第68話「王国軍の方針」
統一暦一二〇八年七月三日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
二日前の七月一日、ゾルダート帝国においてリヒトロット皇国の皇都攻略作戦が発動されたと公式発表があった。
作戦開始は八月一日で、情報通り皇帝マクシミリアンが二個軍団プラス二個師団の計八万という大軍勢を率いる。
この情報が入ったため、王国軍の首脳を集めて作戦会議を行った。
「帝国軍が皇都攻略作戦の準備を行っているという情報が入ってきました。作戦の発動は八月初旬、帝国軍が皇都付近に到着するのは九月初旬頃と見込まれています。参謀本部としましては、王国騎士団一万五千をヴェヒターミュンデ城に派遣し、牽制のために渡河作戦の準備を行ってはどうかと考えております」
帝都にある長距離通信の魔導具の存在は極秘であるため、情報は少し曖昧にしている。
私の説明に王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が頷く。
「フェアラート守備隊を脅すということか……」
「はい。王国騎士団がヴェヒターミュンデ城に向かうことと、グランツフート共和国軍に援軍を要請したという噂をヴィントムントで流します。これらの情報は八月初旬には帝都に届きますし、既に帝都を発している帝国軍には八月半ばには届くはずです。その直後にフェアラート守備隊から我が軍が渡河の準備をしているという情報が入れば、皇帝マクシミリアンといえども焦らせることは可能でしょう」
「問題は帝国が一個軍団をこちらに送り込むことだな。フェアラートに二個師団、リッタートゥルムに一個師団を回されたら、渡河することは不可能だからな」
ホイジンガー伯爵の言葉に第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵が同意するように頷く。
「敵は知将と名高いエルレバッハ。前回の戦いのように罠に嵌めることも容易ではありませんからな」
第二軍団長のホラント・エルレバッハ元帥は元々知将として名高く、慎重な性格の司令官だ。更に三年前のヴェヒターミュンデの戦いで敗れた第三軍団の第二師団長でもあり、我々が罠を仕掛けてくることを想定し、慎重に対応してくることは間違いない。
「リッタートゥルム城には私とエッフェンベルク連隊長率いる第二騎士団第三連隊を派遣し、帝国南部で後方撹乱作戦を展開してはどうかと考えています」
既に後方撹乱作戦の準備として、以前ヴェストエッケ攻防戦の前哨戦で行ったような、地図作りは進めている。
「君とラザファムの連隊が向かうだけでよいのかな? ラウシェンバッハ騎士団か黒獣猟兵団も送り込んだ方が良いと思うのだが?」
軍務次官のカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵が発言する。
「黒獣猟兵団から五十名ほど参加させる予定ですが、すべて斥候兵を考えています」
「それはなぜかね? マンフレート殿から聞いたが、ラウシェンバッハ騎士団の実力なら後方撹乱でも十分な成果が上がると思うのだが?」
ホイジンガー伯爵は先月の合同演習でラウシェンバッハ騎士団の実力を見ている。
「理由は二つあります。一つには帝国第二軍団を相手にラウシェンバッハ騎士団では敗れる可能性が高いことです」
そこでホイジンガー伯爵が疑問を口にする。
「私にはそうは思えん。我が部下だが、第三連隊の方が実力的に劣ることは誰もが認めるところだ。こちらの方が全滅の可能性は高いと思うが?」
「兵の能力で言えば、おっしゃる通りです。ですが、エッフェンベルク連隊長は指揮官としての能力が高く、引き際を弁えています。一方ラウシェンバッハ騎士団の騎士団長及び連隊長はそこまで信用できません。彼らが無理をする可能性は非常に高いと考えています」
騎士団長である弟のヘルマンも連隊長であるエレンたちも、私の策を成功させようと無理をする可能性が高い。
一方、ラザファムはこの作戦の戦略的な意味を理解しており、ギリギリの線を狙って仕掛けるだろうし、無理だと判断すれば即座に撤退するだろう。
「言わんとすることは分かるが、君が言い含めればいいのではないか? それに今回も通信の魔導具を使って君が指揮を執るのだ。引き際は君が見極めれば問題ないと思うが」
その言葉に首を横に振る。
「前線の指揮官が情報を客観的に伝えなければ、後方で指揮を執る私の判断も正しいものとはなりません。特に敵地に深く侵入しての作戦では、楽観的でも悲観的でも判断を誤る可能性が高くなります。その点、エッフェンベルク連隊長なら既に敵国内での作戦を無難にこなしていますし、想定を超える事態が起きても冷静さを失うことはないですから、安心できます」
「つまり、指揮官の能力で決めたということか……」
「その通りです」
そこで総参謀長のユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵が発言する。
「素人の質問で悪いのだが、ラザファム君にラウシェンバッハ騎士団の連隊を指揮させることはできないのかね? 兵の能力はラウシェンバッハ騎士団が上で、指揮官はラザファム君が上なら、それを組み合わせればよいと思うのだが」
その問いにホイジンガー伯爵が答える。
「指揮官が兵の能力を理解し、兵が指揮官を信頼するには数ヶ月は掛かる。残念ながら現実的ではない」
「なるほど。話の腰を折って申し訳ない。マティアス君、続きを頼む」
事前に作戦の内容は承認してもらっているが、アイデアとして思いついたので口にしたようだ。
オーレンドルフ伯爵に目礼し、説明を続ける。
「二つ目の理由はラウシェンバッハ騎士団を予備兵力として隠しておきたいからです」
「隠しておく? どのような意味があるのかね?」
軍務卿のマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵が首を傾げる。
「帝国はラウシェンバッハ騎士団が後方撹乱を行ってくると考え、一個軍団をシュヴァーン河流域に配置します。しかし、潜入した部隊が獣人族ではなく、第二騎士団の一部隊であれば、どう考えるでしょうか?」
「うむ。どこに隠れているのだと探すだろうな」
侯爵の答えに笑顔で頷く。
「はい。見えない敵ほど恐ろしいものはありません。特に能力が高く、奇襲や夜襲を得意とする部隊がどこにいるのか分からなければ、敵の指揮官は強い不安を感じるはずです。そうなれば、見えない敵のために予備兵力を残さざるを得ませんし、それまで以上に慎重に動くでしょうから、積極的な行動は採れなくなります」
「何となく分かった気がする。敵をラウシェンバッハ騎士団の影に怯えさせ、委縮させるということだな」
「はい。エルレバッハ元帥は以前、我々の策に嵌って友軍が大敗北したことを目の当たりにしています。当然、今回も奇策を警戒していることでしょう。そして、エルレバッハ元帥は無能ではありません。同じ轍を踏まないように慎重に行動するはずです。彼に与えられた戦略目的からすれば、王国軍を皇都に向かわせないことが最重要事項なのですから」
そこでホイジンガー伯爵が再び口を開く。
「そこまでは理解した。しかし、敵が慎重になれば、皇国を救済することができんのではないか? 一個軍団を引き付けることには成功したが、まだ五万の兵がいるのだ。それに皇帝マクシミリアンなら、我らが帝国領内に侵入しただけでは、皇都攻略に専念するはずだ。前回のような情報操作で動くことはないだろう」
「私も同じ懸念は抱いています。ですが、我々にできることは帝国軍の戦力をできるだけ引き付け、皇国水軍が渡河を阻止している間に、シュッツェハーゲン王国を動かして後方を脅かすくらいしかないのです」
今のところ、シュッツェハーゲン王国が動くという情報はなく、打つ手がない状況だ。
「共和国軍と合わせて五万ほどの軍で進軍すれば、皇帝もこちらに戦力を向けざるを得ないのではないかな?」
エッフェンベルク伯爵が発言した。
「その案は難しいと思います」
「どうしてかな?」
「まず、この時期のシュヴァーン河は渡河地点が三ヶ所に限られてしまい、そこを三千程度の兵で固められたら、渡河はまず不可能です。更に渡河できたとしても、第二軍団三万が健在な状態では皇都に向けて進軍することができません。第二軍団が積極的に仕掛けてくることはないですから、進軍を開始した後で補給線を狙い、渡河地点を抑えに来ることは目に見えていますので」
「前回我々が行ったことの逆をやられることになるわけだな」
エッフェンベルク伯爵はそう言って納得した。
ホイジンガー伯爵も策を提案してきた。
「ならば、ラウシェンバッハ騎士団を帝国の南部鉱山地帯に送り込む策はどうだ? 彼らの身体能力なら森林戦でも充分に活躍できるし、敵の後方拠点であるエーデルシュタインを脅かせば、帝国軍も対処せざるを得なくなるだろう」
この策は私自身考えたことがあるが、難しいと判断していた。
「不可能ではありませんが、その場合、ラウシェンバッハ騎士団は全滅するでしょう」
「どういうことだ?」
「南部鉱山地帯に南から入るには
この事実のお陰で帝国軍が南下してくることはないのだが、今回は我々にとっての障害になるのだ。
「山道であっても彼らの身体能力なら問題なかろう」
「確かにその通りですが、その道にはごく小さな村しかなく、補給の問題があります。荷馬車が使えませんから、自力で運ぶ物資に頼るしかなく、膂力に優れた彼らでも片道分の物資を運ぶことで精一杯でしょう。また、あの地には協力者がいませんから、地理に不案内な状況で戦うことになります」
「補給と情報が満足でない場所ということだな。確かにそれでは全滅するだけだな」
ホイジンガー伯爵も理解を示してくれた。
その後、作戦の詳細について話し合い、参謀本部の提案が承認され、帝国軍の動きが確定した時点で、御前会議に諮られることが決まった。
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