第73話「ジークフリートとラザファム」

 統一暦一二一一年九月一日。

 グライフトゥルム王国北部、ネーベルタール城内。第三王子ジークフリート


 この城に来てから八年が過ぎている。

 冬は厳しい寒さに凍える北の辺境も、この時期だけは過ごしやすく、城のテラスでぼんやりと青空を眺めていた。


 この古びた城には人が少ない。

 僕の周りは特に少なく、守り役のシュテファン・フォン・カウフフェルト男爵と護衛の騎士アレクサンダー・ハルフォーフ、陰供シャッテンのヒルデガルド、小姓のティル・シャーフの四人としか、ほとんど話さない。


 五ヶ月ほど前、この四人にもう一人加わった。

 新たに城代として赴任してきた、ラザファム・フォン・エッフェンベルク伯爵だ。


 それまでも城代はいたらしいけど、一度も顔を見たことがなかった。

 シュテファンに聞くと、僕の命を狙う者がいるから、できるだけ人に会わせないようにしていたかららしい。


 狙っているのは第二王妃のアラベラだろう。

 お母様を殺したあの女のことははっきりと覚えている。憎しみを込めて睨んできたあの目を忘れることはできないから。


 ラザファムはフェリックスという三歳の子供を連れてきた。周りに僕より年下は一人もいないし、幼い子供は全くいなかったから驚いた記憶がある。


 ラザファムは物静かな男で、最初のうちはほとんど話をしなかった。

 僕のことを嫌っているのかなと思ったけど、話を聞いてみると、奥さんを病気で亡くして悲しみに沈んでいたらしい。


 辛い話を聞いてしまったと思って謝ったら、ラザファムは驚いたような表情を浮かべた。

 理由は聞いていないから分からない。だけど、思い出したくないことを無理やり聞いたのだから、謝るのは当然だと思う。


 それからラザファムとよく話すようになった。

 彼の双子の妹とその夫、平民の友人と一緒に過ごした学院時代の話や、彼らと一緒に法国軍や帝国軍と戦ったことなどを聞いている。


 学院というのがどんなところかは分からないけど、親友と呼べる存在がいることが羨ましかった。僕には一歳年上のティルがいるけど、魔獣狩人イエーガーの息子である彼は身分を気にしており、親友と呼べるまでには打ち解けていないから。


 ラザファムがここに来てから二ヶ月ほど経った頃から、剣術を学ぶようになった。

 それ以前はシュテファンからサーベルを習っていたけど、ラザファムの剣術は実戦的で厳しい。


 ラザファムは少しぶっきらぼうなところがあるけど、シュテファンたちとは違った意味で、僕のことを考えてくれる。


 シュテファンたちは僕を守るということを一番に考えているけど、ラザファムは僕が一人前の人物になれるよう鍛えてくれる感じがあった。

 ラザファムは十四歳年上だが、父親がいたらこんな感じなんだろうなと思っている。


 本人にそのことを言うと、“まだそんな歳じゃないと思っているのですが”と苦笑していた。確かに見た目だけなら年の離れた兄弟と言った方が近い気がしているので、悪いことを言ったかなと思っている。


 彼が来てからこんな日が続けばいいなと思うようになった。

 ラザファムは剣術が凄いだけじゃなく頭もいい。シュテファンも知識は豊富でなんでも答えてくれるが、ラザファムは考え方から凄い感じだ。

 前にこんな話をしたことがあった。


『僕は何をしたらいいんだろう。何のために生まれてきたのかな』


 この辺境に閉じ込められていることで、自分が生まれてきた意味が分からなかったからだ。

 それに対し、ラザファムは真面目な顔で答えてくれた。


『我々人間にそれが分かる者はいません。何のために生まれてきたかではなく、どう生きるかを考えるべきでしょう』


『どう生きるかか……』


 僕が悩んでいると、ラザファムは質問を変えてきた。


『将来やりたいことはありませんか? できるかどうかは別として、お考えになったことはあると思いますが』


 その質問なら答えられる。


『王家に生まれたからには国のために役に立ちたいとは思っているよ。僕に何ができるかは分からないけど』


『具体的には王となって国に尽くすということですか? それとも臣下としてですか?』


 そこまで具体的に考えていなかったから、少し考えた後に答えた。


『兄上が二人いるから、王としてということは考えたことはないかな。そうなると臣下として何だろうけど、そこまで具体的に考えたことはないかな』


『では、武人としてですか? それとも文官としてですか?』


 そこで再び考え込む。

 ラザファムから実戦的な剣術を学んでいるけど、僕に武術の才能はない気がする。文官についてはシュテファンから王国や周辺の国について学んでいるけど、理解できないことが多いから、こっちも才能がない気がしていた。


『どっちも才能がなさそうな気がするね』


 苦笑しながらそう言ったが、ラザファムは真面目な表情を崩さない。


『武術について言えば、才能はあると思います。ですが、軍を率いる能力と武術の才能は違います。軍を率いるための教育はまだ受けていませんから諦める必要はありません。文官についても、将来宰相府を背負って立つ人材と言われたシュテファン殿の教えを受けているのです。今から十年掛けて真面目に学べば、どちらでも国のために貢献できると思います』


 彼の言葉で自信が持てた。


『だとしたら、今から何をしたらよいのかな? 具体的に何をしていいのか、さっぱり分からないよ』


『まず目的を明確にするのです。国に貢献するなら、何のためか。国を豊かにするためか、国を守るためか。豊かにするなら何をもって豊かと考えるか。国を守るなら、何から守るのか。その上で方策を考え、それを実現するために、どのようなことをしていくべきかを一つずつ考えていくのです』


 そこでラザファムが少し苦笑した気がした。


『何か気になることがあったかな?』


『いえ、今言った言葉は昔自分が言われた言葉だったなと思い出したのです』


『凄いね。誰から聞いたのかな?』


『親友のマティアスですよ。初等部の一年生、ちょうど今の殿下と同じ歳の頃に、こんな話をしたんです』


 自分と同じ歳と聞き、驚いた。


『“千里眼のマティアス”は十三歳でそんなことを言っていたんだ。凄い人だね』


『ええ、彼はその頃から優秀でした。私など今でも彼の足元にも及びませんよ』


 王立学院の高等部を首席で卒業し、騎士団では史上最年少で騎士団長に就任した彼が足元にも及ばないと言ったことに更に驚いた。


『ラウシェンバッハ子爵と会って話がしてみたいね。まあ、ここにいたら叶わないのだけど』


『今は無理でも将来は分かりませんよ。私がここに来たのも突然のことでしたから。世の中、何があるか分かりません』


 その話からラザファムと更に打ち解けられるようになったと思う。

 それから僕は目標を持って学ぶようになった。


 ラザファムからは武術と指揮のことを、シュテファンからは内政のことを学んでいる。

 二人ともどんな質問でも答えてくれるけど、まずは自分で考えるように言われた。


 一人で考えても答えが出ないので、一緒にいる小姓のティルといつも頭を悩ませている。そのお陰でティルとも少しずつ打ち解けてきている気がしていた。


 そんなこともあり、ラザファムが来てから毎日が楽しくなった。

 それまでは目的もなく、漫然と生きていた感じだったが、明確な目標ができたからだ。


 僕は将来、兄の下で一軍を率いる将になりたいと思っている。

 武術の才能がないから諦めていたけど、僕も男だから武人には憧れていた。特に建国王の“双翼”の一人、大将軍バルドゥルの物語は大好きだ。


 彼のように国王を補佐し、故郷である王国を守っていけたらいいなと思っている。

 そのための努力なら、全然苦にならない。


 もっとも双翼なら、ラザファムが大将軍で、マティアスが軍師になるのだろうから、僕に出る幕はないけど。

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