第16話「待ち伏せ:前編」

 統一暦一二〇八年九月六日。

 ゾルダート帝国南西部、シュヴァーン河北岸。帝国軍第二大隊エリック・カルヒャー上級騎士


 私が指揮する第二師団第三連隊第二大隊は、敵の奇襲を防ぐべく、本隊から五十キロメートルほど先行している。


 我が大隊は騎兵大隊であり、約五百名の軽騎兵で構成されている精鋭だ。

 このままリッタートゥルム付近まで先行するということで、輜重隊の荷馬車十輌も同行している。


 敵の奇襲を防ぐため、シュヴァーン河から一キロメートルほど北の森と草原の境を進軍している。ここなら見通しはいいし、軽騎兵の機動力を生かすこともできるからだ。


 本来ならもう少し北の草原を進みたいのだが、この辺りが遊牧民であるドンナー族の縄張りの境界だ。五百人の大隊がこれ以上北に入ればトラブルになる可能性があり、このルートに決まった。


 念のため、三個小隊六十名を哨戒部隊として本隊から三キロメートルほど先行させ、川岸から北へ三キロメートルほどの範囲を探らせている。


 午前十一時頃、前方から騎兵が一騎戻ってくるのが見えた。

 すぐに私のところ駆け込み、馬上で報告を行う。


「王国軍を発見しました! 位置はここより約一・五キロメートル先の森の中。数は確認できただけで約三百。獣人らしき姿も見えました!」


 伝令の報告を受け、進軍を停止する。


「停止せよ! 各中隊長は直ちに集まれ!」


 更に伝令に対しても命令を出す。


「敵の数の把握と伏兵がいないか確認せよ」


「ハッ! 了解しました!」


 伝令はすぐに西に向けて馬を駆けさせる。

 更に軍団にも伝令を出した。


(獣人がいたということは噂のラウシェンバッハ騎士団だな。数が三百ということは一個大隊……獣人の実力が噂通りでも、草原に引きずり出せれば、我が大隊の方が有利だ。問題は伏兵の存在だな。我らと同じ先遣隊ならいいが、本隊の一部だと勝負にならん……)


 そんなことを考えていると、中隊長たちが集まってきた。


「軍団本隊を待っていれば、逃げられることは確実だ。敵が報告通りの数なら我が大隊で十分に対応可能だ。草原に引きずり出した上で殲滅するぞ。各中隊はこの場で休息を摂り、戦いに備えよ。意見があれば聞く」


 五人の中隊長は全員が首を横に振る。


 十分ほどで第二報が届いた。


「伏兵及び後続部隊は確認できず。敵は北に向かい始めました」


 運がいいことに向こうから草原に出てきてくれた。

 更に草原側の哨戒を行っていた小隊から、北側二キロメートル以内に敵の姿がないという報告も入った。


「敵の横っ腹に突撃する。輜重隊はこの場で待機! 進撃を開始せよ!」


 油断している敵を見つけ、手柄が挙げられると内心でほくそ笑む。しかし、その感情は外には出さず、馬を疲れさせない程度の速度で走らせる。


 僅か一・五キロメートルということで、五分ほどで敵が見えてきた。

 敵もこちらの姿を認めたようで、慌てて陣形を作り始めている。


「敵は動揺している! 一気に蹴散らす! 突撃!」


 馬の腹を蹴り、加速させる。

 高さ三十センチほどの下草を巻き上げながら、我が大隊の騎兵五百が敵に迫っていく。


 私は大隊の中央付近で馬を駆っていた。

 敵はまだ陣形を整え切れず、バラバラに槍や剣を構えているに過ぎない。


「敵陣を突破したら北に転進! その後もう一度突撃を掛けるぞ!」


 勝利を確信していた私は高揚した気分で命令を出した。


 敵まであと五十メートル。

 勝利が目前と思われた瞬間、先頭を行く数十騎の騎兵がバタバタと転倒していく。


「「「うわぁぁぁ!」」」


「「「ヒヒーン!」」」


 部下の悲鳴と馬の悲しげな嘶きが草原にこだまする。


「草の中にロープがあるぞ! 足元に注意しろ!」


 敵は罠を張っていたようだ。


「速度を緩めろ! ロープを躱せ!」


 命令を発したものの、それが有効な手段なのか自信がない。

 夏草の中に二十センチほどの高さにロープが設置されており、通過するタイミングでしか確認できないからだ。


(狡猾な! 今は悪態を吐いている場合ではない。どうやってこの窮地を脱するかだ……北には敵の姿も罠もなかったはずだ。そっちに逃げるしかない!)


 偵察隊の報告を思い出し、命令を発した。


「北に転進せよ! その後は輜重隊の位置まで戻り、東に退避する!」


 しかし、馬蹄の音に私の命令は掻き消され、前方を行く者たちには聞こえない。私は後続部隊を救うべく、馬首を巡らせた。

 私が北に転進すれば、後続が付いてくると考えたのだ。


 北に馬首を向けた後、左を見ると、前衛部隊がロープの罠を抜け、敵に接触していた。

 その数は百騎ほどで、あれなら彼らも突破できるのではないかと期待を持った。

 しかし、その期待は見事に裏切られる。


 敵兵は我が騎兵の突撃を驚異的な身体能力で躱し、更に馬上の兵に的確に攻撃を加えていった。見る見る数を減らし、敵陣を突破できた者は皆無だった。


「撤退する! 我に続け!」


 そう言って東に馬首を向けた瞬間、三百メートルほど先に五百を超える敵兵の姿が見えた。


「どこから出てきたのだ?」


 思わず疑問が口をつくが、すぐに気持ちを切り替え、新たな命令を出す。


「北へ転進せよ!」


 まだ味方は三百ほど残っているが、見事な陣形で迎え撃とうとしている敵に突っ込んでいけば、全滅は必至だからだ。


 北に向かうとすぐに小高い丘になる。

 その丘を迂回することなく、強引に登っていく。迂回すれば、伏兵がいるような気がしたためだ。


 しかし、結果は同じだった。

 丘を登り切る前に、五百名ほどの敵兵が頂上に現れ、矢を放ってきたのだ。


(偵察隊が見逃したのか?)


 直前の報告では二キロメートル以内に敵はいなかったはずだ。そのことが頭を過るが、その間にも上り坂で速度が落ちている我が隊の兵士は、次々と矢の餌食になっていく。


「帝国軍に告ぐ! 抵抗は無駄だ! 降伏せよ!」


 既に味方は二百を切っており、更に三方向から包囲されているため逃げようがない。

 私がためらっている間にも次々と矢が降り注ぎ、悲鳴を上げながら兵が落馬していく。


「全軍停止! 武器を捨て、馬から降りろ! 王国軍に告ぐ! 降伏する!」


 私は命令を出すと、剣を捨てて馬から飛び降りた。

 兵たちも私に続き、敵からの攻撃も止んだ。


(どうしてこうなった……)


 呆然と立ち尽くす中、敵の指揮官らしき人物がゆっくりとした足取りで近づいてきた。

 獣人族セリアンスロープではなく、普人族メンシュの若者で、まだ二十代半ばにもなっていない感じだ。その後ろには屈強な獣人が付き従っている。


「私はラウシェンバッハ騎士団団長、ヘルマン・フォン・クローゼル男爵だ。貴殿らを捕虜とする。抵抗した場合は即座に処刑する」


 そう言って我々を威圧した後、周囲に聞こえるように声を張った。


「責任者は誰だ? 最高位の者は名乗り出よ!」


「私だ! ゾルダート帝国軍第二軍団第二師団第三連隊第二大隊の指揮官、エリック・カルヒャー上級騎士だ。部下たちに寛大な対応を願う!」


 こうなった以上、部下の命を無駄に散らすわけにはいかないと、クローゼルに気迫で負けないように声を張った。


「よろしい。ラウシェンバッハ騎士団の名において宣言する! 貴殿らが名誉を重んじた行動を採る限り、我らも武人として対応する。まずは武装を解除した上で、負傷者の治療を行いたい」


 クローゼルはそう言うと、部下に命じて我々を誘導していく。

 気づけば丘の上にいた兵士たちの姿はなく、更に東にいた伏兵も消えていた。それだけではなく、最初に攻撃しようとしていた敵の姿もなかった。


(いつの間にいなくなったのだ? まるで魔導のようだ……)


 そんなことを考えたが、落馬の衝撃で骨折したり、矢を受けて血を流したりしている部下を見て、すぐに応急処置を命じた。


「負傷者に応急処置を行え!」


 ラウシェンバッハ騎士団の兵士たちは無表情ながらも丁寧に応急処置を行ってくれた。

 しかし、戦死者は想像以上で、ざっと見た感じでも二百名近い。


「この後、我々はどうなるのだ?」


 負傷者の治療までしておいて、殺されることはないと思うが、王国までは遠く、不安があった。


「とりあえず負傷で動けない者以外は全員ロープで拘束する」


 そう言うと、獣人兵たちがロープで我々を拘束し始めた。


「抵抗しないと約束した。拘束する必要はないのではないか」


 一応抗議したが、私が彼の立場でも同じことをするだろうから、受け入れられることはないと思っている。

 私の問いは無視され、ロープできつく縛り上げられた。

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