第26話「マクシミリアンの策:後編」

 統一暦一二〇五年一月十七日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト


 マクシミリアン殿下の居室でグライフトゥルム王国に関する対応を協議した。


 謀略を行っている人物として、マティアス・フォン・ラウシェンバッハの名が上がり、彼に対しては我が国の士官学校に招聘するという情報を流し、王国内で孤立させる策を殿下は提案された。


 そして、更に王国への侵攻作戦についても提案されたが、私にはなぜ必要なのか理解できなかった。


 王国との国境にはシュヴァーン河という大河が流れ、河畔近くにあるヴェヒターミュンデ城は堅城として有名だ。


 また、戦線をいたずらに拡大することになり、戦力の集中という観点からも合理性に欠けると思ったためだ。

 そのため、その理由について殿下に説明を求めた。


「まずはリヒトロット皇国への支援を妨害することが一番の理由だ。諜報局の掴んだ情報では、法国軍から奪った武具を皇国に送り込んだ。他にも攻城戦で必要な矢や太矢が大量に運び込まれている。皇都を攻略するにはまず王国からの支援物資を止めることが肝要だ。そのためには商都ヴィントムントを我が国の勢力下に置く必要があると考えている」


 この理由は納得できる。しかし、それだけでは理由としては弱いと思った。

 私が頷くと、二つ目の理由を話し始められた。


「二つ目は元老たちを混乱させることだ」


 意外な言葉に思わず聞き返してしまう。


「元老たちでございますか?」


「そうだ。元老たちのうち、軍出身者は兄上に手柄を上げてほしいと願っている。しかし、皇都リヒトロットは一筋縄ではいかぬ。それならば、戦力的に劣るグライフトゥルム王国に勝利すればよいと考えるはずだ。王国軍がレヒト法国軍に勝利したとはいえ、元老たちにはフェアラート会戦での成功体験がある。王国軍を侮る空気は少なからずあるから、乗ってくるはずだ」


 フェアラート会戦は八年前の一一九六年に、グライフトゥルム王国との国境に近いフェアラートの町の郊外で行われた会戦だ。


 帝国軍三万に対し、グライフトゥルム王国とグランツフート共和国の連合軍六万が激突し、完勝した戦いとして記憶に残っている。


「そうですな」


 軍出身の元老はそのフェアラート会戦を経験している者ばかりだ。情報としては王国軍が改革を行っていることは知っていても、自らの経験から判断することは充分にあり得る。

 私の言葉に殿下は軽く頷かれ、更に説明を続けた。


「そして官僚出身者はこれ以上の軍費の増大を抑えるべきだと考えている。特に昨年の穀物価格高騰で、まずは内政に注力すべきだという意見が強くなっているから、遥か西の王国に攻め込むなどあり得ないと考えるだろう。彼らは王国への侵攻作戦を妨害してくるはずだ」


「なるほど。ゴットフリート殿下を支持する元老たちの間に楔を打ち込むということですな」


「その通りだ。元々、私を排除し、扱いやすい兄上を即位させようとしているだけの烏合の衆に過ぎん。あとは陛下がご健在であることを示せば、以前と同じように派閥間で争うようになる。そうなったら私に対する謀略の罪を着せて処分してしまえばいい」


「その点も理解しました。三つ目の理由は何でしょうか」


「グライフトゥルム王国軍の改革派をこの機に潰すことだ」


 その言葉がすぐに理解できなかった。


「確かに防衛戦に出陣するのは改革派であるグレーフェンベルク伯爵たちでしょう。ですが、内通者がいないヴェヒターミュンデ城を攻略することは戦争の天才、ゴットフリート殿下でも容易ではないのではありませんか?」


「確かにヴェヒターミュンデ城は堅城だ。外から攻め落とすことは容易ではないだろう。しかし、王国軍には決定的な弱点がある」


「弱点でございますか?」


「そうだ。主力である王国騎士団の実働部隊は三個騎士団一万五千に過ぎん。他にはエッフェンベルク騎士団二千五百とノルトハウゼン騎士団三千、ヴェヒターミュンデ騎士団五千がいるが、すべてを合わせても二万五千を超える程度しかおらぬ。それが彼らの最大の弱点だ」


「私は軍人ではありませんが、攻城戦では一般に守備兵の三倍の兵力が必要とされていたと思います。それに加えてシュヴァーン河の渡河が必要ですから、ヴェヒターミュンデ騎士団五千に加え、二個騎士団一万がヴェヒターミュンデ城に入れば、勝利は難しいのではありませんか?」


「卿の言っていることは正しい。だが、数が少ないということは採れる戦略が限られるということだ。リッタートゥルム城周辺に部隊の一部を派遣すれば、グレーフェンベルクは悩むだろう。大軍を運用しにくい場所とはいえ、本命でないと断言はできんからな……」


 リッタートゥルム城はシュヴァーン河の中流域にある城だ。


「万が一突破されれば、ヴィントムントまで一気に攻め寄せられる。そう考えれば、少なくとも一個騎士団、恐らく二個騎士団相当一万人は投入するだろう。ヴェヒターミュンデに比べ距離がある。新たに増援を送り込むことは難しいのだから、最初からある程度の兵を送り込まざるを得ぬ。しかし、そのことによって多くの遊兵を作ることになる……」


 王国への侵攻ルートはヴェヒターミュンデとリッタートゥルムの二ヶ所に限られているが、間にシュティレムーア大湿原があり、移動は大湿原を迂回する必要があった。


 そのため、一方に戦力を集めておき、本命の渡河地点に戦力を移動させるという策は採れない。つまり、陽動と分かっていても戦力を裂かざるを得ず、遊兵を作ることになるのだ。


「更に言えば、マルクトホーフェン侯爵を放置できぬから王都を空にするわけにはいかぬ。そうなれば、ヴェヒターミュンデ城に一個騎士団を派遣できればいい方だろう。当然、そこにはグレーフェンベルクがいるだろうし、ラウシェンバッハも参謀としているはずだ。そこでまとめて始末すれば、王国は一気に弱体化するし、我が国に対する謀略も止まることになる」


「よく分かりました。では、この件は陛下に私の方からお伝えいたしましょう」


「よろしく頼む」


 殿下の居室を出たところで、今の話を考えていた。


(マクシミリアン殿下の策は合理的だ。しかし、グライフトゥルム王国への侵攻についてはなぜかしっくりこない。ゴットフリート殿下を失敗させるために、あえて提案したのではないか……)


 陛下の寝室に入り、殿下から聞いた話を伝える。


「ラウシェンバッハの件は余もようやく腑に落ちた。マクシミリアンの策に沿って仕掛けてくれ」


「御意」


 そう答えるものの、もう一つの策についての陛下のお考えを待つ。


「グライフトゥルム王国への侵攻は時期尚早であろう。マクシミリアンめは余を試したようだな」


 陛下は楽しそうにそうおっしゃられた。


「どのような意味でしょうか?」


「余がどちらを後継者にしようと考えているのか、試したのだ。余がこの策を採れば、ゴットフリートを支持していることが明らかになるからな」


 確かにその通りだと納得する。


「もっともそれを分かった上で提案した可能性もあるな」


 再び疑問が湧く。


「それはどういうことでしょうか?」


「今エーデルシュタインには二個軍団六万の兵がいる。ゴットフリートは皇都攻略のための準備を行っているが、王国侵攻作戦に一個軍団三万と陽動に一個師団一万を派遣しても問題はない。それだけの兵力を投入すれば、成功の可能性は充分にある」


「しかし、それではゴットフリート殿下が功績を挙げ、マクシミリアン殿下にとっては不利になるのではありませんか?」


「余がゴットフリートに命じた場合はそうなる。だが、マクシミリアンは余がゴットフリートに命じぬと見たのだろう。成功すれば、ゴットフリートを後継者として認めねばならぬから、元老たちを排除できぬ。そう考えれば、余がゴットフリートに王国侵攻作戦の指揮を執らせることはないと確信した上で提案したのだろう」


 私もようやく理解できたが、陛下とマクシミリアン殿下の読み合いについていけない。お二方とも天才なのだと改めて思った。


 その後、陛下はマクシミリアン殿下を寝室に呼び、二人だけで一時間ほど話された。

 内容については私だけでなく、軍務尚書であるシルヴィオ・バルツァーにも伝えられず、お二人が何を話されたのかは分かっていない。


 王国への侵攻作戦は皇国への牽制ということで、とりあえず準備のみが内々で実施することになり、軍務府が取り仕切ることとなった。


 その翌日、陛下が本復された旨を大々的に発表した。

 そして、マクシミリアン殿下の第二軍団長罷免についても検討中である旨が公表された。

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