェンベルクが恐れる方だけのことはありますね」
そう言って閣下は機嫌よく話し始められた。
「私としては、今後も皇帝陛下、そしてマクシミリアン殿下と末永く懇意にしていただきたいと思っているのですよ。特に殿下とは歳も近く、長い付き合いになるでしょうから」
その言葉に私は戦慄した。
閣下は敵国であるゾルダート帝国の次期皇帝の最有力候補と、個人的な繋がりを持とうとしている。一つ間違えば、反逆罪に問われることを私の前で話しているのだ。
「なるほど……私も貴殿とは末永く付き合いたいですね。度胸と言い、先を見る目と言い、今後グライフトゥルム王国の中で重きをなしていくでしょうから」
当然のことながら、こんな状況は対応方針書には書かれていない。そのため、私の胃はキリキリと痛み始め、この場から立ち去りたいという欲求に身を委ねたいと思っていた。
「情報交換についてですが、王都ではグレーフェンベルクが作った我が国の情報部の目を欺くことはほぼ不可能です。ですが、我が領都マルクトホーフェンであれば、監視の目はさほど強くありません。特に我が屋敷には
「情報交換……貴殿が狙っているのはグレゴリウス王子の王位継承と考えてよろしいかな」
なるほどと思った。
第二王子であるグレゴリウス殿下は、第一王妃マルグリット殿下が亡くなった後、母君である第二王妃アラベラ様とご一緒に、領都にある領主館に滞在されている。
まだ八歳とお若いが、文武の才能があり、教師たちが驚くほど覚えがよいらしい。そのため、先代の侯爵閣下、ルドルフ様は大層可愛がっておられると聞いている。
但し、国王陛下はマルグリット殿下を殺したアラベラ様を忌避しており、グレゴリウス殿下もその煽りを食らっている。そのため、王位継承権争いでは不利になると見られていた。
だから、侯爵閣下は帝国の後ろ盾を欲しているのだ。
「王位の継承に関しては、国王陛下がお決めになること。臣下に過ぎない私がどうこう言う話ではありませんよ」
「これはどうも私の早とちりだったようです。マルクトホーフェン殿は王国の忠臣。我が国との関係を良好なものにしようとお考えだったようですね」
マクシミリアン皇子はそう言って笑う。
「殿下が帝国を愛しておられるように、私も王国を愛しております」
侯爵閣下も同じように笑みを浮かべていた。
(この方たちには敵わない……)
私は微笑む二人の野心家を前に、内心では恐ろしさに身を竦ませていた。
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