第8話「後手」
統一暦一二〇三年三月三十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、エッフェンベルク伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
二月二日に起きた第一王妃マルグリット暗殺事件から約二ヶ月。
事態は大きく動いている。
二月半ばに大賢者マグダと
分断工作の方だが、上手くいかなかった。
アラベラは療養と称して王宮から侯爵家の屋敷に移っている。これは彼女の父であり先代マルクトホーフェン侯爵であるルドルフが命じたことだ。これにアラベラは不満を漏らしていると報告を受けているが、侯爵家の打つ手が早く、そして抜かりがない。
まずアラベラが使った暗殺者を送り込んだ組織、トーレス
こちらが背後関係を探っている間に、侯爵家が彼らの存在に気づき、第一騎士団の衛士隊を使って隠れ家を急襲した。そして、捕縛することなく、その場で皆殺しにした。
こちらも
更に侯爵家に連なるシュトルプ子爵邸で火災が発生し、子爵の家族、使用人のすべてが焼死するという事件があった。
シュトルプ子爵は宮廷書記官の一人であり、娘がアラベラの侍女を務めていた。そのため、彼らがアラベラとトーレス一家を繋いでいた可能性があると後で気づいたが、侯爵家に先に手を打たれてしまったのだ。
これでアラベラの命令を受けて実際に動いた者がいなくなり、新たな証拠が見つかったというシナリオで、アラベラの罪を問うという作戦は使えなくなった。
また、分断工作のために送り込んだワイゲルト伯爵の縁者だが、こちらも早期に排除されている。
これは狙い撃ちされたわけではなく、アラベラの周囲にいる者をルドルフが総入れ替えを命じたためで、その結果、アラベラの近くにいた
この手際の良さに脱帽するしかなかった。
アラベラの周囲についてはマルクトホーフェン侯爵家に後れを取ったが、
私が流させた噂は、マルクトホーフェン侯爵家がアラベラと共謀してグレゴリウス王子を強引に立太子させようとしているというもので、これが思った以上に広まった。
噂として流させたが、限りなく事実に近いから、聞いた者は疑うことなく信じているらしい。
この噂のお陰で侯爵派の貴族たちは侯爵家の屋敷に行くことを憚るようになった。アラベラが暴走した時に共謀しているとして、処罰されることを恐れたからだろう。
その結果、マルクトホーフェン侯爵家は宮廷内での工作が行えず、また、人を集めようとしても集まらなくなっているらしい。
私たちと侯爵家の暗闘は一勝一敗という感じだが、凄腕の間者集団、
マルクトホーフェン侯爵家は
王国内は今のところ特に動揺した様子はないが、貴族たちの多くが国王派と侯爵派のいずれに付くか、様子見をしている。
優柔不断な国王と陰謀を企む侯爵という救いようのない二択に、困惑している感じなのだろう。
そして今日、
情報を持ってきたのは、二月から私の直属として情報収集に当たっているユーダ・カーンだ。
それ以前は
それまではメイドであり護衛であるカルラ・シュヴァイツァー経由で依頼していたが、情報の遅れなどはなく問題はなかった。しかし、大賢者が王国内で情報操作をするなら直属がいる方がよいと判断したらしい。
ちなみにユーダが部下を何人持っているかは教えてもらっていない。それほど大々的に情報操作を行うつもりがないし、情報分析室との連携も切れたわけではないので、数人程度だろうと思っている。
それでも護衛であるカルラの班と合わせると、十人近い
ユーダは
見た目は容姿こそ平凡だが、大貴族の執事といってよいほど洗練されており、貴族の屋敷に出入りしても違和感が全くない。現在は我がラウシェンバッハ子爵家の執事の一人として雇った形にしているため、いろいろなところに出入りでき、その伝手で情報収集を行っている。
「情報分析室からの新たな情報が参りました。帝国が今回の事件を知ったようです。王国への対応を話し合っているという情報も得たそうです」
見た目通りの落ち着いた口調で報告する。
「帝国がどの程度の深さまで情報を知っているかについてはどうですか?」
マルグリット王妃の死去とアラベラの負傷は公表されており、知られること自体は予想していた。但し、どこまで真相を掴んでいるかが気になった。
「アラベラ殿下が暗殺に関わったこと、マルクトホーフェン侯爵家が疑われていること、内戦を憂慮し侯爵家を処断できなかったことまでは掴んでいるようです」
「情報はどのレベルから得たものでしょうか? 確度はどの程度と情報分析室は評価しているのでしょうか?」
私の問いにユーダは淡々と答えていく。
「枢密院で話し合われた情報だそうです。元老の一人が部下に話していたものですので、情報分析室では確度は高いと考えているようです」
「王国への干渉は軍を動かすということでしょうか?」
私の問いにユーダは頭を下げる。
「申し訳ございません。それに関する情報は現在ありません」
「謝罪は不要ですよ。では、王国への干渉の具体的な方法と、誰が提案し、現在どの程度検討が進んでいるかを調べるよう伝えてください。但し、安全な方法でお願いします。我々が探っていることを知られたくありませんので」
「承知いたしました。他にご指示はございませんか」
「詳細な情報も知りたいですが、今はスピードを優先してください。情報を集めているだけなら問題ないですが、帝国軍が動くようなことがあれば、王国としても即座に対応しないといけませんから。あとはレヒト法国の動向は分かり次第、連絡がほしいとお伝えください」
「承知いたしました。情報分析室にはその旨を伝えておきます」
それだけ言うときれいなお辞儀をしてから立ち去った。
懸案であったイリスだが、本日第一騎士団を正式に退団した。
これで王宮に行くこともなくなるから、彼女の安全は確保できたと考えている。
但し、彼女は二ヶ月ほど屋敷に閉じこもっていたことからストレスが溜まっており、エッフェンベルク邸に行くたびに愚痴を聞かされている。
二週間後の四月十三日、衝撃的な情報がユーダよりもたらされた。
「第二王妃殿下が王都を出るそうです。目的地はマルクトホーフェン。ルドルフ卿と共に本日出発するという噂が流れています」
アラベラと侯爵家の分断工作は上手くいっていないことは分かっていたが、王妃としての矜持があるアラベラが王都を出ることは想定していなかった。
「ルドルフ卿に説得されたということですか……グレゴリウス殿下も同行されるということですね」
「その通りでございます。第一騎士団の近衛騎士を含む、五百名の護衛が付くとのことでした」
再び先手を打たれたことに悔しさが込み上げてくる。
「ルドルフ卿にしてやられましたね。情報を封鎖している間にアラベラ殿下を説得したのでしょう。こちらの動きを察しているということはありませんよね?」
「それはないかと。もし、我々の動きを察しているなら、探りを入れてきたはずです。侯爵邸の内部まで潜入はできておりませんが、協力者からはそのような動きがあるという報告は一切ありませんでした」
私が不安に思ったのは、
侯爵家が雇う可能性がある
「分かりました。では、このことを王都で広めてください。アラベラ殿下は国王陛下の命令により王都から追放になったらしい。更にマルクトホーフェン侯爵家は旗印とするためにグレゴリウス殿下を連れ去り、領地に戻ってから国王に反旗を翻すようだ。そういう感じでお願いします」
ユーダは私の言葉に頷くものの、疑問を口にした。
「承りましたが、今の内容で本当によろしいのでしょうか」
どこが疑問点なのか思いつかない。
「何がでしょう?」
「マルクトホーフェン侯爵家が反旗を翻すという噂を流せば、反乱を誘発することにならないかと」
「その点は大丈夫です。まずこの噂の目的はマルクトホーフェン侯爵派を分裂させることです。侯爵派の貴族たちは恐らく今回の件を聞いていなかったはずで、グレゴリウス殿下を領地に連れ帰れば本当に反乱を起こすのかと考えます。彼らは何も準備をしておらず、困惑するでしょうし、自分たちを切り捨てるのかという疑念が湧くはずです」
そこでユーダは頷く。
「つまり、侯爵が本当に兵を挙げたとしても、貴族たちは同調できないと。そうなった場合、直属の兵力しかないので、侯爵は反乱を起こしたくとも起こせない。そういうことでしょうか」
さすがに優秀な間者であるため理解が早い。
「その通りです。それにこの噂を流しておけば、侯爵本人が王都で釈明しなくてはならなくなります。そうしなければ、少ない戦力で反乱を起こさないといけなくなりますから。恐らくアラベラ殿下と入れ替わりで王都に向かうことでしょう。そして、釈明と共に派閥の引き締めを行うはずです」
「釈明のために王都に来るなら反乱は起きない。来なければ派閥の貴族が立ち上がらない。だから、反乱は起きないと……なるほど、ようやく理解できました」
私に関わる
この指示を出した後、宿直明けのラザファムと休日だったため遊びに来たハルトムート、そして引きこもっているイリスの三人に現状を説明した。
結局アラベラとマルクトホーフェン侯爵を分断する策に失敗し、安全な侯爵領に逃げ込まれるということで、イリスが憤慨する。
「マルグリット様の仇は討てないということなの! そんなのおかしいわ!」
その言葉にハルトムートも同調する。
「俺もイリスと同じ意見だ。侯爵家だから何をしてもいいっていうのは絶対におかしい。こんな話が広がれば、王国騎士団の兵士の士気にも関わる」
憮然とした表情でそう告げる。
「私も同じ意見だが、それにしてもマティにしては珍しいな。お前がこういった策で失敗するのは初めて見た気がするよ」
ラザファムが場を和ますために話題を少し変えてくれた。こういった気遣いができることが彼のいいところだ。
「私も毎回成功しているわけじゃないよ。でも、今回に限って言えば、完全にルドルフ卿にしてやられた。油断したつもりはないけど、ただの俗物ではなかったということだね」
「それは私も思ったよ。ルドルフ卿がアラベラ殿下を説得できるとは思わなかったからな」
ラザファムの感想に私は大きく頷いた。
「まだ完全に把握できているわけじゃないけど、ルドルフ卿と彼の腹心、アイスナー男爵のコンビは危険だと思う」
コルネール・フォン・アイスナー男爵はマルクトホーフェン侯爵家の家臣で、王都の屋敷を任されるほど信頼されている。
調べたところでは、マルグリット暗殺事件の直後に、宰相であるテーオバルト・フォン・クラース侯爵に面会し、独断でアラベラの助命を約束させ、ルドルフと当主ミヒャエルの双方がそれを追認している。
一介の男爵が侯爵である宰相に直談判するだけでも凄いが、それを当主の承認なしに行う権限を持っていることに驚いた。
恐らく今回のこともアイスナーがシナリオを考え、ルドルフが承認したのだろうが、これほど大胆な策にためらいなくゴーサインを出せるルドルフも傑物なのだろう。
「それでこれからどうするつもりなの? このままにしておくわけじゃないわよね」
イリスの怒りはまだ消えていないようだ。
「こうなると打つ手は少ないんだ。アラベラ殿下と違って、ルドルフ卿もミヒャエル卿も暴走しそうにないから。地道に侯爵派を切り崩していくくらいしか手がないんだよ」
アラベラを侯爵家から切り離して暴走させ、処断する策だったが、マルクトホーフェン侯爵領に移されてはほとんど打つ手がない。
一応侯爵家の屋敷にも
「納得できないわ」
「いずれ罪は償ってもらうつもりだよ。それに今回の件で侯爵家の国政への影響力は大きく落ちたんだ。これを機に王国をいい方向に持っていくことが重要だと思う」
憤慨するイリスをそう言って宥める。
「そうね。法国や帝国がいるのだから、この機に王国を守ることを考えた方がいいわね」
まだ内心では納得していないようだが、彼女は愚かではなく、私の言うことに一定の理があると分かってくれた。
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