第7話「大賢者との協議:後編」

 統一暦一二〇三年二月十四日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ネッツァー邸。マルティン・ネッツァー上級魔導師


 マルクトホーフェン侯爵家と第二王妃アラベラへの対応について、大賢者マグダ様とマティアス君の話し合いが続いている。

 マティアス君は具体的な方策について説明を始めた。


「まずはマルクトホーフェン侯爵家の力を抑えることに注力します。そのために侯爵家とアラベラ殿下との間に楔を打ち込み、分断します。侯爵家の力は落とせませんが、グレゴリウス殿下を失えば、侯爵家の力が更に強くなることは防げますので……」


 私とマグダ様はその言葉に小さく頷いた。

 マティアス君の説明は更に続く。


「具体的にはアラベラ殿下の側近にマルクトホーフェン侯爵家とは関係ない者、または恨みを持つ者を送り込み、侯爵家のやり方を批判させます。アラベラ殿下は父親であるルドルフ卿に対し、既に不満を持っているようですから、すぐにルドルフ卿らを疎ましく思われることでしょう」


「送り込む者はどうするのじゃ? シャッテンは使えぬぞ」


 マティアス君はその問いに小さく頷きながら答えていく。


「ワイゲルト伯爵の縁者を考えております。ワイゲルト伯爵家はフェアラートでの敗戦のおり、すべての責任を押し付けられて、領地の多くを失い困窮しております。しかし、マルクトホーフェン侯爵は援助することも名誉を挽回する機会も与えておりません。情報分析室の調査では強い不満を抱えていることが分かっております」


 先代のワイゲルト伯爵はフェアラート会戦の総大将として王国軍とグランツフート共和国軍を率い、ゾルダート帝国軍と戦った。


 その戦いで多くの将兵を失い、伯爵本人も戦死している。また、戦死者への賠償のため、現伯爵は金策に奔走し、最終的に多額の借金を負った。そのため、家臣への見舞金すら出せず、伯爵家はボロボロの状態だと聞いている。


 死人に口なしではないが、伯爵を推薦した先代のマルクトホーフェン侯爵ルドルフは敗戦の責任を伯爵個人に擦り付け、自身は隠居だけで済ましていた。


 そのことは私も知っていたが、それを利用するためにアラベラの下に送り込む人選までしていたことに、相変わらず手際がいいと感心してしまう。


「そこまで考えておるのか……アラベラと侯爵家を分断した後はどうするのじゃ?」


 その問いにマティアス君はニコリと微笑む。


「アラベラ殿下にはどこかのタイミングで退場していただきます。あの方の性格を考えれば、グレゴリウス殿下のためと言って、早晩に暴走することは明らかです。侯爵家と分断できていれば、陛下も罰を与えることにためらいを感じられることはないでしょう」


 彼の笑みは誰もが優しいと感じるような柔らかいものだが、私はある種の凄みを感じていた。


「うむ。確かにあの阿呆なら、またやらかすであろうな。特に侯爵家が手綱を握らねば……じゃが、マルクトホーフェン侯爵家はこのまま放置するのかの。あの家も障害になると思うのじゃが」


「いずれ排除しなくてはなりませんが、他国に付け込まれないよう慎重に行う必要があります。性急に武力での解決を図ろうとすれば、侯爵たちを追い詰めることになり、帝国や法国を引き込むような暴挙に出ないとも限りません」


「うむ」


「そうなると地道に侯爵家から力を奪っていくことになりますが、それを行えるだけの人材が今の王宮にはおりません。もしミヒャエル卿が無能であれば、ルドルフ卿が老いるまで待つという選択肢もありますが、彼が無能ではなく、そして父親同様に野心家であった場合は厄介です。彼らの力を奪う前にグレゴリウス殿下が即位し、傀儡にされてしまうでしょうから」


 マグダ様の表情が曇る。


「坊の言うことは一々もっともじゃな。有能な官吏はおるが、ルドルフに対抗できるほどの為政者おらぬ。宰相も宮廷書記官長も小物に過ぎぬし、大所高所から物事を見られる者はこの国では坊くらいなものじゃ」


 その言葉に私も大きく頷いた。

 この国には大局を見ることができる政治家がいない。これはマルクトホーフェン侯爵を含めてで、唯一の例外は目の前にいる若者だけだ。


 しかし、マティアス君は下級貴族である子爵家の嫡男に過ぎず、現状では家督を継いだとしても、国政を動かすことができる宰相などに就任することは難しい。


「ルドルフ卿は蟄居を命じられておりますから、それを盾に取ればある程度抑えこめます。ですが、ミヒャエル卿が有能な野心家であった場合、対抗できる人物が王都には必要です。大賢者様に心当たりはございませんか?」


 マティアス君の質問にマグダ様は小さく首を振る。


「坊の他となると一人だけしか思い浮かばぬ。豪胆さと誠実さを併せ持ち、王家に対し忠誠を誓う者じゃが、男爵に過ぎぬ。既にジークフリートの守り役となることが決まっておるから、爵位のことを除いても無理ではあるがの」


 マティアス君は僅かに肩を落とす。


「そうですか……それは困りましたね。私が調べた限りでもノルトハウゼン伯爵か、エッフェンベルク伯爵くらいしかいらっしゃいません。しかし、伯爵位では宰相になることは難しいでしょうし、ノルトハウゼン伯は生粋の武人ですから文官を使いこなすことは難しいですし、エッフェンベルク伯も今更文官に戻ることはないですから……」


 これがグライフトゥルム王国の大きな弱点だ。

 王国ということで国王が政治を取り仕切ると思われがちだが、実際には宰相以下の貴族が政治的な決定を行っている。


 そして、その決定は派閥の大きさで決まり、派閥の領袖である侯爵たちは政治家としての能力よりも多数派工作が上手いことが条件となる。


 また、伯爵以下には優秀な者も多いが、内政は派閥の領袖である侯爵たちに牛耳られているため、実力を示しやすい武官を目指す者が多い。


 更に先代のマルクトホーフェン侯爵であるルドルフが、先手を打ってライバルとなりそうな人材を潰している。


 能力は平凡でもマルクトホーフェン侯爵に対抗する気概と公正な人柄の者がいれば、マティアス君なりに補佐させれば何とかなるが、そういった人物すら見当たらないのだ。


 つまり、マルクトホーフェン侯爵派が国政を牛耳るための体制が確立されてしまっているのだ。我々もそのことに気づいていたが、政治に介入できないため、手を拱いているしかなかった。


「いっそのこと、誰かを傀儡にして坊に国政を任せる方がよいかもしれぬ……」


 マグダ様がそう呟くと、マティアス君は明確に否定した。


「それはやめた方がよいでしょう」


「なぜじゃ? 坊ならばマルクトホーフェン如きにしてやられることはなかろう」


 マグダ様の言葉に私は大きく頷くが、マティアス君は冷静に反論する。


「それは分かりません。ですが、私が国政に直接関わるのなら、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘとの関係を断つ必要があります。もちろん、大賢者様ともこのように非公式に会うことは難しいでしょう。そうなれば、帝国や法国に対応できなくなってしまいます」


「うむ……」


 マグダ様もマティアス君の説明に唸ることしかできない。

 確かに彼が黒幕として政治を動かせば、侯爵たちを抑えることは可能だろうが、グライフトゥルム王国の安全を脅かすことになるためだ。


 軍事であれば、指揮官に助言を行うだけで済むが、政治は敵と味方という単純な図式に分けることが難しい。そのため、国政を動かすとなれば、仮に傀儡がいたとしても内政や外交において、多くの関係者と彼自身が直接交渉することになる。


 彼の露出が増えれば、真理の探究者ヴァールズーハー神霊の末裔エオンナーハが彼の存在を知ることは時間の問題であり、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘとの関係を断つ必要が出てくる。


 そして重要なことは、今マティアス君が叡智の守護者ヴァイスヴァッヘから離れれば、グライフトゥルム王国を狙うゾルダート帝国やレヒト法国を野放しになるということだ。彼が行っている情報操作は独特で、代替となる者がいないためだ。


「国政については今後考えるとして、具体的な対応方針について説明いたします」


 マティアス君は話題を変えてきた。恐らく彼自身考え、どうやっても無理だと判断したのだろう。


「うむ」


 マティアス君の言葉にマグダ様が頷く。


「まず情報分析室と闇の監視者シャッテンヴァッヘを使って情報収集を行いつつ、商人組合ヘンドラーツンフトを使って情報操作を行います。既に商人たちは噂を広めておりますので、それに新たな事実が加わったという形にすれば目立つことなく、我々に有利な情報を広めてくれるでしょう」


シャッテンたちを情報収集にしか用いぬのはなぜじゃ? 王家からの依頼という形にすれば問題にはならぬが」


 その問いにマティアス君は首を横に振る。


「今の王家が情報操作を行うこと自体に無理があります。報復したいのであれば、国王が命じればよいのですから。対帝国、対法国とは事情が異なります」


 現在、マティアス君が指揮を執り、帝国や法国に対して謀略を仕掛けている。これはヘルシャー候補を守るという目的の他に、革新的な考えの帝国がこれ以上力を持つと魔導具を無制限に使い始める可能性があり、それを防ぐという理由もあった。


「確かにその通りじゃな。話の腰を折って済まぬの」


 マグダ様が謝罪されるとマティアス君は微笑みながら「気にしていません」と言い、続きを話し始める。


「流す噂はアラベラ殿下が更なる暴挙を考えていることです。具体的には陛下を弑してグレゴリウス殿下を玉座につけるという話で、これは強ち間違いではないでしょうから信じてもらえます……」


 実際やりかねないと、私とマグダ様は即座に大きく頷いた。


「そして、アラベラ殿下に協力した者を探り出します。これまでに調べた結果、侯爵家が関与している可能性が低いのではないかと思っています」


 その言葉に私は驚いた。そして、マグダ様も驚き、声を上げる。


「マルクトホーフェンが関与しておらぬとは真か!」


 マティアス君は大きく頷き、自信を持って説明していく。


「はい。侯爵家を見張っているシャッテンの報告ではずいぶん慌てているようで、頻繁に侯爵領へ伝令を送っています。関与していたのであれば気取られないように、逆にやり取りを減らすはずです」


「そうじゃの」


 確かにその通りだと私も頷く。


「それにルドルフ卿が到着してから、アイスナー男爵の配下が平民街を調べ始めました。特に酒場や娼館など侯爵家とはあまり関係なさそうな場所を」


 そこでマティアス君の言いたいことが分かってきた。


「つまり、ルドルフの命でアラベラが使った暗殺者を調べようとしておると……坊のことじゃ。既に調べておるのじゃろう?」


 相変わらずマティアス君は抜かりがなく、その問いに笑顔で答えていく。


「はい。暗殺者が属している組織については判明しています。歓楽街に巣食うトーレス一家ファミーリエというならず者たちです……」


 そこで表情が僅かに曇った。


「ですが、王宮の最も奥にいる王妃と繋ぎを付けられるような組織ではありませんでした。そのため、アラベラ殿下とどうしても繋がらないのです……」


 平民街のならず者が王妃と繋がっているというのは、確かに違和感がある。


「その協力者を侯爵たちより先に抑えられれば、決定的な証拠となりますし、新たな証拠が見つかったということで、アラベラ殿下を処断することもできます。それに実際に動く者を抑えれば、王子方の安全にも繋がります。但し、マルクトホーフェン侯爵派と繋がっている者がいますから、衛士隊が使えません。それが懸念ですね」


「そうじゃな」


 マグダ様は頷くと、私に視線を向けた。


「マルティンよ、王宮内に配しておるシャッテンも使うのじゃ。彼らならば、誰がアラベラと接触したか分かるかもしれぬ。そ奴らを押さえ、侯爵より先に決定的な証拠を掴むのじゃ」


「承りました」


 私がそう言って了承すると、マティアス君は私たちに頭を下げる。


「ありがとうございます。あとは帝国と法国の情報収集も積極的に行うよう情報分析室に指示をお願いします。ないとは思いますが、帝国や法国が後ろで糸を引いていないとも限りません。それに混乱を大きくしようと介入してくる可能性は充分にあり得ますから」


「うむ。伝えておこう」


 マグダ様はそう言って大きく頷かれた。


 その後、マティアス君は更にいくつかの策を説明した後、帰っていった。

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