第14話「子爵領へ」

 統一暦一二〇二年七月一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 高等部の三年生に進級し、半年が経った。

 学院での生活は順調だ。マルクトホーフェン侯爵派と揉めることもなく、ラザファムらと楽しくやっている。


 学院生活以外も順調と言っていいだろう。

 ゾルダート帝国とレヒト法国への謀略も今のところ上手くいっており、王国側が大きな隙を見せない限りは戦争の可能性は低いと言っていい。


 ゾルダート帝国については、二人の皇子が一二〇〇年に相次いで師団長に就任した。実力主義の帝国において一万人の兵を指揮する師団長になることは、皇子であっても誰もが認める高い能力と大きな功績の両方を示す必要がある。


 まだ二十代前半に過ぎない二人の皇子、第一皇子であるゴットフリートと第二皇子であるマクシミリアンが師団長に就任したことは、彼らが異常なほど軍事的才能を有していることを示しており、王国にとっては脅威だ。


 特にマクシミリアン皇子は危険だと思っている。

 彼は連隊長に当たる騎士長になると、エーデルシュタイン周辺で行われているゲリラ活動に対し、的確に対処してきた。


 その際、内務府と協力し、リヒトロット皇国のゲリラ部隊とそれに協力している村々に情報操作を仕掛けてきたのだ。


 具体的には帝国に協力する裏切り者がいるというもので、ゲリラと協力する住民を疑心暗鬼に陥れ、それに踊らされたゲリラ部隊が村を攻撃してしまう。


 そして、村を襲ったという情報をマクシミリアンは積極的に広め、その結果、エーデルシュタイン周辺の村がゲリラ部隊を支援しなくなり、帝国の補給部隊が機能するようになった。


 それに対し、私も闇の監視者シャッテンヴァッヘを使って必死に打ち消しにかかったが、一度崩れた信頼関係を再構築することは至難の業だ。必死に立て直しを図っているが、現状は後方撹乱戦術を完全に封じられた形だ。


 マクシミリアンの恐るべきところは、帝国軍と長年対立関係にある内務府と緊密に連携してきたことだ。こちらの情報操作によって軍務府と内務府の対立は修復不能なまでに大きくし、皇帝ですら手を拱いていたのだが、次期皇帝候補がそれをあっさりと覆した。


 この事実から分かることは、軍事的な才能だけでなく、政治的手腕も侮りがたいということだ。もし彼が次期皇帝になったら、帝国内の軋轢を解消し、挙国一致体制を作り出してしまうのではないかと危機感を抱いている。


 そのため、皇帝の座を争うゴットフリート皇子の派閥を煽り、マクシミリアン派と争うよう誘導した。


 それが上手く嵌り、ゴットフリート皇子の第一軍団第二師団とマクシミリアン皇子の第一軍団第三師団の士官たちの間に険悪な雰囲気を作り出すことに成功する。第三師団の大隊長である上級騎士が、第二師団の中隊長である騎士を軍施設の中で殺害したのだ。


 この騒ぎは瞬く間に第一軍団内に広がった。

 第一軍団長を兼ねる皇帝コルネリウス二世が身を挺して騒ぎを治めたものの、帝都では内戦の一歩手前までいっている。


 その後も皇帝がマクシミリアンを譴責処分にするなど適切に対処したため、最悪の事態は防いでいるが、帝都での内戦の危機に皇帝も皇国への侵攻を命ずることができず、帝国軍の進攻速度は大きく落ちている。


 但し、時間稼ぎにはなったが、リヒトロット皇国が飲み込まれるのは時間の問題だった。

 補給の問題が解決したことから、第一軍団の士気を高めることを兼ねて、皇帝自らが最前線であるエーデルシュタインに赴くという噂が流れており、本格的な侵攻は間近に迫っている状況だ。


 レヒト法国については順調だ。

 新たに就任したアンドレアス法王だが、各教会のトップである総主教を御しえず、法国の政治は混乱したままだ。


 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室が集めた情報では、四つある大神殿のうち、主戦派である北方教会と東方教会の二つが反法王派ということで、混乱が短期間で収まる可能性は低い。


 また、モーリス商会が東方教会の上層部に食い込むことに成功したため、情報操作も機能しており、今のところ法国の政治は機能不全に陥っている。



 帝国に対しては不安があるが、喫緊の問題ではないため、夏休みに入ったところで、私は領地であるラウシェンバッハ子爵領に向かうことにしていた。


 領地に行くのは顔見せのためだ。

 これまでは体調を考慮し、王都から三百五十キロメートル離れたラウシェンバッハに向かわなかった。しかし、今年の年末には学院を卒業することから、子爵家の嫡男として家臣や領民に顔を見せておくべきと両親に言われたのだ。


 父はまだ四十代に入ったばかりの働き盛りだが、王国では五十歳になる前に家督を譲ることが多く、あと数年で私がラウシェンバッハ子爵家の当主となる可能性が高い。


 私個人としては見知らぬ領地に愛着はないため、家督相続にそれほど拘りはない。しかし、相続しない場合、爵位を持てず、騎士階級になるため、王国内での発言力は大きく低下することになる。


 今後のことを考えると、貴族としての身分は確保していた方がいいと考え、夏休みを利用して領地に行くことにしたのだ。


 他にも私が考えたレヒト法国から獣人族セリアンスロープを移住させる計画の進捗も、この目で確認したいと思っている。


 一応、モーリス商会からは定期的に状況が知らされているのだが、想定よりも多くの獣人が移住しており、問題がないか確認すべきだと考えていたのだ。


 同行するのは護衛兼メイド兼治癒師のシャッテン、カルラ・シュヴァイツァーと彼女の配下のシャッテン数名と、我が家の騎士二名だ。


 それに加え、ラザファムとイリス、ハルトムートも一緒に行くことになり、ラザファムたちの護衛の騎士五名も同行する。


 ラザファムが同行するのは獣人族の入植地の視察を兼ねている。ラウシェンバッハ領で成功していることを確認したら、エッフェンベルク伯爵領でも入植が行われる予定だからだ。


 イリスは私の領地になる場所を見に行きたいというだけで付いてくる。本来、独身の貴族令嬢が他家の領地に行くのは結婚が決まった後だが、ほとんど婚約者扱いなので誰も異論を唱えなかった。


 ハルトムートは暇潰しだと公言している。

 故郷に帰っても居心地があまりよくないらしい。といっても邪険にされるとかではなく、その逆でエリート校に入学した故郷の英雄的な扱いに戸惑っているのだ。


 王都シュヴェーレンブルクから領都ラウシェンバッハまでは、馬車と騎馬であれば十日ほど到着できる。


 途中で商都ヴィントムントに立ち寄り、ライナルト・モーリスに面会するため、モーリス商会に向かう。

 到着すると、イリスが少し意外という感じで感想を口にした。


「思っていたより大きくないわね。本当にここなの?」


 モーリス商会はヴィントムントでも一二を争う豪商だが、本店はそれほど大きくはなく、三階建ての小ぢんまりとした商店兼住宅に見えるからだ。


「ここで間違いないよ」


 これは私の指示によるものだ。


 元々モーリス商会は中堅の商会だったが、帝国のエーデルシュタイン侵攻で起きた金属相場の混乱で一気に大きくなった。


 そのため、商人組合ヘンドラーツンフト内での影響力はほとんどなく、あまり派手なことをすると、大手から嫌がらせを受ける可能性が高かった。


 それを回避するために十年ほどは可能な限り腰を低くし、組合内での地位向上と有力者とのコネクションを得るように指示を出し、更にこちらから組合に関する情報も提供していた。


 その結果、モーリス商会本店は以前のままで、訪れる者の多くがイリスと同じ感想を持つことになる。


 これも私の狙いだ。


 訪れる商人たちは若手ナンバーワンのやり手、ライナルト・モーリスという人物に対し、警戒していることが多い。そのため、いろいろと準備してくるのだが、最初の印象が想定と異なると、考えてきた作戦が正しいのか迷い出し、モーリスが主導権を握ることができるからだ。


 そのことを説明すると、ハルトムートが感心する。


「そんなことでも動揺するんだな。これも戦いで使える気がする……」


「そうだね。主導権を握ることは重要だよ。出鼻をくじかれるとやりづらいだろ」


 そんな話をしながらモーリス商会に入ったが、あいにくモーリス本人は不在だった。世界中を飛び回っているので仕方がない。


 ヴィントムントから主要街道である大陸公路ラントシュトラーセを南に百キロメートルほどいったところに、ラウシェンバッハ子爵領はある。


 領都ラウシェンバッハは高さ五メートルほどの壁に囲まれた都市だが、城塞都市という雰囲気ではない。大陸公路での宿場町であるため、行きかう人が多く、開放感のある交易都市といった趣があった。


 七月十三日に領都に到着したが、私たちに注目する者はほとんどいなかった。


 一応、私が乗る馬車にはラウシェンバッハ家の紋章が描かれているのだが、旅人が多くて目立たないのだ。また、あまり仰々しいのも面倒だったこともあり、城門での出迎えを断ったことも理由の一つだろう。


 城門をくぐると、領都の中心にある領主館に向かった。

 先触れを出しているため、家臣たちが玄関の前で出迎えてくる。


 家臣代表は代官を務めるムスタファ・フリッシュムートで、父リヒャルトの従兄に当たる。騎士に叙任されているが、四十代半ばの紳士で有能な文官という印象が強い。


「ようこそおいでくださいました、マティアス様」


 彼が生真面目そうな表情で頭を下げると、家臣や使用人たちも一斉に頭を下げた。

 簡単なあいさつの後、館に入っていく。


「既に領地に関する書類は用意してあります。いつでもご覧になれますが、いかがされますか?」


 今回の目的は領地の視察だが、その前に運営状況を確認したいと伝えてあったのだ。


「明日にでも見させてもらうよ」


 私の言葉にフリッシュムートは少しだけ緊張を解いた。

 彼にも私が叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの一員で大賢者の弟子であることは伝わっているからだろう。


 その日は歓迎の宴があり、主要な家臣や町の有力者と面会を行っていく。

 ほとんどが私のことは噂で知っており、和やかな雰囲気でその日は終わった。

 宴が終わった後、ハルトムートが呟いた。


「思っていたより普通の町だな」


 その言葉にラザファムが頷く。


「言っては悪いが、私もハルトと同じ感想だな。マティがいろいろと手を回して、もっと繁栄していると思っていたのだが」


「領地経営に口を出したことはほとんどないよ。今回の獣人族セリアンスロープの入植くらいなんだから」


 私が苦笑しながらそう答えると、イリスが首を傾げる。


「モーリス商会が支店を出したと聞いたような気がするのだけど?」


「それも私が指示したことじゃないよ」


 直接指示は出していないが、知恵は出している。

 モーリスから私に恩を返すために領地を繁栄させたいとの申し出があり、その際に何がよいか聞かれていたのだ。


 私のアドバイスは、ラウシェンバッハ領の名産である綿花の栽培と紡績事業に投資してはどうかというものだ。


 製糸業はリヒトロット皇国が本場だが、帝国との戦いで産業として不安があり、そこに食い込めると思ったためだ。


 私としては綿花の安定的な買い取りをしてもらえればよかったのだが、モーリスは膨大な額の投資を一一九六年頃から行っている。それを知った他の商会もモーリスの先見性に期待して同じように投資してくれた。


 まだ完全に軌道に乗ったわけではないが、二年ほど前から領地の税収が大きく上がり始めている。


 また、フェアラート会戦の後の各都市の関税撤廃もあり、ラウシェンバッハ領は未だかつてないほどの繁栄を享受していた。


「税収が上がっている割に普通に見えたんだが、どうしてなんだろうな?」


 ハルトムートが疑問を口にする。


「町が古くて手狭だからね。大手の紡績工場はエンテ河の対岸にあるんだよ。だから、ここは昔ながらの宿場町って感じになっているんだと思う」


 元々領都は五千人くらいの人口しかなかったが、現在では一万人近くまで膨れ上がっている。しかし、城壁があるため拡張が難しく、また生活用水や工業用水の確保のため、荒れ地であったエンテ河の東側に工業地帯ができ、そこに新たな町が形成しつつあった。


「そうなのね。ここに滞在している間に見に行きたいわ」


 一応今月いっぱいは滞在する予定なので、日程に余裕はある。


「獣人族の入植地の確認が優先事項だけど、私も見てみたいからモーリス商会に声を掛けてみるよ」


 翌日、私は領地の運営状況の確認を行い、三人は町の見学に行った。

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