第54話「ラザファムの失態」

 統一暦一二一一年二月二十三日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。ラザファム・フォン・エッフェンベルク伯爵


 最愛の妻シルヴィアを失った。

 その喪失感で私の目にはすべてが灰色に見えている。この色彩を失った世界で生きていく意味があるのかと、自らの命を絶つことすら考えていた。


 マティアスが病に罹ったと聞き、そのことでも衝撃を受けている。

 あれほど慎重だった彼まで罹ったことに驚いたが、彼ではなく私が罹ればよかったのにと思った。そうすれば、妻の下に行けるのだから。


 悲しみに打ちひしがれて十日ほど屋敷に篭っていたが、三日前から騎士団本部に行き始めた。


 両親からシルヴィアや息子フェリックスのためにも早く立ち直るように言われたためだが、本部にいても彼女のことが頭に浮かび、悲しみに暮れてやる気が起きない。


 今日も朝から本部に来ているが、副官から回されてくる書類にサインするだけだ。

 幸いなことに第四騎士団はほとんどが近隣の都市や農村に出ており、兵たちの指揮を執る必要はなく、私がいなくても任務は回っていた。


 そんな中、副官が一通の書類を持ってきた。


「第三連隊の中隊長、フーゴ・ライマンが公金を横領したとして告発されました」


「公金の横領? どの程度の額なのだ?」


 横領事件は精鋭である王国騎士団でもそこそこ起きている。そのほとんどが数百マルク(日本円で数万円)を着服する程度の軽微なものだ。


「一万マルクです。支援物資の契約書を偽造したようです。実家のライマン商会と契約したように見せかけ、出納課から現金を騙し取ったそうです」


 詳しく聞くとライマンは王都の商家の出身で、士官学校を卒業後、第四騎士団の中隊長になった。勤務態度は真面目だったが、借金があったという証言もあり、それで公金に手を付けたらしい。


「証拠はあるのだな」


「はい。ライマンがサインした書類が残されております」


 副官は頷きながら書類を出してきた。

 その書類と別の書類のサインを確認する。確かに同じ筆跡だ。


「本人は認めているのか?」


 副官は首を横に振る。


「認めておりません」


 認めていなくても証拠があるなら裁くしかない。


「軍法会議を招集せよ。この国難にあって公金に手を出すような者は直ちに排除せねばならないからな」


 この時、私は深く考えていなかった。

 二日後の二十五日に軍法会議が開かれることになり、それまでに査問会で尋問が行われた。


 査問会でもライマンは無罪を主張したが、同僚である中隊長が不審な行動を見たと証言し、証拠を補強した。


 この程度の事件の場合、私が判事となる。


「証拠はいくつもある。無実を主張するのであれば、それを覆す証拠を出すか、証人による証言が必要となる。それらを提示できるか?」


「やっていないんです! 証拠として出された書類になんてサインしていません! 私のサインなのか、きちんと確認してください!」


「サインは大隊長が確認したが、君の筆跡に間違いないと断言しているし、私も別の書類のサインと見比べて同じだと感じている」


「大隊長は私のことが嫌いなんです! 平民が中隊長になっていることが気に入らないといつも言っていました! 別の書類のサインも私のものじゃないかもしれません!」


 ありそうなことだと思ったが、大隊長が後で問題になるような証言をするはずがないし、証拠を捏造することもないだろう。


 その後、同僚の中隊長からも借金で首が回らないと零していたという証言が出てきた。

 結局、無罪を示す証拠がなく、有罪が妥当と判断した。


「判決を申し渡す。鞭打ち二十回と騎士団からの放逐だ。本来なら死刑とするところだが、これまでの勤務態度から減刑した。刑の執行は三月一日とする。これにて閉会とする。以上だ」


「俺はやっていない! ちゃんと調べてください!」


 ライマンは叫んでいるが、私はそれを無視した。

 執務室に戻ると、怒りが込み上げてくる。


(多くの善良な人が死んでいくのに、生きている奴が悪事を働く。あんな奴の代わりにシルヴィアが生きているべきだった……理不尽だ……)


 そんなことを考えていると、副官が入ってきた。


「ライマンの件に関し、再調査の嘆願が出されました。多くが平民の兵士です。彼は兵に慕われていたようですね」


「そうか……」


 そこで違和感を持ったが、すぐに一人の大隊長が入ってきた。


「先ほどの判決に異議を申し上げる。栄えある王国騎士団の隊長が公金を横領したのです! 鞭打ち刑など甘すぎる! 即刻処刑すべきでしょう!」


 この大隊長は私より少し年上に見える。名前に“フォン”が付いているから貴族であることは間違いないが、詳しくは知らない。


「判決に不服があるなら、正式に告訴しろ。もちろん私の判断を覆すだけの証拠を揃えてだ。そうしたらホイジンガー伯爵に再審を要求してやる」


 私の心を乱す大隊長に怒りを覚えていた。


「閣下が適正な判決を出せばよいだけです。ホイジンガー閣下を煩わすような案件でもありますまい」


 それだけ言うと執務室を出ていった。


 再調査を命じたが、新たな証拠は見つからず、三月一日を迎えた。


「刑を執行せよ」


 私の命令で連隊軍曹が革の鞭を振るう。

 バシッという音が響き、ライマンが悲鳴を堪えるように唸る。

 しかし、五回目を過ぎたところで悲鳴を抑えることができず、耳障りな声が響いた。


 刑の執行を終えると、ライマンの背中は真っ赤に染まっていた。


「俺はやっていない! あんたは俺たちの味方だと思っていたが、やっぱり貴族の味方だったんだな! こんな奴らが牛耳る騎士団など、こちらから願い下げだ!」


 捨て台詞を吐くが、私はそれを無視する。

 しかし、この事件はそれで終わらなかった。


 翌々日の三月三日に、ライマンのサインが偽造であったことが判明したのだ。


「このサインを見ていください。ライマン隊長の二つ目の“n”の形が他のサインと微妙に異なります。この二つの書類だけ、このような書き方をしているのは明らかにおかしいです。それに筆跡はよく似せていますが、ゆっくりと書いたためか、インクの滲みが大きくなっています。誰かが偽造したに違いありません」


 ライマンの部下だった小隊長がそう主張した。

 確かに言っている通りであり、ライマンのサインだと証言した大隊長を呼び出す。

 私が指摘すると、大隊長は悪びれもせずにすぐに認めた。


「確かに閣下のおっしゃる通りですな。小官の勘違いのようです」


「勘違いで済む問題ではないだろう! 貴様の告発で無実の者が罪を負ったのだ!」


 大隊長は表情を変えることなく反論してきた。


「おっしゃる通り、私のミスであり、その罪を負うべきだと考えております。後日辞表を提出いたしましょう。ですが、最終的には閣下も確認されておることですぞ。小官が間違っているなら、そこで指摘すべきでしたな」


 そこでようやく私は理解した。

 この大隊長は誰かに頼まれて私を嵌めたのだ。

 今回のことで騎士団を辞めることになるが、それ以上の報酬が用意されているのだろう。


 今回の件をホイジンガー伯爵に報告する。

 詳細を説明し、辞表を提出した後、頭を下げる。


「私のミスで無実の者に罰を与えてしまいました。ライマン隊長には申し訳ないことをしたと思っております。その責任を取って第四騎士団長を辞任いたします」


 言い訳は一切しなかった。

 嵌められたことは間違いないが、私の油断が招いたことだ。それに今の精神状態で騎士団長を務めることは無理だとも思っている。


「うむ……マルクトホーフェン侯爵の策略ではないのか? それならば、辞めることは侯爵を喜ばせることになるが、それでもよいのか?」


「私の失敗をなかったことにはできません。私自身、騎士団長として不適格だと思っています。正式な処分が出されるまで屋敷で謹慎いたします」


 私は自暴自棄になっていた。

 愛する妻がいなくなり、どうでもいいと思ったのだ。


「辞表は預かっておく」


 ホイジンガー伯爵はそれだけ言うと、私が提出した辞表を引き出しにしまった。

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